第70話 ニート集結

 幸いにも携行していたツインダガーで僕は何度もスライスした。しかし、アーム端末が無いため、いかほどのダメージを与えていたかは分からない。そもそも僕だけの攻撃では、亀型のモンスターは蚊ほどにも刺された様子は無い。そして無情にもカウントは三秒を経過してしまう。


 警報音が鳴り、壁の上部に設置されていた回転灯が赤く明滅する。侵入者アリ、という通報を本館に告げた合図だ。


 僕たちはモンスターの攻略を諦め、アダマンタイマイの体を透って逃げ出した。

 階段を下り、やがてエントランスロビーに抜けた。すると前方から複数人の警備員が駆けつけてきたのを視認すると、反転して侵入した経路を舞い戻ることにした。


 非常ドアを抜けると、先ほどまで降りしきっていた雨はやんでいた。曇り空の隙間から、煌々と照らす月明かりが、僕たちを幻惑するかのように包んだ。

 雨の匂いを嗅ぎながら、僕たちは必死に逃げた。


「連絡橋はこっちじゃないよ!」


 僕は先頭を走るアカバネに言った。橋とは、バスに揺られて本土からこの離島へと渡って来た連絡橋のことである。


「元より連絡橋なんて渡る気は無いわ。封鎖されているに決まっているものッ!」

 そう言ってアカバネは前方を指さした。岸壁に寄り添うように船が一隻、停泊しているのが見えた。


「まさか、船に乗るのかよ?」


「ええ」


「誰が操縦を?」 

 アカバネとパピヨンは二人とも無言であった。そりゃあそうだろう。引きこもりの癖に、船舶免許を持っていたらビックリだ。


「ここら辺一帯の潮流は東京湾湾港に流れている。ここを抜けて船を沖合に出すことができれば、あとは天にこの身を委ねるしかないわね」アカバネは走りながら言った。


 木製のタラップを渡り僕は船に乗り込む。


 アカバネが港のビット(鉄杭)から括りつけてある係留索を解く。

 パピヨンは腰に帯びていた警棒を、追いかけてきた警備員たちの目の前で大きく振り回す。


 僕は何をしていいか分からず、甲板の上をただウロウロとするだけであった。そして、僕はふいに船の帆を見上げた。その白い布地にドクロのマーク、つまりジョリーロジャーが描かれていたのを、月の明かりで確認したのであった。——乗船した船は、元は遊覧船であろう海賊船だったのだ。それを見た瞬間、嫌な予感がした。そしてその予感は的中したのだった。


「無駄な抵抗はやめなさい、この虫けらども!」


 ウグイス嬢のような美声。それは帆の見晴らし台の方から聞こえてきた。黒の羽根つき帽子を被り葡萄色のジェストコール、それに優雅に着こなした赤色のジレ。ガンベルトにはフリントロック式の銃と、月夜に照らしだされたレイピア……。


 そんなコスプレを島内でするヤツは一人しかいねえッ!


「アッシュクロウ!」


 僕の声にアカバネとパピヨンも反応した。

 ひときわ目立つ衣装に麗しいほどの甲高い声。アッシュが僕たちを睥睨しながら虫けらと蔑んだ。


「どうしてここに?」

 僕はアッシュに訊いた。


「ニートたちの行動なんて、全てわたくしには筒抜けですのよ。そもそもここを抜け出そうなんて愚かなことは考えないようにと、あれほど釘を刺しておいたのに、本当に馬鹿な人たちね!」


 アッシュはカラスのマスクを外すとうんざりした顔で僕たちを見下ろした。


 すると船内からトコトコと一人の男が歩いてきた。山吹色のジャージを着用し、鳥の巣のようなボサボサ頭に無精髭。オッサンの雰囲気を漂わせる中から煙立つマスコット的な愛嬌。


「ホ、ホビット?」

 僕はそう言った。


「いいお友達を持ったわね」

 アッシュがニヤリと笑った。


「僕たちを売ったのか?」

 ホビットは無言のまま答えようとしない。


「どうして、どうしてだよ……ホビット!」


 ホビットはクイッと顔を上げ、

「すまねえ。でも俺は、お前にここから出て行って欲しくなかったんだ」。


「お友達との感動のご対面、と言いたいところだけど、貴殿たちのその慌てぶりから推察するに、どうやらこのニートピアの秘密を知ってしまったようね」


 アッシュは帆柱からロープを手繰り寄せると、それを伝ってするすると甲板の上に降り立った。


 アカバネとパピヨンはタラップの下で警備員に囲まれている。甲板の上で僕はアッシュそして彼女の横に並ぶホビットと対峙していた。


「でもこうなった以上仕方ありませんこと。貴殿たちにはここで消えてもらいましょうか。もちろん、既に青みがかったその貴重な血液を全て戴いてね」


「ちょっと待て!」アッシュの言葉にホビットがいきり立った。


「話が違うぞアッシュ。クロパンたちを捕縛しても、全ての行いは不問に処すと言う約束だろ? 元の生活に戻してれるという話だっただろ?」

 ホビットがアッシュに詰め寄った。


「ええそうですわ。彼らの貴重な血液はちゃんと、世界の人々のために活用させていただきますの。彼らの犯した罪の贖いとして一滴残らず採血してね。それで全てがチャラよ」


 突然、アッシュは腰に帯びていたフリントロック式の銃を抜いて、銃口を僕に向けると引き金を引いた。


 銃口がフラッシュした瞬間、僕の体に電流のような痛みが走った。


「クッ!」


 僕はその痛みで思わず片膝を甲板に付いた。体が痺れて、動きが取れない。


「この銃には実弾は込めておりませんのでご心配なく」


「じゃ、じゃあこの痛みは一体?」

 ウェアラブル装備はパピヨンの城で外したはずだ。だとしたらこの痛みは一体どこからもたらされたものなのか?


「入所式にご説明申し上げたはずよ。貴殿たちの体内にはナノマシンが注入してあると。何か悪戯をすれば、手元のスイッチひとつで、貴殿たちをどうにでもできるのよ」


 僕はここに連れて来られた当日のことを思い返した。椅子に座っていた僕たちの体を、アッシュがスイッチを押すことで電流が流され、全てのニートモが悲鳴を上げたあの日の出来事を。


「で、どうなさいますの?」

 アッシュは僕にゆっくりと近づいてきた。そしてもう一度銃口を向け、引き金を引く。


「グアッ!」


 僕は悶絶して、甲板をのたうち回った。


「コレ、ちょっとしたスタンガンのような代物ですのよ」


 上品な物言いながら、その笑みを湛えた表情は下衆そのものだった。

「クソッ」


 残念ながら僕たちの逃亡劇はこれでお終いだ。そう思ったときだった。

 ホビットがアッシュの腕に噛みつく。それをアッシュは振り解くと、ホビットを足蹴にする。彼はゴムボールのように甲板をバウンドした。


「クッ……」


 僕は手の甲で汗を拭った。じりじりとアッシュが間合いを詰めて来る。原理がどんなものかは知らないが、あんなものを何発も撃ちこまれては身が持たない。——ここで僕の人生は終わりか。


「こっちを見ろッ!」


 ホビットが波風よりも高い声で叫んだ。

 アッシュがその声に反応する。


「あ、あ、あ、うわーーーーーーーーーーん!」


 突如、アッシュが取り乱し、大きな声を上げて泣き出したのだ。僕もホビットを見

る。彼は隠し持っていたライオンのマスクを被って四つん這いになり、ガオオオオオオっと咆哮したのだ。山吹色のジャージとリアルな造形のマスクとが相まって、ホビットは着ぐるみのような得体の知れない、動体物へと変化したのであった。


「いやーーーーんやめてよ、うぇーーーーーーーーん」


 大人であるアッシュが子供のように泣き叫んだ。持っていた銃を甲板に落とすと、錯乱したようにレイピアを握りしめて、タラップを降りて行った。そしてアカバネとパピヨンを突き飛ばすと、彼女たちを囲んでいた警備員を蹴散らすように、レイピアをブンブンと振り回してどこかへ走り去ってしまった。


「アッシュは着ぐるみ恐怖症だ!」僕は興奮しながら叫んだ。


「今だ! 早く船に乗れ!」

 ホビットがマスクを剥ぎ二足で立ち上がると、片腕を挙げて僕たちに乗船を促した。

 彼女たちが乗船すると同時に船は抜錨して、港をゆっくりと離れていった。

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