エピローグ

第74話 ニートの帰還

 地平線が紫色に照らされる。——夜明けだ。


 フリントロック式の銃から乾いた音が出る。それは銃声というよりは、パーティー会場などで使用されるクラッカーの音に近い。銃口から紙吹雪が射出され、宙に舞った。


「仁藤直樹様、ニートピアからのご卒業、おめでとうございます」


 そう言ってアッシュは恭しく頭を下げた。

 他人から見れば、僕は呆けた顔をしていただろう。

 船が港に衝突すると思われたとき、船速は徐々に緩やかになった。そしてゆっくりと港岸に船が横付けされる。


 そこに待ち受けていたのは、グレーのスーツにタイトスカートを履いたアッシュ。いや、今は【プラチナアクエリアス学校法人 リージョンカウンセラー主任兼施設長 烏丸映子】と言った方が正しいのだろう。彼女は、「統治者」「アッシュクロウ」そして「カウンセラー」という三つの顔を持っていた。


 茫然自失となり、タラップから誘導され船を降りた僕は、多数の人間に囲まれ、乾いた拍手の音に包まれる。そしてその拍手は背後からも聞こえてきた。

 それまで甲板にうずくまっていたホビットやアカバネ、パピヨンそして倒したはずのカラスの恰好をしたアッシュクロウまでもが立ち上がり、僕に温かいまでの拍手を送っているんだ。何これ?


「アッシュが二人もいる……?」


 すると目の前に立つ烏丸さんは、ウグイス嬢のような丁寧な口調で、僕にこう告げた。


「この度、仁藤様のご両親からのご依頼を受けまして、弊社『プラチナアクエリアス社』の引きこもり者更生プログラムを滞りなく行っておりました。と同時にこれまでの数々の非礼、深くお詫び申し上げます」


 烏丸さんは深々と頭を下げた。訳が分からないまま、その動作につられて僕も頭を下げた。


 その後の説明で僕は得心が行く。つまりこれまでの全てが施設側のお芝居であった、ということであった。


 僕が強制的にニートピアへと連れて来られ各寮に振り分けられる。そして隣人としてホビットが親しげに話しかけて来る。ニートザワールドで外の世界に目を向けさせ、予めリサーチしておいた僕の好みのタイプである女性を接近させる。デブドラやドールと言った個性的な仲間と親近感が湧くように仕向け、やがてパピヨンというライバル的存在と火花を散らせる。


 ニートピアの秘密と称しては、悪徳企業であることを仄めかし、最後の仕上げとして島からの脱出を計画する。

 これら全てがニートピアの更生プログラムだと言う。

 唯一の誤算は、ホビットの仇討ちとでも言うべき、パピヨンと城塞での決闘である。


 本当はここで僕はコテンパンにやられるはずが、機転を働かせ彼女との戦闘に勝ってしまった。しかもパンストをパピヨンの顔に被せる暴挙というオマケ付きだ。本来登場する予定の無いアカバネが急遽出てきたのも、助け舟を出すためだったようだ。


「あんときは、本当にアンタを殺してやろうかと思ったわよ」


 パピヨンが笑いながら言った。


「私のセミヌード、どうだったかしら? ていうか仁藤君の好みのタイプということだったけど……私のこと、本気で恋してたの?」


 アカバネが意地悪そうな笑みを浮かべてこう言った。


 僕はその節はどうもスイマセンでしたと、二人に何度も平謝りをした。

 体内にナノマシンを注入して、電流を走らせると言うのも嘘だという事だ。単に椅子や衣服に仕掛けられたギミックである。当然、アッシュの銃やレイピアも同じ原理とのことであった。


 ちなみにカブトガニから青い血液を採取して、海外の企業に密輸しているというのも虚実らしい。


「LAL試薬に用いられる青い血液は『アメリカカブトガニ』という固有の種類のみで、日本産のそれでは役に立ちません。だからあのプラントで見た光景は、全て作り物でございます。なお、仁藤様から採血した血液は、きちんと日本赤十字社に献血として送付しておりますのでご安心ください」

 と烏丸さんが補足してくれた。ちなみに脱出に使用した海賊船の上で戦ったアッシュクロウは、カラスのマスクを被っているものの中身は武術の心得があるスタントチームの女性であった。


 その女性がマスクを脱ぎ、僕に握手を求めてきた。烏丸さんと同じような体系の女性であった。


「じゃあ、婚約者が殺されたってのは……」


「申し訳ございません。あれも作り話でございます」


 烏丸さんからそれを聞いて、僕はホッと胸を撫で下ろした。そんな重たい話が現実にあるかと思うと寝るに寝付けない。

 とそこへ、花束を持って僕に近づいてきた人物がいる。性同一性障害のドールと、死んだはずのデブドラであった。


 僕はドールから花束を受け取る。そして固い握手を交わす。


「卒業おめでとう仁藤君。キミの行動は勇敢だった。称賛に値するよ」


 僕はドールから本名を言われ、なんだか照れ臭くなった。しかし、ひとつ残念なことがあった。それはドールから愛の告白を受けたということも、虚実だったということだ。


「ゴメンなさい。あれはキミの心を試す演出だったんだ。本当にニートピアを出て行くだけの覚悟があるのかどうか。言わば最終関門のようなものだね」


 無表情だった彼女の顔が一転、屈託のない笑顔が僕に示された。


「なあんだ。あれも演技だったんだ」


 僕は深いため息をついた。

「ボクは元々、とある歌劇団の男役を務めていてね。ああいう演技はお手のもんなのさ」

 とても凛々しい口調でドールは言った。そこへデブドラが割り込んできた。

「ハァハァ、いやあニートピア内ではいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 デブドラは相変わらず息切れをさせている。


「生きてたんだ」


「当たり前ですよ。ワシはこう見えても体は丈夫な方なんです。前にも言いましたでしょ? ワシの腹は宇宙ですと」


 そう言うと、例によって三段腹をボヨンボヨンと揺らして見せた。


「この施設に関わる全ての人間が、依頼人(クライアント)からお預かりしているお子さんたちというわけではありませんでした。実際、弊社の職員も仕掛け人(ホスト)として素性を隠しながら、引きこもり者への社会復帰のお手伝いをさせていただいていたのです」


 烏丸さんが改めてニートピアの概要を説明した。


「これまで披歴させていただいた仕掛け人(ホスト)の過去に纏わるお話は、全てフィクションでございます」


「それにしても皆さん演技が上手すぎるよ」


 僕はほとほと疲れた顔をして言った。


「ええ」烏丸さんは頷いた。


「職員の中には、元劇団員や実際に引きこもりを経験している人間も採用していますからね。クオリティはかなり高かったのではないでしょうか?」


 こうして僕が関わった全ての職員からの祝福を受け、そろそろここから去る時がやってきた。 

 でも僕は、もう一人別れを告げなければならない人物がいることを忘れてはいなかった。

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