始まり 2110年



 ……ここまで読んで私は古いデータを閉じた。

 閉じざるを得なかった。

 日付を見ると、西暦2010年7月20日とある。

「……ずいぶん情熱的っていうか、ロマンチックな人だったんだなあ」

 私の頬は赤くほんのりと染まっていた。

『読む』という行為が特殊技能とくしゅぎのうとなった2110年。

 オーディオブックと動画どうがで読み方を学び、私は独学どくがくで読むという技術を手に入れた。

 さらに言うと子どもの頃に祖母そぼが教えてくれたのだ。

 祖母の言う能力値のうりょくちがどれほどのものか知らないが中学二年生程度ちゅうがくにねんせいていどというランクらしい。

 今はそれより上だと自覚がある。

 私は小説を書くし、文字を並べて物語が組み上がっていく快感を止めることができないのだ。

 本星ほんせい地球では、ひそかに行われている読書や創作を司法局しほうきょくに自ら提出ていしゅつ放棄ほうきを宣言をすれば驚くほどの報奨金ほうしょうきんが貰えるし、他者による行為の通報つうほうであっても同様どうよう利益りえきを得ることができる。

 それは知っている。

 それでは私がどうなるかというと、いつか捕縛部隊ほばくぶたいのワードポリスに拘束され、更生施設こうせいしせつに送られて文字に関する記憶の一切を外科的処置げかてきしょちによって剥奪はくだつされる更生刑こうせいけいしょせられるのだ。

 氷ついたような笑顔を浮かべて街を歩いている頭部に大きな傷跡きずあとを持った人が一日に一人は、すれ違う割合でいる。

 その人たちと同じになるであろう。

 自分の世界に浸ることができる『読む』という行為。

 面白いかつまらないかを自分で判断ができる読むという行為はオーディオブックや動画とはひと味違った楽しさがあった。

 現代、人々は孤独を恐れ、『テレビ』はもちろん『音楽』『動画』『オーディオブック』を常に流して必ず人の声を耳に入れていないと落ち着かないのである。

 一時期SNSが人類の価値観かちかんを決めていた時代。

 間違った言葉の誤用が多発した。

 それは言葉の専門家せんもんかでも抑えられるものではなかった。

 言葉の誤用ごようで起こる人間同士の小さな争いは徐々じょじょに大きなものへと変貌へんぼうしていき、戦争にまで発展していった。 

 そして、噂程度うわさていどで言われてきた文字不要論もじふようろんを実現化してしまったのだ。

 現実がSFを超えて良き、SF小説は予言の書とあがめられた。

 これが活字文化崩壊かつじぶんかほうかいの歴史である。

 人々は言葉を『音』から覚えるようになった。

 意思疎通いしそつうをする分には不便はないからだ。

 読み書きができる人間はそれだけで大学に入ることが可能だった。

 読める言葉、書ける単語が多ければ多いほど入学できる大学のランクは上がるのだ。

 そのため、私は世界で最も権威のある大学へと通っている。

 100年前だったらそうはいかないだろう。

 読み書きが貨幣価値かへいかちと同等の時代なんて今だけなのかこれからも続くのかわからない。

 私たちの世代、ましてや、私のママやパパの世代でも文字を読める書ける人間は限られている。

 私が先程読んでいたデータは21世紀初頭のもので。

 私のおばあちゃんが少女時代に入力したデータだ。あまりにも古すぎて、あたしの電脳では読み込めない。みんな『文字バケ』してしまって、実際には八万文字程度の中編だったはずの物語のなんとか読める部分だけを拾い集めて繋げたものが先程の文章だ。

古いパソコンは明日、月面宇宙港げつめんうちゅうこう福祉管理警察ふくしかんりけいさつ没収ぼっしゅうするという。

 ほんとうはデータの抜き出しは法令違反ほうれいいはんなのだけど、私は、こっそりとやってしまった。

 これが、創作なのか本当にあった日記の類なのか今となっては知ることはできない。

 けれどデータは完全消去される。

 でも、百年前の『《ものがたり》』は決して滅ぼせない。

 なぜなら、データは消せても、私が読んだデータの記憶は記憶を更生されるまで消せないからだ。

 それに、ひとつ分かったことがある。

今から、百年前にも『《ものがたり》』というものは存在したし、そういう感情が国連政府の言うような『非生産的背徳思想ひせいさんてきはいとくしそう』ではなかったという証拠だろう。

 明日、目が覚めるとそこの『パソコン』と呼ばれた二十一世紀の古い機械は本体ごと無くなってしまっているだろう。既に亡くなって久しい、おばあちゃんに私はそっと言った。

「さようなら。百年の記憶。続きは、私が書き上げるよ」

 少子化防止法しょうしかぼうしほう違反いはんになるという理由で五十年前に禁止されたという『《ものがたり》』。

 それを私は重罪だと承知で、今も密かに書き続けている。

 百年後、二百年後の未来。人間が人間らしさを取り戻せる日がくる事を信じて。

 窓の外に広がる漆黒しっこくの宇宙に大きな月と月面都市げつめんとしあかりが遠くまたたいているのが見える。

 真空しんくうの中を飛ぶ旅客機りょかっきは銀河を背に月へ降りる軌道きどうに入った。

 

「……ふぁ。あとは月で考えよう。向こうには仲間だっているし……」

 眠くなる。麻酔剤ますいざい脳髄のうずいの活動を封じていって、私は眠りに落ちた。

 明日、目が覚めると、そこには……。

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