『現世妖怪異譚』

彰名

第1話 酒吞童子

満天の星空、頂点には三日月。

この空の下で飲む酒が、俺は一番好きだ。


「……今日も、酒が美味い」


山の奥深く、人の立ち入るすきのない岩穴を抜けた先。

空のよく見える広い屋敷に、俺は住んでいる。


この屋敷に居を構えたのは百数十年前。

第四次妖怪大戦を終え、傷や疲れを癒すために入ったのが始まり。

元は隠居した貴族か何かが住んでいたのだろう、かすかに生活感の残るその屋敷は、俺と他の十数人の鬼たちが暮らすにはちょうどよかった。

だが、問題もあった。

俺たち鬼の一族には、女がいなかったのである。

鬼という生き物は、人間ほど食事だとか異性間の交わりだとかいうものを必要とはしていない。だがなければないで生活に潤いがなくなるのは確かだ。

要するに、世話人兼遊び相手が欲しかったのである。

山のふもとには小さな村があった。貧しいがそれなりに人口の多い村だった。

俺たちにとっての幸運は、その村で地酒醸造が盛んだったという事だ。

それも、数百年生きてきた鬼が口を揃えて美味と言うほどの一級品だ。

それほど美味い酒の噂が他の妖怪に流れたら、第五次妖怪大戦が起こることは明白だ。

そこで俺たちは村に下り、村の人間たちに交渉した。

俺たち鬼が他の妖怪から村を守る代わりに酒を納め、村の娘たちを使用人として月替わりで送るように、と。

村長がこれを了承し、鬼と人間との間で契約が交わされた。


それから、俺はずっとこの山で暮らしている。

長くもなく短くもない時が過ぎる間に、他の鬼たちが生活への不満から離反したが、気ままな一人暮らしというのも悪くない。

あいつらは戦いを好んでおり、売られた喧嘩を買う以外は特に動かない頭首の俺に鬱憤が溜まっていたんだろう。

そもそもその頭首でさえ、鬼の一族の中で俺が一番強いからやっていただけである。

俺は美味い酒が飲めればそれでよかった。あいつらは村娘を相手に欲を満たすなどしていたようだが、俺にとってあの人間たちは使用人程度の価値しかなかった。

昔は三十人はいた使用人も、今は数人しかいない。今や俺しか暮らしていないのだからそんなにいても仕方がないのだが。


ただ……。

賑やかな宴の席で飲む酒が不味いと思った事は一度もなかった。

いつからだろう、こんなことをふとした時に考えるようになったのは。

誰かと酒を飲む機会なんて、あいつが上がり込んでくる時以外なくなったからかな……。


そう思っていると、後ろで物音がした。

振り返ると、俺が座る縁側から内に入る障子を少し開いて、使用人の女が座している。


「……何だ ?酌をしてくれるのか ?」


俺が片手に持った杯を傾けてみせると、女はびくっとして首を振った。

ここに来る村の娘たちは鬼に怯えているのか、滅多に口を開かない。…もしかしたら村でそう言い聞かせられているのかもしれないな、俺たちを怒らせるような言動を慎むようにとでも。

用件があって来たのであればそれを伝えてくれなければ俺も対応に困るのだが……。


「……頭首様に、お客様が」


俺が困っている空気を察したのか、女は消えそうな声で言った。


「客?あいつか?」


俺が聞くとまた女は首を振った。どうやら初対面の奴が来たらしい。

こんな辺境にやってくるなんてよほどの物好きか、浪人が一夜の宿を求めてきたのか。はたまた同胞が俺の噂をどこからか聞きつけてきたのか。

なんにせよ、俺の姿を見れば大抵の人間は逃げ出すか。


「……分かった。調理場で待っていろ」


万に一つもないと思うが同胞が来たのであれば迎え入れよう。


玄関の向こうの影を見る限り四、五人いるようだ。とりあえず要件を聞こう。


「こんな辺境に来るとは何の用だ。この山に鬼が出ると知ってのことではあるまい」


すると、集団の中の一人が前に進み出た。


「存じ上げております、鬼の頭首様。我々は不尽の山の太郎坊の使いにございます。我らが主が貴方様との和睦をお望みになっておりますゆえ、参上仕りました」

「不尽の山の太郎坊……」


第四次妖怪大戦では聞かなかった名だ、この数十年の間に力をつけたのか。


「……いいだろう。お前たちの頭には後日俺から会いに行く。今夜はちょうど晩酌の相手が欲しかった、宴の支度をするので入れ」

「…… !ありがとうございます!実は我々も、不尽の山秘蔵の酒を用意していたのです、ぜひ貴方様にご賞味いただければと思い…… !」


酒もあるのか、ならば尚更歓迎しなければな。

俺は使用人の女たちに命じ、一人には客人たちの応対を、残りには宴の席の準備をさせた。



数十分後。

屋敷で最も広い宴会用の間に俺は入った。

客人たちの前には既に料理が並んでいる。


「待たせたな、不尽の山より遠路はるばるご苦労だった。今夜は互いに遠慮などせず、酒を酌み交わそうじゃないか」


俺がそう言って乾杯の音頭を取ると、ささやかながらも楽しい宴が始まった。

不尽の山の使い……山伏の格好をしているから天狗だろう……たちは、自分たちの主は数年前にこの地に降りた大天狗だと話した。天狗たちには数多くの派閥が存在すると風の噂で聞いていたが、それらの中の一派かと酒を飲みながらぼんやりと考えた。

俺も普段は黙って楽しむことが多いが、久々の客で気分がよかったのか、この山に住み着くまでの身の上話を語った。


鬼の中でも大の酒好きで酒豪であったため仲間内では「酒呑童子」と呼ばれていたことや、第四次妖怪大戦での武勇伝を嬉嬉として語っている自分に内心では少し驚いた。

酒が入っているとはいえ、自分がこんなにも話好きだったとは。

だが、それすらも酒の肴にちょうどよかった。



宴が進み、食事が空となってきた頃。

使いの天狗で最も背が高い者が懐から徳利を取り出した。


「ほう ?それが例の不尽の山秘蔵の酒か」


「左様にございます。我々天狗の内では、この酒を兄弟盃にて交わすことで和睦の証と致します。頭首様のお口に合えばと、我らが主が申し上げておりました」


彼はそう言って、升に酒を注いだ。


「では今ひとたび乾杯としよう」


俺がそう言うと、天狗たちは自分たちの猪口を手にした。


「──乾杯 !」


俺が一口で飲み干すと、天狗たちも口をつけた。


「──美味い !確かにこれは絶品だ !」


「頭首様にお喜び頂けて何よりでございます」


「まだあるだろう、どんどん注いでくれ !」


俺が自分の杯を手にすると、次々に酒を継ぎ足してくれる。

久しく麓の村の酒しか飲んでいなかったからか、珍しい味のする酒に俺は酔いしれた。

しばらくして、俺は使用人たちに肴を追加するように頼もうと立ち上がろうとした。


……が、できなかった。


飲みすぎたのか、と最初は思ったがそうではない。

体が思うように動かないのだ。


「どうされましたか、酒呑童子様?身体が痺れでもしましたかな ?」


天狗の一人がそう言った途端、本当に身体が痺れてきた。


「な……お前、これは……」


天狗に尋ねようとするが、口もまともに回らない。


すると、そんな俺の様子を見てとった他の天狗達が急に立ち上がり、背負っていた箱から何かを取り出した。

それが武具であり、自分が取り押さえられたと分かったのは数秒後のことだった。


「……ここまで簡単に策にはまってくれるとは思いませんでしたよ。あの酒呑童子ともあろう大妖怪が」


一番背の高い天狗が俺を見下ろして無表情で言い放つ。


「お前……何、者だ……」

「申し遅れました、私の名は【源頼光】。帝の命を受け、貴方を討伐しに参りました」

「騙していたのか……、この、俺を……」

「不尽の山の使いというのは半分本当です。ある程度警戒を解いた所で毒酒を飲ませる、この策を我々に下さったのは不尽の山の大天狗でした」


源頼光、と名乗る男はそう言って、自分が背負っていた箱から防具と一振りの太刀を取り出した。

つまり、俺はまんまとこの男たちに騙され、あげく不尽の山の天狗の敵減らしに殺されるという事か。

同胞に離反され、数多の妖怪を返り討ちにしてきた俺には相応しい最期かな。

毒酒でまともに回らない頭で、俺はぼんやりと思った。


「酒呑童子、貴方は罪のない村の娘たちをさらい、その村の名産物を搾取しました。帝はこの悪行を到底許せぬ所行とみなしました。よって、不肖この源頼光が貴方の首を頂きます」


頼光は俺を討伐するにあたる前置きを淡々と言い、刀を俺の首に突きつけた。

俺はその言葉を聞いて、意識を戻した。

俺が村の娘たちをさらった?

名産物を搾取しただと?

根拠のない言いがかりだ。


「ちょっと……待て……俺は、俺たちは……他の妖怪から……村を守る代わりに…酒と、使用人を送るようにと……村の人間どもも、それを了承して、今日まで……」

「…… ?」


頼光は俺の言葉を聞いて怪訝な顔をした。

周りを見ると、他の男たちも顔を見合わせている。

聞いていた事情と違って戸惑っているのだろうか。


……が、数秒後に聞こえてきたのは、男たちの笑い声だった。


「そりゃお前にとってはそうだったんだろうけどよ、お前にとってはな !」

「俺ら人間からすればお前らなんて化け物なんだからいなくなった方がいいに決まってるだろ !」

「そもそも今回の討伐だって、元を辿れば麓の村の村長から依頼されたことだったしな、裏切られたんだよお前は !」

「………はぁ……?俺が、裏切られた……?」


それ以上の男たちの雑言は聞き取れなかった。

俺があの村の人間どもに裏切られた。

人間どもに、俺は裏切られた。


「静まりなさい。……貴方の言い分は分かりました。ですが貴方の行いが村の人間、ひいては帝に悲しみを与えているのは動かぬ事実です。申し訳ありませんが…やはりここで討伐させていただきます」


頼光が俺を笑っていた男たちを黙らせた。


「この刀は試し斬りで罪人の首を斬ったところ、髭まで切れたと言われる業物です。せめて苦しまぬよう、ひと思いに逝かせて差し上げます」


頼光はそう言って、握った刀を振り上げた。


「……ふざ、けるな……鬼には、他者を騙そうなどという下らない下心などない……とんだ言いがかりだ……。俺に、言わせれば、お前ら人間の方が、よっぽど化け物じみてる…… !」

「……辞世の句はそれだけですか」


斬── !


俺の恨み言をひとしきり聞いた頼光は、俺の首を刎ねた。


俺はどう足掻いても妖怪、人間どもにとっての化け物のようだ。

首だけの状態になっても、未だ意識が残っているのだから。

今更無駄なことはよく分かっていた。

だが、俺は残った力を振り絞り──俺の首を刎ねた男の兜に噛み付いた。


「ぐ…… !」

「頼光殿 !!」


俺に噛みつかれた頼光は一瞬怯んだ。

だが、すぐに立ち直り俺の首を引き剥がそうとかかる。


「構いません……それより、身体の方を !」


頼光の指示で、残りの男たちが首なしの肉体に向けて武具を振り下ろした。

痛い。

痛い、痛い、いたい、イタイ。

神経なんてもうとっくに切れているはずなのに、痛い。


俺はこの痛みの中で、たった一人死んでいくのか……。


こんなことになるのなら、もっと仲間の鬼を顧みておけばよかった。

一人で酒に溺れる日々をどこかで止めていたら、人間に騙し討ちに遭うこともなかったのかもしれない。


今はただ、全ての人間が憎い……。


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「──、──え……大江 !!」

ボスッ !!

「痛っ !?」


頭から全身に痛みが走った。


思わず体を起こす。

……体を起こす?


「授業中に爆睡とはいい度胸じゃないか大江 ?これで何十回目の注意だと思ってるんだ ?えぇ ?」


声のした方を向くと、変な格好をした中年の男が俺を睨みつけている。


所々から、くすくすと小さな声で笑う声も聞こえる。

周りを見てみると、同じ変な格好をした人間の子ども……男も女もいる……が遠巻きにこちらを見ている。

俺はその状況についていけず、ただ一言尋ねるしかできなかった。


「……誰だ、お前?」

「誰だお前、だと ?教師に向かってなんだその言葉遣いは !後ろで立ってろ !」


中年の男は俺の質問には答えず、怒声をあげて俺の背後を指さした。

俺はその男の態度に苛立った。


「……お前こそ誰に向かって口を聞いているんだ ?この俺が酒呑童子と分かって命令しているのならとんだ愚か者だな」

「んなっ…… !いい加減にしろよ大江 !とにかく立て !立ってそこで反省しろ !後で職員室にも来てもらうからな !」


俺の言葉にさらに怒った中年の男は俺の腕を無理やり掴んで引きずって行こうとする。


「な……、放せこの…… !!」


俺は咄嗟にその腕を掴み振り払おうとした。


グギリ。


次の瞬間、骨の折れたような音が近くで聞こえた。


その数秒後、俺を引きずろうとしていた男が呻き声をあげてその場にうずくまった。

……あ、つい本気で捻ってしまった。同胞相手だとこれぐらい力を込めてもなんともないから加減を間違えた。


……って、ちょっと待て。


そもそも何で俺は生きてるんだ?

確か俺は源頼光とかいう男とその一団に騙し討ちに遭って死んだはずだ。

それなのにどうして、話したり身体を自由に動かせたりできるんだ?

そして、ここは一体どこだ?


ふと横を見ると、鏡のような扉があった。

そこに映った自分の姿に、俺は驚愕した。


頭に生えた二本の角や牙は引っ込んでおり、周りの人間どもが着ている変な服を身につけた、

普通の人間の男子が、そこに立っていた。



現世妖怪異譚

序幕 『妖怪転生』

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