第30話 ニートの反撃
僕はベッドで寝ていた。正確には寝ているフリだ。おそらくもう少し時間が経過すれば、アイツが僕の部屋を訪れるはず。僕はその瞬間を今か今かと待っていたんだ。するとピンポンというチャイムが鳴った。——デブドラだ。
「クロパンさん、まだ起きておりますか?」
デブドラが断りも無く僕の部屋に入って来る。いや、今宵に限ってはあえてオートロックは解除しておいた。デブドラは腹芸を早く披露したくて待ちきれないのか、玄関の扉も閉めずに室内へと入って来る。
僕はわざと眠そうな目を擦りながら体を起こし、デブドラを一瞥する。
「おやすみのところ申し訳ありませんねえ。でもワシはアナタに出逢えて本当に嬉しいです。アナタ以上にワシの腹芸を理解してくれる人は、ココにはいませんからねえ」
そう言うといきなりジャージの上着を脱ぎだした。あの見慣れた三段腹が僕の目の前で露わになる。
デブドラは窓に近づくと、サッとカーテンを閉める。
「よォご両人さん、今夜もかい? お熱いねえ!」
どこかの寮室からそんな声が聞こえてきた。その声に呼応するように部屋のあちこちから指笛を鳴らすのが聞こえた。
「ハハハハ、今宵も盛大に楽しみたいと思います~。皆さんも良い夢を見てください!」
デブドラは廊下に向かってそう言い放つと僕の方へ体を向けた。その巨体を揺らして近づいてくる。
「さあ今夜はどちらでいたしましょうか? ベッドの上? それとも床の上?」
「ベッドの上がいいな」
「ほうほう。そうですか、ではまずベッドを整えてと……」
ベッドメイキングを入念に行うため、デブドラが両手をシーツにかけたときだった。ベッドにちょこんと座っていた僕はこの瞬間を逃さなかった。ヤツの腹の下敷きになっているジャージズボンに手を掛けた。
「ウホッ! おやおやクロパンさんから誘って来るなんて珍しいじゃないですか。余程ワシの腹芸がお気に召したと見える。そう慌てなくてもワシは逃げませんから」
僕はデブドラのズボンを下げると、鏡餅のような贅肉を上に押し上げた。そして腹の間を覗き込むと、僕が睨んだ通りだった。
贅肉と贅肉の間に『オモロイこと』と油性マジックで書かれていた!
僕はその文字を確認すると枕の下に隠してあった黒パンストを素早く右手に填めた。そしてランドリー室から持ち出したアノ緑色の固形物を握りしめると、タプンと露わになったヤツの三段腹目掛けて右手を突っ込んだ。
「腹芸破れたりッ! 喰らえッ、【センター・オブ・ジ・アース】!」
ウタマロ石鹸 を腹の中に突っ込むと、石鹸はすぐさま水気を帯び、黒パンストによく馴染んでくれた。右手を左右に恐ろしいスピードで動かすことでデブドラの自筆の『オモロイこと』という文字を消すのが狙いだったのさ。
「ひゃひゃひゃひゃ~」
シーツを握りしめたまま、デブドラが仰向けに倒れた。
ドスーンという音がゲロイカ寮内に響く。
「い、いまクロパンさん、何をしましたの?」
僕は倒れているデブドラの顔を足の裏で踏みつけた。
「『サブリミナル効果』ってのは知ってるよな?」
「シャ、シャビナミルコッカー?」
「上映中の映画館で『コーラを飲め』というメッセージのスライドを二重に映写させた結果、観覧者がコーラを買い求めたという実験を経て得られた効果のことだ。つまりお前の腹芸とは、腹の中に仕込んだメッセージで人間の潜在意識に訴えかけ、過去に記憶した面白いことを思い出させるだけの芸ってことだ!」
「ひょ、ひょんなこない」
「だが、その秘密がバレた以上、もうお前の腹芸なんて怖くないぜ。綺麗さっぱり僕の『ウタマロ石鹸』でマジックインキを消したからな」
「う、うひょお~」
デブドラは僕の足を払いのけると、床に膝をつきながら立ち上がった。
「ハァハァハァ。ここは、暑くてかないませんねえ。汗がビッショリです。今すぐにでもシャワーを浴び、冷たい物でも飲みたい気分です。『ウチの教室だけ異様に室温が高い』。アナタ、そんなことをクラスメイトから言われたことがありますか?」
「脂肪が脳味噌まで到達したか? 何をわけ分からねえこと言ってんだ」
「生まれつき体がおデブのワシは夏になると決まって皆からそう言われたものです。『暑苦しい』だの『むさ苦しいだの』。ハァハァ、運動会では必ずクラス対抗のリレー競争がありましてね。クラス全員でバトンをリレーするため、一人でも足を引っ張るヤツがいると優勝なんて狙えない。そのリレー競争でどれだけ他のクラスより大差をつけていてもワシのところで必ず抜かされる。『運動会当日、休んでくれない?』。何度そんなことを言われたことか……」
デブドラの眼鏡が体から蒸散する湯気で曇っている。
「ダイエットも試みたんですがね、先天性の病気で一生痩せることはないのだと、主治医は申していました。このだらしない体のせいでどれだけイジメられたことか。毎日サッカーボールのように蹴られました。サッカーボールですよ。進入禁止のポールをゴールに見立てて、生徒が互いにワシを蹴り合うのです。それを見ていた先生もワシを助けるどころか指さして笑うだけ。もう死にたい。何度そう思ったことか。しかし長生きはしてみるもんですね。
ニートピアは違ったのです。皆がワシの腹芸で心の底から笑ってくれる。ワシのコンプレックスな部分でも役に立つのだと知って、とても嬉しかったですねえ。でもその腹芸のネタも尽きかけてきたとき、ワシは恐怖を感じました。このままでは再び皆から嫌われる存在になってしまうのではないかと。サブリミナルにどれほどの効果があったかは知りませんが、『オモロイこと』と腹の内に書いてからのワシは正に無敵でした。鬼に金棒というやつです」
デブドラは一息つくと、
「せっかく手に入れた地位をこのまま黙って手放すわけにはいきません」
デブドラは全ての衣服を脱ぎ捨てブリーフ一枚なった。
「暴力は嫌いですが、アナタとは此処でお別れです」
デブドラは立ち上がった位置で上下にジャンプし出した。スパンスパンスパンと贅肉同士が激しくぶつかり合う音が鳴り響く。
「よおくご覧なさい、秘技【スプラッシュ・マウンテン】!」
デブドラはフィギュアスケートの選手のようにジャンプしながらくるっと一回転してみせた。しかし、デブドラの体からは何も飛び出さなかった。
「あれ、どうしてです? 汗が、汗が飛び散らない」
何度も何度もジャンプしては回転して見せるが、汗は一滴も飛び散ることは無かった。
「おい、デブ。曇った眼鏡で見えねえかもしれねえが俺の両手をよく見てみろ。右手は『ウタマロ石鹸』を含んだ黒パンスト。そして左手に填めた黒パンストは何が含まれているか分かるか?」
俺は左こぶしを握りしめた。填めていた黒パンストからジュッという音と共に水が滴り落ちた。
「その水滴、まさか」
「左手で吸い取ったお前の汚い汗、そっくり返すぜ」
僕はデブドラ目掛けて突進した。
「【ハニーハント】!」
僕は右手でデブドラの眼鏡を吹き飛ばすと、左手でデブドラのこめかみを掴んだ。プロレス技で言うところのアイアンクローという技だ。
「あとほんの少しでも左手を強く握りしめたら、お前の全身から拭き取った強アルカリ性の汗が目に入るぞ」
デブドラの呼吸が激しくなった。
「お、おやりなさい!」
「なんだと?」
「ハァハァ、ワシはアナタには多大な迷惑を掛けましたからね。それに目を覆いたくなるような世界を散々経験しました。ワシが引きこもった理由がよくわかったでしょう? もうこの世で見たいものは、何もありませんよ。こう見えてもですね、飢死を待つくらいなら火あぶりの方を選ぶ気質なのですよ」
急に何だか悲しくなった。この男を狂気に駆り立てた者は、他の誰でも無い信頼し合えるはずのクラスメイトだったんだって。
僕はヤツのこめかみから手を離した。
「見たいものが無いのなら、自分で見たいものを創れよ。それが人ってもんだろ」
その言葉を聞いていたのかは知らないが、デブドラは膝からガクリと落ち床に倒れた。
寮内にけたたましい音のサイレンが鳴る。すぐさまニートピアの職員たちが僕の部屋に踏み込んできた。僕はすぐさま職員に拘束される。寮の規則を思い出したよ。
「貴様、こんな騒ぎを起こして、どうなるか分かっているのかッ?」
僕は職員に向かってこう言い返してやった。
「どうなるかって? それは僕が決めることだ!」
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