第21話 八束の転職活動
まだ梅雨の明けきらない、曇り空の昼過ぎ。紫香から渡された読みづらい地図をスマホのマップアプリと照らし合わせながら、俺は目的の場所を探していた。 それにしても、まさか転職するって決めたその翌日に紹介してもらえるとは思わなかったな…紫香には感謝しないと。 現代日本に生まれ変わってからもうすぐ2年が経つ夏。俺、葛城 八束は派遣社員からローディーに転職しようとしていた。
今の仕事では伊吹を養うには収入が足りない。それは随分前から考えていたことだった。尾咲から「もっと収入のいい所に転職しなさいよ」と再三声をかけられつつも、運転免許を未だ取っておらず(時間を見て教習所に通ってはいる)、それ以外の資格も持っていない俺にできる仕事は限られているだろう、と派遣の仕事やアルバイトで何とか生活していた。 きっかけは尾咲が最近ハマっているアニメだった。どうやら今年中に、リズムゲームアプリが配信されるらしい。プレイヤーはライブハウスで働くローディーになり、大学生バンド(社会人のバンドと、中高生のバンドもいるようだ)たちをサポートする、というストーリーらしい。そのローディーという仕事は、楽器運びやミュージシャンたちのサポートをする仕事で、音楽知識だけではなく体力も必要というわけで、薦められたのだ。 とりあえずは求人誌を片っ端から調べつつギターの勉強でもするかな、と考えた俺は昨日、近所のリサイクルショップに行った。そこの正体は信楽焼の付喪神、佐渡紫香が経営する妖怪向けの道具屋、ムジナ堂。合言葉を言うことで、人間には入手できない珍しい品を取り扱ってくれる。今回は中古のギターが目的だけど、ついでに伊吹が飲んでいる変身薬も買っておくか。 リサイクルショップの方に、中古の楽器はなかった。俺はレジ前でぷるぷると震えながら座っている老人の前に立つ。相変わらず俺でも見分けがつかないほどの変化術だな…尾咲が認めるだけのことはある。
「店長、伊吹の紹介で来たんだけど」
「『人住まで鐘も音せぬ古寺に』?」
「『狸のみこそ鼓打ちけれ』。これ、誰の歌だっけ…」
俺が合言葉を言うと、周囲に紫色の煙が立ち込める。すると新しめのリサイクルショップが木造の古い商店に変わり、老人は中年の男に姿を変えた。
「『夫木和歌集』にある寂蓮の歌じゃったと思うぞい。それはさておき、珍しい客が来たもんじゃ、土蜘蛛の。今日は何をお探しかね?」
中年の男…紫香は、俺の何気ない呟きに答えつつ煙管から紫色の煙を吐いた。こいつは自分のことを佐渡の団三郎狸と思い込んで妖怪になった存在で、変化術や幻術にかけては尾咲と同等かそれ以上の実力者だ。一方でムジナ堂で物を売る時は、お代として珍しい話を要求するちょっと変わった付喪神でもある。
「こっち側に中古のギターってないか?あと伊吹がいつも飲んでる変身薬」
「生憎、楽器は扱っておらんのう。薬なら今取ってくるぞい、待っておれ」
紫香は店の奥から伊吹がいつも買ってくる壺を持ってきた。ギターは楽器屋に行かないとないか…でもネットで見た感じ、結構高かったんだよなー。なんとか中古で安く買えないものか。
「あ、びにいる袋の無料配布は7月初めに廃止したからえこばっぐを用意してくれると助かるぞい…しかしお前さん、なぜに楽器なんぞを探しておるのかや?」
この店でも、全国一斉ビニール袋廃止を実施していたらしい。俺は持参したエコバッグを机の上に置いた。紫香は袋を広げて変身薬の入った壺を入れつつ、俺がギターを探していた理由を尋ねてきた。俺はエコバッグを受け取りながら、転職を決めた経緯を説明した。
「ほほう、近頃はそんな職業があるんじゃのう。お前さんは妖怪の中でも体力が高いようじゃし、合っているのではないか?」
「音楽の知識はこれからって感じだけどな。とりあえず求人探しをしながら、ギターを勉強しようと思ってるんだ」
紫香はローディーの仕事内容を珍しがって聞いていた。簡単に就職できるとは思っていないが、今からできる勉強はしておかないとな。最近はウイルスが流行っていて、客を入れてのコンサートやライブは減っているみたいだけど、それでも必要な仕事ではあるだろうし。場合によっては大型車両の免許も必要になってくるだろうから、本格的に教習所に通わないと。 ちなみに今世界中で流行っている新型のウイルスについては、俺は一切関与していない。昔は今でいうインフルエンザを流行らせていたこともあって、四辻荘の奴ら(主に伊吹と尾咲)から疑われたこともあったが。ちゃんと俺も感染対策をしながら過ごしている。人間より身体が丈夫な妖怪でも、病気にはかかるからな。 俺の話を聞いた後、しばらく考え込んでいた紫香は、何か思い出したかのように顔を上げた。
「ふむ…そういう事なら力になれるかもしれんわい。儂の知り合いに音楽活動をしている奴らがおってな、そやつらがお前さんの言っていたような仕事をしてくれる者を探しておると聞いたことがある。まだCDでびゅう?もしていない奴らの手伝いじゃから報酬は少ないと思うが、本格的に就職するまでの勉強にはなるのではないか?」
俺は紫香の提案を聞いて驚いた。ローディーの中には特定のアーティストに付いて楽器準備以外の手伝いもすると聞いていたが、まさかこんなに早く見つかるなんて。
「本当か!?ダメ元だったんだけど…ありがとう紫香!早速そいつらに連絡してくれるか?」
俺は早速、そのアーティストたちに連絡してもらえるように頼んだ。
「お安い御用じゃ。面白い話が聞けたし、お代はタダにしておいてやるぞい」
「金とるつもりだったのかよ!?」
「その手に持ってる変身薬のこと、忘れておらんか?」
「…あ」
話に夢中で完全に忘れていた。 それからアーティストたちの連絡先と、彼らが練習しているというスタジオの地図(手描きで見にくい)の書かれたメモを渡された。帰ってきた後伊吹に伝えると、興味のなさそうな反応をされた後、「楽器を買うならまず中古楽器店に行くべきじゃなかったのか」と冷静なツッコミをされた。まぁ、思わぬチャンスが舞い込んできたわけだし、結果オーライってことで。
そして翌日、午前中に降った雨のおかげで蒸し暑い曇り空の下、俺は目的の音楽スタジオ『Stella』にたどり着いた。外にはテラスとフードスタンドがあり、練習終わりのバンドマンらしき若者たちが、昼食をとりながら談笑している。 一応これから会うやつらの情報をもう一度確認しておくか、と思った俺は、アイスコーヒーを買って近くの椅子に座り、スマホで検索をかけた。Schwarz Rose…読み方が分からないけど、スペルはこれで合ってるよな?●oogleに打ち込むと、数年前のアニメの情報に交じって、探していたバンドの公式ホームページが出てきた。
Schwarz Rose(シュヴァルツ ローゼ)。渋谷の地下ライブハウスを中心に活動しているヴィジュアル系ロックバンド。メンバーは黒薔薇の姫と、それを護る闇の騎士という設定で、女性人気が高いらしい。 ギター&ボーカルのSino(シノ)は女装姿の美少年で、ライブではお姫様らしい振る舞いをしている。ベース&ボーカルのMigen(ミゲン)は短髪のイケメンで、ファンサービスが一番厚い。ギター&ピアノ…バンドなのにピアノ?のSo(ソウ)はSinoより髪の長い青年で、無口ながらパフォーマンス力が高い。 尾咲に見せてもらったアニメに出てくるバンドの中では、Fantôme Irisが近いのかな?衣装やメイクも本格的だし、これだけ見ればすぐデビューできそうだけど…音楽業界は俺が思っている以上に、厳しい世界のようだ。
さて、一通りの情報は調べたし、そろそろ本人たちに会ってくるか。練習中はノーメイクなのかな。女装してるSinoってやつを始めとした3人の素顔を見れるなんて、ファンに羨ましがられそうだけど、こっちは仕事で来ている。気を引き締めないとな。 受付の女性にバンド名を言うと、スタジオの番号を教えてくれた。言われた番号の扉を探して、ノックをしようと手をかける。
「―もしもしソウ!?お前どこにいるの!?…はぁ、今起きたところ!?ふざけてるの!?今日はローディー希望の人が来るから絶対遅刻すんなって何度もL*neしたよね!?」
「まぁまぁシノちゃん、そんなカリカリしないの。まだオレら以外来てないんだから」
「時間厳守っつったのに駅で声かけられたからって片っ端から握手してたお前は論外だから黙ってて。…とにかくソウはダッシュで来ること!StellaのBスタ、今度こそ間違えないでよね!」
扉の向こうから、中性的な怒声と低い男の声が聞こえてくる。低い声の方がシノ、と呼んでいたということは、シノとミゲンが中にいるのか。というか、俺入ってもいいのかなこの状況。シノの方は何だかすごく機嫌悪そうだけど。
「オレ、自販機で飲み物買ってくるからシノちゃんは適当に発声練習してなよ」
「お前そう言って逃げるつもりだよね分かってるんだからな。俺も行く」
「いやいや、さすがに今日はさぼらないって~。部屋空けるわけにもいかないし、待ってて待ってて…おっと?」
俺が躊躇っていると、目の前の扉が開き、水色の短髪の男が出てきた。男は少し驚いた様子でこちらを見ている。 部屋の奥にはイライラした様子の小柄な少年がいた。セミロングの銀髪を後ろで一つ結びにしている。よく見ると、その顔立ちは公式サイトで見たお姫様と同じ物だと分かる。
「えーっと…すみません、もう少し遅めに来た方がよかったですか?」
俺が困った顔で言うと、水色の髪の男はあちゃ~、と気まずそうな表情になり、銀髪の少年は大きなため息をついた。
「葛城 八束さん…でしたよね。見苦しい所を見せてしまってすみませんでした。俺はギター&ボーカルのSinoです。こっちはベース&ボーカルのMigen」
スタジオの床に正座した銀髪の少年、シノは丁寧に自己紹介した。横であぐらをかいているミゲンがへらへらと手を振ると、立ち上がって頭を下げさせる。一目でこのバンドの上下関係がよく分かる光景だった。
「八束だから…ヤッチ~、紫香さんの紹介で来たんだよね?どんな関係なの?…あいたっ!?」
「初対面の、しかもこれから俺たちのサポートしてくれるかもしれない人にいきなり馴れ馴れしい」
変なあだ名をつけて聞いてきた水色の髪の男、ミゲンの頭をシノが叩いた。他人にあだ名をつけられるのは初めてだから、ちょっと嬉しかったんだけどな。
「あ~、気にしないでいいですよ。堅苦しいの苦手だし、ミゲンさんとは年もそこまで変わらなさそうだし、敬語じゃなくても」
「マジ?やった、よろしくねヤッチ~。オレもタメでいいよ」
「ああ、よろしくな」
軽薄そうな男だが、話してみるといい奴だと分かる。シノのさっきの口ぶりだと、練習をサボりがちなのが玉に瑕のようだが。すると、シノがむすっとした様子で口を挟んだ。
「…俺、ミゲンより年上なんですけど。俺も敬語じゃなくていいですよ」
「え、そうなのか!?ごめんなシノ…」
「シノちゃん、昔から女の子に間違われるくらいちっちゃいもんね~、痛い痛いすねを蹴らないで褒めてるんだから!?」
俺がシノの年齢に驚くと、ミゲンがニヤニヤとしながら口を挟んだ。怒ったシノがミゲンのすねに蹴りを入れるが、どう聞いても褒めていたような気はしない。
「だってシノちゃん、髪伸ばせば銀様にそっくりなんだもんよ~」
「これ以上伸びたらケアが面倒」
「銀様?」
「あ、オレが好きなアニメで主人公のライバル役のドールの名前。ほら見てよこれ、そっくりじゃね?」
ミゲンがすねをさすりながら言い訳する。本人はこの長さがちょうどいいらしい。俺が“銀様”について聞くと、ミゲンはスマホで写真を見せてくれた。シノよりもっと長い銀髪に黒い服の人形…赤い目や雰囲気も含めて、確かにシノに似ている。
「●ーゼンメイデンの第一ドール、水銀燈こと銀様!美人だよな~、オレ銀様に踏まれてジャンクになれるなら死んでもいい」
「ジャンク…?」
「ミゲンのオタク話にいちいちツッコまなくても大丈夫ですから…」
どうやらミゲンは、尾咲とは違うベクトルのオタクのようだ。ジャンクになる、の意味はよく分からなかったが、相当入れ込んでいるのは伝わる。そのアニメの公式HPを見てみると、Schwarz Roseと似たような衣装や世界観だと分かる。それから数分にわたり、ミゲンはその*ーゼンメイデンという作品についてたっぷりと語った。
「じゃあ、このバンドの設定とかはミゲンが考えているのか?」
「そう!オレが世界観担当で、シノちゃんが衣装・メイク担当。まだ来てないソウちゃんが作詞作曲担当ね。3人合わせて、Schwarz Roseデッス!」
俺が話の終わりに尋ねると、ミゲンは得意げに答えてポーズを決めた。*witterでファンの子がしていたのと同じポーズだ。ところで、今ここに居ない楽曲担当はいつ来るのだろう。シノが電話してから、随分経った気がするが。
「…多分アイツ、またAスタとBスタを間違えてますね。俺が合流して連れてくればよかった」
「ソウちゃん昔っから方向音痴だもんね~、約束した場所に一人で着いたの、見たことないや」
そんな状態でよく今までバンドマンとしてやってこれたな…芸能界は時間に厳しいってよく言うが。いや、時間厳守はどの社会でも一緒か。 そう思っていると、ガチャリと後ろのドアが開く音がした。振り返ると、シノよりもっと長い深緑色の髪を伸ばしっぱなしにした痩身の青年が入ってくる。うっすらと汗をかき、息を切らしている様子を見るに、急いではいたらしい。苦しいならその口元の黒いマスクを外せばいいと思うのだが、本人は恐らく気づいていない。
「ごめん…場所、間違えてた…」
「はぁ…迷子になったら一言言え、ってこれも何度も言ったよね…」
「ソウちゃん、AスタからBスタまで全力マラソンお疲れ~。スポドリあるよ?」
青年がかすれ声で謝ると、シノはまたため息をつき、ミゲンは笑いながらスポーツ飲料のペットボトルを投げた。ソウ、と呼ばれた青年が器用にそれをキャッチしありがとう、と言う。数秒間で喉を潤し、息を整えた後、青年はこちらをじっと見つめて、こう言った。
「…ところで、その人、誰?」
シノは今日一番大きなため息をつき、ミゲンは大爆笑した。シノは腹を抱えて笑うミゲンに膝蹴りを入れた。
深緑色の髪の青年、ソウはぺこりと軽くお辞儀をした。女と同じくらい長い髪は、シノがポニーテールにしている。
「Soです…ギターとピアノ、あと作詞作曲やってます」
「おう、俺は葛城 八束だ!ソウもシノやミゲンと同年代なら、敬語じゃなくてもいいか?」
「…うん」
ソウはマイペースかつあまり話す方ではないようだ。それでもこちらが尋ねると、こくりとうなずいて返事した。
「全員揃ったし、ようやく本題に入れるな…やれやれ。八束さん、待たせてしまってすみません」
「いや、気にしないでくれ。今日は一日見学させてもらうつもりだったから」
「分かりました。じゃあ…改めて確認しますけど、本格的に就職先が決まるまでの間、俺たちにローディーとしてついてくれる、ってことでいいんですね?」
シノが早速、紫香に伝えてもらった条件を確認する。シノたちもそこまで報酬を多く出せないようなので、とりあえず俺の就職が決まるまでの間だけ雇ってもらうことにしたのだ。
「ああ。お前たちが良ければ、就職した後も時々手伝えればって思っているよ」
だが、ここまで一緒に話してみて、一時的な雇用関係で終わるのは何だかもったいないなと思い、俺はそう提案した。まだ彼らの音楽を聴いたわけではないが、ファンを熱中させる魅力があるのだろうというのは分かる。
「マジ!?オレもヤッチ~ともっと仲良くしたいって思ってたんだ♪ねぇシノちゃん、こう言ってくれてるんだし、決定でよくね?」
ミゲンは俺の申し出に嬉しそうな顔をする。一方シノは、神妙な面持ちを崩さないままだ。今後の音楽活動に関わる重要な問題だから、真剣に考えているのだろう。
「あのなミゲン、バンド活動に関わるんだからもっと慎重に考えろよ。…ソウは?どう思う?」
シノに声をかけられたソウは、どこか上の空な様子だったがはっと我に返った。…多分こいつ今の話聞いてなかったな。
「…シノとミゲンが仲良さそうにしてるし、大丈夫…だと、思うよ」
「お前…この前辞めてったマネージャーの時も同じこと言って、結局もめてたよね?」
「…あの人、合わない」
「はぁ…まあ、八束さんがいいって言うなら、俺たちとしては歓迎したい所ですけど…」
ソウは数秒考えた後、ゆっくりと答えた。このマイペースさだと、そりが合わない人間も多いんだろうな…シノの苦労が感じ取れる。シノはやはりまだ、すぐには決められないようだ。
「じゃあさ、一回オレらの曲を聞いてもらって、それから決めるっていうのはどう?ヤッチ~からの感想聞けば、シノちゃんもソウちゃんも納得するっしょ?」
すると、ミゲンが立ち上がって提案した。確かにそれはいい、俺も3人の音楽を聴いてみたいと思っていたところだ。シノは一瞬顔を上げかけたが、再び暗い顔に戻る。
「え…まぁいいけど。どうせ聞いてもらうならライブ会場で聞かせたかったな…」 「じゃあこの前のライブ映像見せればいいじゃん。オレのスマホに残してあるよ」 「…まぁ、それでいいか」
何かこの場で演奏したくない事情があるのだろうか。ミゲンにスマホとワイヤレス式のイヤフォンを渡され、再生する準備をしながらシノの様子を伺う。
「あ…いや、演奏したくないってわけじゃないですよ?ただ…今スッピンだしお姫様モードでもないし、あんまり見られたくないっていうか」
なるほど、ヴィジュアル系ならではの事情のようだ。納得した俺は、動画を再生してみた。
『待たせたわね、ワタシの愛しい下僕たち!さぁ、Schwarz Roseの音楽に酔いしれるなさい!“イミテイシア”!』
おぉ、ヴィジュアル系のライブって初めて見るけど、こんな感じなんだな。絵本に出てくるお姫様のように着飾ったシノが、ファンに向けて曲振りをする。 ファンの歓声とともに、演奏が始まる。パイプオルガンの荘厳な音でイントロが流れる。後ろのスクリーンに、MVらしい映像が映る。
……確かに前評判通り、シノは完璧なお姫様を演じ、下僕と称するファンを魅了している。ミゲンは歌と演奏の合間に、投げキッスなどのファンサービスを入れるのが上手い。ソウは対照的に演奏に集中しているが、その姿に見惚れる者も少なくないだろう。
だが…これは本人を目の前にして言えることではないのだが…演奏が絶妙に上手くない。シノもミゲンも歌唱力だけなら他の有名なバンドに引けを取らないのだが、所々でとちったり、音を外したりしている。一方ソウは演奏こそ一流なのだが、コーラスの声量が小さすぎて、全くハモれていない。なるほど…道理で人気の割に、デビューの話が来ないわけだ。
「どうよヤッチ~!オレらの演奏は!」
映像が終わった後、ミゲンは自身の演奏の腕に気づいていない様子で俺に感想を求めた。うーん、こういう時なんて伝えればいいものか…あまり嘘はつきたくないが、正直な感想を言って傷つけたくもないんだよな…。
「…やっぱり、まだまだですよね、俺たち」
俺が返答に困っていると、シノが落ち込んだ様子で口を挟んだ。こちらは自分たちの欠点に気づいているらしい。うん、そういう顔をされると余計に何も言えなくなってしまうから困る。シノは続けて口を開いた。
「ごめんなさい、八束さんの気持ちはとても嬉しいんですけど…俺たち、結成してから2年以上経つのに、未だにCDデビューもできてなくて。本当はローディーを雇う余裕なんて、全然ないんです…だから、今回の話はなかったことに…」
「ああ、いや、そういうわけじゃないんだ…むしろ俺の方が勉強させてもらうんだから、何かおごらせてくれって感じだし。…まぁ、俺も高い所には連れて行けないけど…」
俺は慌てて話を切り上げようとするシノを引き留めた。演奏技術に関してはこれから努力すればきっとよくなるはずだ。ソウが手掛けた楽曲自体にも、バンド全体の雰囲気にも、演奏と同じくらいの価値がある。元々厳しい音楽の世界で、2年程度で諦めてしまうには惜しいバンドだ。俺も少しでも力になれるなら手を貸してあげたい。
「…そうだシノ、僕、昨日新曲作ったんだけど」
すると、今まで黙っていたソウが口を開いた。パート別の楽譜とタブレット端末を取り出して、演奏アプリを立ち上げている。
「え、新曲…それはいいことだけど、今言う事?」
「…一回聞いてみて。ミゲンも、八束さんも一緒に」
シノはソウのマイペースさについていけない様子だ。ソウは気にせず、楽曲データの再生準備をしている。へぇ、打ち込みで作曲しているんだな。だからライブの時も色んな音が聞こえたのか。 俺たちは話を中断し、タブレット端末の周りに集まった。シノとミゲンはそれぞれの楽譜に目を通している。ソウが再生ボタンを押した。イントロは三味線の音で始まった。今までとは打って変わって、和風な曲調だ。ギターやベースの重厚な音に交じって、細くて高い音が聞こえる…これは、篠笛か?伴奏はいつものピアノではなく、琴のようだ。歌詞にも所々、古文の言葉や和歌の引用、日本語ならではの言葉遊びが散りばめられている。 4分半程度の一曲は、半分の時間に感じるくらいあっという間に終わった。
「すげーいいじゃんこれ!和ロックって感じで!オレは好き!」
第一に感想を言ったのはミゲンだ。興奮した様子で何度も楽譜を見返している。
「うん、とてもいいと思うけど…俺たちの世界観には合っていなくないか?」
「いーじゃんそこは、衣装を和風にすれば新しいファンも増えるかもしれないし!」
「和裁は専門外なんだけどな…ソウ、何で今回は和風で作ったの?」
シノは早速世界観や衣装の方を気にしているようだ。確かに今までとはガラリとイメージが変わりそうな曲だ。新しいファンが増える、とミゲンは言うが、今までのファンに受け入れてもらえるかが心配な所でもある。
「…僕たちの得意な楽器で演奏すれば、シノやミゲンも歌いやすいかなと思って」
すると、ソウはタブレット端末の画面を見つめたまま言った。得意な楽器…というと、三人は元々和楽器の方が得意なのか?ボーカルの二人のことを考えて作曲した、という彼の言葉に優しさが見て取れる。
「確かにそれは一理あるけど…でもやっぱり今までの曲とはかけ離れすぎてるんだよな…」
「じゃいっぺん弾いてみよーよ、生音聴けばまた違ってくると思うし」
「うん、僕もそれがいいと思う」
「ソウって本当音楽のことになるとびっくりするくらい行動力あるよな…じゃあ、八束さんも生演奏で聞いてみてもらっていいですか?」
ソウは曲のことになると普段より積極的になるタイプらしい。3人は実際に演奏してくれるようだ。俺も3人の演奏をちゃんと聞くつもりで来ているし、問題ないとうなずいた。 シノ、ミゲン、ソウは立ち上がってそれぞれの楽器を準備し始めた。ギターやベースをスピーカーにつないだり、チューニングしたり。こういうのも覚えていかないといけないよな。しっかり見学させてもらおう。
「よっし!じゃあヤッチ~、曲かけてもらってもいい?」
「分かった!」
ミゲンの合図で、俺はさっきの曲を再生した。ファイル名にタイトルらしい言葉が書いてあった。『紅の月』、か。 曲が始まった途端、先ほどまでの緩い雰囲気が一気に引き締まるのを感じた。イントロからギターとベースの三重奏が押し寄せてくる。ライブ映像では感じ取れなかった音の厚みのようなものが、はっきりと伝わってくる。
「~♪」
シノの高音とミゲンの低音がぴったりと重なる。すごいな、こうして近くで聞いてみると、歌唱力だけ見ればすぐにでもプロになれそうだ。肝心の演奏の方も、3人ともやりやすそうにしている。とちったり音程を外したりする回数も少ない。ソウの目論見通り、歌いやすくて演奏しやすい一曲になったようだ。
「…!」
あっという間に4分半が過ぎた。俺は立ち上がって3人に拍手を送った。シノとミゲンは汗をかきながら嬉しそうに顔を見合わせている。
「これ…案外いけるかも…!」
「だろ!?オレの言ったとおり!和ロックはソウちゃんの真骨頂だかんな!」
作曲したソウも、満足そうに微笑んでいる。どうやら次の新曲は上手くいきそうだ。
「良かったよ!素人の俺でも分かるぐらい、3人とも生き生きしてた!」
「そ、そうですか?それならよかった…」
「よし、早速舞台演出と衣装考えようぜ!この歌詞の感じだと、オレもウィッグつけて女っぽくしたほうがいいかもな…」
「そうだね…僕も、もう少しアレンジしたい。今のは打ち込みだったけど、2人が弾いている音も取り入れたいな。八束さんの意見も聞きたい」
俺が改めて感想を言うと、3人ともさらに嬉しそうな顔になった。自分たちの曲を直接褒めてもらうというのは、相当嬉しいものなのかもしれない。 それから、俺たちは4人で新曲の演出や衣装、アレンジなどについて、スタジオのレンタル時間いっぱいまで話し合った。実際の和楽器の音も入れてみようということで、途中からシノとミゲンが自前の篠笛と三味線まで持ってきて、会議はより一層熱を増した。 …俺を仮のローディーとして採用するか、という当初の目的は、スタジオを出るまで頭から抜け落ちていた。
時刻は夜6時半、西の空が赤く染まり始めている。すっかり夢中で話し込んでしまったな。
「本当にありがとうございました!おかげでいい曲になりそうです!」
シノはスタジオを出た後、何度もお礼を言ってきた。俺は時々3人に意見を聞かれた時に答えたり、飲み物を買ってきたりしただけで、大したことはしていなかったんだけどな。
「ヤッチ~と曲の話するの、すげー楽しかった!また来てよ!」
ミゲンは終始楽しそうに笑っていた。シノやソウが悩んでいた時も、明るく「こうすればいーじゃん」と言ってのけて、実際に成功に導いていたのは彼かも知れない。
「…これからも、よろしくお願いします。…今度のライブも、来てくれると嬉しいな」
一番の功労者のソウは、マスク越しながらも今日一番に笑っている。シノやミゲンの要望に合わせて、歌詞やアレンジを手際よく変えている彼は、このバンドでは縁の下の力持ちなのだろう。
「こちらこそ、色々勉強になったよ!また何かあったら連絡してくれ、次は頑張ってギター弾けるようになるから!」
俺は3人に改めてお礼を言い、連絡先を交換した。こいつらのことを、ローディーとして助けてあげたい。いや、Schwarz Roseだけじゃない、音楽界を支えていけるようなローディーの一員に、俺はなりたい。帰りながら俺は、心からそう思っていた。
八束の後ろ姿が見えなくなった後、シノはどっと疲れたような顔をしてその場に座り込んだ。彼は元々そこまで体力があるわけではなく、話し合いながらほぼずっと歌いっぱなしで限界が近かったのだ。
「シノちゃん大丈夫~?おぶってく?」
「ご飯、食べてから帰ろうか…僕もお腹空いた」
ミゲンとソウはそんなお姫様を気遣うように声をかける。青年2人がかがみこんだその時、突然シノの両手が2つの首を掴んだ。シノは恨めしそうな目で2人を睨みつける。
「お~ま~え~ら~…」
「えっ、何何なにシノちゃんコワイんだけど!?首、首締まってる!」
「く、苦し…」
ミゲンとソウは全く心当たりがない様子で戸惑っている。否、そこまで強い力ではないとはいえ、首を絞められて苦しんでいる。2人を支えにして立ち上がったシノは、そのまま裏路地までゆっくりと歩いた。人のいない奥まで進んでから、両手に掴んだ2人を地面に投げ出す。
「いってぇ!?何すんだよシノちゃん!?」
「お腹すいたの…?僕のお菓子食べる…?」
投げ出されたミゲンは当然のように文句を言う。マイペースなソウは、自分のカバンからス*ッカーズを取り出してシノに渡そうとする。
「ありがと…お前ら、そこに正座」
シノはチョコレート菓子を受け取って一口で食べ切った後、地面にいる2人に正座をさせた。2人はわけの分からないまま、正座をして仁王立ちの少年らしい男を見上げる。
「お前らさぁ…なんでいつまで経ってもあの話切り出さないわけ!?俺が言う前に八束さん帰っちゃったじゃん!練習始めたら疲れて話できなくなるから、お前らのどっちかが切り出せって言ったよね!?」
シノはそのまま説教モードに入った。どうやら八束に伝えておきたいことがあったようで、ミゲンかソウのどちらかに話を振って欲しかったらしい。が、叱られている本人たちは、何のことかさっぱり分からないという顔でうなだれている。
「どうせ忘れてたんだろ新曲の話に夢中で!分かってるよお前らがそういうやつだってことはさ!でもさぁ…俺たちが和楽器の付喪神だって、最初に言わないといつバラしていいか分からなくなるじゃん!」
シノは頭を抱えながら今日の一連の出来事を思い返して嘆いた。地面に正座している2人は、この言葉を聞いてようやく思い出したようだ。 そう、Schwarz Roseはただのヴィジュアル系バンドではない。メンバーは全員人間ではなく、ましてや黒薔薇の姫や闇の騎士でもない。その正体は、篠笛に三味線、筝などの和楽器の付喪神なのだ。
「い、いや~、だってヤッチ~がただの人間だったらマズイじゃん?実はオレたち付喪神なんです~、って言っても信じてもらえないっしょ…」
三味線の付喪神、ミゲンはきまり悪そうな顔で言い訳する。
「紫香さんの紹介って時点でちょっとは疑えっての…あの人の知り合いにただの人間がいるわけないだろうが…」
篠笛の付喪神、シノは今日一番のため息を吐く。
(…最近ずっとピアノとベースしか弾いてなかったから、僕が筝の付喪神ってことすっかり忘れてたな)
筝の付喪神、ソウはそもそも自分の正体を忘れていたようだ。
「あ~もう、昔の縁で助けてやってくれ、なんて軽い気持ちで引き受けるんじゃなかったよ…今まで俺たちにマネージャーが付かなかったの、半分は正体バレそうになったからなのにさぁ…『なら同じ妖怪に面倒見てもらえばいいじゃろう』って、軽く言われてホイホイ引き受けるんじゃなかったよ……」
「まぁまぁ。紫香さんに懲らしめられなかったら、オレたち今頃バンドなんてできてないし。でも人間じゃないとしたら、ヤッチ~何の妖怪なんだろうね?」
「紫香さんと知り合いになるくらいだろ?俺らじゃ頭いくらあっても足りないぐらいの大物だったらどうしよう…これから対等な立場でやっていける気がしないんだけど」
3人はかつて、演奏という名の騒音で街の住人に迷惑がられる存在で、紫香に懲らしめられたことがある。もう人間に迷惑はかけない、と誓って、以降は個人で細々と暮らしていたのだが、2年前*ーゼンメイデンにハマったミゲンが2人を誘い、バンドを組んだ。 歌唱力こそ一流なものの、シノは管楽器以外の楽器のセンスが壊滅的で、ミゲンは才能こそあるものの練習をサボりがちで、未だデビューの話が来たことはない。楽器全般が得意なソウが時折2人に教えて、どうにか今の実力までこぎつけたという感じだ。
「…結局、八束さんには次会った時に言えばいいの?」
「「……」」
ここまで黙っていたソウが、ぽつりと本題を尋ねた。シノとミゲンはそれを聞いて口を噤む。八束が自分たちより上の存在だったらと考えると、正体を明かす気になれないのだ。
「…向こうがバラしたら、俺らも言うってことで…」
「さんせー…」
「?」
この後八束が土蜘蛛であると知って3人が戦慄するのは、また別の話である。
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