第7話 雪女

今年も冬がやってきた。

雪女の私には、こんな吹雪の夜に山中を歩くのは苦にもならないけれど、人間たちは冬を越すための準備を終え、家で暖を取っているみたい。


「〜♪」


私は鼻歌を歌いながら、ある所へと向かっていた。


雪女は冬にしか現れない。

そう人間の間で伝わっているのには理由がある。

私たち雪女の一族は、春から秋にかけては冷気の漂う洞窟で過ごしている。

雪女は雪から生まれるか、雪山で死んだ人間が生まれ変わって現れる存在だ。暑い所にいると溶けてしまう。

冬になると、雪山で出歩くことができるのだ。

他の雪女のみんなは素敵な殿方とのひと冬限りの恋を心待ちにしているみたいだけれど、私は違った。


吹雪の中山を降り、ふもとにある小さな家の前に立つ。

引き戸の向こうでは明かりがついている。今年もいるみたい。

私は北風を起こし、引き戸を鳴らした。

しばらくして、ゆっくりと引き戸が開く。


「おお、ゆき。今年も来てくれたんだね」


中から、小柄な老いた男性が笑顔で出てきた。


「うん、ただいま。おじいさん」


私はおじいさんに笑顔を返した。


私が冬になる度にこの家に通うようになってから、もう十年が経とうとしている。

ちょうどこんな吹雪の夜、行き倒れていたおじいさんを見つけて、家まで送ってあげたのがきっかけだった。

家ではおばあさんが待っていた。おじいさんと共に家にやってきた私を見て、おばあさんは驚くと共に喜んだのだ。


「ゆき…… ?お前は、ゆきかえ ?」


ゆき、とはおじいさんとおばあさんの孫の名前だと後でおじいさんから聞いた。

おじいさんとおばあさんの息子である男性は、生まれたばかりの赤子を妻と共に見せたきり、一度も帰っていないそうだ。

おばあさんは数年前から病にかかっていて、時々人を見間違えることから、私のことを成長した孫娘と勘違いしたらしい。

訂正しようとしたらおじいさんから頼まれた。


「助けてくれてありがとう。このご恩は忘れない。お前さんがどなたかは存じ上げんが、外はこの吹雪じゃ。どうかこの一晩だけ、わしらの孫として泊まっていってはくれないかの」


ひと冬限りの外出で、特にやることもなかったので私は了承した。

囲炉裏のある居間に通され、火に当たりすぎないように気をつけながらお夕飯をいただいた。

おばあさんの作るお味噌汁はとても美味しかった。

彼らは私の正体に気づいていなかったし、私も彼らが話す以外に、お孫さんのことは深く聞かなかった。

夜が明けてから、私は二人が寝静まっているうちに家を後にしようとした。

すると、おばあさんが物音に気づいたのか起きてきた。


「ああ、ゆきや。わしを置いていかないでおくれ。太郎やお花のように。どうかわしらの傍にいておくれ」


おばあさんは私の手を握って頼み込んだ。

私は雪女だ、触れたら最悪凍りついてしまう。

そう思って離れようとしたけれど、何故かおばあさんは手が赤くなるのもいとわず、私の手を離さなかった。

そうして、私はその冬の間中、おじいさんとおばあさんの家に身を寄せることになった。


だけど、雪女は冬が終わる前に洞窟に戻らなくてはいけない。

おじいさんとおばあさんに、父と母が心配しているだろうからそろそろ帰ると伝えると、おばあさんは残念そうな顔をしていたけれど、おじいさんは納得したように頷いた。


「冬の間だけでもわしらと共に居てくれてありがとう。もしわしらのことを覚えていたら、また次の冬も来ておくれ。いつでも待っているからの」


おじいさんは私の手を握り、笑顔で言った。

この時の私は、その小さな手をぎゅっと握り返した。


「ありがとう、おじいさん。二人のことは忘れません」


私は少し目を潤ませながらそう答え、お世話になった家を後にした。


洞窟に帰ってから、他の雪女たちはその年に出会った殿方との思い出をうっとりとしながら語り合っていた。

そんな中で、山のふもとでひっそりと暮らす老夫婦と冬を過ごした私はかなりの変わり者扱いを受けてしまった。

だけど構わなかった。

おじいさんとおばあさんの温かい心に触れられた私は、他のどの雪女よりも幸せ者だろうと信じた。


それからも毎年、「冬にだけ帰ってくる孫娘のゆき」として、私は老夫婦の家に通い続けている。

近頃はおばあさんの病気が悪化して、食事は私が作るようになっていた。体調が良いときおばあさんは起きてきて、私に料理を教えてくれる。

最初、火を使う料理は雪女にはちょっとした苦行だったけれど、最近はかなり慣れてきた。

今夜はおばあさん直伝のお鍋を、三人で囲む。


「美味いな。料理が上手になったのう、ゆき」

「ありがとう、おじいさん」


おじいさんが料理の味を褒めてくれて、私は嬉しくなった。

おばあさんは無言で鍋を食べている。最近は話すこと自体かなり少なくなってしまったけれど、ゆっくり味わっている様子だ。気に入ってくれているといいな。


数十分後、会話をしながら食べる夕食が終わった。

私はおばあさんの近くに行き、食器を片付けてあげようとした。


すると、おばあさんは私に向かって器を投げてきた。

がしゃん、と木製の器が落ちる音がする。


「……誰じゃ ?お前さんは。うちに泥棒にでも来たのかえ ?」


おばあさんは時折、私を訝しむような目で見るようになった。もう孫娘の顔もはっきりと覚えていないらしい。

私はおじいさんに頼まれて孫娘の振りをしているだけだから、本来はこの反応が当然なのだけれど。


「ばあさん、落ち着きなさいな。わしらの可愛い孫のゆきが食器を片付けようとしただけじゃ。少し向こうで休もう。……すまんのゆき、後片付けを任せていいかね」


おじいさんはその様子を見て、すぐにおばあさんの傍に寄り添った。ゆっくりと立たせ、寝室へ向かう。


「は、はい……」


私はその様子を茫然と見ていた。


食器洗いをしながら考える。

身体から発する冷気を上手く扱わないと、蛇口から出る水も凍らせてしまうから、気を遣いながら。

幼い頃から、人間に深く関わりすぎてはいけないと一族で教えられてきた。

雪女は人間にとって冬だけの存在、情を持ちすぎるとお互いに辛くなってしまうから。

最近、その言葉の意味が重くのしかかってくるような感覚をしょっちゅう覚える。

おじいさんとおばあさんとは、血を分けた家族ではない。

だけど、一度でも私のことを家族として受け入れてくれた人が、私のことを忘れてしまうのは、どこか寂しい。

おばあさんもおじいさんももう長くない。

この家に通うのは、今年の冬で最後にしようかな。

私はそう思いながら、片付けを終え、眠りについた。


翌日、私はおじいさんに頼まれて、近くの村まで買い出しに行ってきた。

年越しに向けて、色々なものが安くなる歳末市が開かれていて、たくさんの人で混み合っていた。

頼まれたものを全て買い終え、村を出る頃には夕方になっていた。

私が帰ると、家の外で呆然としたおじいさんが立ちすくんでいた。

郵便受けを確認しに目を離した一瞬の間に、おばあさんがいなくなってしまったのだ。


私は買ったものをおじいさんに預け、付近の山を探しに行った。

そこまで遠くには行けないはず、道に迷って、崖下にでも落ちていたらすぐに助けないと。

私が山に入ったのが理由か、その年の寒い気候の影響か。

途中で吹雪になったが、私は必死で山の隅々を探した。


山の奥深く、上からは底の見えない谷底で、頭から血を流して倒れているおばあさんを見つけたのは数時間後のことだった。


おばあさんの亡骸を清めて崖の近くに埋めた後、夜半を過ぎた頃に私は家に戻った。

おじいさんは私まで行方不明になったのではないかと心配していたらしく、私が帰ってきたことに安堵していた。

おばあさんはいなかったと伝えた。見つけられなくてごめんなさい、と。

おばあさんが亡くなったことを知ったら、おじいさんは独りになってしまうから。

おじいさんは首を振って言った。


「ゆきが帰ってきてくれただけでもわしは満足じゃよ。無事でよかった」


おじいさんは冷え切った私の身体をしっかりと抱きしめた。

ああ、なんて温かいんだろう。

このままでいたら、溶けてしまいそうだ。

私は軽くおじいさんを抱き返した後でゆっくりと離れた。



その夜から、おじいさんも体調を崩して床に伏せるようになってしまった。

元々医師から寿命が近いと言われていたが、おばあさんのことがあって心労がかかってしまったに違いない。

私は家にこもり、おじいさんの看病をした。



数ヶ月後、冬が終わるころ。

妖怪として、見た目よりは長く生きている私は、おじいさんが残り数分の命だと悟った。

病床に座っていると、おじいさんがか細い声で話し始めた。


「ゆき……わしは、もう長くないじゃろう」

「……」

「黙っていなくてもいい、分かるんじゃろう ?お前さんには。初めて会った時から、人じゃないことは何となく分かっていた」

「…… !」


私はその言葉を聞いて、顔を上げた。

気づいていたのか、私が妖怪だということに。


「お前さんは本当に、孫のゆきによく似ている。ばあさんが見間違えるのも無理はないくらいじゃ。ばあさんが嬉しそうにしているのを見て、無理を頼んですまなかったの……」

「いえ……いえ !私こそ、二人に出会えて本当に幸せだった…… !」


私は、震えながらゆっくり上がったおじいさんの手を握った。

数ヶ月前に比べて、その手はかなり細く、冷たい。


「温かいな、お前さんの手は……。のう、最後に、お前さんの本当の名前を、教えてくれんか ?」


温かい、なんて嘘だ。

私は雪女だ。触れた物全て凍らせてしまう、妖怪なんだ。

私は、涙を零しながら言った。


「私たちには、固有の名前はないんです……皆等しく、『雪女』だから……。『ゆき』という名前をくれたのも、二人が初めてだった……本当に、本当にありがとうございます…… !」

「……ほっほ、そうかそうか……。ゆき、わしらに最後に夢を見させてくれてありがとう。ばあさんが向こうで待ってるんじゃ、そろそろ、行かなくては……」


優しく笑うおじいさんの目がゆっくりと閉じ、私の握っていた手から、力が抜けた。

私は泣きながら、眠るおじいさんに縋り着いた。



近くの村でおじいさんを埋葬してもらい、家は息子の男性が売り払った。

雪女が帰らなければならない日は、もうとっくに過ぎていた。

雪が溶け始めた山の中、暖かい空気の中で、私はゆっくりと歩いていた。

だんだん、手や足がなくなっていく感覚を覚える。

この雪とともに、私は溶けてなくなるのだろう。


それでいい、それがいい。


おじいさんは私に、最後に夢を見せてくれたと言っていたけれど、

私はおじいさんとおばあさんから、温かい心を受け取った。

私は間違いなく、この世界の雪女で一番幸せ者だった。

もし生まれ変われるならば、今度はおじいさんとおばあさんの、本当の孫に生まれたい。

冬だけじゃない、春も、夏も、秋も、三人で幸せに過ごしたいな……。



弥生の月、よく晴れた朝。

雪とともに、一人の女が、溶けて消えた。


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西暦2018年の冬、人の少なくなったタ*ーズの店内。

私は自分が転生するまでにあったことを、同じく現代に飛ばされた妖怪……九尾の狐に話していた。


転生した後の私は、大学という所に通う学生になっていた。

昼間は勉強をし、放課後は週に何度かこのコーヒー店で働いている。

最初はかなり戸惑ったけれど、同じ教室で学ぶ他の学生やバイト先の先輩店員さんが助けてくれて、最近やっと現代の生活に慣れてきた所だった。


そんなある日、つまり今日。

店の中に、外国人かと見間違えるほど美しい金髪の女性が、客としてやって来た。

見た目は完全に人間だったから最初気づかなかったけれど、トイレの清掃に入った時、彼女は頭に狐の耳が生え、お尻には九本の尻尾が生えた姿に変わっていたのだ。

はち合わせて数秒間、私は驚いて呆然としていた。

まさか私以外にも、この時代に飛ばされてきた妖怪がいるとは思っていなかったのだ。


だけど、勇気を出して話しかけた。自分の正体も明かした。

すると九尾の狐は心底驚いたという表情になった後、人間の姿に化けて追加注文をしに行った。

それだけじゃない、私を指しながら他の店員さんに何か話している。

どうしたんだろう、とその様子を見ていたら、九尾の狐はコーヒーを両手に私をテーブル席へ連れ込んだ。


「これ、飲んで。さっき他の店員に、知り合いだから休みをあげるように言ってきたから」


彼女はそう言って席につき、私に片方のコーヒーを渡してきた。

座れ、という意味らしい。


「は、はい…… ?失礼します……」


私は恐る恐るコーヒーを受け取り、九尾の狐の正面に座った。


「はー、まさか私以外にも現代に飛ばされた妖怪がいるとは思わなかったわ……びっくりした」


九尾の狐は、さっき私が考えたことと全く同じことを言いながらコーヒーをすすっている。


「わ、私もです……」


私も適当に返しながら、ミルクと角砂糖を加えたコーヒーを飲む。

相手はあの名高い三大妖怪の一人、白面金毛九尾の狐だ。どうしても緊張してしまう。


「そんな堅苦しくしなくていいわよ、今の私はただのヲタクOLだもの。気軽に『尾咲』と呼んでちょうだい。私も『銀花』って呼んでいいかしら?」


九尾の狐……尾咲さんは笑いながら言った。


「はい……よろしくお願いします、尾咲さん」


「よろしくね、銀花。さて──とりあえず、近況報告でもしておきましょうか ?お互い初めて同じ立場の者に会えたわけだし。あんた、どうやってこの時代に転生したの ?」



そして、今に至る。

尾咲さんは私の話を、黙ってコーヒーを飲みながら聞いてくれた。


「そう……それは本当に気の毒だったわね。辛かったでしょう」


尾咲さんは、話し終えた私を気遣ってくれた。

初めて他の人に話したけれど、少し気持ちが楽になった。


「いえ、聴いてくれてありがとうございました」

「何かもうひと品おごらせて。お腹すいたでしょ」

「だ、大丈夫です !」

「私がおごりたいのよ、ね ?」


尾咲さんは私が止める前にお財布を持って立ち上がっている。


「……じゃあ、シフォンケーキを1つ」

「了解、すぐ買ってくるわ」


尾咲さんは私の注文を聞いて、すぐレジカウンターに向かった。

見た目は少し怖いけれど、優しい人……いや、妖怪だな。

こんな私の話を最後まで聞いて、共感してくれた。

しばらくして、尾咲さんがシフォンケーキを持って戻ってきた。


「ありがとうございます !……尾咲さんは、どうしてこの時代に ?」


私はそれを受け取って、今度は尾咲さんに尋ねた。


「私 ?銀花と比べたら大したことじゃないわよ。陰陽師に正体ばらされて、人間どもと戦って負けて死んだわ」

「た、大したことありますよ !そんな、尾咲さんほどの大妖怪がどうして……」


尾咲さんはさらっと自分の転生前に起きたことを言ってのけた。九尾の狐の尾咲さんが人間に退治されるとは、当時の人間たちはそれだけ武力に長けていたのだろうか。


「そう言うけどね、私たち人間をなめすぎてたわ。大嶽丸や酒呑童子が討たれた理由が今ではよく分かる」

「そんな……他の三大妖怪まで !?」

「ま、今の人間も今の人間で、科学を信頼しきってて私たちの存在すら信じてないって意味じゃある意味強敵だけどね」

「確かに……」


私たちは話しながら、一緒にコーヒーを飲んだ。

温かいコーヒーはすぐになくなってしまう。


「ありがとね、話が聞けてよかった。今日はもう夜遅いから帰るけど……私、この近くで働いてるし、またここに来てもいいわよね ?」


尾咲さんは、私がシフォンケーキを食べ終えた頃合いを見て立ち上がった。


「もちろんです !こちらこそありがとうございました !」

「連絡先、交換しておきましょうか。もし時間が合えば、ここ以外でも会いたいわ」

「はい !」


私たちは、スマートフォンの連絡先を交換した。尾咲さんはL*NEの他にも色々なSNSをやっていたけれど、私はL*NEとEメールしか使っていなかった。


「ありがとうございました !またお待ちしております !」


私は、夜の街に歩いていく尾咲さんを見送った。

バイトの時間ももうすぐ終わる。私はお客さんが出た後のテーブルを片付けた。


「嬉しそうだね銀花ちゃん。何かいい事あった ?」


同じくらいの年の先輩店員さんに、話しかけられた。


「はいっ !」


私は、笑顔でそれに応えた。

明日からの毎日は、前より楽しく過ごせる気がする。

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