第6話 九尾の狐

現世妖怪異譚

第一幕『妖集』


--------------------------------------


カタカタカタカタ、カタカタカタカタ。

キーボードを打つ音が耳に入ってくる。私自身が立てているのか、周囲で鳴っているのか区別のつかない、聴き慣れたキーボードの音。


「はぁ……」


私「伏見野 尾咲(ふしみの おさき)」はモニターを睨みつけ、キーボードを鳴らしながら、ため息をついた。

現代…二十一世紀に飛ばされてから、早いことで一ヶ月。

初めは使い方も分からなかったパソコンを使ったデスクワークにも、大分慣れてきた。

だけど、男女混合の十数人が一部屋に集まっていながら会話もせず、一心不乱にパソコンに向かうこの空間には未だに息苦しさを覚える。

昼休憩はあるが、休憩時間中でもパソコンと格闘する人間が数人いるくらいだ。


朝九時から某企業本社のこの狭い部屋に入り、

パソコンに向かい、

昼食をとり(時に社内で、時に近くのファミレスで)、

またパソコンに向かい、

夕方、もしくは夜に社屋を出る。

帰宅してからは夕食は取らず、

シャワーを浴びて眠りにつく。

翌朝起きて、軽めの朝食をとり、

朝八時には家を出る。


毎日毎日、その繰り返し。

よく現代の人間はこんな変化のない暮らしに飽きないものだと常常思う。

変化のない暮らしに耐えなければ、衣食住が成り立たないこの現代社会に、異常さを覚えることも時々ある。


先程から現代、現代と繰り返し言っているが、私は元はこの時代の人間ではない。

正確に言うと、人間でもない。

日本三大妖怪の一角、白面金毛九尾の狐と言えば、分かるだろうか。

またの名を、玉藻前とも言う。これはかつて人間に化けている時の名前だった。


私にとっての約一ヶ月前は波乱の連続だった。


時は十二世紀前期、鳥羽院に仕えていた私は彼からの寵愛を受けていた。

まあ私はそこらの人間よりは美しいし頭も良いし当然といえば当然だったけれどね。

でもしばらくして鳥羽院は病に伏せるようになった。

私の妖気に長時間当てられて体調を崩したのだろう。


ある日陰陽師…安倍秦成と言っていたかしら…がやって来て、私の仕業と見抜いた。

真言を唱えられた私は変化を解かれ、狐の姿で宮中を脱走した。

逃げた先は那須野、現在の栃木県那須郡周辺。

そこで時を同じくして女攫いが現れたらしく、私はあらぬ疑いをかけられた。

人間に妖怪が誤解されることは日常茶飯事だから、それ自体はそこまで気にならなかった。

すぐに軍勢がやってきたけれど、多くは雑魚ばかり。

得意の妖術で追い払った。

だけど、彼らの軍師には私の正体を見破った陰陽師、安倍秦成がついていた。

人間達の軍は徐々に力をつけ、私を追い込んでいった。

ある日の夜、私は那須野の領主の夢に娘の姿で現れ許しを乞うた。

だけど、彼は聞く耳を持たなかった。


翌日、人間達は最後の攻撃を仕掛けてきた。

将軍の一人が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、もう一人が刀で私を切りつけてきた。


死の間際、思い出したのは三大妖怪の他二体のことだった。

三大妖怪とは、人間の中ではある学者が論じた最も恐ろしい妖怪トップ3…のようなものらしいが、それと全く同じ三体の妖怪が、当時妖怪の間でも恐れられていたのだ。

大江山、または伊吹山の酒呑童子。

鈴鹿山の鬼神、大嶽丸。

そして私、玉藻前こと九尾の狐。


彼らは少し前に人間に討たれて死んだ。

大嶽丸は田村という将軍と鈴鹿御前という天女の力で首を落とされ、

酒呑童子は源頼光と彼の配下の四天王に騙し討ちにされた。


人間に化けていた時、平等院の宇治の宝蔵を訪れ彼らの首を見たことがあったから印象に残っていた。

あいつらのような死に様は晒すものか。美貌に頭脳、使えるものはなんでも使って生き延びてやる、と硬く誓ったのだが。

結局、人間の力で倒されてしまった。

妖怪は人間より長命で強力、だけど群れた人間たちの結束には敵わないものなのか。


ああ、もっと生きて色々なことをしたかった。

ずっと昔に中国で妲己という名で后に成り代わり、インドに渡って華陽と名を変え、また中国に戻って時の王の后となり、

長いこと人の世に紛れて生きてきたけれど、やり足りないことは沢山あった。

妖怪に来世があるのか分からないけれど、

もし生まれ変われるのなら、それなりに美人で、頭も良い、美男子から愛される女になりたい…。


今更だけれど、私は自他共に認める面食いだった。



そして、死んだと思った次の瞬間。

私は某企業社屋の一室のパソコンに向かい合っていた。

日本人に合わせていた黒髪は金髪に変わり、顔も昔とは結構変わった…気がする。自分で言うのもあれだが、現代で言うところの美人にはなれたようだ。


何が起こったかはさておき、第二の生を謳歌しようとした私に、大きな二つの難題が降り掛かってきた。


一つは、さっき語っていた日本の社会構造の変化。

もう一つは、面食いの私にとって由々しき事態。

美男子との出会いがない、ということである。


美男子が全くいないという訳ではない。昔と大体同じくらいの割合で、世にいう『イケメン』と呼ばれる男はいる。

だが、そういう男の大半は芸能界で華々しく活躍しており、一般企業のOLとして転生した私には手の届かない存在だった。

昔はとりあえず政界に潜り込んでおけば美男子の一人や二人、簡単に捕まったのだけれどそういう訳にもいかなかった。


転生した私の妖力は昔より抑えられているようで、普段は人間に化けているので手一杯なのだ。

とにかく、魅力ある美男子との出会いがない。

私の勤める企業の男はなんというか……年上(名目上、私は27歳ということになっている)は中年かつ既婚者または社畜、年下は青臭いやつばかりなのだ。そして全員顔がぱっとしない。

再び美人に生まれ変われたことには感謝する。誰の仕業か知らないけれど。

だけど出来ることなら、一般企業のOLとしてではなく芸能人として生まれ変わりたかった。


そんなことを考えながらパソコン作業をしているうちに、外で『ふるさと』が聴こえてきた。

もう5時か……あっという間に時間が過ぎるわね。

今日はストレス過多な状況下でここまで頑張った自分へのご褒美に、タ*ーズでコーヒーでも飲んでから帰ろうかしら。

私は完成したデータを上司のパソコンに送信し、パソコンの電源を落とした。

荷物をまとめ、「お先に失礼します」と挨拶をして社屋を後にする。



夕方から夜のタ*ーズコーヒーは人が多い。

私のように仕事終わりのコーヒーを求める会社員や、放課後の勉強に勤しむ学生などで溢れ返っている。

端の方に空席を確認し、私はレジ前に立った。


「ホットカフェモカのグランデ一つ、店内で」

「ご一緒にフードはいかがですか ?」

「じゃ…ベイクドチーズケーキ」

「かしこまりました、940円になります」


千円札と40円を払い、釣りとチーズケーキを受け取る。

右側の待合カウンターに移動し、飲み物が来るのを待つ。


ふと、私のカフェモカを作っているバイトらしき少女に目が入った。

雪のような白髪に白い肌、瞳の色は水色だろうか。胸元のネームタグには……『桧森』と書いてある。えもり、と読むのかしら。日本人にしては珍しい見た目をしている。金髪に金色の瞳をしている私が言えたことではないが。

現代日本では外国人が普通に街を歩いているからそこまで珍しく見られないのは助かるけれど。


「お待たせいたしました、ごゆっくりどうぞ」


そう思っていると、バイトの少女が笑顔でカフェモカの入ったコーヒーカップを渡してきた。


「ありがとう」


私は微笑みを返してそれを受け取った。



さて……周りにうちの社員はいない。

これでゆっくり心置きなくもう一つの「おしごと」ができる。


「今の私には、お仕事よりも『推し事』の方が大事なのよ……っと♪」


席に着いた私はスマートフォンとイヤホンを取り出し、イヤホンをスマートフォンに刺し両耳に装着した。

そして、あるアプリゲームを起動させる。


「*んさんぶるス*ーズ !」


両耳からかっこいい声…イケボが聴こえてくる。今日は真緒くんか。

私は口元の緩みに気を遣いつつ、『推し事』を始めた。


きっかけは同じ部署の同年代(名目上)の女性社員、佐藤さんから紹介されたアニメと漫画だった。

彼女はいわゆるヲタク女子、そして腐女子だった。

二次元の世界の美男子たちのなんと魅力的なことか。

私はすぐにハマり、自分で色々なアニメや漫画、ゲームを調べるようになった。

『推し事』という言葉を生み出した現代日本人は本当に天才だと思う。

年末の仕事を速攻で終わらせ、来月の冬コミに佐藤さんと参戦するのが当分の目標だ。


ああ、影片可愛い…毎回毎回、ホーム画面をつける度に動いて喋るこの男子高校生に、私はすっかり見とれていた。

いけないいけない、昨日イベントが終わってどうにか1枚星5カードを取れたからって気が緩んでいるわ。

あ*スタはこの辺りにして、今度はこっちを進めなきゃ……。


私は『あん*んぶる*ターズ』を閉じ、別のゲームを開いた。


「*キノパ*ダイス、ツ*パラ♪ゆっくりしていけよ ?」


ふぁあああログインボイス始さまだ、マジ最高。

ああもう、自分で設定しておいてあれだけど今回の酒呑童子衣装の志季色気ありすぎでしょ。これだから私の最推しは……。

リズムゲームを何曲か遊び、ポイント報酬を受け取る。

ツ*パラの方はゆっくりアイテム消費するくらいでもう大丈夫そうね……これくらいポイント貯めておけば、ランキング報酬の志季1枚は貰えるでしょう。

私は『ツキ*ラ』を閉じまた別のアプリを開く。喉が渇いてきたから、ホーム画面になるまでの間にカフェモカを飲む。


「ようこそ、*ンパスへ」


コ*パスはシーズンが終わったからまたのんびりやろうかしらね……新しいキャラとか出たけど、タンクじゃないからガチャは保留ね……。

3試合する。全敗。ランク高いから強い人が多いのよね……普段全く使わないガンナーなんて使うんじゃなかった。

少し気持ちが落ちてきたから、別のゲームを開く。


「*剣乱舞、始まるんだね。よろしく頼むよ」


髭切さん……癒される声よねえ。声優さんが良いんでしょうね。


「俺、扱いにくいんだよねー。だ・か・ら、上手く扱ってね ?」


あああああ加州世界一可愛い。本当にまじで可愛い。私の初期刀兼最愛刀が可愛すぎて辛い。

やばい、日課を終わらせようと思ったけれど推しが尊すぎて変化が解けそうになってきた。

1回トイレに入って変化を解いてこようか。

私はスマートフォンをスリープ状態にして、鞄にしまい席を立った。


トイレは運良く空いていた。女子トイレには私以外誰もいない。

私は洗面所で、変化を解いた。

頭に狐の耳が生え、薄紫を基調とした着物姿に変わり、九本の尻尾が生えてくる。

本当は個室に入って変化を解除し、変化し直したいんだけれどこの尻尾のせいで場所が限られてくる。この洗面所でも少し狭いくらいだ。


それにしても……この着物、昔着ていたものをそのまま着ているけれど、デザインが古臭い。あと裾が長いから動きづらい。

今の生活に余裕が出てきたら、呉服屋にでも行って新しい着物を買おうかしら。


さて、そろそろ高ぶっていた気持ちも落ち着いたし戻りますか。

カフェモカを飲んで、チーズケーキを食べて、続きは帰りの電車でやりましょう。

尻尾を引っ込ませ、頭の耳を引っ込ませようとしたその時だった。


「失礼します、清掃入りまーす……え ?」

「えっ !?」


突如、背後の扉が開いた。

まさかこんなタイミングで扉を開けられるとは思わなかった。

清掃、ということはスタッフの誰かか。


いや、そんなことより今の姿を見られるのはまずい。

狐耳が生えたOLなんて、怪しまれるに違いない。

時既に遅かったが振り返ると、

扉の前で白髪のバイトの少女が固まっていた。


しまった……完全に見られてしまった。

妖力が足りるかしら、記憶操作の幻術を使わなければ……。

あれこれと思案していた時だった。


数秒固まっていたバイトの少女ははっと我に返り、中に入ってきて扉を閉めた。

トイレの中はそこまで広いわけではないから、至近距離にバイトの少女が迫ってきて驚く。


「ちょ、ちょっと…… !?」

「あ、あなたはもしかして……九尾の狐ですか !?」

「……え ?」


バイトの少女は小声ながらも、確かに『九尾の狐か』と聞いてきた。

狐、ではなく九尾の狐、と。

質問に答えられないでいると、バイトの少女は続けて言った。



「私、雪女の桧森 銀花(えもり ぎんか)です !九尾の狐、玉藻前さんですよね ?あなたもこの時代に飛ばされていたんですか !?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る