第2話 【朗報】俺の人生、ついにバラ色に突入する

  2


 その女子は高柳日那美たかやなぎひなみと名乗った。


「ヒナでいいよ~」


 とのこと。だけど、高校二年生になったばかりだというのに、まともに女子と話したことない俺にとってハードルが高すぎる。


「よっ、よろしく」


「んもう! かたいんだから~」


 高柳さん――ヒナさんはそう言ってクスクスと笑った。


 艶やかな黒髪ショートボブを彩るリボンの髪留め。


 紺カーディガンに膝上のプリーツスカート。


 太ももを覆う黒ニーハイソックス。


 肌色に輝く絶対領域に、俺の目は眩むばかりだ。


「ねね、なに聴いていたの? 聴いてみてもいい?」


「のわぁーっ!」


 しかし遅かった。


 ヒナさんはイヤホンを右耳に嵌めた。すると、すぐに表情が怪訝な色を帯びる。


「こ、これって――」


 終わった。ジエンドだ。


 昔の音楽とかならまだしも、ASMRだ。しかも耳かき……。


「もしかしてアスマー?」


「えっ?」


 だから、ヒナさんの口からその言葉が飛び出した時、俺はひっくり返りそうになった。


 アスマー――それはASMRの別名だからだ。


 しかもその名はまだ一般的ではない。


 それを知っているということは――。


「好きなの?」


「ううん――」


 ヒナさんが悪戯っぽく首を振った。


 俺はますますうろたえてしまう。


「好きじゃなくて、大好き☆」


  *


 ヒナさんは筋金入りのASMRマニアだった。


 色々なジャンルに精通していて、俺が好きな耳かきや耳フーフー、美容院ものや添い寝ものをはじめ、十八禁の作品にも手を出しているという。


「すごいね。十八禁どうやって買ってるの?」


「んとね、兄貴のアカウント使ってる」


「なるほど」


 はやく十八歳になりたいものだ。


 一人っ子の俺が買うには親父のアカウントを拝借するしかなく、ガードが固すぎて不可能だ。


「…………」


 マズい、会話がもたん。


 空いている前の席に座るヒナさんが、にこにこしながらこちらを見ている。


 やっぱり可愛い。


 サラサラな黒髪から女子特有の甘いかおりがする。


 僅かに上気した頬。マシュマロみたいにスベスベな手。


 つぶらな瞳がコロッと動き、俺の心臓を撃ち抜く。


「……――」


 ダメだ、言葉が思いつかない。


 昔からそうだ。男女問わず、ヒトを前にするとまともに声が出せない。


 俺は常に孤立していた。


 したいこともなく、何となく日々を過ごしていた。


 芥子山――名前の『芥子』を『消』にすれば、名前の『極』と相まって消極的な俺の完成だ。まさに名は体を表す、だ。


 両親は『何かを極める男になってほしい』と願って極男と名付けたらしいけど、迷惑甚だしい。


 女子と対面するなんて、拷問だ。


 いくら同じASMRが好きな女子であったとしても。


 触れられなくてもいい。


 音を通してその存在を傍に感じられれば、それでいいんだから。


「そ、それじゃあ……」


 俺は立ち上がろうとした。さっきのお礼はもう言ったし、これ以上拷問を受ける気はない。


「――まって」


 そのとき、ヒナさんの綺麗な指が俺の制服の裾を掴んだ。


 その瞬間、すぅっと周囲の騒音が遠くなる。


 まるで騒音防止機能がかかったみたいに。


「……――え」


 息が詰まる。早鐘を打ち始める心臓。必死に呼吸を繰り返す。まるで酸素を求めてパクパクする金魚のようだ。


「一緒にASMRごっこしようよ☆ 放課後、どうかな?」


 なっ、なっ、なっ――。


 ヒナさんからのまさかのお誘い。


 しかもASMRごっこって――。


 まるでASMRの主人公になった気分だった。


  *


「ここ、放課後は誰も来ないから。こっちおいで?」


「……ぅ、うん」


 放課後の空き教室。


 ヒナさんは誰もこないと言うけれど、正直不安だった。


 けれど。


「ささっ☆ よいしょっと!」


 ヒナさんは窓際に敷かれた絨毯の上に腰を下ろす。


 窓から差し込む夕日。


 橙色の光が、ヒナさんを昼間より魅力的にみせている。


 オレンジ色に染まった制服。


 ヒナさんは両脚を伸ばし、「ふぅーんっ」と背伸びする。


 カーディガンを押す膨らみ。


 スラリと伸びた黒ニーハイソックス。


 橙色に輝くマシュマロみたいな絶対領域。


「ようこそヒナの宿屋へっ! なんちって☆」


 そう言って、ヒナさんは自身の太ももを叩く。


「きみが一番好きなASMR、やったげる」


「そっ、それなら……」


 俺の両足がぎこちなく動き出す。


 手と足が一緒に出そうなほどの緊張感が全身を駆け抜ける。


 しかしすぐに、それは快感に姿を変えた。


 憧れのシチュエーションが今、目の前に広がっているのだから。


「お客様~~今日もご利用ありがとうございますねっ☆」


「えっ、えへへへ。いやあ、今日は手ごわい魔物がでてさあ」


「ええぇぇ~~。それは大変でしたね~。よしよし~☆」


 ヒナさんの柔らかい手が俺の頭を撫でる。


「そしたらぁ~~、ヒナの、お・ひ・ざ、に頭を乗せてね~☆」


「はぁーい!」


 俺はヒナさんに膝枕してもらった。


「まずわぁ~、じゃーんっ!」


 ヒナさんはカーディガンのポケットから耳かきを取り出した。


「ヒナのぉ~、み・み・か・き、できみをメロメロにしてあげるんだから~~」


「むふふ」


 既にメロメロであることは黙っておく。


「動かないでね~~」


 俺は目を閉じた。


 まもなく、痺れるような快楽がやってきた。


 耳の外のくぼみを耳かきが這う感覚。


 耳の壁を優しくかかれる快感。


「こしょこしょ……こしょこしょ」


 ヒナさんの甘い声も相まって、背筋がゾクゾクした。


 やがて片側が終わった。


「し・あ・げ、にぃ~」


 直後、「ふー。ふー」と耳に甘い吐息がかかる。


 耳のすぐ近くにヒナさんの口元が迫る。


 微かな気配が、電流となって脇腹を駆け抜ける。


「じゃあ、反対側やったげるね☆ ゴロンとなろっか」


「ごろーん……――?」


 反対を向こうとしたときだった。


 ヒナさんの膝枕の感触が全くないことに気づく。


 しかし、耳にはしっかり感覚がある。まるで耳だけが感覚をもっているかのように。


 俺はたまらず目を開けた。

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