第20話 異動が決まった尾咲のオタ活

「……」

尾咲は自分のノートPCの画面を見ては、ため息をつく。かれこれ5分くらい同じ動作を繰り返し続けている。画面には、彼女の勤め先からの異動通知書のpdfが映っていた。

九尾の狐であり、現役OLである尾咲は、四辻荘103号室で暮らしながら働いている。そんな彼女のもう1つの顔は二次元オタク女子であり、池袋近郊に勤務先のオフィスがある今の職場環境にはある程度満足していた。みなし残業制度のあるブラック企業であることには変わりなかったが、大手グループの中堅会社である時点でそこは諦めていた。退勤後に*ニメイトに寄り道したり、近くの大学に通い*リーズでバイトをする隣室の住人、銀花と食事をしたりするのがささやかな楽しみとなっていたから、多少ブラックな職場でも我慢できていた。

「失礼します、ちょっと課題やってもいいですか〜?…って尾咲さんお帰りなさい、今日は早いですね」

ちょうど思い浮かべていた人物が、大学の課題をやりに共有部屋にやってきた。尾咲は顔を上げてそちらを見ながら、テーブルの上に頭を乗せた。

「ぎーんーかー…異動で明日から吉祥寺方面勤務になった…」

「あらら…でも吉祥寺なら最寄り駅からバス1本ですし、寧ろ今までより近いんじゃないですか?」

「確かにそうなんだけど、あっちのオフィスジジイが多いのよー…イケメンが、目の保養が足りない…」

大の面食いでもある尾咲は、年下の銀花に異動先の不満点をこぼす。銀花もまた人間ではなく、その正体は歳若い雪女。これから暑い季節が近づいてくることに不安を覚えつつも、難しくなった大学の勉強に追われていた。

「元々2次元の男にしか興味無いだろう雌狐は。それに吉祥寺にも*ニメイトはあったはずだが」

私服である甚平に着替え、ゲームをしにやって来た伊吹が呆れ顔で話に加わった。

「お帰りなさい伊吹さん、近頃は帰りが遅いですね」

「もうすぐ文化祭とやらで、毎日教室の飾り作りに駆り出されているんだ。面倒極まりない」

「へー、あんたの中学にも文化祭あるのね。いつ?」

「どうせ仕事だろお前は。来週の木曜日と金曜日だ」

銀花が帰りが遅いことを指摘すると、伊吹は理由を話した。漫画やアニメでしかその存在を認知していない文化祭というものに興味を持った尾咲は、伊吹にその日程を尋ねた。平日に2日間文化祭があることを伝えた伊吹は、スマートフォンゲームの周回作業を始めた。

「あ、金曜は夜勤明けで休みだわ。何も予定無かったし行こうかしら。あんたが慣れない学生生活をしてる所を見物してやろうじゃない」

尾咲はスケジュール帳を開き、2日目に予定がないことを確認して、予定の追加記入をした。銀花もスマートフォンのカレンダーアプリで、その日の時間割を確認する。

「あ!その日唯一の講義が休講なんです!私も一緒に行っていいですか、尾咲さん?」

「あら偶然。もちろんよ」

「お前ら揃って来るんじゃない。文化祭と言っても小規模で何も面白くないぞ」

伊吹は知り合いが学校に来ることを拒絶した。3人は家族でもなんでもないが、両親が参観日に来ることを拒む子どものようなリアクションだと尾咲は思った。

「え、でもお前のクラス企画大賞ガチで狙ってて気合入ってるって壱子が話してたぞ?」

風呂上がりでくつろぎに来た八束がさらに話に加わった。

「へぇー?それは楽しみね」

尾咲はそれを聞いてニヤニヤと伊吹を見た。余計なことをバラされた伊吹は忌々しげな顔つきになる。

「八束…管理人も余計なことを」

「伊吹さんたちのクラスはどんな出し物をするんですか?」

「ちょっと待ってな、壱子に*INEで聞いてみるから。俺その日仕事で顔出せないから、後で写真送ってくれないか?」

「絶対やめろ!あと、確かSNSに写真載せられる対策とかで撮影は制限があったはずだぞ」

見た目だけは最年少の伊吹の晴れ舞台(?)に、他の妖怪たちは興味津々だ。伊吹はゲームを中断し、文化祭の情報を遮断するために立ち上がった。攻防はしばらく続き、壱子から「うちのクラスは執事喫茶をやります、SNSにアップロードしないのであれば撮影OKです」というコメントが届いたことで伊吹の敗北が決まった。


そして時は経ち、東雲中学校文化祭2日目。私服姿の尾咲と銀花は、壱子からもらった文化祭のパンフレットを持ち、東雲中学校校門前に来ていた。スポーツ系の部活による出店で校庭の半分が埋まり、簡易的な屋外ステージでは放送部員がステージパフォーマンスの司会進行をしている。

「なんだ、意外と人多いじゃないの」

「わぁ、親御さんだけじゃなくて地域の人たちも多いんですね!大学のオープンキャンパスみたい」

2人の女妖怪の見た目は金髪美女と銀髪美少女のため、すれ違う人の視線を集めている。そんなことを露ほども気にせず、尾咲と銀花は学生の関係者以外の受付に向かった。

「こんにちは!地域の方ですか?」

「まぁ…そうね」

「こちらの同意書にサインお願いします。撮影した写真・動画の取り扱いについてです」

受付の男子生徒は、2人の美人に目を奪われながら仕事をこなす。尾咲はその視線に気づき、ファンサービスとばかりににこりと微笑んだ。銀花も自分の名前を書いた後、ぺこりとお辞儀をした。男子生徒は次に待っていた人物が声をかけるまで、2人に目を奪われていた。

「さて、どこから行こうかしら?ちょっと小腹空いてきたし、出店巡りでもしてから伊吹の教室に行く?」

「そうですね…あ、見てください尾咲さん、タピオカのお店とかありますよ!本格的ですね〜」

パンフレットを開きながら、尾咲は小腹を満たせそうな出店を探す。校庭を見ていた銀花は、サッカー部のタピオカドリンク店を指さして声をあげた。せっかく見つけたので、2人はその店でタピオカミルクティーを1つずつ購入した。学生の出店クオリティなので、業務スーパーで売っているタピオカに2Lペットボトル入りのミルクティーを合わせただけだったが、場の雰囲気もあって2人は美味しく味わった。

「生徒会で〜す!写真部と合同で紹介誌作ったので良かったらどうぞ〜!」

そこへ、生徒会会計のうぐいすが胸元に大量の雑誌を抱えながら近づいてきた。彼女は当然、2人が妖怪であることに気づいて接触している。会長の頼人の負担を軽くするため、敵意のある存在かを見定めようとしているのだ。

「どうもありがとうございます。テーマは…今年度生徒会コレクション?なんかファッション雑誌みたいで本格的ですね」

「えへへ、写真部のスタジオと衣装を借りたんです!表紙は会長のピンショットですよ〜」

「あらなかなかのイケメンじゃない。好みドンピシャではないけど人当たり良さそうね」

そうとは知らない銀花は雑誌を受け取り、ページをめくって目次を確認した。尾咲はうぐいすの紹介を受け、表紙を飾るアイドルのような衣装を着た頼人の顔面を高く評価する。

「ありがとう、後でゆっくり読ませてもらうわ。ところで、2年1組の執事喫茶ってどこの教室に行けばいいのか分かる?」

「クラス企画はそれぞれの教室でやってますよ。2年生は3階です」

「分かったわ、お仕事頑張ってね」

「ありがとうございます〜」

尾咲は雑誌をバッグにしまい、うぐいすに目的の教室の場所を尋ねた。少なくとも敵対する意思はないと判断したうぐいすは、親切に案内した。尾咲は礼を言って席を立ち、少女に手を振った。銀花も遅れてお辞儀し、後を追いかけた。

「物凄い妖力の気配を辿ってみたらまさか九尾の狐さんがいるとは〜。あの雪女のお姉さんも並の妖怪よりは強力でしたね〜。何しに来たんでしょうか?…そう言えば2年1組って酒呑童子さんのクラスだったような?会長に一応報告しますか〜。あ、生徒会の紹介誌いかがですか〜?」

うぐいすは独り言を聞こえないように声を潜めて言いつつ、自分の仕事を続けた。


「2年1組の執事喫茶でーす!イケメン執事に男装執事、たくさん揃えてまーす!」

執事服のようなデザインのクラスTシャツを制服の上から着た女子生徒が、教室の扉の前で呼びかけをしているのを、尾咲と銀花は見つけた。

「ここね。お邪魔するわ、伊吹に用があって来たんだけど、あいつ今シフト入ってる?」

尾咲は目的の生徒の名前を出して受付を済ませようとする。その名前を聞いた女子生徒はパッと嬉しそうな顔をした。

「おー、当店No.1執事の大江をご指名ですか!では1番良い席にご案内しますね!ところで今オーナーもいらしてるんですか、ご一緒に給仕させますか?」

「オーナー?」

銀花が首を傾げると、女子生徒は声を低くして答える。

「うちの担任です、めっちゃイケメンなんですよ」

「いいわね、セットで呼んでちょうだい」

「かしこまりましたー!2名のお嬢様、大江とオーナーのセット指名でお戻りでーす!」

受付の女子生徒は尾咲の注文を受け、バックヤードに大声で呼びかけた。途端に慌ただしい雰囲気が廊下からでも伝わり、「先生これ着てください、はやく!」という他の女子生徒たちの声がする。2人は他の男装した女子生徒に案内され、窓際の席に座った。

「ノリが完全にホストクラブのそれだったんだけど大丈夫?」

「でも中は綺麗な喫茶店風ですよ、飾り付けも本格的ですね」

「ね。机一つ一つにランチョンマット敷いてあるし、結構本格的じゃない。さぁて、日頃の鬱憤を晴らせるようにここぞとばかりにいびってやりましょ」

「程々にお願いしますね…あ、来ましたよ!」

内装や他に接客している生徒たちの様子を観察しながら、2人は指名した執事たちの到着を待つ。悪役令嬢のような顔つきで笑う尾咲を窘める銀花が、「執事待機室」と書いてある張り紙のついた衝立が動いたのを見つけて声を上げた。

尾咲は弄る気満々でそちらを見やった。が、その口はすぐに閉ざされることになる。

「お帰りなさいませ、お嬢様方。こちらがメニューとなります」

眼鏡をかけた執事こと藤田が、優しく微笑みメニュー表を手渡した。銀花はおぉ、と驚きの声を上げつつそれを受け取った。

一方、その背中に隠れるように歩いてきた小柄な執事こと伊吹は、ゴミを見るような目で2人を見下ろし、ただ一言吐き捨てるように言った。

「…………帰れ」

その視線は主に、まじまじと自分を見つめてくる尾咲に向けられている。暫しの間、尾咲は無言で見慣れない執事服姿の伊吹を見つめ続けていたが、やがてカバンからスマートフォンを取り出し、カメラアプリを立ち上げた。

パシャシャシャシャシャシャシャシャ……。

尾咲がシャッターボタンから指を離さず、連射モードで撮影する音が響いた。

「無言でカメラを向けるのやめろ雌狐!怖いんだよ!何をそんなに撮ってるんだ!」

伊吹は尾咲が向けるカメラのレンズを手で覆って阻止しようとした。しかし尾咲は素早い身のこなしで躱し、撮影を続ける。

「うるさい。動かないで、顔が崩れる」

「だからこいつにだけは教えたくなかったんだよ!うちはワンドリンク制だ、注文決めてさっさと出ていけ!誰だこの雌狐入れたやつは!つまみ出せ、迷惑なんだよ!」

伊吹がバッグヤードに向けて叫ぶが、誰も助け舟を出すことは無い。それもそのはず、調理担当には絶対になれない伊吹をNo.1執事として売り出したのはそこにいる女子生徒たちだからである。皆一様に見て見ぬふりと、こっそり執事服に着替えた藤田の隠し撮りを続けている。

(あいつらスマホ禁止なのに勝手なことを…それにしても、この九尾の狐頭大丈夫か?)

一方、後で隠し撮りをしている生徒たちのスマートフォンを没収しようと画策しながら、尾咲の心の声を聞いた藤田は呆れた目で彼女を見つめていた。そうとは全く気づいていない尾咲の心の声は、以下の通りである。

(尊い尊い尊い尊い尊い、黒髪メガネの執事とか王道すぎるんだが?伊吹のくせに執事服似合いすぎなんだが??顔面偏差値90超えか???尊い尊い尊い尊い尊い尊尊尊尊)

少しでも気を緩めたらニヤけが止まらないと察した尾咲は、無表情で撮影に集中していた。

「尾咲さん完全にオタクモードだ…伊吹さんがいつもお世話になってます。それにしても本格的な衣装ですね、手作りですか?」

銀花はメニュー表を見ながら、藤田に挨拶をする。藤田はひらりと衣装を見せるように立ち方を変えながら答えた。

「いやまったく。これは服飾の得意な生徒を中心に作ったみたいです、まさか教師の私の分まで用意しているとは思っていませんでしたが…」

「将来有望ねその子。うーん、照明が良くないわね…誰か追加のライトとティーセットとケーキタワー持ってきて!新品の磨かれてるやつ!伊吹と先生はそこに立って指示通りにポーズ取ってちょうだい」

一通り撮った写真を確認していた尾咲が、バックヤードに無茶な注文を取り付けた。

「ライトとティーセットとケーキタワー…!?そんなのあったっけ?」

「あ、インテリア用の未開封のヤツあったよ!開けちゃって開けちゃって!」

「撮影用の照明セット、写真部に借りてくる!」

バックヤードは再び騒がしくなり、尾咲の無茶ぶりに応えるためにドタバタと生徒たちが動く音がした。たちまち撮影会が始まり、尾咲はカメラマンになり続けた。

「次、地面に倒れた侵入者を見下す感じで…やるじゃない、あんた顔だけは良いんだから活かしなさいよね」

「いつまでやればいいんだよ、撮影なんてメニューにないんだが」

小道具を待つ間、床に仰向けになりながら撮影を続ける尾咲にドン引きしながらも、伊吹はオーダーに応え続ける。小道具と照明が到着した後も撮影は続き、最終的に尾咲が着席したのは20分後のことだった。

「ふぅ、満足。いっぱい動いたら喉乾いたわね、アイスティーちょうだい」

「私も同じの1つお願いします」

「それ飲んだら帰れよ…」

撮影に付き合わされた伊吹はげんなりしながら、バックヤードに消えていった。

「物凄い濃い女だな…こほん。そろそろ仕事があるので失礼します、ごゆっくり」

藤田も燕尾服のジャケットを脱ぎながら、逃げるように教室を出て行った。

「いい店ね、この企画の考案者は誰かしら」

「はい、私です!満足いただけて何よりです!」

「執事の写真1枚につき金取った方がもっと儲かるわよ。客とツーショットで割高にするとか…」

「な、なるほど!勉強になります!ねぇー誰か私のカバンからチェキ取ってー!」

執事喫茶の言い出しっぺの女子生徒が、撮影に使った小道具を片付けながら挙手した。尾咲のアドバイスを真剣にメモし、早速採用しようと自前のチェキカメラを持ってこさせた。

「それにしても、お姉さん達大江のご兄弟ですか?美人兄弟だぁ」

女子生徒は何気なく尾咲の地雷を踏み抜く一言をかけた。すると、上機嫌だった尾咲はニッコリと笑って伊吹を指さし反論した。

「こいつと?私が?兄弟?オホホホホ、死んでもごめんよこんなクソ生意気な弟」

「こっちこそ願い下げだ、こんな腐った雌狐」

「主に対する態度がなってないんじゃなくって?早くお茶出しなさいよぉ大江ぇ?」

「申し訳ありませんがお嬢様に出すお茶はご用意がございませんので、とっとと帰りやがれ下さい」

「あ、ハイ…すいませんでした。こんな怖い大江初めて見たんだけど…」

女子生徒はビクッと飛び上がり、すぐに謝った。いつもの喧嘩モードに突入した2人の様子に慌てつつ、銀花は話題を変えようともう1人の女子生徒の名前を出した。

「そ、そう言えば四辻壱子さんはいらっしゃいませんか?伊吹さんと同じクラスなんですよね?」

「あー、四辻は今委員会のシフトでいないんですよねー。私放送部なんで呼び出しましょうか?」

「いえいえそこまでしなくてもいいですよ!会えたらお話したいなと思ってただけです!そろそろ失礼しますね、長居しすぎてしまったので。ほら行きますよ尾咲さん!お邪魔しましたー!」

銀花は女子生徒の申し出を丁重に断り、未だ喧嘩腰の尾咲を引っ張って教室を出た。尾咲は引っ張られながら、紙コップ入りのアイスティーを飲み干す。

「はーい、またお越しくださーい!ほら大江挨拶!」

「行ってらっしゃいませお嬢様方、二度と来るな!」

女子生徒に背中を押された伊吹は中指を立てて2人の女妖怪を見送った。その後彼は美女2人に対し中指を立てたことで女子一同の怒りを買い、ボコボコに蹴り倒されたという。


「壱子ちゃん、委員会の活動もしてるんですね。忙しそうだな…会えるでしょうか?」

「そうね…美化委員って言っていたわよね。次はどこに行こうかしら…あら?すごい長蛇の列ね、ここは何の企画?」

2年1組の教室を離れた銀花と尾咲は、学生たちが列を成している教室を見つけた。どうやらそこは3年2組のお化け屋敷のようだ。

「お化け屋敷ねぇ…学生クオリティだし期待はしてないけど、ここまで人気ならちょっとは楽しめるかしら」

「私たち自身がお化けみたいなものですしね…入ってみます?」

「そうね。暇つぶしに行ってみましょう」

2人は列の最後尾に並んだ。5分程度待った後、列が動いて彼女達の番が回ってきた。1組ずつ入れているらしい。

「いらっしゃいませ、初心者向けのシューティングモードと上級者向けのエスケープモード、どちらにしますか?」

「それぞれどう違うんですか?」

「シューティングモードではこの銃でお化けを倒して進みます。エスケープモードでは武器を持たず、襲ってくるお化けから逃げてもらいます」

受付の男子生徒は、机の下からオモチャの銃を出して銀花の質問に答えた。

「ふうん。銀花、どっちがいい?」

「シューティングゲームは苦手なので、エスケープモードがいいですね…」

「わかりました。ではごゆっくり…」

尾咲は銀花の希望を聞き、銀花は武器を持たないエスケープモードを選んだ。男子生徒は再び銃を机の下にしまい、おどろおどろしい声で扉に下がった黒い垂れ幕を上げた。

結論から言うと、九尾の狐と雪女が学生たちの脅かしに驚くことはなかった。それどころか、冷静にお化けの見た目を観察され、ここは本物とは違うだの、意外とクオリティが高いだのと評価される始末で、お化け役の生徒たちは残念そうに彼女たちを見送った。最後に出口まで追いかけてくるゾンビの被り物をした男子生徒にすら、2人が泣き叫ぶことは無かった。

「うわ、これ手作りの被り物?すごいわねー、ねえちょっと写真撮らせてよ」

「すみません、うちはお化けとの撮影NGなんですよ。被り物だけならどうぞ、小道具班の自信作なので」

尾咲にスマートフォンのカメラレンズを向けられ、男子生徒は苦笑いで被り物を外した。ゾンビの頭の下から出てきたのは、生徒会長の頼人だった。

「あ、生徒会長さん!このクラスだったんですね」

「はい。ここの生徒のご兄弟ですか?」

「いえ、近所に住んでいる者です」

「そうでしたか。別のベクトルとはいえ、お楽しみいただけたようで良かったです」

銀花が最初に貰った生徒会の紹介誌の表紙で見た顔に驚くと、頼人はにこやかに笑って右手を差し出した。握手と察した銀花は、自分の右手を差し出そうとする。

しかし、そこに尾咲が割り込んだ。口元は笑顔だが、その目は笑っていない。

「ええ、楽しかったわ。頑張ってちょうだい」

「体育館で企画賞の投票を受け付けているので、宜しければ1票をお願いします」

「ごめんなさいね、もう投票先は決めてあるのよ。行きましょ、銀花」

「あ、はい…お邪魔しました」

尾咲に連れられ、銀花はキョトンとしながら教室を出た。被り物を再び頭につけながら、頼人は手を振って見送った。その手の平には五芒星が光っていたが、みるみるうちに見えなくなっていく。

「さすがは九尾の狐…ガードが堅い上に妖力を隠すのが上手い。だが、ただの来訪者なら心配することは無いかな。乙姫、もう警戒解いても大丈夫だよ」

裏方で大鮫と共に待機していた生徒会副会長、乙姫は外を歩いていく女妖怪たちを睨みながら出てきた。

「そうですか。戻りなさい、カイマン」

主人から指令を受けた巨大鮫は、ひと鳴きした後小さな赤ちゃんワニに姿を変え、乙姫の肩に乗った。3年2組もまた真剣に企画大賞を狙っていたが、現在の順位は惜しくも2位。1位の2年1組とは、10票程度の僅差だった。恐らく生徒会長の頼人が顔出しすればさらに順位が上がることが予想されたが、それではあまりにも人が集まりすぎて他の教室に迷惑がかかると考えた頼人は、覆面のお化け役に徹していた。その裏では妖怪の来訪者たちに目を光らせていることを知っているのは、同じクラスの乙姫と、他の生徒会役員だけだった。


頼人から教えられた企画賞の投票所で、2年1組の執事喫茶に投票を終えた尾咲と銀花は、再び校庭のベンチに座って休んでいた。

「あー、楽しかった。良い息抜きになったわ」

「そうですね。結局壱子ちゃんとは会えなかったけど…」

2人は2杯目のタピオカミルクティーを飲みながら、お笑いライブで盛り上がるステージを眺めている。そこへ、美化委員の腕章をつけた生徒たちがゴミ袋を持って歩いてきた。

「缶とペットボトル以外のゴミはこちらで回収してます、ゴミの分別にご協力をお願いします…あ、尾咲さんと銀花さん。来てたんですね」

その中の一人は、2人が探していた壱子だった。飲み終えたプラスチックのカップをゴミ袋に捨てながら、尾咲と銀花は見知った顔を見つけて嬉しそうな表情になった。

「壱子!美化委員のお仕事お疲れ様。さっきあんたのクラスに行ってきたわよ」

「ありがとうございます。大江くん、すごくかっこよかったですよね?私もメイク手伝ったんですけど、どうでした?」

「尾咲さん、一目見ただけでオタクモードになってましたよ。大撮影会になりました」

「うわぁ、想像が着く」

他の美化委員の生徒にゴミ袋と腕章を預け、壱子は2人の隣に座った。尾咲と銀花は彼女のクラス企画の感想を伝えて笑った。

「あ、そうだ…妖術、凪の結界」

尾咲は突然、パチンと指を鳴らした。瞬間、3人の周囲の音がしんと止み、中の会話を外に伝えない不可視の壁が彼女たちを包む。

「え、突然どうしたんですか尾咲さん」

「壱子、あんたよくこんな学校通えるわね。ここ、妖怪の存在認知してる生徒が3…4人もいるじゃないの。あんたの担任も妖怪だし、どうなってるの?」

「ええっ!?あの先生が妖怪…!?全然気づきませんでした!それに私たちのことを認知している生徒って…?」

先に声をあげたのは銀花の方だった。尾咲は顔色ひとつ変えずに言葉を続ける。彼女もまた、オタクモードを解禁して楽しむ一方で、伊吹の周囲の人間たちを探っていたのだ。

「生徒会の連中よ。銀花、陰陽術か何かで探られそうになってたわよ?私が気づいて妖術で打ち消したから助かったものの…裏方にはもっと大きい妖怪?魚?の気配もしたし」

「え、怖っ…!壱子ちゃん大丈夫ですか?襲われたりしてません?担任の先生が妖怪さんなんですよね?」

「藤田先生が妖怪って…全然気づかなかったです。なんの妖怪なんでしょう?」

尾咲に指摘された銀花は身震いして、身近に妖怪がいる壱子を心配する。壱子は当然驚き、首を振りつつその正体を疑問に思う。

「多分、覚の類ね。変装も特にしてないのは、単に元々の姿が人間に近いからかしら。もっと毛むくじゃらかと思ってたけど…ひょっとして服の下はボーボーなのかしら、なんか嫌な想像しちゃったわ…」

尾咲は藤田の正体にも勘づいていた。2人の執事姿に興奮してダダ漏れだった思考を読み取られた感覚が、妖力を通じてあったのである。

「その様子だと、特に危害を加えられてはいなさそうね。問題は伊吹がそれに気づいているかどうかだけど…」

「気づいてないと思います。藤田先生のこと、妖怪みたいに勘の鋭い不気味な人間だって話してましたから。言われてみれば、ちょくちょく大江くんの考えてること言い当ててたな藤田先生…」

「普通思考を読み取られた時点で気づくでしょ!変なところ鈍いんだからアイツは…いずれにせよ、これからはもっと警戒しなさいね。私達も変にちょっかいかけられる前に、そろそろ帰った方が良さそうだわ」

尾咲は伊吹の鈍さに呆れて天を見上げ、壱子に厳重に警告してから、再び指を鳴らした。たちまち3人の周囲の音が戻っていく。

「そ、そうですね…壱子ちゃん、私たち先に四辻荘に帰ります。伊吹さんにもよろしく伝えておいてください」

「はい、また後で。…藤田先生のこと、伝えますか?」

「いや…気づいてないならそのままでいいわよ。アイツ嘘つくの下手だから、変に刺激したらますますこの学校で居場所無くすわよ。意外と人間社会に馴染んでることが知れただけ収穫だったわ。それじゃあね」

銀花と尾咲は立ち上がり、校門へ向けて歩き出した。壱子も遅れてベンチから腰を上げ、担任の事を伊吹に伝えるか尋ねた。尾咲は首を振り、その必要が無いことを伝えて、再び歩き出した。心の中では、もうこの学校には近づかないようにしようと決めていたことには、誰も気づかなかった。


その日の夜、体力を大幅に失った伊吹は、数日ぶりにワンカップの日本酒を解禁していた。あれから執事とのツーショットチェキが大好評で、伊吹はずっと出ずっぱりで接客をしなければならなかった。クラス企画大賞は、2位の3年2組と約50票の差をつけて2年1組に決まった。MVPにも選ばれた伊吹はクラス一同から胴上げされ、気疲れが溜まっていた。

「はぁー…酒が美味い」

「おっさん臭いわねあんた…本当にもったいないというかなんというか」

「お前のせいだぞ大体は。…なんでお前も酒を持ってくる」

尾咲は珍しく、自分の分の缶チューハイを持って伊吹の向かい側に座った。

「企画大賞のMVPだからお祝いしてあげようとしてんじゃないの、お疲れ様。あとあんた、ちょっとは自分の周りに興味持った方がいいわよ」

尾咲は勝手に伊吹のカップに自分の缶を当て、彼を労った。やんわりと忠告もしたのだが、直接言われないと分からない伊吹は、なんの事かと首を傾げることしかできなかった。

「これでもこちらに飛ばされた直後よりは関わる人間が増えた方だ」

「あっそ」

伊吹は尾咲の缶に自分のカップをぶつけ返し、再び日本酒を飲み始める。2人はそれ以上話すことなく、勝手に晩酌を続けた。

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