プロローグ
第1話 ニートのホビット
【自室へと引きこもるようになった理由を正直に話しなさい。それが隣人と打ち解け合う秘訣です】
スローガンのようなこの標語は施設の至る所で掲げられている。
あてがわれた個室は勿論のこと、共同トイレや大浴場、メインホールにそして現在僕が居るこの食堂にまで、標語は嫌と言うほど目に入ってきた。最初は正直、鬱陶しくて仕方がなかった。
僕の目の前に小ぢんまりと座るこの小男も、その例の標語を口にした。
「で、何がきっかけなんだ?」
泣きじゃくる子供を慰めるような優しい声で、小男が訊ねてきた。見ず知らずの他人とは言え、自分の忌々しい過去を吐露することは、やっぱり気が引けるというものだ。
男の言葉を無視し、しばらく口を噤んでいると、
「おお、そうだった、すまない。他人の理由を聞く前にまずは自分のことを話すのが礼儀だよな。俺が引きこもった理由は火を見るより明らか。……このチンチクリンな体さ」
親指を立てて、小男は自分の胸を指差した。
「チビ、小人、ゴブリン、ベビー、インプ……自分が小人症なのだと自覚したのは六歳くらいのときだ。蔑まれるようなあだ名はすべてこの小さな小さな体に由来するものばかり。自分でその名を口にするのですら
小男がテーブルに這い上がり身を乗り出す。
「ホビット。
鳥の巣のようなボサボサ頭に無精髭。オッサンの雰囲気を漂わせる中から煙立つマスコット的な愛嬌。そんなホビットが僕に向かって手を差し出してきた。
僕は周囲を見渡した。
誰も僕らの存在など気にしていないようだ。何だか恥ずかしいと思いながらも、差し出された彼の小さな手を握った。この閉鎖的な施設で頼れる存在など皆無に等しいと分かっていたから、許可も得ずに僕の前に座ったこの小男にでさえ、すがりたかったのかもしれない。
ここに来て初めての夕食は随分と質素なもので、料理はどれも薄味ばかり。早く元の生活に戻って、炭酸飲料とスナック菓子と油ギッシュな食事にまみれたい。
とは言え、無理やりここに連れてこられてから何も胃の中に入れていなかったのと、出されたスープが冷めてしまうと思ったから、僕は狐色の液体を素早くスプーンで掬って口の中に入れた。なんだか
「それじゃあ次はお前の番だ」
ホビットは身乗りしたテーブルから席に戻ると、パンをちぎって口の中に放り込む。そしてスープ皿ごと持ち上げると、狐色の液体をダイレクトに胃の中へと流し込んだ。唇の隙間から黄色い液体が零れる。見ていて不快極まりない。
ここは施設内本館の一階にある大食堂。建築したてなのか、真っ白な塗料に接着剤といった「真新しい」匂いがツンと香って来る。私服は全て没収され、僕やホビット、そして他の者たちは同じデザインではあるが、色違いのジャージ上下を着ていた。
「僕の名前は、
「チチチチチチチッ」
指をメトロノームのように左右に振って、ホビットが舌を鳴らした。
「このニートピアでは本名など必要ない。そもそもここでの生活は、実社会とは切り離された異世界だ。楽に行こうぜ楽に」
ホビットはそう言って研磨剤で磨いたかのような白い歯を見せた。
僕はほんの少しだけ気が楽になって、引きこもるようになった理由を、彼にポツリポツリと語り始めたんだ。
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