第72話 アッシュクロウがニートを憎む理由
僕が空を見上げる。黒い点がやがて大きくなる。それはカラスのような物体——いや、人間だ。カラスの恰好をした人間が、両手を拡げ、空気抵抗を全身で受け止め、甲板へと落下してくる。
スタッと甲板に着地すると全身黒づくめの人間が立ち上がった。全身黒タイツに黒いシルクハット。顔にはカラスを模したようなマスクを装着している。その姿は世界史の教科書に出てきたペスト医師だ。そして黒タイツから隆起した二つの胸の膨らみから、「中身」は女であることは間違いなかった。
まさに雷光であった。手にしていたレイピアの先端でアカバネの胴体を衝いたのだ。バチッという光が闇夜に光ると、その返す刃でパピヨンもその歯牙に掛けたのだった。
「ア、アッシュクロウかッ?」
ホビットがそう叫ぶと、先ほどと同じようにライオンのマスクを被って、アッシュを怯ませようとした。
「無駄よ!」
カラスマスクの内からくぐもった声が聞こえた。
彼女が苦手とされる実体のない動体物、そのものに変化したアッシュは、ライオンに似せた姿を目の前で晒しても、精神的に弱らせることはできなかった。
シュコーシュコーと、ダースベイダーのような呼吸音をさせると、ホビットをもそのレイピアの刺突で倒してしまった。うめき声をあげる間も与えることなく、彼を感電させた。とんでもねえ武器だ。
「そう何度も同じ手に乗るものですか、このクズニート」
アッシュはホビットを足先で転がした。
「ここまで追って来るとは……一体何が
その執念に僕は恐怖した。
アッシュは僕の方を振り向くと、レイピアを握ったまま、尻を左右に振るような妖艶な歩みで、一歩また一歩と近づいてきた。
「理由をお知りになりたくって?」
アッシュが黒色の両肩を怒らせる。
「いいでしょう。ここでお会いしたのも何かの縁。これで少しは貴殿の
アッシュが一息間を入れる。
「わたくしの婚約者が殺されましたの。五人家族の内の三人、彼の両親とわたくしの婚約者がです。——たったひとりの愚かなニートによってね」
レイピアの先がバチバチッと音を立てる。
「家族を殺害した理由、一体何だと思う?『自宅のインターネット契約を勝手に止められたから』ですって。ね、貴殿も愚かだと思うでしょ?」
そんな事件があったことを、新聞かネットニュースで読んだ記憶がある。
アッシュは歩みを止めた。そして天を仰ぐように、
「婚約者を失ったわたくしは、生きる意味も同時に失ってしまった。わたくしもまた、貴殿たちと同じように自宅へと引きこもるようになったのです」
アッシュは僕の方を見た。
「これでも、ニートピアを開業した当初はニートたちを更生しようという意思はございましたのよ。けれど、どれだけ彼らに尽くしても、殺された婚約者のことが頭から離れられない。さぞかし痛かったでしょうね。額や腹など、数十箇所も鋭利な刃物で刺されていたのよ、彼……」
アッシュが小刻みに体を震わせた。カラスのマスクをしているから表情を窺い知ることができなかったが、彼女は泣いているのだろう。
「でも貴女は傷心を癒やし、社会に復帰することができた。だったらその経験を活かして、引きこもりの支援活動に勤しんで……」
「だからこうしてお前たちを檻の中に囲っているじゃない。なのにッ!」
アッシュのレイピアが僕の喉元目掛けて突き出された。とっさに僕はベルトに差していた【神々の(ジャッジメトント)ツインダガー】を両手に握りその刺突を遮る。
女とはとても思えない力だ。憎悪が膂力にさらなる力を与え、突き出した先端に力の全てを籠める。
「何の役にも立たない、それでいて無駄に光る物ばかりを集めては、せっせと巣に貯め込もうとする……。カラスとニートは似ているわ」
アッシュが言った。「わたくしの可愛いカラスちゃん。早くウチに戻っていらっしゃい」
アッシュの動きが僅かながら速くなる。それに呼応するように、僕もダガーを前へと繰り出す。互いに決定打は打ちこめず決闘は膠着状態に陥る。
「なかなかいい反応ねッ!」アッシュがそう賛辞する。別に嬉しくもないが。
「ここでかなり鍛えられたからな」
ダガーとレイピアを交錯させたまま、互いの力が拮抗する。
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