第10話 学校

九尾の狐の伏見野尾咲と雪女の桧森銀花が帰った後、俺はゲームを再開し、管理人は夕飯を作ろうとした。

このゲーム、という玩具は四辻荘の外にある倉庫から見つけたものだ。3DSと呼ばれるゲーム機にゲームカセットを入れることで、様々な遊びをこれ一つでできるらしい。倉庫には『*ンスターハンター4』という、武装した人間が怪物を狩猟するゲームしかなかったが、暇な時間はそのゲームをして過ごすことが多かった。

俺が遊んでいるのは何世代か前のものらしいが、確かに面白い。人間どもの間で人気になるのも納得がいく。生活に余裕ができたら、八束に最新作を買ってもらおう。


「……あ、そう言えば。大江くんに、この手紙渡してって先生が」


管理人はそう言って、鞄の中から1枚の紙を取り出した。現代に飛ばされた初日、課題のプリントを大量に渡されたときの既視感を覚えつつ紙を受け取る。

右上に日付と担任の名前……下の名前は『悟』というのか……が、上方中央には『三者面談のお知らせ』という文字が書いてあった。


『師走の候、保護者の皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、下記の通り三者面談を実施いたします。お子様の学校での生活や学習の様子、ご家庭での様子について面談を行い、今後の指導に役立てることを目的といたしております。つきましては、下記の日程にご来校いただきますよう、よろしくお願いいたします。』


記、と書いてある下に明日の日付と面談開始時刻、面談場所と面談時間が書いてあった。ご丁寧に俺の知る時間の書き方も添えてある。


「……この手紙が来たということは、謹慎は終わりということか」


俺は手紙を見つめながら言った。


「だいぶ前に課題は終わってたけどね」

「はぁ……また行かなきゃいけないのか、あの地獄に」


この時代に飛ばされた直後の出来事を思い出して憂鬱になる。


源頼光に首をはねられ、四天王に体を滅多打ちにされて死んだと思った次の瞬間、千年後の学校に飛ばされ、中年男性教師に頭を叩かれて目を覚ました。そいつに立たされそうになって抵抗したら誤って腕を折ってしまい、今は自宅謹慎中だった。

人間の子ども、大人が大量にいる地獄のような空間になんて二度と行くかと思っていたが、俺の所属する学級の担任の男の口ぶりでまたいつか行かなければならないのは何となく想像がついていた。

まさかここまで早いとはな……あの日から何日経った ?一週間も経っていないんじゃないだろうか。


「地獄って……でも変だよね、その手紙。普通面談するなら保護者の都合とか考えて希望の日程を聞くはずなのに指定されてて」

「そうなのか ?……そもそも俺に保護者も何もいないが」

「いるじゃない、八束さんが」

「あいつは保護者じゃない、ただの腐れ縁だ」


八束を俺の保護者扱いされて、俺は否定した。この時代に来てから、あいつと居ると兄弟か親子と勘違いされたりするから時々迷惑する。本人は満更でもなさそうなのがまた困ったものだ。


「でも『三者面談』だから、付いてきて貰わないといけないと思うよ ?」

「……分かってる。今連絡する」


俺はスマートフォンを取り出して、連絡を取れるアプリを立ち上げた。

最近やっとまともに使えるようになってきた。八束は仕事場が同じ人間とよく連絡を取り合うらしく、俺より早く慣れていた。


『明日学校に面談に行くことになったからお前も来い』


送った後、俺はスマートフォンを置いてゲームを再開する。


「……でも、学校にその姿のままでは行けないよね。どうするの ?」


俺が連絡したのを見て夕飯を作り始めた管理人が聞いてきた。


「……あ。そう言えばあれから一度も試してなかったな」


俺はこの四辻荘に初めて泊まった夜、八束に指摘されて人間の姿になろうとした。

だが、人間の姿から妖怪の姿に戻った時と違い、全くできなかった。少し落ち込んで、その後試そうとしなかったのだ。


俺はゲームを机に置いて改めて目を閉じ、人間の姿だった時の自分を想像する。

……が、今の姿でいすぎて、前よりはっきりと想像できなくなってしまった。もちろん、人間の姿には変われなかった。


「……どうしたものか」


俺が悩んでいると、魚を焼き始めて手の空いた管理人がこちらに来た。


「八束さんに聞いてみたらいいんじゃないかな ?どうやったら人間の姿になれるか」

「あいつに言葉で説明させるのが無駄なのは俺が一番知ってる」

「そ、そうなの ?うーん、じゃあ……妖力を空にしてみる、とか ?」

「は ?」


突然何を言い出すんだこいつは。妖力を空にする ?


「いや、大江くんが人間の姿になっていた時って昼間で、夕方ほど妖力がなかったんでしょ ?夜になって妖力を取り戻したから元の姿に戻れたんだよね ?なら、もう一度妖力を空にすれば、人間の姿になれるんじゃないかと思ったんだけど……」


管理人が説明を加える。なるほど、理屈は通っている。

だが、八束曰く俺の妖力は並の妖怪の倍以上らしい。自分でもその底を知らないのに空にするなんてできるんだろうか。


「……まあ、試す価値はありそうだな」


体内にある妖力を一箇所に集め、外に出す感じでやればできるだろうか。

戦闘の時はあまり妖力や妖術に頼っていなかったから上手くいくか分からんが。


「管理人、離れてろ。人間にどんな影響があるか分からん」

「はーい」


俺に言われた管理人は素直に俺から距離を取った。


俺は部屋の中心に立ち、深呼吸をする。自分の中にある力を一箇所に集める感じ……。想像して呼吸を整えると、だんだん周りの空気が変わるのを感じた。


「──はっ !!」


自分の手の中に力を集め、天に放り投げた。

すると、自分の身体と服装がみるみると変わっていった。頭に生えた角は引っ込み、服装は学校指定の制服らしい変な格好に変わる。

脱力感とともに、自分が人間の姿に変わったことに達成感を感じた。


「おおー…… !」

「ふう……変われたのか」


管理人が歓声を上げたのが聞こえる。何とかなったらしい。


「助かったぞ管理人、礼を言う」

「ううん、無事でよかったよ。……あ、そろそろお魚焼ける……」


管理人はほっとした後、台所に戻った。

さて、俺も心置きなくゲームを再開して……。


ゴロゴロゴロゴロ……。


「……ん ?」


急に外が暗くなってきた。

いや、冬の夜だから元々明るくはなかったが、晴れていたのが急に曇り空になった、という感じの暗さだ。しかも、今雷のような音が聞こえた気がする。


「……おい管理人、今夜は雷なのか」

「ええ ?そんなこと天気予報では言ってなかったと思うけど――」


ピシャ !!!

ゴロゴロゴロゴロ !!!


俺が管理人に聞いた次の瞬間、轟くような雷鳴と共に窓の外が光った。

数秒後、ものすごい音を立てて雨が降ってきた。土砂降りだ。


そして、部屋の電気が全て消えた。


「…………」

「…………」


昔血気盛んな妖怪の集団に勝負を仕掛けられた時、妖力を一気に放った後にその辺一体が嵐になったことを今更のように思い出した。


「お魚が……雷すぐそこに落ちたよね……確認しないと……」

「ゲーム……充電器に刺してたんだが……」


管理人と俺は、それぞれ別の意味で絶望した。



管理人が土砂降りの中、外に出て調べた結果、この雷雨は四辻荘とその周辺でしか降っていない局地的なもので、雷は外の倉庫に落ちたようだった。中に入ると雨漏りしていたことから、屋根に穴が空いたらしい。いつ新しい住人が来てもいいように、ほとんどのものを出して空き部屋にしまっていたことは不幸中の幸いだった。

俺のゲームは本当に幸いなことに無事だったが、電源が落ちてしまった。また*ララアジャラ討伐をやり直さなければならないことに俺は少しだけ落ち込んだ。


「……すまない」

「いいよ……今度はちゃんと八束さんに教えて貰ってね……」


あまりの衝撃に、俺たちは言葉少なく、スマートフォンの画面の光を明かりに夕食をとった。

管理人は雨足が弱まったうちに帰っていった。俺は衝撃のあまり、隣の寝室に戻れずにしばらく部屋の中で呆然としていた。

翌朝、寝落ちた俺に八束が声をかけてきた頃には雨はすっかり上がり、電気も戻っていた。



「はっはっは、そりゃあ災難だったなあ !」

「笑い事じゃない、本当に大変だったのにどうして帰って来なかったんだ」

「ごめんって、連絡しただろ ?事務所で作業しなきゃならなくて泊まり込むって」


八束は俺から一連の出来事を聞いて笑いながら、濡れた頭をタオルで拭いていた。

ここは一〇二号室、俺と八束の部屋だ。俺は風呂に入って寝る以外は大体隣の共有部屋でゲームをしているが。八束は帰ってきて俺を起こした後、風呂場で体を洗ってきていた。

さっき管理人がやって来て朝食を作ると言っていた。八束の準備が整い次第、一〇一号室に行こう。


「今日伊吹と一緒に学校行くって言ったら一日休みを貰えたから、面談とやらが終わったら倉庫の屋根の修理しないとなあ。伊吹、俺がいなくなった後また問題起こすんじゃないぞ ?そんなに頻繁についていけないからな ?」


八束は着替えながら俺に声をかけてくる。今日はいつもの作業着と違う服装だ。学校で担任が着ていた服と似ている。


「俺の事をなんだと思ってるんだお前は。あれは事故だったんだ、今後は力の扱いも気をつける」

「そうしてくれ、人間とは絶対に揉め事になるなよな ?」

「俺の方から関わらなければ問題ないだろ」

「そういう問題でもないと思うんだが……まあいいや。そろそろ行こうぜ ?」


八束は服装を整え、部屋を出ようとする。俺は学校指定の鞄を持ち、後に続いた。



俺が担任に呼び出される時間は管理人が学校に行く時間よりも一刻遅かったため、管理人は先に家を出た。俺と八束は指定された時間に間に合うように、学校に着いた。

門を通り、建物に入ろうとすると見覚えのある痩せた男が出入口で立っていた。


「二度と来ないと去り際に言っていたが来たんだな」


そいつは無気力そうな表情で俺を見て言ってくる。


「お前が呼び出したんだろうが」

「こら、伊吹言葉遣い !」

「大丈夫ですよ、今後しっかり教えていきますので。さあ、こちらです」


俺の言葉遣いについて気にしていないことを示しつつ、俺の担任である痩せた男は建物の中に俺たちを通した。

この時代に飛ばされた日に、数人の人間に囲まれた場所で面談は行われた。話はほとんど八束と担任の間でなされていたため、内容はほとんど覚えていない。話の最後に、この後昼休みに教室に入って五時間目から授業に参加するように言われ、その日に必要な科目の教科書を渡された。


「……では、これで面談は終了です。お忙しい中お越しいただきありがとうございました」


担任は無表情のまま立ち上がった。


「こちらこそ。伊吹のこと、よろしくお願いします」


八束はすっかり保護者面で頭を下げている。俺はどこまで子ども扱いされているんだ。

俺も頭を下げさせられ、部屋を出ようとすると、


「あ、最後に。大江」


背後から担任が声をかけてきた。

振り返って見ると、担任は少しだけ口角を上げてこう聞いてきた。


「課題のプリントには満足したか ?」


どういう意味だ。あの課題は各教科の担任から管理人に渡されたものじゃなかったのか。管理人曰く、卯月から今日までの学習内容が満遍なく全て入っている、とのことだったが。最初こそ言語の違いで何を問われているのかも分からなかったが、管理人に教えられてからはどんどん解けるようになりあっという間に終わってしまった。


「……別に。解答が一つしかない量が多いだけの問題だ……としか思わなかった」


だから、俺はこう答えた。

俺の返答を聞いた担任は、また元の無表情に戻った。


「そうか。なら次からは応用問題を中心に解くようにするんだな」


担任はそう言って、再び八束に向かい礼をした。

俺と八束は疑問に思ったまま、部屋を出た。


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生徒とその保護者が出て行った。一人だけになった応接室で、俺はネクタイを緩めてソファーに座った。


「はぁ……やはり面倒だな、他人と関わるというのは。嫌でも余計な雑音が耳に入ってくる」


頭に響く雑音の余韻にうんざりしつつ、俺は先程まで話していた生徒のことを考えた。


約一週間前、死んだ俺は人間の学校の国語教師になって未来に飛ばされた。

それ自体は別にどうとも思わなかった。周囲の他の教師の思考を読み取って状況を把握し、人間社会に溶け込んだ。

数十分後、俺の担当するクラスの生徒が他の教師の腕を折ったと知らされた。その生徒は俺と同じ妖怪、酒呑童子だった。


そう、俺は妖怪……覚妖怪だ。


他者の考えや記憶を読み取り、言い当てる妖怪。正確に他人の考えを読み取るには妖力を使う必要があるが、使わなくても雑音のような周囲の心の声が常に頭に流れてくる。その能力のせいで、害を成すつもりなどなかった俺は人間からも妖怪からも忌み嫌われた。だから能力を使うことを避けていた。


だが、その酒呑童子からは、澄んだ心の声が聞こえてきた。能力を使わなくてもはっきりと聞き取れる、本心が。


「人間なんて大嫌いだ」

「一刻も早くこの地獄から抜け出したい」


興味を持った俺は、二人だけになった時そいつの記憶を読み取った。

酒呑童子はこの時代に飛ばされる前、武士の集団に騙し討ちにされた。その前に契約を結んでいた人間からも裏切られていたと分かり、人間を心の底から嫌うようになっていた。

何故酒呑童子の心の声が鮮明に聞こえるのか、何故俺が酒呑童子に興味を持ったのか、理由は分からない。だが、気づいたら酒呑童子のために謹慎中の課題を各教科の教師に頼んで作ってもらい、家の近い女子生徒に持たせていた。

元々この三者面談自体、学校から言われていた日付ぎりぎりまで先延ばしにしていた。だから、こちらから日付を指定した。俺が面倒というのが第一の理由だったが、こうしてまた酒呑童子の心を読み取れたという点では価値ある面談だった。

しかも、まさか保護者として土蜘蛛を連れてくるとは思わなかった。親戚と言っていたが覚の俺には嘘は通用しない。案の定、土蜘蛛の心の声は能力を使わなければただの雑音だったが。あの澄んだ心の声は、酒呑童子からしか聞こえないらしい。


「俺は何を期待してるんだか……あの酒呑童子に。うちのクラスの問題を、あいつが解決できるわけでもあるまいに」


俺は呟きつつ、窓の外を見つめた。

そろそろ通常業務に戻らなくては。六時間目はあいつのクラスで授業があったな、その時にでもまた思考を読ませてもらうか。


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面談を終えた後、俺は八束を門の近くまで送っていた。


「じゃあ俺は先に帰るわ、学校頑張れよ、伊吹」

「ああ」

「……再三言うが、人間と喧嘩になったりするなよ ?」

「分かってる。俺の学級には管理人もいるんだ、問題を起こして下宿を追い出されたらたまらん。俺の心配はいいからとっとと行け」


俺が手で追い払うと、八束はちょっと困ったような笑顔で笑いながら学校の外へ出て行った。

八束の後ろ姿が見えなくなった所で、鐘が鳴る。四時間目の終わりと昼休みの開始を告げる鐘だ。この前管理人に見せられた時間割に書かれた時間と、建物の外壁に設置された時計が指す時刻から推測した。担任は昼休みから教室に入れと言っていた。腹が減ったしそこで昼食をとろう。

俺は行こうとして、出そうとした足を止めた。


「……教室はどこだ」


「全くあの教師、どうして教室の場所は教えてくれなかったんだ……管理人が通りかかってなかったらたどり着けなかったぞ」

「あ、あはは……良かった、心配になって廊下に出たらうろうろしてる大江くん見つけられて」


俺が文句を言いながら廊下を歩く横で、管理人が歩いている。


「藤田先生は面談でなんて言ってたの ?」

「知らん、覚えてない。……あ、いや。最後に課題はどうだったと聞かれたな」

「なんて答えたの ?」

「簡単な問題ばかりだったと言っておいた」

「大江くん頭いいもんね。私がちょっと説明したらすぐ理解してたし……」


管理人は俺に課題の一部を教えていた時のことを思い出しながら言った。妖怪は人間の数倍知能が高いんだから当たり前だろう。というか数学に関しては管理人が無理解すぎるだけな気もするが。

まあ、人間にも得意不得意があるということなんだろう。歴史の教え方は悪くなかった。


「あ、着いた。ここが私たちの教室、1年1組だよ。明日からは一緒に学校行く ?」

「建物の構造を覚えるまではそうする。お前は下宿を出る時間が早すぎる、わざわざ始業時間より早く行く意味が分からん」

「早めに来れば自習とかできるから便利なんだよ、日直の時はもっと早いし」


管理人はそう言いながら、引き戸を開いた。

教室の中では、数十人の人間の子どもが昼食を食べたり、じゃれ合ったりしていた。管理人と俺が入ってくるのに気づき、一瞬静かになり、ざわめきがあちらこちらから起こる。


「……」


管理人は少し気まずそうに自分の席に戻った。

俺は、この時代に飛ばされた当時座っていた席を思い出して見つけ、座った。近くで男子が騒いでいたから、どけとだけ言ったらそいつらは何か言いたそうな顔で離れていった。

腹が減った。管理人が作った弁当を食べるか。俺は鞄から弁当箱を取り出して開いた。

箱の半分に白米が、もう半分に腸詰めと卵焼き、ほうれん草の和え物が入っている。腹を満たす、という食事の目的を考慮すると量は正直足りないくらいだが、作ってもらっているのだから文句は言わない。


「いただきます」


周囲に聞こえない程度の音量で言って手を合わせた。

白米をひと口食べる。続いて卵焼きをひと口頬張る。美味い。

最近料理の味がより良くなってきた。人間経験を積めば上達するものらしい。小っ恥ずかしいから本人には言わんが。管理人を褒める役は八束だけで十分だ。


何だか周囲の囁きがうっとおしい。

食べるのに集中できないじゃないか、と言おうとしたが、八束から何回も人間と揉め事を起こすなと言われたのを思い出し、ぐっと我慢する。


「あいつ、前に関根の腕折ったやつだよな ?」

「退学になってなかったんだ、なんで今更来たんだろうな ?」

「俺、藤田とあいつと保護者っぽい男が廊下歩いてるの見た」

「俺も俺も」

「保護者っぽいお兄さん、イケメンだったなあ。彼も結構顔整ってるけど、似てはなかったよね」

「ねー。 大江はなんか……きつそうだけど、お兄さんは優しそうだったよねー」


俺に聞こえないように言っているんだろうが、生憎俺は耳もそこらの人間より良かった。丸聞こえである。女子が八束のことを話しているのを聞いて、そう言えばたまに人間の女に噂されていたなとぼんやり思い出した。

大勢の生徒が俺を見て色々言っている遠く離れた所で、管理人が一人で昼食を食べているのが見えた。他の女子は大抵何人かが固まっているが、管理人はそいつらとは距離を置いているように見える。


……いや、違う。管理人が距離を置いているんじゃない。

女子どもが管理人を遠ざけているんだ、と聞こえてきた小声の会話で気づいた。


「あいつ、あの男子と一緒にいたよねー。親しそうに話してた」

「昭和女子のくせに生意気」

「普段ぼーっとしてて何考えてるかわかんないのにイケメンと見れば色目使ってさ」

「私たちが誘っても全然来なかったのにねー」


……ああ、なるほど。浮いているのか、あいつは。


人間は自分とは違う奴を避け、忌み嫌う生き物だ。昔は俺たち妖怪がその対象だったが、今は人間同士でそれを行っているらしい。

確かに管理人は何を考えているか読めない顔つきをしているし、数十年前の娯楽や文化の方が詳しい時がある。そういうやつは、格好の的なんだろう。

人間というのはこれだから理解できない。他種族ならともかく、同種族同士でこんな下らないことをやっているのだから。管理人本人は気にしているそぶりを見せていないし、あの女子どもと揉めることになりたくないし、俺は無関心を決め込むことにした。


五時間目は歴史の授業だった。初老の男性教師がゆっくりと教室に入ってきた数秒後に、ぞろぞろと生徒どもが自分の席につく。


「起立、気をつけ、礼」


誰かがそう言うとともに、生徒どもは礼を……したのは管理人と他数人くらいだった。他は礼をするふりをしてもう座っている。

一応、俺も礼をしてから座る。他の生徒達が教科書を取り出したので、俺は歴史の教科書を鞄から探して机に置いた。


「え〜、では前回の続きから。武士の世の始まり、というページを開いて下さい……」


初老の教師がそう言ったので、言われた教科書の頁を開いた。

俺が生きていた時代の数十年後の話だ。謹慎中の課題でも出ていたし教科書は一通り読んだのでそれなりに分かる。


そして、講義が始まった。


ほとんどの者は白紙の別の本を取り出して何か書き込んでいる。板書や教師の説明を記録しているらしい。人間は記録しておかなければ聞いたことを覚えておけないやつが多いからな、と一人で納得する。教師の講義はほぼ全て教科書に書いてあることで、時折学習内容から外れた歴史の話になる。

興味をひかれる話には耳を傾けておく。


しばらく講義をぼんやり聞いていると、後ろから肩を叩かれた。

無言で振り返ると、男子が机に突っ伏している。寝た振りか。

机の上には、折り畳まれた紙が置いてある。

これを読め、ということか?

俺は疑問に思いつつ、机の下でその紙を開いた。


『関根の腕折った英雄サマはぶっきらぼう

俺、どけって睨まれたんだけどw

怖かったよなあ、目付きが鋭いのなんのって

鬼に睨まれたような気がしたわー

鬼といえば、この前あいつ自分のこと酒呑童子がどうとかーって言ってなかったっけ ?

マジかよww中二病にしては早すぎじゃねw

安夏ちゃん、俺らが回してるのに全然気づかないでやんのw

地歴なんてばっくれ安定ですわー

昭和女子に色目使われててむかつく

ちょっと顔いいくらいで調子に乗らないでよね

…………』


よく分からない言葉の羅列が、あちらこちらに書いてあった。

よく周りを見回してみると、記録を取っていたと思っていた生徒どもの大半は、俺が持っているような紙切れを回していた。

初老教師の講義を聞いているやつは、管理人以外誰もいない。紙切れを回していない奴は、居眠りしている。


ここは、人間の子どもが勉強をする所ではなかったのか。ちっとも勉強なんてせず、こんな下らない紙切れを回しているだけじゃないか。

初老教師は恐らく気づいているな。見て見ぬふりして講義を進めている。それはそれで何だか気に食わない。


だんっ!!!


俺は机を拳で叩いた。木製の机にひびが入る。


紙切れを回していた生徒ども、居眠りしていた生徒たち、講義を聞いて記録を取っていた管理人、そして話をしていた初老教師が一斉に俺の方を向く。


「……さっきからこんな紙切れにばかり自分の本音を言っていてうっとおしい。俺に言いたいことがあるなら直接言ったらどうなんだお前ら」


俺はそいつらに向かってはっきり言ってやった。


「昼休みの時間にひそひそ言っているのも丸聞こえだ。俺だって好きでここに来てるわけじゃない。お前ら人間なんて大嫌いだし勉強だってある程度は分かる。居眠りしてる奴はここで寝てないで家で寝たらどうなんだ。学校に来てる意味なんてないんじゃないのか ?」

「あの……大江、くん ?」


俺が話しているのを見て初老教師が恐る恐るといったふうに話しかけてきた。


「教師も教師だ、大人ならこんな紙切れが出回ってるのを見て見ぬふりしてないで注意しろ。そういう役だろう、教師というやつは。これ以上こんな下らないことを続けるなら俺は出て行ってやる」


俺は教師にもはっきり言った。

八束から敬語を使うように何度か言われていたが、俺の方がこの場にいる誰よりも年上なんだから別にいいだろう。


「……はっ、そ、そうですね。大江くん、座ってください。君たち、授業中に手紙を回すのは止めなさい。初めに書いたのは誰ですか、早く手を挙げなさい」


初老教師は俺に言われてようやく自覚したのか、俺を座らせ犯人探しを始めた。

数秒後に一人の女子が手を挙げた。管理人に悪口を言っていた女子どもの中心にいた奴だった。

それからの講義は、粛々と執り行われた。


休み時間になってから、安夏と呼ばれていた初老教師が俺を教卓に呼びつけた。


「ありがとうございました、大江くん。このクラスの授業中の手紙回しは職員室で問題になっていたんですよ。関根先生の時はとんだ生徒がいたものだと思いましたが……藤田先生にもよく報告しておきますね」


初老教師は深々と俺に頭を下げてきた。名目上俺は生徒なんだからそこまで謙る必要はない気がする。


「別に。あいつらがうっとおしかっただけだ」

「でも言葉遣いは直しましょうね ?それも藤田先生に言っておきますから」

「……ふん」


どうして年上には敬語を使う、なんて文化がこの国にはあるんだろう。妖怪には年齢なんて関係なかったのに。

十分の休み時間が終わり、藤田と呼ばれていた担任が教室に入ってきた。


「お前ら席つけー。……ん ?大江、そのヒビが入った机はどうしたんだ?」


藤田が俺が割った机に気づき、声をかけてきた。


「……別に」

「周りの生徒が手紙回したり居眠りしたり、先生がそれに見て見ぬふりしていたのが気に食わなくて叩いたのか ?」

「なっ…… !?」


何故わかったんだ。あの初老教師から短時間で話を聞いたのか ?なんて情報の早い。


「まあ別に構わんが、壊したら弁償だからな。机一台、6000円はしたか ?」

「はぁ !?そんな大金持ってるわけないだろう !」

「当たり前だ、保護者に払って貰うんだから大事に使えよ ?」

「……ちっ」


俺は舌打ちをしてそっぽを向いた。


「起立、気をつけ、礼」


また、管理人と他数人しか礼はしなかった。言っても分からない奴らなんだろうと思い、俺は礼をしてから座る。

六時間目の国語の授業では、紙切れが回ってくることはなかった。あのやたらと勘の鋭い藤田の前ではできなかったんだろう。俺も二度目を言うつもりはなかったが。これ以上机を叩いたら本当に弁償することになりかねん。



「びっくりしたよ」

「急になんだ」


帰り道、買い物に付き合って欲しいと頼まれた俺は管理人と大通りを歩いていた。

車の通りが多い道路の右端を、二人で歩く。その道中で突然、管理人が吃驚したと言い出した。


「五時間目のとき。机叩いて、手紙回してたみんなに怒鳴ったでしょ ?」

「あれは学ぶべき場所であんなものを回してた奴らが気に食わなかっただけだ」

「私だったら絶対無理。五月からあんな状態だったんだけど……今日はいつもよりずっと集中して授業受けれたよ」


管理人はそう言いながら笑っている。気づいていたなら注意すれば良かったじゃないか、と言おうとしたが、学級で浮いているこいつがさらに悪く言われるだけだと察知して言葉を飲み込んだ。


「それから……」

「…… ?」

「……ありがとう。ちょっとすっきりした」


管理人は俺の顔をまっすぐと見て、礼を言ってきた。いつも何を考えているか分からない顔をしているが、今は心から感謝していると分かる表情だ。


「……何のことだ」


俺は少し恥ずかしくなって俯いた。

俺は別に何もやっていない、管理人の悪口を言っていた主犯が懲らしめられたのに関しては自業自得だ。


「分からないならいいの。それより近ごろ寒くなってきたから、今夜はお鍋にしようと思うんだ。大江くんと八束さんはどんなお鍋が好き ?」


管理人は笑いながら話を逸らした。俺もこれ以上この話を続ける気はないので、鍋の具のことを考える。


「八束は美味ければなんでもよく食べる。俺は水炊きが好きだ」

「じゃあ今夜は水炊き鍋だね。好きな具材はある ?」

「湯豆腐。あと締めはうどんだ、これだけは譲らん」

「湯豆腐かあ、作るの初めてだ。大江くんのスマホでレシピ調べてもいい ?」

「好きにしろ」


俺と管理人は話しながら、帰り道の途中にある食べ物屋に向かった。


最初この時代に飛ばされた時はどうしようと思ったが、管理人に住居と食事を与えられ、学校の勉強を助けられて悪い居心地ではなくなってしまった。倉庫から使い古されたゲームを見つけてからは、むしろ住み心地が良くなっているのを感じる。

元の時代に帰ることを完全に諦めたわけではないが、今の時代も悪くはないな、と思った。


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現世妖怪異譚

第一幕『妖集』 閉幕

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