第3章 ボーイニーツガール

第31話 ニートピア施設長 アッシュクロウ

 時間の感覚は不明瞭。けど僕は三日ほど懲罰房に入れられていたんだと思う。


 ニートモ同士で乱闘を起こすことは固く禁じられているのはよく知っている。

 結局、デブドラには何も沙汰が下されず、殴りかかった僕だけが暗闇に支配されている独居房に入れられたのだと、職員から聞かされた。別に不公平だとは思わないけどな。


 僕は暗闇の中で呻いていた。しかしこれでも幸せな方だったのだ。デブドラの腹芸地獄から解放され、幾ばくかの惰眠を貪ることができたのだから。


************************************



 懲罰房から出されると、手首に手錠を枷られ、口には箝口具かんこうぐくわえさせられた。そんな全身拘束の状態で連れていかれた場所は、本館最上階の施設長室というところであった。


 僕を両脇から抱えていた職員のひとりが、オートロック式の扉をノックする。

 しばらくするとピッという電子音と共に扉の開錠音がガシャッと鳴った。乱暴に背中を押され、真横にスライドした扉の中に押し込まれた僕は、その光景に目を丸くした。


 飴色の仄暗い光を放つシャンデリアに年代物の調度品の数々。古びた本棚にはびっしりと洋書が詰まり、床には大きな宝箱が五つ。壁には羊皮紙で描かれた世界地図とドクロマークの海賊旗ジョリーロジャーが掲げられている。

 海賊船の船長室を模した感じのこの空間は、堅苦しく想像していた施設長室のイメージを大きく覆した。


「ニート! ニート!」


 部屋の片隅に置かれた鳥籠の中の黒い羽を持つ鳥が、僕を見るなりしきりにそう騒ぎ始めた。


「九官鳥? いや、カラスだ。カラスが喋った」

 僕は不思議に思いながらも、自由に身動きが取れるのならその漆黒の羽をむしってやるところだ。


 マホガニー材の頑丈そうなテーブルに脚を乗せ、ハミングしながら爪を砥いでいる女がひとり、ロッキングチェアに腰掛けている。アタマのイタそうな女だ。僕の直感がそう告げる。しかしこの女、どこかで見た気がする。


 僕の自由を奪っていたすべての拘束が職員の手によって外される。


 黒真珠のような艶やかな髪の女は僕を一瞥すると、爪ヤスリをテーブルの上に置いた。


「カラスも訓練次第では、インコやオウムのように喋ることができますのよ」


 その声には聞き覚えがあった。


 密林のように乱雑に散らかったテーブルの上から何やら光る物を手に取ると、女は放物線を描いてそれを僕に投げ寄越した。


「ご褒美としては破格だけど、あのデブを懲らしめてくれたお礼にそれを贈呈しましょう。彼の奇行の数々には辟易するくらい、近頃てこずっておりましたから」


 受け取った光る物体を掌の上で開けてみると、それは金貨だった。「壱萬ニータ」と表面に刻印されている。


 それをまじまじと眺めながら、

「あんたは誰だ?」

 と僕は訊いた。


 女は脚をテーブルから下ろすと、前後に揺れ動くチェアからピョンと前へ飛び出した。 

 身長はさして高くない分、一見すると幼く見えたけれど、歳は僕よりもずっと上だろう。


 女は僕の前までやって来ると、お辞儀するように腰を折り、じーっと上目遣いで僕の目を見つめた。しばらくしてから背筋を伸ばすと、ひとさし指で僕の顎の下をちょんと触った。そこで初めて、パンフレットにその顔写真が記載されていたのを思い出した。


「以前にもお会いしているはずよクロパン君。わたくしはこのニートピアの施設長、烏丸映子からすまえいこ。そしてまたの名を——」


 女は両腕を拡げ、羽ばたくような真似をした。「アッシュクロウよ」


 黒の羽根つき帽子を被り、葡萄色のジェストコールと朱色のジレを優雅に着こなしている。薄いピンク色のブラウスが胸元ではだけ、豊かなバストがチラリと見える。大きなベルトにはフリントロック式の銃と細身剣(レイピア)を帯びており、下半身はミニスカートに黒のロングブーツ。いわゆる海賊船の船長のコスプレだった。


「海賊がお好きなのですか?」

 僕は部屋を見回しながら訊いた。


「ふふふ」


 アッシュは後ろで手を組むと、膝の関節を曲げないまま、踵だけでカツカツと音を立てて僕の周囲を歩き始めた。そして部屋の中央にある船の舵輪を掴むと勢いよく回した。グルーングルーンという音が室内に響く。


「あるおエライ人がこうおっしゃいました。『我々が宇宙を航海するために使うこの地球とはよくできた船である』と。ということは、世の中で忌み嫌われるニートたちが居るこの施設は、差し詰め非合法イリーガルな海賊船のようなものだとわたくしは考えましたの」


 何か癇の障る言い方だ。


「宇宙船ならぬ海賊船地球号、なんてね」

 テヘ、と言いながら柔らかい握りこぶしで自分の頭をコツリとやった。

「ここニートピアはまさに船の中と一緒、一度乗船したら二度とおかに上がることはできませんのよ。もっとも、自分からここを出て行きたいという人はあまりいらっしゃらないけれど」


「ここは支援施設だから、ニートモが出て行きたいという自発的願望は尊重すべきではないのですか? 以前受け取ったメール文にも、そのようなニュアンスが書かれていましたが」

 僕はなぜだかこの女性に反抗したくなった。


「そうね」

 アッシュは少し考えるふりをした。そして口から出てきた言葉は意外なものであった。


「ここに入所しているニートたちは、特定の環境下でしか己の人格、意識、主義、主張を発揮できない者たちであるとわたくしどもは認識しているの。そんなエゴを貫いた結果、多くの人間を不幸にしてきた。よくお考えあそばせ。貴殿たちが、一体どれだけ家人に迷惑を掛けたのかを。かけがえのない家庭を、無間地獄と化してしまったことへの己の罪深さを」


 アッシュの言葉は痛いほどに胸に刺さった。


 確かに彼女の言うとおりだよ。僕は父に、そして母に多大な迷惑を掛けた。暴言を吐いたばかりか、時には暴力までふるってしまっていたのだから。どれだけ謝罪の言葉を口にしても、両親には届かないような気がした。僕はここで生まれ変わる必要がある。


「だとしたら無理してここを出て行く必要などあるかしら? そもそも、貴殿たちを必要としてくれる人など、果たしてこの世にいるのかしら?」


 アッシュの問い掛けに僕は無言を貫いた。反論できる余地はない。


「それに一生ここで飼われたとして、それが一体何の問題になると? そうね、自立支援施設を謳っていることに関しては、否定をしなくてはならないでしょうね。でもご安心なさい。貴殿たちの面倒は、わたくしどもが見て差し上げます……永久にね。とは言え、ニートピア内で面倒ごとを起こすとどうなるか……」


 アッシュは僕に近づくと、腰に帯びていたレイピアを抜いた。そして丸みの帯びた剣先で僕の胸を軽く突くと、ビリッと電流が走った。


「イタッ!」


 僕は情けないことに幼女のような声を上げた。


「金輪際容赦いたしませんのでそのことをお忘れなく」


 アッシュは手の甲を内側に折り曲げ、そして勢いよく外側に向けた。ここを出て行きなさいという合図である。

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