第3話 【万華鏡】いやいやいや、そっちじゃなくて

  3


 すると、そこは空き教室ではなかった。


 広い空間に無数のデスク、その上にはパソコンモニターがずらりと並んでいる。


 まるでオフィスのようだ。


 ひっきりなしに鳴る電話。


 書類を捲る音。


 カツ、カツ、カツ、というヒールの音。


「あっ、せぇんぱい? なにボウっとしてるんですかぁ?」


 俺の目の前に、スーツ姿の女の人が立っている。


 小悪魔的な笑みを浮かべ、ジッと俺を見上げている。


 黒髪をポニーテールに結い、手には書類を持っていた。


 ブラウスの隙間から妖艶な谷間が見えたので、慌てて視線を逸らした。


「あぁ~、まさかわたしをみてぇ、興奮しちゃったんですかぁ?」


 俺は必死で首を振る。のだが、


「誤魔化そうとしても無駄ですよ? お耳、真っ赤じゃないですかぁ☆」


 バレバレだった。


 こんな美人なひと目の前にして、ドキドキするなってのが拷問だ。


「わかってますって。んじゃ、お仕事終わったらいつもみたいにぃ~」


 と、美人な後輩さんは俺の耳元にプルンとした唇を寄せ、


「お・み・み・マッ・サー・ジ……してあげますね☆」


 俺は彼女の柔らかい指の感触を思い出し、身震いした。


 違う。これじゃない。


 俺は今、ヒナさんに耳かきしてもらってるんだ。


 邪魔しないでくれ。


 俺はゆっくりと目を閉じた。


  *


 再び目を開けると、今度はメイド喫茶にいた。


 煌びやかな壁紙と無数に走る装飾。


「お、お帰りなさいませ。ご主人様」


 猫耳をつけた小柄なメイドさんがやってきた。


 フリルがついたドレス。


 膝上まで伸びた真っ白なソックス。


 お盆に載っていたケーキをテーブルに置く。


 お皿にポツンと置かれた苺のショートケーキだ。


「では、いつもみたいに、お・え・か・き、しますねぇ」


 耳元で囁いたメイドさんは、チョコレートクリームを取り出して、


「ふんふふーんっ♪ ふんふーん♪」


 お皿の空いたスペースに、チョコレートでメッセージを描いていく。


 苺のショートケーキ、チョコレートメッセージ付きの完成だ。


「ボクは、その、ご主人様のことが、だ・い・す・き、ですので☆」


 お皿に描かれたメッセージを読み上げたメイドさんが、至近距離で唇を震わせた。


 違う。これでもない。


 ヒナさんはどこだ。


 ヒナさんに耳かきをしてもらいたいんだ。


  *


「きみ~? ホラホラ。ゴロンだよ、ゴ・ロ・ン」


 目を開けると、空き教室に横になっていた。


 ようやく戻ってきた。


「ふふっ、きみの頭が当たって、くすぐったいな。えへへ」


 ヒナさんを見上げると、柔和な笑みを浮かべていた。


 相変わらず耳とその周辺しか感覚がないけれど、それでもいい。


 ヒナさんの膝枕――それだけが、退屈な日常に彩りを与えてくれる。


 俺はゴロンを忘れ、再び目を閉じた。


「よぉし。こっちのお耳も~、め・ろ・め・ろ、にしてあげるからね~~☆」


 ヒナさんの声が、徐々に遠ざかっていった。

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