第11話 幽霊

第二幕『人妖交友』

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冬の晩の夜遅く。その日に限りなかなか寝付けなかった俺は、夜風に当たるついでに寝前酒を飲もうと隣の共有部屋に行った。冷蔵庫を開ける。


「…… ?」


八束が買い置きしていた酒の缶がない !雌狐辺りが知らないで飲んだのか ?なんにせよ寝る前の酒を飲むことはできない。俺は仕方なく、棚から湯呑みを出して麦茶を飲もうとした。


ザアアアアアア。


「っ !?」


冷蔵庫から麦茶の入った入れ物を出そうとした時、後ろから音がした。

驚いて振り返ると、居間のテレビが着いている。深夜だからか砂嵐しか映っていない。

テレビの番組でも見るかな、ううん、寝落ちたら朝寒そうだ……というか、そもそもこの時間に面白い番組をやっているのかどうか分からんが。俺は未だに番組表を表示する機能を上手く使えない。新聞を取ってもいないからテレビで何を放送しているか知るにはチャンネルを手動で変えてみるしかない。


……ちょっと待て。


冷静に考えたら、俺テレビに触っていなかったよな ?テレビが触っていないのに勝手についた、ということか ?


それを自覚した途端、一気に背筋が凍りついた。以前管理人が見せてきた映像で、幽霊が砂嵐のテレビからぬっと出てくる様子を思い出した。


「ゆ……幽霊なんて、いるわけないだろ……」


妖怪として人間の寿命より長い時間を生きてきたが、幽霊に会ったことは一度もなかった。

俺はゆっくりとテレビに歩み寄り、電源ボタンを押した。砂嵐を映していたテレビは真っ暗になり、テレビを覗き込む俺の姿が映る。背後に何かいないか、と思い振り返ったが誰もいない。

もうさっさと麦茶を飲んで眠ってしまおう。俺は再び冷蔵庫の方に向かった。


ザザアアアアアアアア。


「なっ !?」


俺が歩き出した瞬間、また勝手にテレビがついた。それだけじゃない、触っていないのに勝手に窓が開き、外の冷たい風が吹き込んできた。


「なんなんだ…… !」


俺は寒さに震えつつ窓を閉め鍵をかけた。次いでテレビを消す。だが今度は消えない。何回押しても押しても、砂嵐が映ったままだ。

回りからカタカタと音が聞こえてくる。家具が、食器棚の皿が、音を立てている。触っていないのに蛇口から水が出てきた。

引き出しの一つが開き、ふよふよと何かがひとりでに浮く。麺類を食べる時に使う食器だ。


ヒュンッ !


「うわっ !」


空中でピタリと止まったかと思ったら、食べ物を刺す部分をこちらに向けて勢いよく飛んできた。

俺は反射的にそれを左手で掴む。そこまで鋭利という訳では無いが、刺さったら痛そうだ。


ガタッ !


大きな音を立てて、今度は冷蔵庫の扉が勝手に開いた。中から冷気が床に降りていく。

その冷気に混じって、白い何かがぼんやりと浮かび上がってきた。もやか何かか?と最初思ったが、白い煙のようなそれはだんだんと何かの形を作っていく。


人だ。

白いもやもやは、俺と同じくらいの背丈の人間の人影になった。俺に背を向けて立っている。

人影が、くるりとこちらを振り返ったかと思うと………。


そいつには顔面がなかった。真っ白なもやでできた人影なんだから当たり前だが。だが、口に近い部分の形がぐにゃりと歪んだ。

俺を見て、ニヤリと笑ったかのように。


「うわああああああああぁぁぁ !!!」


俺は耐えられなくて共有部屋を飛び出した。

勝手についたテレビや水を出しっぱなしの蛇口、開きっぱなしの冷蔵庫を後で管理人に叱られるということを考える暇もなく、隣の部屋の八束の寝床に潜り込んだ。


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「えぇ ?幽霊だって ?」


朝の居間で伊吹が必死に話すのを聞いて、俺は思わずそう聞き返した。


俺たちの住む四辻荘の一〇三号室に九尾の狐の尾咲が、一〇四号室に雪女の銀花が引っ越してきてから少し経ったある日の朝。いつも通りの時間に目を覚ますと伊吹ががたがたと震えながら俺の布団に入っていることに気がついて驚いた。

夜寝る時は別々の布団に入っていたのに、眠っている間に移ってきたのか ?と思ったが違うようだ。俺が仕事着に着替えている間も、伊吹は学校の制服に着替えながら真っ青な顔をしていた。元々伊吹は転生前薄着ばかり着ていたからか、寒さに弱い。だがこの震えはそれだけではなさそうだ。

朝の支度を終え、共有部屋に入ってから俺はとりあえず落ち着けと言いつつ、電子レンジで温めた牛乳を伊吹にやった。温めた牛乳を飲んで落ち着いた伊吹は、ゆっくりと俺に話した。


昨晩寝付けなくて共有部屋に行って酒を飲もうとしたら俺が買い置きしていた酒の缶がなくなっていたこと。

仕方なく麦茶を飲もうとしたら居間のテレビが勝手についたこと。

消してから背を向けたらもう一度つき、さらに部屋の窓が勝手に開いたこと。

家具や食器棚の皿がカタカタと音を立て始め、触っていない蛇口から水が出てきたこと。

引き出しからひとりでにフォークが出てきて、伊吹めがけて飛んできたこと。

冷蔵庫の扉が開き、中から出てきた冷気と白いもやが人の形になり、伊吹の方を向いてニヤリと笑ったこと。


酒の缶がなくなっていたのは尾咲がやけ酒に空けたものとして、一連の科学では説明のつかない事態に俺は疑問を覚えた。

そして伊吹は最後にこう言ったのだ。あれは幽霊の仕業だ、と。


以上、俺が幽霊だって ?と聞き返した今に至る。途中から起きてきた銀花と尾咲が加わり、彼女たちも伊吹の話を聞いていた。


「いや、幽霊って……お前、この時代に来る前も会ったことないよな ?俺だってないけど……それが出たって言いたいのか ?」

「あれを幽霊以外の仕業と言えるのか ?あいつ、俺を見てニヤッて笑ってきたんだぞ !あれは絶対に幽霊だった !」


俺が改めて聞くと、伊吹は早口でまくし立てた。一旦落ち着いた感情が再び高ぶっているようだ。


「馬鹿馬鹿しい、幽霊なんているわけないでしょ。というか妖怪のくせに心霊現象を怖がるなんて子どもねえ」


話を全く真剣に聞いていなかった尾咲はそう言った。


「人影が現れたんだぞ !幽霊以外になんて言えばいいんだ !というか誰が子どもだこの年増 !」

「はぁ !?誰が年増ですって ?」

「実年齢千歳以上を年増以外になんて言えばいいんだ、ばばあとでも言われたいのか」

「バ、バ、ア ?あんただってそんなに変わらないじゃないのよ年齢詐欺のショタジジイ !」


伊吹が尾咲のことを年増呼ばわりしたせいで今日もぶつかり合いが始まる。

この2人は生前、第四次妖怪大戦があった頃に面識があったらしい。正確には尾咲が一方的に伊吹のことを見かけたことがあり、伊吹は鬼の仲間から噂を耳にしたことがあった、とのことだ。その頃から尾咲が一方的に対抗意識を持っていたこと、伊吹に伝わっていた噂が尾ひれ付の悪評だったことなどがあり、この2人の仲はかなり悪い。毎日のように口喧嘩をしては、俺や壱子、銀花が止めるのが常だ。やれやれ、毎度毎度同じ話題でぶつかり合って飽きないのだろうか。


「尾咲さん抑えてください !伊吹さんも !……そう言えば、昨夜遠くで悲鳴が聞こえて一度目が覚めたんですが、あれは伊吹さんだったんですね」


今回は銀花が間に入る。俺は一度寝ると朝まで起きないから気づかなかったが、そんなに大きな悲鳴をあげていたのか。


「ああ、起こしてしまったのかすまない」

「へえ〜銀花を夜遅くに悲鳴で起こしたことに対しては謝るのね〜 ?なら私の事年増呼ばわりした事も謝って貰おうかしら ?」

「あ ?お前が年増なのは動かない事実だろ」


伊吹にまた年増と言われた尾咲はかちんときたようだが、横に銀花がいるのでそれ以上は言わない。銀花は怒るとこの中で一番怖いからだろうな。伊吹と再会した尾咲が伊吹の態度にキレて喧嘩になりそうになった時、銀花が室内で雪を降らせる程の剣幕で止めたと聞く。


「つってもなー、この目で見たわけじゃないから信じろって方が難しいよ。伊吹めがけて飛んできたフォークは元の場所に戻っていたし、テレビだって故障しているわけじゃないんだろ ?」

「む……それはそうだが……でも……」


俺に言われても伊吹は納得いかなそうな表情だ。というかこいつ、転生前はそこまで怖がりじゃなかったような……何かきっかけがあったのか ?


「朝ご飯できましたよー。……皆さん、どうして幽霊の話なんてしてるんですか ?」


台所にいた壱子が話しかけてきた。俺は立ち上がりつつ彼女に説明する。


「昨夜伊吹が共有部屋で幽霊に会ったんだとさ」

「ここで、ですか ?……私は霊感がないからよく分かりませんが、もし本当にいるとしたら事故物件になっちゃいますよ」

「だよなあ……伊吹の気のせいだったんじゃないか ?」

「……でも確かにテレビは勝手についたし窓や冷蔵庫はひとりでに開いたし、人影だって確かに見えたんだ……ならあれは一体なんだったんだ……」


伊吹は納得いかない様子で朝食を運ぶ。今日はトーストのようだ、女子組がパン派だからか。


「大方寝ぼけて夢と現実が分からなくなったんでしょ。さっさと忘れなさいよ。いただきます」


尾咲は呆れながら朝食を食べ始めた。


「もしかしたらすきま風が入ったのかも知れませんしね」

「扉はちゃんと閉めていたぞ」

「うーん、だとしたら窓とか…… ?」

「開いていたら気づくだろ、外は寒かったんだ」


銀花は食べながら伊吹の幽霊話に付き合ってあげている。いい奴だよなあ、良心の塊だよ。

俺はとりあえず、伊吹の話を頭の片隅に置いておいて今日一日の仕事について考える。もし早めに帰れそうだったら、改めてこの四辻荘を調べてみるか。本当に幽霊だとしたら、俺たちと同じで転生してきたのかもしれないしな。


「ごちそうさま。銀花、そろそろ行きましょ」

「ごちそうさまでした。そうですね、行ってきます」


女子組が早々に朝食を食べ終えて席を立った。二人は通勤通学に電車を利用するから、俺達の中では出発が早い。

居間を出た二人を見送り、朝食を再開しようとすると、尾咲が引き返してきた。忘れ物か ?と思ったがその形相は鬼のように怖い。


「ちょっと !誰が玄関をあそこまで荒らしたの !?」


玄関 ?

俺、伊吹、壱子は食事の手を止めて尾咲の後に続く。


「うわ、こりゃ酷いな……」


玄関を見て第一声をあげたのは俺だった。

俺達の靴がばらばらに散乱し、靴箱が開けっ放しで中までかき乱されている。靴箱の上に置いてあった置物は割れてはいないが、無残にも倒されている。


「誰が荒らしたって、一番最後にここに来た奴以外いないだろう」


伊吹が顔をしかめながら尾咲に言った。確かに今日一番遅く共有部屋に入ってきたのは尾咲だったからな。疑うのは当然だ。


「私がやったって言うの !?バカ言わないでよね !そういえば八束あんた、さっきトイレに立ってたわよね。あんたがやったんじゃないの ?」


おっと、そこで俺にとばっちりが来るのか。


「いやいや、俺はただ用を足しただけだぜ ?というかここまで荒らしてたら普通音が聞こえてくるだろ」

「……それは確かにそうね。ここまでのことを無音でやってのけたって事になる……」

「いずれにせよひどいですね……」


銀花が悲しそうな顔をする。下らないと言えば下らないが、ここまでの悪戯をする奴がこの中にいるとも思えない。


「え、ええと……ここは私たちが片付けておくので、尾咲さんと銀花さんは行った方がいいんじゃないですか ?」


黙り込んだ俺たちに、壱子が声をかけて近くの箒を取った。ナイスタイミングだ。


「……それもそうね。後始末は任せたわ、行ってくる」

「す、すみません……行ってきます」

「いいっていいって !気をつけてけよー」


不服そうな顔の尾咲と申し訳なさそうな顔の銀花に俺は手を振った。二人が行った後、俺と伊吹、壱子で玄関の片付けをする。


「でも、一体誰がこんなことを……」


壱子が片付けながら呟いた。


「俺じゃないぞ、居間に入ってから玄関には行ってない」

「分かってるって、少なくともトイレに行った俺以外はアリバイあるから心配すんな」

「……やってないよな ?」

「さっきも言っただろ、これだけのことやろうとしたら少なくとも音が出るはずだって」


伊吹が確認を取るように聞いてきたので、俺は自分が無実だということを説明する。

居間にいる間に物音がすればこんな悪戯すぐ気づくはずだからな。


「……まさか……昨日の幽霊が俺たちを怖がらせるためにやったとかか ?」


伊吹がまた幽霊のことを思い出して青い顔をする。


「お前なあ……そうやって考えるから怖いんだぞ ?幽霊なんていない、そう思えばなんにも怖くないから、な ?」

「むう……」

「というか、俺たちを本気で怖がらせるなら血のシャワーでも出してくれって感じだけどな !この程度は全然平気だ !」


俺は伊吹を元気づけるためにあっけらかんと言ってみせた。


「何でお前らはみんなそんなに平気なんだ……管理人が見せた映像を見れば絶対怖いと思うはずだ……」


伊吹は作業に戻りつつぶつぶつと呟いている。壱子が見せた映像 ?俺の留守中の出来事か ?


「……な、壱子。俺がいない間に伊吹になにか見せたか ?」


俺は小声で壱子に耳打ちする。


「……あ、そう言えば少し前に倉庫で見つけた『*ング』を二人で見たことがありました」

「『*ング』 ?」

「有名なホラー映画です。長い髪の女の霊がテレビから出てきて驚かす感じの」

「ああ、それで幽霊ダメになったのか……なるほどなー」


俺は壱子から話を聞いて納得する。伊吹が怖がるほどの映画か、少し気になるな。今度時間がある時に見てみよう。


「すみません、私があの時見せなかったらここまで怖い思いしなかったですよね、多分」

「平気平気、あいつの気のせいかもしれないしな !見てて面白いから俺的には全然あり !」

「おい、お前ら手が止まってるぞ。さっさと片付けないと俺たちまで遅れる」

「あー、悪い悪い !」


しばらく小声で話していたら伊吹から声をかけられた。やべ、今の聞かれてたかもな。あいつ地獄耳だから。


「……八束、後で覚えてろ」


やっぱり聞かれていた。



俺はその日の仕事を速攻で終わらせ四辻荘に帰った。


「……んん ?あいつらまーた喧嘩してるのか?外まで声が聞こえてる……」


自室の一〇二号室に入ろうとしたところで一〇一号室から怒鳴り声が聞こえてくるのに気づいた。俺は扉を開き居間に入った。


「だから俺はやってないと何回も言ってるだろ !学校に行っていたのにそこまでのことを出来ると思ってるのか !?」

「あんた以外に誰がやるって言うのよあんな悪戯 !今日という今日は許さないわよ !」


案の定、伊吹と尾咲が言い争っていた。その場にいた壱子と銀花が俺に気づき、助けてくれと目で訴えてくる。


「落ち着けってお前ら !外まで声聞こえてるから !どうしたんだ ?」


俺はひとまず二人の間に入る。なんだかこの一連の動作も慣れてきたなあ。


「この雌狐が俺に勝手な言いがかりをつけてくるんだ !」

「このクソガ鬼が最低の悪戯してきたのよ !」


二人に同時に耳元で言われて頭が痛くなる。


「とりあえず一人ずつ話してくれ、俺は聖徳太子じゃないから !まず尾咲、悪戯されたってどういうことだ ?」

「さっき部屋に帰ったら私の洋服箪笥と祭壇が荒らされてたのよ !しかも……しかも…… !!」


祭壇、というのは尾咲が買ってきたアニメや漫画、ゲーム関連の商品を飾ってある場所のことである。俺が触ろうとしたら平手打ちをくらったことがある。尾咲は真っ赤な顔で手に持っていたメモを俺に突きつけてきた。


「下着しまってた所に『男と下着の趣味が悪い』なんて書いてあるのよ !?こいつ以外にこんなことするやつ私は知らないわ !」


メモには確かにその通りの文言が落書き同然に書いてある。


「だからそれは知らんと言ってるだろ !というかお前の下着や趣味に興味なんて微塵もない !」

「それはそれでムカつく !!」

「どうどう、伊吹はもう少し言葉選ぼうな。で、伊吹の言い分は ?」

「俺はこいつと銀花が帰ってくる直前まで管理人の買い物に付き合っていた。その前は学校にいたしそんな悪戯をする暇はない」


伊吹は怒りながら俺に説明してくる。ふむ……今回も伊吹にはアリバイがあるな、壱子が証人だ。

一応壱子の方を向き、目で確認をする。その通りだ、というように壱子は頷いた。


「あ、あの……でも今回は尾咲さんだけじゃないんです。私も部屋に置いていた本や資料をばらばらにされてしまって」


そこで銀花が話に加わった。まじか、尾咲だけじゃなく銀花にも悪戯の手が及んだのか。


「何か、尾咲みたいなメモは落ちてなかったか ?」

「メモ……じゃないんですけど、ルーズリーフにこんな落書きが」


銀花はそう言って俺に紙を見せてきた。尾咲のと違って何か特定の文章が書いてある訳では無いが、ぐちゃぐちゃの落書きがされている。筆跡を見るに同一人物のようだ。

……が、俺はそれらを見てこれが伊吹の仕業でないことを確信した。


「あー……うん。尾咲と銀花には悪いが、今回のは伊吹の仕業じゃないな、俺が保証する」

「なんですって !?納得いく証拠はあるんでしょうね !?」


尾咲が当然文句を言ってくる。


「壱子、紙とペン貸してくれるか ?」

「え ? あ、はい」


突然俺に声をかけられた壱子は驚きつつ、鞄から筆記用具を出して俺に渡した。


「伊吹、ここにお前の名前を書いてくれるか ?なるべくいつもと同じ感じで」

「はぁ ?そんなことして何になる」

「お前の無実を証明するためだよ、いいからいいから」

「……はあ」


伊吹は疑問を顔に浮かべながらさらさらっと紙に文字を書いた。

伊吹に渡された紙を、俺は尾咲と銀花に見せる。紙面にはペンで書いたと思えないほど美しい字で「大江 伊吹」と書かれていた。


「うそ……でしょ……」


尾咲は伊吹の手書きと落書きを見比べて愕然としている。


「こいつ、どこで習ったのか知らないけどすごい達筆なんだよ。だからそのメモは伊吹が書いたものじゃない」


転生前にどうやってそんなに上手い字を書けるようになったか聞いてみたことがあるが、本人も覚えていないらしかった。


「確かに……見比べると全然違いますね……」


銀花も伊吹の意外な才能に驚いているようだ。


「ちなみに字だけじゃなくて絵も上手いんだぜ、水墨画とか。とにかくこれで納得しただろ ?というか伊吹、何で疑われた時自分の字を見せなかったんだ ?」

「……かっとしてて思いつかなかった」

「そんなことだろうと思ったよ……」


俺に指摘された伊吹はバツが悪そうにそっぽを向いた。


「あ、尾咲と銀花が被害に遭ったってことは壱子も何かあったんじゃないか ?」

「え ?私ですか ?……いえ、特に何もされていませんよ」

「そうなのか?ふむ……今のところ悪戯に遭ったのは伊吹、尾咲、銀花か……」


俺はふと思い出して壱子に尋ねたが、どうやら壱子は悪戯されていないらしい。伊吹が俺の顔を見て少し悪い顔で言った。


「次はお前の番だったりしてな」

「あっはっは、それはそれで会ってみたいけどなー、犯人の手がかりを掴むチャンスだし !」

「楽観的だな……」

「とにかくこれで解決したんだし、飯にしようぜ !俺、シャワー浴びてくるよ !」


俺は笑って居間を出て行った。


昔から伊吹に、俺は楽観的だ、暢気だとよく言われる。だが俺だって何も考えていないわけじゃない。

よく分からない先のことをくよくよと考えていても仕方ない。覆水盆に返らず、一度起こったことは元には戻らない。だからあまり身構えず、起きたこと一つ一つに対処しているだけだ。


俺は一〇二号室に入り、寝室に荷物を置いて風呂場に入った。湯を沸かす時間が惜しいのでシャワーだけで済ませる。


「……ん ?シャワーの出が悪いな……」


身体を洗う最中にちょくちょくシャワーの湯が止まる。 この寒さで水道管が凍りついたのか ?後で確認するか。

と思ったがしばらくすると問題なく湯が出てきたので、身体に着いた石鹸を洗い流した。


「さて、そろそろ上が……うおぉ」


身体を洗い終えた俺は、目の前の姿見を見て驚きの声を上げた。

シャワーから出てきていた湯は赤い温水に変わっていた。それで身体を洗い流していたもんだから、全身血まみれに見えなくもない。

今朝、ふざけて血のシャワーでも出してくれないとと言っていたのが現実になった。

今朝の靴箱荒らしや尾咲、銀花への悪戯とは違う、俺たちの中の誰も出来なさそうな手の込んだ悪戯だった。


「……確かに、こりゃあ何かいるな」


傍から見ると大したことのない悪戯でも、いざ自分が受けてみると笑えないものだ。言いようのない寒気を覚えた俺は苦笑いしながら呟いた。


伊吹にスマートフォンを取ってきてもらい、尾咲に連絡してシャワーを借りた。全身血まみれに見える俺を見た伊吹は初めかなり驚いていた。

夕食を終えた後、俺はいつも通り壱子を実家に送ろうとした。


「……あ、そうだ。お前ら、ちょっと話したいことあるからそのままここに残っていてくれるか ?」

「 ?別にいいけどさっさと帰ってきなさいよ、夜更かししたくない」

「わかりました…… ?」

「ああ、早く戻ってこい」


尾咲を初め、全員が疑問に思いながらも了承してくれた。


「八束さん、皆さんに話って……私も残った方が良かったんじゃないですか ?」


夜の帰り道を歩きながら、壱子が尋ねてきた。


「ん ?いや、今朝からの悪戯がちょっと洒落にならなくなってきたから話し合っておこうと思ってな。もし妖怪や幽霊の仕業だったら危険な目に遭わせるかもしれないしお前は大丈夫だぞ」

「でも……」

「大丈夫だよ、俺たち全員強いから !特に伊吹と尾咲が本気出したら並大抵の妖怪はただじゃすまないからな !……あー、でももし幽霊が犯人なら伊吹は戦力にならないかもしれないな……」

「……そうですか。分かりました、じゃあ気をつけてくださいね」


壱子は不安そうな顔をしながらもそう言った。俺は大家である人間の少女を見送りつつ、どうしたものかと思考を巡らしていた。


「ただいまー。お、全員残ってくれたな、ありがとありがと」

「お前が残れと言ったんだろ。手短に済ませるぞ」

「へいへい。じゃあ早速だが……昨晩伊吹が見たっていう幽霊のような人影、科学じゃ説明できない現象の数々、今朝の靴箱荒らしに尾咲や銀花への悪戯、そして俺のシャワーから出てきた赤い水……幽霊かどうかは分からんが、人間のなせる技じゃあないと俺は思う。もちろん、お前らの中の誰もこんな悪戯をするとは思ってない」


俺は居間のソファーに座り、脚の短いちゃぶ台を四人で囲んだ。


「だから言っているだろう、幽霊の仕業だと。俺は学校で情報通の人間にここについての話を聞いてきた。そいつが言うには、四辻荘は昔からお化けが出ると噂されていて、俺達が住んでいると知った当時はかなり驚いたそうだ」


伊吹が自分の仕入れた情報を皆に共有した。人間に聞き込みができるようになったのか、成長を感じて嬉しくなる。


「幽霊ねえ……私は未だにその存在が信じられないけど、妖怪と同じようなものと思えば話は別。私の祭壇を荒らして趣味を馬鹿にしてきた罪は重いわよ……」


尾咲は静かに怒りを募らせている。俺が触れようとしただけで平手打ちしてくるほど大事なものを荒らされたんだから当然か。


「でも、どうやって犯人を探すんですか ?もし……見えない相手なら苦戦しそうですし……」


銀花は辺りを見回しながら聞いてきた。その通りだ、もしも透明になれる妖怪だとしたらかなり厄介だからな。


「それなんだけど、知り合いからこんな道具を買ってきたわ。効くかどうかは知らないけどね」


尾咲はそう言って鞄から色々な道具を出した。

御札に分厚い本、ろうそくや魔法陣の書かれた紙まである。


「こりゃすごいな」

「霊媒師や陰陽師が実際に使う除霊道具だそうよ。相手が霊、特に悪霊であれば効果は抜群らしいわ。『霊を実体化させる呪文』や『霊に精神的ダメージを与える呪言』なんかも書いてあるわね」


尾咲は分厚い呪文書を捲りながら説明した。よくこんなものを売っている店を知っているな、と尾咲の人脈に驚かされる。


「実体化させることができれば、私たちでも捕まえられそうですね !」

「つ、捕まえるのか ?」

「当たり前です、こんな悪戯をしたことを謝ってもらわないと !」

「そ、そうか……」


銀花も地味に怒っているらしい、伊吹と尾咲の喧嘩を止める時の笑顔になっている。伊吹は悪戯の犯人を捕まえると聞いて少しぎょっとする。相手が本物の幽霊だったらどうしよう、とか思っているんだろうな。


「ふむ、この中では尾咲が妖力高めだから色々術を唱えてもらって相手を弱らせ、俺の糸で捕まえるのがいいかな ?伊吹と銀花は何かあった時のために戦闘準備してもらうってことで」

「そうね……でもこの術、私たち妖怪にも効くかも知れないわよ ?」

「その時は仕方ないから伊吹の怪力で捕まえてもらおうぜ」

「おい待て、なんでそこで俺が出てくる」


俺と尾咲が話し合っていると伊吹が入ってきた。


「いやお前の怪力は妖力関係ないからいけるかな ?と思ったんだが……それにお前、妖術に対する耐性高いし」

「あんた、無駄に馬鹿力だものねぇ。学校で教師の片腕折ったり机にヒビ入れたことあるんだって ?壱子が話してたわよ」

「馬鹿力で悪かったな !くそ……お前らが動けなくなった時だけだからな !」


伊吹は馬鹿力と言われて少し気が立ったのか、俺たちに背を向けてしまった。意外と気にしているんだよな、こいつ。


「あとは犯人さんをどう呼ぶかですよね……」


犯人を捕まえる作戦を決めたところで、銀花が一番重要なことを話した。


「それだよなぁ。なあ伊吹、お前が昨日夜中に起きたのは何時位のことだったんだ ?」

「覚えてない。丑三つ時だったとは思う」

「丑三つ時……えぇ、まさか深夜2時まで起きるの?」

「交代で仮眠取りつつここで待機しようぜ。俺、近くのコンビニで菓子でも買ってくるかな」

「日本酒」

「ほ*よい白ぶどう」


俺が買い出しに行こうとしたところで伊吹と尾咲が酒を注文してきた。この酒好き妖怪達め、飲む気満々か。


「これから犯人と戦うかもしれないのにか ?酔っ払われると困るから甘酒な」

「ちっ」

「ケチ」

「なんとでも言え、じゃあ行ってくる」

「あ、それなら私が行きますよ !外は寒いですし」

「お、悪いな銀花」


俺が出ようとしたら銀花が代わりに立ち上がった。この頃夜はかなり寒くなってきたから正直助かる。


「俺はゲームを取ってくる」


伊吹はそう言って銀花と共に共有部屋を出た。


「俺は上に毛布とか取ってこようかな」

「じゃ私仮眠するわ、おやすみ」

「おお」

「あのクソガ鬼が顔に落書きしようとしてきたら全力で止めなさいよ」

「あいつはそんなくだらないイタズラやらないと思うぞー……」


俺は共有部屋の二階に毛布などを取りに行った。尾咲はその間に仮眠をとる。こいつは俺らの中でも人一倍忙しいからな、ゆっくり休んでもらおう。

さて、これであとは犯人が出てくれるかどうかが問題だな……。


時刻は大体午前1時半。伊吹はゲームをし、尾咲はスマホをいじっている。今は銀花が仮眠中だ。俺は菓子を食ったりテレビを見たりしながら約4時間半を過ごしていた。

新年を迎える時は毎年初日の出を見るために早く寝ているからここまで夜更かしするのは初めてかもしれないな、とぼんやり考える。


突然、ふっと電気が消えた。全員ちゃぶ台周りに居座っているから、当然誰も電源には触れていない。


「 !」


伊吹が気づき、ゲームを閉じた。


「来たわね……空気が変わった。ほら銀花起きなさい、犯人のお出ましよ」


尾咲がスマホをちゃぶ台に置き、ソファーで眠っていた銀花を起こす。


「う〜ん、今起きます……本当だ、周りが急に寒くなってきました……」


銀花が目を覚ましながら辺りを見渡す。暖房をつけているはずなのに、寒気がする。悪戯の犯人が近くにいる証拠だ。


「お前ら警戒しろよ、どんな手を使ってくるか分からない……」


俺は立ち上がり、半分変身を解除した。完全に妖怪の姿に変わると、主に下半身の蜘蛛の足でかさばってしまうためだ。


「私も半分変化を解除しましょう、妖術を使うし」


尾咲も俺に続き、変化を半分解いた。九本に分かれた尻尾はないが、頭から狐の耳が生えてくる。


「そ、それなら私も…… !」


銀花も雪女の姿に変わった。しかし、周りで雪が降り始めていないからやはり完全な変身ではないんだろう。


「お前らなんでそんな簡単そうに変身できるんだ……」

「伊吹の場合妖怪の姿に戻れても人間の姿に戻れないからなあ……そのままでも強力だから気にしないで大丈夫だぞ」

「あんた妖怪のくせに妖力の使い方下手くそだもんねぇ」

「黙れ雌狐」


伊吹が羨ましそうに俺たちを見てくる。前に体内の妖力を全て外に出て強制的に人間の姿になった時は、そのすぐ後に辺り一帯で嵐になったと壱子から聞いている。時間がある時に教えてやらないとなあ、と思いつつ周りに警戒する。

食器棚の食器や家具が震え、カタカタと音を鳴らし始めた。


「ひっ…… !」

「落ち着け、家具が音立ててるだけだ」


伊吹が怖がるのを俺が落ち着かせる。


「まずは『霊を実体化させる呪文』。──」


尾咲が何やら呪文を唱え始めた。俺たちに何か影響が出る様子はないので安心する。

しばらくして、空気の一部がぐにゃりと歪み始めた。歪みながら、それは人の形を作る。


「あいつだ !俺が昨日会った奴 !」


伊吹が確信して声を上げる。


「ビンゴ。妖術、『結界』 !幽霊でもこの部屋からは逃げられないわよ」


尾咲がすかさず結界を張った。便利な術だなあと思う。


「仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」

「なぜに般若心経 !?」

「うるさいわね、一番有効そうな呪文がこれだったのよ !」


尾咲が幽霊に効くとして般若心経を唱え始めた。俺は思わず突っ込む。色々な術が書いてある中で般若心経を選んだ尾咲のセンスに少しだけ疑問を感じた。


「くっ……逃げ足が早い !」

「私に任せてください !『さあ、おいで。全てを凍てつかせる氷雪よ』── !」


銀花がどこからか白い布を取り出し、ばさりとはためかせる。すると、人の形をした何かを吹雪が襲う。カチ、コチと一部が凍り始める。


「是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法……動きが止まった !八束、今よ !」

「おお !」


俺は尾咲の合図で、手から蜘蛛の糸を放った。気づいた人の形の何かが必死に飛んで逃げたが、三度目で捕らえた。外した糸玉は後で掃除するとして、俺は糸を引っ張る。捕まった人の形の何かはじたばたともがく。解ける様子はないが結構力強い。


「伊吹、手伝ってくれ !」

「ああ !」


俺は伊吹に声をかけた。伊吹は糸を掴み、ぐっと引っ張る。

何かがどさっ、と床に落ちる音がした。さすが伊吹、鬼の頭領の名にふさわしい怪力だ。


「雌狐、詠唱を続けろ !」

「分かってる !仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子…… !」


尾咲が捕まえた何かに向けて般若心経を唱える。落ちた衝撃で大人しくなっていたそれは、途端にまたじたばたともがき出す。


「痛た !やめろ、頭ががんがんする !くそ、この糸解けない…… !」

「 !?」


何かから声が聞こえてきた。


「やめろ尾咲、もう十分だ !」

「でも…… !」

「なあ、術は止めるから姿を現してくれ。何もない所に向けて話すのは違和感があるし……伊吹が怖がってる」


俺は尾咲を制した。さっきから顔に出さないようにはしているが、透明なそいつに伊吹は怯えている。


「分かった、分かったよ !あんたらに見えるようにすればいいんだろ…… !」


そいつは苦しみながら言った。


すると、足の方からだんだんと色がついてくる。半透明なままだが、そいつは伊吹とそう年の変わらないように見える少年の姿をしていた。

水色の着物に似た服を身につけ、青白い肌に紫色の瞳、きれいに色の落ちた白髪。およそ日本人とは思えないそいつに、俺は何故か既視感を覚えた。


「……人間の子ども…… ?」


伊吹が地面にへたりこみつつ、そいつを見て言った。俺もまさか相手が子どもだとは思っていなかった。

俺は手に握っていた糸を放し、人間の姿に戻った。尾咲と銀花も人間の姿に変わる。


「まったく……ちょっと驚かしてやろうと思っただけなのになんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ……しかもあんたら、そこのガキ以外全然ビビらないし……」


半透明の少年はぶつぶつと文句を言っている。


「誰がガキだ誰が !」

「落ち着け伊吹 !……まぁ俺ら皆妖怪だからな、ある程度の心霊現象なら平気だ」

「道理で……はぁ、ターゲット間違えたかな……」


ガキと言われて怒った伊吹が少年に噛み付くのを抑えつつ俺は説明した。すると少年は納得したようにため息をつく。そして、身体を縛っていた糸をするりと抜けた。


「ああ、八束さんの糸が…… !」

「幽霊だからな、変な術さえかかってなきゃこんな拘束無駄だ。元はといえばあんたらが悪いんだからな、人の家を好き勝手使って」


銀花が声を上げたのに対し、少年は話しつつ宙に浮き、居間のソファーに足を組んで座った。

幽霊がソファーに座れることに少し驚く。


「人の家、ですって ?あんた一体何者なのよ ?」


尾咲は少年の言葉が引っかかって尋ねた。

確かにこいつは今、ここを自分の家と言った。


「そう、ここはおれの家。初めまして妖怪ども、四辻零也(よつつじ れいや)だ」


少年──零也は子どもとは思えない落ち着いた声で、俺たちに自己紹介した。

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