第12話 兄妹
俺たちの目の前にいる幽霊の少年は、四辻零也と名乗った。四辻、と言えばこの下宿の名前であり、管理人の壱子の苗字だ。
「四辻……って」
「そ。おれ、壱子の兄」
声に出した銀花に、零也は答えた。なるほど、道理で見覚えがあると思ったわけだ。兄妹なら顔が似ているのももっともだ。
「管理人より年下に見えるが……」
「死んだ時十一歳だったから。壱子が生まれる三年前に死んだ。あんたら程長命じゃないけど、幽霊でいる時間も合わせればもう大人なんだからな?」
伊吹が見た目について指摘すると、零也は淡々と説明した。幽霊が本当にいるというのも驚いたが、壱子にきょうだいがいた事にも驚いた。
「そう……で、一連の悪戯は全部あんたの仕業 ?」
尾咲が零也に肝心なことを尋ねた。
「その通りだよ。そこのガキをビビらせたのも、今朝靴箱を荒らしたのも、留守中にあんたらの部屋を荒らしたり落書きしたりしたのも、シャワーから汚れた水を出したのも、全部おれ」
零也はまた淡々と、大したことでもないように白状した。結構派手にやられたんだがなあ、反省している様子はなさそうだ。
「また俺の事ガキって言った」
「この時代に来たばっかのあんたなんかおれからすればガキだ」
伊吹が怒ると、零也は大人びた目で伊吹を見た。なるほど、俺たちの事情も全部把握しているのか。
「分かったよ、零也。じゃあ聞くが、なんでこんなことをしたんだ ?さっき俺たちのせいだって言ったのも気になる」
俺は零也に、なるべく気を立たせないように尋ねた。
「いきなり家がないからって人の家同然の下宿に居座って、毎日毎日ぎゃーぎゃー騒ぐから迷惑だった、それだけだ。ちょっと驚かせれば出て行くと思ったんだけど……ビビったのはガキくらいだったな」
零也は、また淡々と悪びれもせずに説明した。確かに、今まで誰も住んでいなかった頃と比べれば賑やかなんだろうが、主に騒いでいるのは喧嘩ばかりしている伊吹と尾咲だ。それで俺や銀花までとばっちりをくらったと思うと少しだけ気分が悪くなる。
「特に鬼のガキと狐のおばさん。毎日毎日下らない事で言い争ってやかましい」
「おばっ…… !?」
「見た目年齢はおれと変わんないだろうけどな、千歳のおばさん」
「尾咲さん、抑えてください !」
俺が考えていたことを零也はそのまま言ってきた。尾咲はおばさんと呼ばれてまた怒りで顔を赤くする。無言で殴りかかろうとするのを銀花が止める。
「殴ってくれて構わないけど、おれは幽霊だから空を切ってあんたが痛い思いするだけだよ ?」
「っ……分かってるわよそれくらい。仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」
零也がひらひらと手を振りながら挑発すると、尾咲はまた般若心経を唱えた。
「うぅ……頭がんがんするからそれやめてくれよ。おばさんって呼ぶのやめるからさ」
すると零也はまた苦しみだした。やはり幽霊には有効なのか。
「……ねえ、さっきも思ったけどあんた……」
「とにかく、騒がしくしてくれなければこれ以上は悪戯しないから。でもまぁ一応、おれのことは壱子が不在の時の管理人みたいなもんと思っておいてよ」
尾咲が何か言いかけたのを遮って零也はそう言った。壱子がいない時の管理人……ね。確かに、壱子が生まれる前からここにいるとなればそう言われても納得してしまう。
「管理人二人とも子どもなのか……」
「だからおれは生きてれば成人してるっての」
「見た目年齢も実年齢も俺より年下だ」
「だから ?下手におれに逆らったら今度こそ心底怖い目に遭うことになるよ ?」
「む……」
伊吹が零也を子ども扱いするとまた生きていれば大人だと言う。なんか似ているなあこいつら。この時代にいる年数分、零也の方がいくらか落ち着きがあるが。
「ま、今度から壱子がいる時はやらないけどね。おれの悪戯で壱子の手をわずらわせる訳にはいかないし」
「妹思いなんですね」
「まあね。実の親よりずっと長くあいつのこと見てる自信はある」
銀花が零也のことを妹思いだと言うと少し得意そうになった。そうか、そう言えば壱子の両親は共働きしているんだったな。
昔の人間の寿命はかなり短かった。共に暮らしている肉親が祖父母だけというのは珍しかったが今はどうなんだろう。
「あいつは……壱子はいいやつだろ ?住むところのない妖怪のあんたらに手を差し伸べてこの下宿に住ませて、おまけに飯を作りに毎日通ってる。あんたらはもう少しあいつに感謝するべきだぜ」
「……なんだ、ただのシスコンじゃない」
「俺は一人でここの管理をやってるあいつが心配なだけだ。留守中に空き部屋の掃除をしたり空き家と勘違いして入ってきたガキを驚かせたりしてるのも、あいつの手間が少しでも減るようにと思ってやってるだけ」
尾咲が零也のことをシスコンと言うと、零也は否定した。シスコンの意味はよく分からないが、妹思いなのは確かだ。
「つーことは、零也は壱子が心配でこの世に留まっているってことか ?」
俺はこれまでの話を聞いて考えたことを零也に尋ねた。
「成仏した後あの世があるかどうかは知らないけど、まあそうだね。あいつが成人するまでは居るつもり」
「そうかー……まぁとりあえず、今後はあまり騒がしくしないように気をつけるよ。伊吹や尾咲にも、よく釘を刺しとく」
「それ、本人を前にして言うことじゃないと思うんだけど」
「不本意だがそれだけは雌狐と同意見だ」
零也と俺が話していると尾咲と伊吹が間に入ってきた。こいつら、自分に非があるって頑として認めないからなー……大抵は伊吹が尾咲を怒らせているんだが、尾咲も尾咲で大人げない所があるし。
「そうしてくれると嬉しいね。ふわぁあ、連日夜更かしして疲れたよ、おれはもう寝るからあんたらもさっさと寝ろよ。おやすみー……あ、あんたら、おれのこと壱子には絶対言うなよ。言ったら死ぬまで祟ってやるから」
零也は欠伸を一つした後、すうっと消えて見えなくなった。幽霊でも夜は眠くなるのか、初めて知った。というか、何故自分のことを壱子に言わないように頼んだんだ…… ?死ぬまで祟る、という脅し付きで。
「はー……なんかどっと疲れたわ……私もう寝ていい ?明日も仕事あるのよ」
「私ももう寝ます……だいぶ仮眠とっちゃったから眠れない気がしますが……」
「おう、おやすみー。ほら、伊吹ももう寝るぞ ?」
「あ、ああ」
尾咲と銀花はぐったりとした様子で自室に戻っていった。俺も伊吹に寝るように促すと、伊吹は何か考え込んでいる様子だ。
「……幽霊が管理する下宿なんて不気味で居られないか ?」
「なっ……そんなわけないだろう馬鹿にするな。ただ、正体が分かってすっきりしたなと思っていただけだ。……おい、頭を撫でるな子ども扱いするな」
「ははは、悪い悪い」
今のは誤魔化したな。百年以上の付き合いだから表情の違いで分かる。そんな伊吹がちょっと可愛くて俺は頭をわしゃわしゃと撫でた。
しかし、幽霊が実在したのも驚きだがそいつが壱子の実の兄だったのも驚いたなあ。壱子はこのこと知っているのかな。本人は霊感ないって言っていたけど、今度タイミングを見て聞いてみようかな ?
そう言えば……零也に謝ってもらっていないな。ま、みんなもう気にしていないようだし、いいか。
翌朝は日曜日。朝早くから仕事に行った尾咲とバイトに行った銀花を残して、俺と伊吹と壱子は朝食の片付けをしていた。俺が水が苦手なことをどこかで伊吹が言ったのだろう、洗い物は二人がやってくれて助かっている。
「……あ。二人とも、結局幽霊のことはどうなったんですか ?」
洗い物をしながら、壱子は俺たちに尋ねてきた。
「あぁ、何とか解決した。お前がいる限りはやらないそうだ」
「え、なんで私…… ?よく分からないけどそれならよかったね」
「そんなの犯人がお前の──」
「わー !!伊吹止めとけ、祟られるぞ !?」
「……忘れてた」
「 ???」
伊吹がうっかり口を滑らせそうになったので、俺は慌てて止めた。伊吹が祟られてここを出て行くことになるのはごめんだ。
「あー、えーっと、ところでさ壱子、お前の両親って遠くで仕事してて、今はじいさんばあさんの元で暮らしてるんだよな ?他にも家族とか、いないのか ?」
俺は咄嗟に話を逸らすために壱子の家族について尋ねた。このタイミングで話すことじゃないとは言った後で気づいた。
「え、何ですか突然……ええと、他には兄が一人います。私が生まれる前に病気で亡くなったみたいですが……あ !そうだ、もうそんな時期だった……」
壱子は首をかしげた後に零也のことについて話した。うん、わざわざ話してくれたところ悪いけどもう知っているんだよなあ。で、そんな時期とは何の事だろう。
「……すみません八束さん、大江くんも。今日は休日で、急用などはありませんか ?」
「いや、別に ?」
「特にない」
「そうですか……あの、兄のお墓参りに、一緒に来てもらってもいいですか ?私一人だと、色々やることが多くて……」
あぁ、なるほど命日か。確かにそれは大事だ。ひょっとすると、零也がこの時期に現れたのもそのせいかもしれないな ?
「構わんが何をすればいい」
「お供えのお花を替えたり、墓石を綺麗にしたり……お盆にもやってはいるけど、命日が近いからね」
「なんか面倒そうだな……まぁいいか」
「俺はもちろんオッケーだ !服装とか気をつけた方がいいか ?」
「式ではないので特に指定はありませんが、私は学校の制服を着て行くつもりです」
なら俺はスーツに、伊吹には学校の制服を着てもらうか。
「そもそも俺、制服以外によそ行きの服を持ってないぞ」
「あー……悪い、今度買ってやるから……」
そう言えば今、俺はこいつの親戚兼保護者ってことになっているんだった。服とか食事とか、たまにはちゃんと用意してやらないとな。
四辻荘から歩いて約十分、車通りのそこそこ多い道路沿いに目的地はあった。そこは小さな寺で、午前中とはいえ特に人気が少ない。壱子は寺に入り、本堂の前で礼をして手水舎で手を清めた後、まっすぐに目的の場所へ歩いていく。俺と伊吹はお供えの花や墓石を洗う道具を運びながらそれについて行く。寺の奥に、そこそこ広い墓地があった。親族によって丁寧に扱われているもの、そうでないもの、あらゆる墓石が立ち並んでいる。
壱子は『四辻家之墓』と書かれた墓石の前で一礼した。俺と伊吹もそれに続く。
「まずは、お墓の周りの草むしりですね」
「よし、それは俺たちに任せろ !壱子は仏花を替えておいてくれ。ほら伊吹、働くぞー」
「今更だがこれ、親族でもない俺たちがやっていいのか ?普通、管理人の両親や祖父母がやるべきじゃないのか ?」
「そこまで厳格な決まりはないから大丈夫だよ、それにおじいちゃんもおばあちゃんももう七十代だから、無理させたくなくて。二人が来てくれて助かったよ」
伊吹が草むしりをしながら今更の疑問を口にし、壱子がそれに答えた。確かにこういうことは本来親族がやるべきだよな。壱子の両親、息子の命日にもこちらに帰って来れない程忙しいんだな。
少し考えながら草むしりを終え、次は墓石周りの掃除だ。俺は墓石でスポンジを洗い、伊吹は雑巾で墓誌や外の柵を拭き、壱子は刻字を歯ブラシで掃除した。
洗うために手桶の水を使おうとした時、二人に止められそうになったが直接水に触れない程度なら別に平気だ。というか、そこまで心配される程苦手という訳でもないんだがな。二人が聞かないから甘えさせてもらっている部分もある。
仕上げに花立と水鉢の水を交換し、墓石全体に水をかけて汚れを落とした。壱子はろうそくをつけ、線香を焚き、数珠を手に合掌する。俺と伊吹は線香を立てた後、その後ろで手を合わせた。
「よし、一通りは終了だな。ゴミとか片付けよう」
「はい。二人とも、今日は本当にありがとうございました」
「これで管理人の兄が供養されるといいな」
「……そうですね」
お、伊吹が珍しくいいことを言っている。が、墓前なので、騒がしくならないようにあえてからかうようなことは言わない。
「……さっき八束さん、私の家族について話していましたよね」
「ん、あぁ……」
壱子は片付けをしながら、俺に話しかけてきた。あの時は咄嗟に口をついて出ただけで、本当に気になっていると言うわけではなかったが。
「私、霊感とか特にないし、遺影の写真以外では見たことないし、両親にも聞けないから兄のことはまだよく知らないのですが……兄の命日が近づくと、ずっと誰かに見られているような気がするんですよね」
「それは……ストーカー的な意味で ?」
「いいえ。見守られているような、危険から遠ざけてくれているような……そんな気がするんです」
壱子は墓石を見つめながらゆっくりと話した。
やはり零也は、命日が近づくとこの世に明確に現れるらしい。壱子のことが、そんなに心配なのか。俺たちよりずっと幼いのに、俺たち以上にしっかりしているから、そこまで心配する必要はないと思うのだが。
「……見守ってるんだろ」
「え ?」
壱子と俺が話すのを聞いていた伊吹が話に加わった。
「管理人がそんな気がするのであれば、見守ってるんだろ。子どものお前が下宿の管理をやって、実家を切り盛りしてるのがよっぽど心配なんだろ」
伊吹はこちらを見ず、片付けをしながら話す。
「……そうだな !壱子がちゃんと元気に成長するように、兄ちゃんが見守ってるんだと思うぜ !」
伊吹の思わぬ所での成長を感じる発言に感激しつつ、俺は壱子に明るく言った。
「二人とも……そうですね、ありがとうございます。早く大人になって、兄が心配しなくてもよくなるようにします」
「おう !さーて、四辻荘に帰ろうぜ !」
「はい !」
「ああ」
伊吹を殺した奴らと戦って負け、死んだ後に約千年後の時代に転生し、伊吹と再会して、四辻荘に入った。何でも屋……この時代では派遣会社と言うらしい……で色々な人間と色々な仕事をしながら、四辻荘で伊吹や壱子、尾咲や銀花と賑やかに暮らしている。
俺はつくづく運がいいなと思う。こんなラッキーなことはそうそう何度も起こらないだろう。伊吹は元の時代に帰りたいという気持ちが少しあるようだが、俺はこのままこの時代で生きていってもいいと思っている。
伊吹と壱子を前に歩かせる。三人で縦一列に並んで、帰り道を歩いた。
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