第2話 千年後

俺は酒呑童子、鬼だ。妖怪だ。人間どもにとっての化け物だ。

頭に角が生え、口には鋭い牙が生え、人間の何倍も怪力。そんな人ならざる存在だ。

それなのに……。


「まさか中学一年生が成人男性の腕を折るとは……」

「その上さっきからよく分からないことばかり言っている。精神病か何かにかかっているんじゃないですか ?」

「そのような報告はありませんが……両親とも共働きで自宅ではほぼ一人のようですね」

「それで電話をかけても繋がらないのか……参ったな……」


参っているのはこっちの方だ。


一人で酒を飲んで過ごしていたら現れた人間どもに騙し討ちにされて、死んだと思ったら知らない場所と人間に囲まれている。

首と胴体が再び繋がってはいるものの肉体は人間の子どものそれに成り下がっている。

さっき俺を無理やり立たせようとした中年の男の腕を誤って折ったことから力は前のままのようだが不便極まりない。

一刻も早くこの居心地の悪い空間から抜け出したい……。


「……とりあえず今日のところは自宅謹慎とする。両親が帰ったら今日のことをちゃんと報告し、共に学校に来てもらうこと。話はそれからだ」


俺を囲んでいた人間のうち、痩せた男がため息をつきながらそう言い放った。


「藤田先生、いいんですか… ?」

「保護者がいないんじゃ話のしようがないでしょう。かと言ってこのまま教室に戻したら他の生徒が怯えてしまう」

「……それもそうですね。大江君、今荷物を取りに行きますから待っていてくださいね」


灰色の上下服を身につけた若い女が俺に言って部屋を出て行った。

それに続いて、他の人間どもも部屋を後にする。

俺に自宅謹慎 ?と言った痩せた男……藤田と呼ばれていたか?……だけはその場に残った。


「全く……関根先生が保守的で反抗したくなる気持ちは分からんでもないが、俺のクラスで面倒事を起こさないでくれ……」


藤田は頭をかきながらため息をついている。

この人間だったらまだ話が通じるかな。

そう思った俺は、先ほど腕を折った中年の男にした質問と同じことを尋ねた。


「藤田、といったか。お前は誰だ。ここはどこで、今はいつで……俺はなんなんだ」

「……居眠りの延長で寝ぼけてるって訳でもなさそうだな……。やれやれ」


藤田は俺の顔をじっと見つめた後、説明し始めた。

どうやら、記憶喪失か何かと思われたらしい。



ここは学校という、人間の子どもが一般知識やら教養やらを身につける場所だそうだ。

時は西暦二〇十八年の冬、俺が生きていた時代より約千年は経っている。

俺はその学校の生徒の一人で「大江 伊吹」という名前らしい。藤田は俺の担任だそうだ。

担任とは何だと聞くと、百数十の生徒を年齢などで分けた学級をまとめる者で、学級に問題事が起こったら解決しなければならない面倒な役職だと藤田は答えた。

元々俺は……この時代に飛ばされる前の俺は……大人しいが誰とも親しくする様子がない生徒だったらしい。

何だか昔の俺に似ているな、と話を聞きながら思った。


「……とりあえず俺の知ってるところはこれで全部だ。他に何かあるか?」


藤田は長いようでそこまでかからなかった説明を終えて言った。……が、これ以上の余計な仕事はしたくないと表情が言っている。

まだ聞きたいことは山ほどあるが変に不審に思われるのも面倒だ。俺は首を左右に振った。

すると、俺の荷物を取りに行くと出て行った女が鞄を持って戻ってきた。

俺が今着ている制服とやらもそうだが変わった設計をしている。千年後にはこんなものが出回っているのか。


「これ、大江君の荷物です。帰ったらちゃんと反省して、勉強を進めておいてくださいね」


女はそう言って俺に鞄を渡した。

持ってみたら見た目以上に重い、かなり多くの荷物が入っているようだ。


「……ふん、謝辞の言葉は言わんぞ。俺は人間が大嫌いなんだ。こんな所にも二度と来ないから安心しろ」


俺は鞄を肩にかけ、部屋をさっさと出て行った。


「あ、ちょっと……」


背後で女が呼び止めていたような気がするが振り返らなかった。



藤田は今しがたまで目の前で不服そうにしていた生徒の背中を見送って呟いた。


「人間に騙し討ちにされた酒呑童子……ね」


その口角は、少しだけ上がっているようにも見えた。


「藤田先生 ?どうかされましたか ?」

「いえ、なんでもありません。さあ、通常業務に戻りましょう」


その様子を見た女教師が声をかけたが、その頃にはもとの無気力そうな表情に戻っていた。



数分ほど建物の中でさまよってからやっと学校を出た。

なんなんだあの入り組んだ建物は。俺の元いた屋敷ほど広くはないが、狭い敷地に対しての部屋数が多すぎる。人間はよくあんな場所を平然と歩いていけるものだ。

門を出る時、小屋の中にいた男に「さようならー」と声をかけられたがなんだかいらっとして睨み返した。

何がさようなら、だ。こんな所二度と来るもんか。


人間どもが大量にいる地獄から抜け出せたはいいものの、この時代における自分の家の場所が分からないことに気づいたのは数十歩歩いてからのことだった。

しまった……あの話の分かる担任に聞くのをすっかり忘れていた……。

聞きに戻るか ?いや、自宅の場所が分からないと言ってあの男や周りの人間どもに変な目で見られるのは嫌だし何よりあんな入り組んだ建物からさっきまでいた部屋に辿り着ける気がしない。


それに何だか道行く人間どもの視線が刺さる。

俺と同じような格好をした子どもがこの時間に出歩いているのは普通ではないのかもしれない。


「はぁ……なんなんだ一体……」


俺はため息をつき、行くあてもなく歩き出した。



数時間後。

やはり俺の身体は人間の子ども同然に弱ってしまったようだ。

歩き続けて疲れた上に腹が減ってきた。

ここまで疲れたのは何百年ぶりだろう。

いや、一度死んでから千年ほど時が飛んでいるからもっと前か。

日が沈めばもう少し力が出せるかと思ったがそんな単純な問題でもなさそうだった。

俺は路地裏の開けた場所に鞄を投げ出し座り込んだ。


今ここで空腹で死んだらどうなるんだろう。

今度こそ本当に生き返れなくなるのかな。


あいつだったらこんな時どうするだろう……。

千年前の腐れ縁の顔を思い浮かべたその時だった。


「よぉ少年、こんな時間にこんな所で何やってんだ ?寄り道って訳でもないだろう ?」


頭上から、聞き覚えのある声が降りかかってきた。


まさか……いや、ありえない。あいつがこの時代にいるはずがない。

そう瞬時に思ったが、俺は反射的に顔を上げた。


「──なんてな。久しぶりだな、酒呑 !」


そう言った青年の顔は、よく知った腐れ縁のものだった。

俺の事を「酒呑」と呼ぶのは後にも先にもあいつくらいだ。


「──土蜘蛛 !?」



仲間に離反され、一人山奥で暮らすようになってから間もない頃。

一人の妖怪が屋敷を訪れてきた。

そいつは浪人同然に色々な所を旅して回っている、変わり者の妖怪だった。

鬼が住む山の噂を聞き、本当かどうか確かめたかったのだそうだ。

最初こそ宿がなくて泊めてもらいたいと言ってきたが、明朝に出て行った数週間後にまたやってきた。

今度は特に用があるわけでもなく、近くを通ったから寄ってみたという。


そんな事が何度か続いて、初めこそ変な奴だと思ったが……いや、今でも変な奴だと思っているが……いつの間にか酒を酌み交わす仲になっていた。

最後に会ったときは屋敷から引っ張り出されて山を降り、人間に変装して港町を連れ回された。

その時は港町の安い酒を浴びるように飲んだことを覚えている。

いつの間にか意識がなくなり次に目が覚めた時には屋敷の寝床だった。

また近くを通りかかったら立ち寄ると書き置きがしてあった。

その数週間後に自分が殺されるなんてその時の俺は思いもしていなかった。


「まさかお前もここに来ていたとは思わなかったよ。ほれ、腹減ってんだろ ?」


土蜘蛛はそう言って俺に小さな何かを投げてきた。

受け取ると、薄っぺらい透明な包みの中に握り飯が入っている。

開けようとするがどうすれば開くのか分からなくて十数秒ほど格闘する。


「あー、初めてだと分からないよな。悪い、貸してみ」


土蜘蛛は俺のそんな様子を見て手を貸してくれた。

びりっという音がして包みが破ける。

俺はそれを再び受け取り、中の握り飯を食べた。


「…… !美味い」

「だろ?お前白米好きだったから気に入ると思ったぜ」


土蜘蛛は隣に座って笑っている。

俺は握り飯をすぐに食べ切った。


「あとこれも」


土蜘蛛は俺が握り飯を食べ終えたのを見計らい、小さな瓶を開いて渡した。


「酒か !?」

「いや、緑茶」

「チッ」

「舌打ちするならやらないぞ〜 ?」

「……いる」

「はは、冗談だって」


土蜘蛛から受け取った緑茶を飲んだ。軽い素材でできた瓶だ、片手でも持てるから飲みやすい。そして美味い。


「助かった、死ぬかと思った」

「ははは、大妖怪の酒呑童子が飢え死にするとしたらそれはそれで見てみたいけどな あ!」

「あ“ ?」

「冗談冗談、怒るなって〜。ほんと、酒がないと短気だよなー」


俺に睨まれてへらへらと笑っていられるのもこいつくらいだろう。

数週間振り(約千年振り?)に話したが、全く変わっていない。

それにしても……


「何でここで座り込んでるのが俺だと分かったんだ ?見た目は人間だっただろう」

「ん ?そんな濃い妖気を振りまいてたら大抵の妖怪は同類だと気づくと思うぞ ?もしかして自覚なかったのか ?」

「妖気…… ?やはり見た目が人間でも妖怪ということか」


よく考えたら、身体まで人間になっていたら中年の男の腕を折るなんてできない。今は無自覚に人間に化けている状態、ということだろうか。


「お前はいつからここに来たんだ ?」

「俺か ?今日の昼くらいかなー、作業場みたいなところで目覚めてさっきまで肉体労働させられてたところ。日当 ?か何かで金もらったからこうして夕飯を買えたって訳だ」

「俺と同じぐらいの時間だ」

「やっぱそうかー。いやー、俺以外にも飛ばされた妖怪がいてよかったよ、心細いのなんのって……」


旅の中で出会った人間との交流関係も広かった土蜘蛛ならすぐに馴染めただろうに、と俺は内心思った。


「酒呑は ?」

「俺は……人間どもに騙されて殺されて、次に目が覚めたら……学校って所にいた」

「学校?」

「人間の子どもが知識や教養を身につける場所だそうだ」

「ほーん、まあお前見た目的には子どもだしなー……ってちょっと待て。さらっと言ったけどお前、殺されたって ?」


俺もさらっと失礼なことを言われたような気がしたが、大事な話なので一旦置いておく。


「ああ、一人で酒を飲んでいたら人間の集団が屋敷にやってきて……あいつら、天狗の子分だと言って俺を騙して殺したんだ」

「……そのお前を殺したやつって、源頼光だよな ?」

「へ…… ?あ、ああ。でもなんでお前が知ってるんだ?」


俺は、土蜘蛛が俺を殺した男の名を知っていることに驚いた。

あの人間、そんなに有名な奴だったのか。

すると、土蜘蛛は真剣な表情に変わって言った。


「俺もそいつに殺されてここに来たんだよ……お前が殺された後に」

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