第4話 憧憬の念
それからのカインの生活は、実に潤いに満ちたものになった。
なにせ、四つの感情を蘇らせたことですっかり、いや日に日に、ますます「女の子らしく」なっていく「恋人」と一緒なのだ。端的に言えば、年甲斐もなく浮かれていた。
リンナは、次第に家事を憶えるようになった。最初はお茶を淹れるぐらいがせいぜいだったのが、料理ができるようになり、洗濯や、果ては裁縫までこなせるようになった。
身体のつなぎ目は消えることはないが、それを除けば、立派な「淑女」になった。
カインは幸せだった。
これだ。これこそが、僕の求めていた生活だ。
ただ、いかにカインとて、人造人間の寿命が短いことは知っている。この幸せは、永遠に続くものではない。それでも、「今」が幸せなら、それでいいと思っていた。
人間には、美しい面も、汚い面もある。
すべてを知ってこそ、
「より完全」
に近しくなるのは分かっていても、カインはそれを望まなかった。
リンナを悲しませたくなかったことが、第一。そして、少なくとも彼の中では、そんな「負の側面」は、「無用なもの」だったからだ。
季節はめぐり、暑い夏の頃。
幸せな生活の中で、リンナは物思いに耽ることが多くなった。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ、何も」
カインが聞いても、リンナははぐらかすばかりだ。
気になるものはなるのだが、強引に聞き出すなどもってのほかだと思い、あえてカインもそのままにしておいた。
ただ、明らかに悩んでいる恋人の姿を見て、放っておける男がいるだろうか?
ある日のティータイム、カインは思い切ってリンナに問うてみた。
「ねえ、リンナ。最近悩んでいるようだけど、どうかしたのかい?」
「えっ? あ、その」
口ごもるリンナ。瞳に、戸惑いの色が浮かんでいた。
「僕に話せることなら、言ってごらんよ。と言うか、大切な子が悩んでるのを放っておけるほど、僕も無神経じゃないつもりだ」
柔らかく促すカイン。数瞬の間の後、リンナが口を開いた。
「マスター。私は、何のために存在しているのでしょうか?」
「えっ?」
この問いには、さすがのカインも驚いてしまった。
なぜならそれは、
「己の存在意義とは?」
という悩みであり、まっとうな人間でさえ、そうは考えないことだからだ。
リンナの脳は、思っていた以上に聡明だったようだ。
しかし、まずその問いには答えなければならない。
が、カインは既に答えを用意していた。
真っ直ぐにリンナを見つめて返す。
「それはね、リンナ。僕を支えてもらうためだよ」
「えっ?」
期待していた返事ではなかったのか、リンナがさらに戸惑う。続く。
「マスター。私は人造人間です。今まで私も、他のご家庭で、労働力として使役している他の人造人間も見てきました」
「うん、そうだったね」
「それに比べれば、私のできることなど、とても限られています。私は、このままでいいのでしょうか?」
どこか卑屈にも聞こえる言葉に、カインはまだ驚くとともに、彼女がそこまで考えていたことに気づけなかった己を悔いた。
「いいんだよ、リンナ。君は今のままで十分、僕の役に立っている。僕だって、ないものねだりをするほど子どもでもないよ」
「ですが」
「なんだい?」
「本当にそれでよろしいのですか?」
未だ不安げなリンナに、カインは断言した。
「いいんだよ。僕がいいと言ったら、いいんだ。そばにいてくれさえすれば、それだけでいいんだよ」
「は、はい。ありがとうございます」
そうは答えたものの、リンナはまだどこか、納得がいっていないようだった。
もし、カインが、
「考えるな」
と命令すれば、リンナは従うだろう。だが彼は、そうしなかった。
なぜなら彼女の、
「不相応なほどの人間らしさ」
を目の当たりにして、かえってそれを尊重したくなったからだ。
その後も、何気ない日常が過ぎていった。
カインは仕事に精を出し、休みの日は、リンナをモデルに、たくさんの絵を描いた。
リンナは、彼の身の回りを、まさしく献身的に世話をした。
ただ、折に触れて、やはり物憂げな表情を浮かべるようになったのは、同じだった。
またある日のティータイム。カップにたたえられた紅茶の湖面に目を落としていたリンナが、不意に口を開いた。
「マスター」
「うん?」
カインが促すと、リンナはどこか決然とした風に言った。
「私、ずっと考えていました。私のような人造人間が、できることは何かと」
「それは?」
「はい。単純なことですが、『マスターに仕え続けること』です。マスターは私に『支え』を求めていらっしゃいます。ならば、それを全うすべきかと」
その返事を聞いて、カインはいたく感激した。
ここまで高度な思考ができるようになるとは、彼自身も予想外だったからだ。
「ありがとう、リンナ。僕もすごく嬉しいよ」
「はい。今後とも、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
その時は、それで終わった。
だが、リンナの思考は、それからさらに飛躍を見せることになる。
さらに数日後の、夕食時のことだった。
リンナが作ってくれたポトフに、カインが舌鼓を打っていると、その様子をじっと見ていた彼女が言った。
「マスター」
「どうしたんだい、リンナ? 味については文句はないよ?」
「いいえ、こんな時にする話ではないかも知れませんが、聞いて頂けませんか?」
「何の話かな?」
神妙な面持ちのリンナに、カインも少し真面目になる。
やがて、リンナが口を開いた。
「私は、私の『生きた証』を残せないでしょうか?」
ともすれば突拍子もないことを問われ、かえってカインは狼狽した。
「ど、どうしてそんな?」
高度過ぎる思考であると同時に、あまりに真剣な問いだった。両方の意味で驚きつつ、カインは理由を聞いた。
「はい。以前、マスターが私に貸してくださった本の中に、ある英雄譚がありました。正直に言って、憧れの念を抱いたんです」
「う、うーん、そうか」
さすがのカインも、困り果ててしまった。
人造人間の「英雄」など、有史以来聞いた事がない。
まさかカインも、リンナに、
「じゃあ、ちょっとドラゴンを討伐してくるとかは、どうだい?」
などとは言えない。
「あまりリンナにこんな事を言いたくはないけどさ、それは高望みだと思うな。英雄に憧れるのは分かるにしても、君は女の子だし」
「ですよね……」
やはり自らの分はわきまえているのか、リンナは残念そうに肩を落とした。
ところが、その彼女の思いは、意外なところで叶うことになる。多大な哀しみを伴って。
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