第23話 黒瞳の消失
東雲中学校の、今は部活動以外の用途で使われていない空き教室。制服を軽く着崩した一人の少年がスマートフォンをいじっている。否、彼はゲームをしているのだ。スマートフォン向けコマンドオーダーバトル、*ate/Grand Order。現代で最も人気のあるスマホゲームの一つに、少年―【大江 伊吹】は夢中になっていた。今はストーリーのボスとのバトル中だったのだが、一度パーティーが全滅。しかし、令呪というシステムで一度コンティニューをすれば、敵のHPを削り切れると考えた伊吹は、3画の令呪を使用。
「ちっ、カード燃焼が6以上ついていると宝具で即死が入るのが面倒だな…だがこれならヘラクレスで押し切れるだろう」
誰もいないのをいいことに独り言を呟いている。そして何ターンか後に、敗北時の捨て台詞と共に敵が消滅。伊吹が勝利した。
「…よし。伊吹童子ほど強くはなかったな。編成をもう少し工夫すれば奴もノーコンテニューで倒せそうな気がするが。ブリテンまでに色々な戦略を考え、サーヴァント達を育成する必要があるな」
伊吹はスマートフォンから目を離し、一息ついた。手応えとしてはまあまあ、といった感じなのだろう。コード付きイヤフォンを外してカバンにしまう。
突然、何も無い空間がぐにゃりと歪み出す。歪んだ場所から、一人の少女が現れた。少年と同等か、それ以上に真っ黒な髪をツインテールにし、カジュアルな服装に身を包んだ少女。髪と同様に真っ黒な目を輝かせ、少女は伊吹に話しかけた。
「お疲れ様、伊吹!やっとリンボをぶっ飛ばせたね!」
この非現実的な状況に、伊吹は全く動じていない。ため息をついて、少女に返事をする。
「直前に現れた伊吹童子のせいで霞んでいたがな…所詮異聞帯の王の器ではなかったということか」
「人類愛がないからそもそもビーストにはなれない、だっけ?言われてみれば確かにって感じだったねー」
「これまでもクラスが厄介なだけでそれ以外は強くもなかったからな…というか【黒瞳】、ここは学校だ、無闇に出てくるな」
伊吹はストーリーやボスのこれまでの行動を振り返りつつ、少女―黒瞳に注意をした。
「ゴメンゴメン、でも今日は部活があるわけじゃないんだからいいでしょ?」
黒瞳はペロッと舌を出し、軽く謝った。
彼らは人間同様にゲームを楽しんで話をしているが、ただの人間ではない。 伊吹はこことは別の世界で死んだ後、この世界の現代に飛ばされた酒呑童子である。外に出る時は人間に化ける薬を飲み、角や牙、黒い爪を隠している。かつては百鬼羅刹の親玉として、数多の人間や妖怪から恐れられていた存在。それが今では現代に馴染み、中学二年生の男子として生活をしている。他の人間との違いといえば、ゲームが好きで自室でも暇さえあればやっていること程度か。
黒瞳は伊吹にとって初めての夏休み中、どこからともなくやってきた自称「妖怪殺しの鞘」。伊吹がかつて前の世界で使っていた妖刀「妖怪殺し」を納める鞘の器であるという。契約者である伊吹が妖怪殺しを呼び出すと、普段のハイテンションとは打って変わって無機質な口調となり、腹に彫られた鍔のような刺青から刀を取り出し、伊吹に差し出す。伊吹がその存在を思い出したため、外界に出ることができたと彼女は話す。普段は伊吹が戦闘時に使う金棒などを収納する、武器庫と呼ばれる空間で寝泊まりしている。黒瞳自身は妖怪殺しが振るわれることを望まず、伊吹たちが元の世界に戻る手がかりを探す助けになりたいと、積極的に外に出ていた。その殆どは女児の休日のお出かけに終わっていたが。
伊吹も伊吹でただゲームばかりして日々を過ごすだけではなく、元の世界へ戻る方法を掴もうと、インターネットなどを利用して情報収集をしていたが、有力な情報は今の所無かった。今の世界に飛ばされてから1年が経とうとしている間に、伊吹の通う東雲中学校では全生徒の部活入部が義務化された。かつて一悶着あった新聞部の部長から土下座で頼み込まれたこともあり、伊吹は新聞部に入って気が向いた時に新聞作成を手伝うようになった。 この空き教室は新聞部の拠点となっており、机には少し古いパソコンがずらりと並んでいる。今日は活動日ではないため、放課後に部長から鍵を借りてゲームをしていたというわけだ。
「それでも暇を持て余したパパラッチが来ることもあるから気をつけろ」
「うーん、あの人ならバレても『取材をさせてくれー』って言われるだけで済む気もするけど」
「不法侵入者扱いされても俺は知らんぞ」
「むーそれは流石にヤダなー」
パパラッチとは、伊吹に新聞部へ入ってくれないかと土下座で頼み込んだ三年生の通称だ。一緒に帰宅する伊吹と、彼の住む四辻荘の管理人である【四辻 壱子】の様子を激写してでっち上げの新聞を作った彼は、当時こっぴどく伊吹に怒られた。しかし、唯一の二年生だった彼が進級してから他の部員たちが卒業し、部活としての存続が難しくなったため、当時帰宅部だった伊吹と壱子に目をつけたのだ。大概は学校内外のスクープを求めて奔走しており、ここに来るのは記事を書くか他の部員が作成した新聞のチェックをする時だけだが、「自分の教室より部室にいることの方が多い」と噂が立つくらいなので、伊吹としては警戒しているのだろう。
「…話は変わるけど、伊吹童子さんに会ってみて、どうだった?」
黒瞳は人が来る気配がないのをいいことに机の一つに腰かけ、話を*GOの話題に戻した。今回のストーリーでは、酒呑童子というキャラクターの別側面であり、カミに等しい存在の伊吹童子が登場した。自分の別側面に近く、名前も同じ彼女に思うところがあるのではないか、と思ったのか。
「どう、と言われてもな…俺は元々人間から生まれたようだし、八岐大蛇や伊吹大明神との縁もない。自分の別側面と言われても実感が湧かん」
「でもガチャ回したら11連一発で来てくれたよね、やっぱり何か縁があるんじゃないのかなぁ?」
「あれはたまたまだ…とも言いきれないんだよな。ストーリーの時もそうだが他人の気がしない…あそこまで現代にかぶれたくはないが」
(現在進行形でゲームしまくってる伊吹が言っても説得力がないなぁ)
伊吹の「現代にかぶれたくない」という発言には違和感しかなかった黒瞳だが、言えば確実に怒られるため心に秘めた。
「…いや、本当のところはどこかで関わっていたのかもな」
しかし、伊吹は少し考えた後、ポツリと呟いた。
「関わっていた、って?」
「八岐大蛇や伊吹大明神などの蛇神と、だ。母親はただの人間だったが、俺には父親の記憶が無い。ただの人間同士で交わった結果、鬼である俺が生まれたとも考えにくい。ならば鬼かそれに準ずる妖怪とあの人間の女が…とも考えたが、それならば俺はもっと早くに捨てられていたか、そもそも生まれる前に殺されている気がする」
黒瞳が首を傾げると、伊吹は自分の推測を語り出した。この世界に来てから思い出した、自分の生い立ち。だが、それにはまだ謎が多くある。自分が幼い頃は人間に近い姿だった理由。母親であると思しき女性が、数え年四つの時に自分を捨てた理由。そして、未だ分からない父親の正体。伊吹の推測は続く。
「ではもし―あの人間の女と交わった男に、蛇神の血と鬼の血の両方が混じっていたとしたら。さらにその男には人間の特徴が多く発現していたとしたら。そして、その男と人間の女との子どもである俺に、先祖返りか何かで鬼や蛇神の要素が色濃く受け継がれたのだとしたら―突然現れた人外の子どもを、育児途中で山に捨てるのは妥当…」
「……なんか、すごく壮大な話になってきたね…」
「まぁこれはあくまで推論に過ぎないが。この前雌狐から教えてもらった漫画の影響も多い」
「あぁ、い*ぼく?」
「先祖返りで妖怪の血を濃く受け継いだ人間たちの物語だったからな。今更だが、何故妖狐なのにいぬと読むのだろうな…」
黒瞳は伊吹の推論に圧倒されている。伊吹としては推測の域を出ない妄言であるためか、早々に見切りをつけてしまったようだ。
「…その漫画の話を抜きにしても、それ以上に何かある気がするんだ。何か昔、鬼たちの親玉になる前に、大事な約束をしたような…そこで、蛇神に近い何かと接触したような…」 「!」
伊吹は朧気な自分の記憶を探ろうとする。蛇神、と口にすると、黒瞳は突然ビクリと反応した。
「ん、どうした?」
「い、いやぁ別に何も…ワタシが考えてみても、やっぱり伊吹が忘れてることはワタシにも分からないよな〜って思っただけ」
「そうか…いよいよもって手詰まりだな。俺一人で探るには限度があるか…とはいえこんな荒唐無稽な話を信じて協力してくれるような奴に宛がないのもまた事実…どうしたものか―」
二人で考え込んでいると、静かな校舎の遠くから、こちらへ歩いてくる足音が聞こえてきた。
「あっ、もしかして他の部員さんかな?ワタシはそろそろ伊吹の武器庫に戻ろっかなー」
「…いや、今回はそのままでいいだろう」
「へっ?それってどういう―」
黒瞳が現れた時と同じように空間を歪ませ、その中に入ろうとすると、足音をよく聞いていた伊吹がそれを止めた。黒瞳が理由を聞くより先に、空き教室の引き戸が開く。
「大江くんお待たせ、委員会の仕事終わったからそろそろ―あれ、黒瞳さんもいたんだ」
足音の正体は、伊吹と同時期に新聞部へ入部した壱子だった。伊吹が空き教室で時間を潰していたのは、二年生になってから美化委員会に入った彼女を待つためでもあったのだ。
「なんだ、壱子ちゃんだったんだー!それならそうと言えばいいのにー」
「言うよりも管理人が来る方が早かった」
「大江くん、足音だけで分かったんだ…妖怪ってやっぱりすごいんだね」
壱子は、伊吹たち人外の存在に理解のある数少ない存在だ。突然学校の教室に飛ばされた伊吹のクラスメイトであり、自分が管理している下宿の住人を探していた壱子は、彼や同じ境遇の妖怪たちを迎え入れたのである。伊吹は最初壱子を人間として警戒していたが、四辻荘の住人となって以降は「管理人」と呼び、方向が同じだからという理由で学校帰りの買い物に付き合うようになっていた。
「今日は黒瞳さんも夜ご飯食べていく?」
「いくー!今日はなぁに?」
「カレーだよ、いつもよりちょっと多めに作ろうと思ってるから手伝ってくれると嬉しいな」
「カレー!やったー、もちろん手伝います!…あ、伊吹はぜっっっったいにキッチン入っちゃダメだよ!」
「頼まれなければ別に手伝おうとは思わんが何故わざわざ念を押すんだ…」
壱子は黒瞳に晩ご飯の手伝いを頼んだ。喜んで引き受けた黒瞳は、伊吹に厨房出禁を言い渡した。 彼は自分が大の料理下手であることに未だに気づいていない。壱子は彼と共に調理実習の授業に出たことがあったため知っていたが、四辻荘の住人全員に知れ渡ったのは数ヶ月前のこと。壱子が寝不足で体調を崩した時に発覚した。前の世界でも、風邪を引いた八束の見舞いに来た時、何が入っているのか分からないお粥(一口食べたら八束は二日間意識不明になったが、目覚めた時には前より体調が良くなっていたそうだ)を作ったというエピソードも暴露された。以降、四辻荘の住人たちは伊吹が厨房に立つことのないよう気を張っているのである。
「じゃあスーパーで買い物してから帰ろうか…あれ、黒瞳さん髪伸びたね」
「へっ?そ、そう?最近美容院行ってないからかなぁ」
「人間ではないのに美容院に行く必要もないだろう」
「まあ時間ができたら切ってもらうよ、じゃあまた後で。学校の外で待ってるね!」
壱子はふいに、黒瞳の髪が伸びたことを指摘した。黒瞳は思わぬところを指摘されたようでびくりとしたが、いつもの調子で歪んだ空間の先に消えてしまった。
「…あいつの髪、そんなに伸びていたか?」
伊吹は誰もいなくなった場所を見つめながら首を傾げた。
「伸びたと思ったんだけどな…顔の横のところが。前は結構短かったけど、今は頬が隠れていたから」
壱子は空き教室から出ながら呟いた。伊吹は人間以上に五感が優れているが、観察眼は壱子の方が上のようだ。
「大したことでもないだろう。早く買い物を済ませて帰るぞ」
「そうだね…あ、私明日からしばらく四辻荘に行けないかも。母さんが久しぶりに帰ってくるんだ」
「そうか」
伊吹は荷物をまとめて部室を出た。出る時に窓をざっと確認し、戸締りをする。壱子の母が実家に帰ってくる話については、興味無さそうに流した。
伊吹と壱子が新聞部の部室から出た後。 伊吹の武器庫では、黒瞳が体育座りでしゃがみこんでいた。壱子に指摘された顔の横の髪の毛を、指でくるくるといじっている。
「壱子ちゃんに先に気づかれるとは思わなかったな…伊吹が鈍くて良かった。もう、そろそろ、限界かな…心配させないようにだけはしないと…」
髪の毛の下にある頬には、黒光りする鱗が生えていた。 否、頬だけではない。服の下に隠れている身体のあちこちに、一種の皮膚病のように。彼女の身体のあちこちを、人間のそれとはかけ離れたヘビの鱗が覆っていた。
無意識に瞬きをした黒瞳の瞳は、元の黒色ではなく。 人間よりはるかに細い瞳孔を持つ、燐光色に変わっていた。
黒瞳は自分の腹、鍔を象った刺青に手をかざす。すると、彼女の腹部がゆらめき、中から一振の刀が出てきた。これこそ、伊吹のかつての武器、どんな妖怪でも一太刀で殺す妖刀、「妖怪殺し」である。
「…………キ、ヒヒ……♪」
じっと刀身を見つめる少女の口が歪み、小さくも不気味な笑い声が、誰もいない空間を揺らした。
校舎を出た伊吹と壱子のことを、いつも通りの黒い少女が待っていた。彼らは帰り道の途中にあるスーパーで買い物をした。その姿は、周りの者には仲良しの兄弟のようにも見えたかもしれない。
彼らが四辻荘に帰った後も、黒い少女は普段通りに笑っていた。後に帰ってきた他の住人、八束や尾咲や銀花たちとともに、賑やかな夕食をとった。 管理人の壱子は八束に送られて実家に帰り、四辻荘の住人たちも各自の部屋に戻り、思い思いに時を過ごした。黒い少女は優しい笑顔で、皆におやすみを告げて姿を消した。
四辻荘の住人たちが黒い少女を姿を見ることは、その後一度もなかった。
第三幕『酒呑童子と妖怪殺し』開幕
『現世妖怪異譚』 彰名 @akina3115
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