第32話 ニートの凱旋

 僕は施設長室を追い出されてしまう。同時に、これまでのように僕はどこで何をしていようと自由の身ということだ。

 さてこれからどうしたものか。


 思案している内に腹が減ってきた。そしてどうにも足腰が重い。

 空腹、そして疲労。


 疲労の蓄積度とは、これまでデブドラの腹芸に苦しめられた日数の積み重ね分だ。

 しばらくは自室でへたり込んでいたが、このままここでじっとしていても仕方がないので、おぼつかない足取りのまま壁を伝い食堂に向かった。


 息も絶え絶えに食堂入口のスイングドアを外側に向けた瞬間だった。座って朝食を摂っていた者たちが一斉に僕の方を振り向いた。


「来たぞ来たぞ、伝説の勇者が!」


 小走りに僕の元へ駆け寄ってきた男がいる。——ホビットだ。


「どうしたんだよホビット、そんなに嬉しそうな顔して?」


 そう声を掛けると、ホビットが二度ほど僕の太腿ふとももをバンバンと叩いた。


「何言ってやがる。食堂内はお前の話題で持ち切りだ。三寮長の一人【暴食ファットバスタードのデブドラ】を倒したってな。みんな大騒ぎだ」

 食堂にいたニートモたちがしきりに頷いたり、隣の者同士で相槌を打ったりしている。


「どうしてそのこと知ってんだよ」


「廊下に備え付けてある監視カメラが、偶然にもお前の部屋の内部を撮影していたんだ。その動画が施設内のイントラネットに流出していて、ノートPCでお前の活躍をみんなが見た、というわけだ」


「あの一部始終を見てたのか?」


「ああ。颯爽と黒パンストを腕に填めてデブドラに襲い掛かるお前の姿、あれは本当に恰好良かったなぁ。まるで『サイコガン』みたいだ。こうなったらクロパンなんてもう呼べないな。よし決めた。今日からお前の名前はコブラ、スペースコブラにしよう!」

 ホビットはテーブルの上によじのぼり、


「なあみんな、今日からこの御仁のことをクロパンじゃなくてコブラと呼ぶぞ!」

 と呼びかけた。それに応じた食堂内のニートモたちが一斉にコブラ、コブラと大合唱しだした。


「お。おい、いいよ前のままクロパンで。てかサイコガンとかスペースコブラって何? ラノベ?」


「何言ってるんだコブラ。コブラの方が恰好いいじゃないか」


「いや」


 僕はほとほと困り果てた顔をした。

「僕はヒーローでも勇者でも無い、単なる引きこもりの高校生だ。いくら強そうな名前を付けてもらったからと言って、これからの人生が薔薇色になるわけでもないだろうし、むしろ名前に触発されてまた変な輩に絡まれることの方が心配だ。ストリートファイトはもう御免だよ」


「分かった。そこまで言うんならこうしよう。パンストをめたあの腕の動き、あれは蛇だ。獲物に颯爽と襲い掛かる獰猛で狡猾な蛇。それも蛇の王様キングコブラという設定にしよう。どちらにしても名前はコブラだけどな!」


 再び食堂内がコブラと大合唱した。


「いいから、もうクロパンのままでいいから! お願いだからクロパンにして!」


 テーブルの端々にニートモたちの人垣ができる。その人垣から放たれる拍手で出迎えられ、僕は食堂の奥へと誘われた。そこにはランドリー係のドールたちが椅子の背もたれを持ちながら、恭しくお辞儀をした。僕が座りやすいように椅子を後ろへとずらしてくれた。


「ご苦労様クロパン君」


「あ、ああ、ありがとう。心配かけてゴメン」


 僕はドールに謝った。


 椅子に座ると、マウスとアマゾネスが僕の分の食事を運んで来てくれた。配給される食事は学校給食みたいで豪勢なものでは無い。しかし鬱屈した生活の中で食事は、何にも代え難い娯楽の一つであった。中でもニートモたちが楽しみにしているのは、ひとりにひとつずつ支給されるカッププリンだ。そのプリンをニートモたちが去り際、僕のテーブルに一個、また一個と置いて行った。その数合わせると五十くらいになった。


「食べきれないよ」

 僕は苦笑いした。


「配給制のデザートをお前に差し出す。ニートモたちの最大級の賛辞だ。気にせず受け取れよ。ま、それだけみんな、デブドラには苦々しい思いをさせられていたということだ」

 そう言って僕の前にホビットが座った。「食べきれないというのなら俺がいただくぜ」

 と、山積みされたプリンのひとつにホビットは手を伸ばした。


「じゃあ僕も、いただきます」


 僕は目を閉じながら、胸の前で掌を合わせた。

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