夕暮れの長い散歩
長谷川昏
男子高校生 × 女子高校生(幽霊)
「ねぇ、今、目が合ったよね? ねぇったら、そこの人!」
ある日の放課後、日も暮れ始めた校門の傍。
届いたその声に、
周囲には他の生徒の姿もなく、歩み去る通行人の姿もない。
聞こえなかったことにしたかったが、届いた声からそうできない気配が伝わる。
振り返れば、同じ高校の制服を着た女子生徒の姿がある。
彼女とは一年の時にクラスが一緒だったから、名前は知っているが話したことはない。
二年になり、別のクラスになった今では接点もない。
「えーっと、永原君だったっけ?」
歩み寄りながら相手はそう言う。
彼女の名前は、
クラスの中でも賑やかなグループにいた彼女とは、この先も変わらず接点もなければ会話することもないと思っていた。ほんの僅か可能性が残されていたかもしれなかったが、その機会は永遠になくなっていた。なぜなら彼女は先週の月曜に死んだからだった。
「えっ? ちょっと待ってよー。今のやり取りの後に何のリアクションもなしって、逆にすごくない?」
歩き出すと、彼女は長年の友達のような顔で後を追ってくる。
ナオはどうするべきか考えたが、選択肢は〝無視する〟の一択しかない。先程つい立ち止まってしまったことには今更の後悔しかなかった。
昔から時々こうして死んだ人が見える。子供の時からであるのでもう慣れている。
目に映る相手は大抵物陰でただ佇んでいるだけだ。死んだのを自覚して、尚且つ接触を図ろうしてくることは滅多にない。
だとしてもその度に自ら進んで関わったりしない。関わったところで何もできないと分かっているからだ。
死者を悼む思いはある。
しかしそう思うことと〝彼ら〟と無闇に関わりを持つことは別だと思っていた。
「ねぇねぇー、私の姿が見えてるってことは永原君って、れいのー者か何か?」
「違う」
「あー、やっと喋ってくれたー。それでねー永原君、私……」
「安藤さん、俺にくっついてきてもどうにもならないよ。俺、見えるだけでフツーの人だから」
「えー、そうなの? でもだからってそんな突き放さなくてもいいんじゃないのー? 話ぐらい聞いてよー、私、ここに来て何日か経つけど、気づいてくれたの永原君だけなんだよー」
ナオはもう一度足を止めた。でも別に情に絆されたからではなかった。
このままだと彼女はいつまでもついてくる。そう思ったからだった。
「立ち止まったってことは話、聞いてくれるの?」
「聞くだけなら」
「うれしー、本当は優しい人なんだね、永原君。喋ったことなかったけど、前から可愛い系のイケメンだなーって思ってたしー」
「そういうのはいいから」
「そういうのはいいからって、もしかして社交辞令だと思ってるー? そんなこと全然ないし、できればもっとお話しして親交を温めたいなー」
「温める必要はないと思うけど。大体安藤さんの目的は話を聞いてくれってことだったんじゃないの?」
「うん、まぁ、確かにそれはそうなんだけど……」
ナオが少し強く告げると彼女は意気消沈したような顔をした。それでもじきにぽつりぽつりと話し始めた。
「私、どうしてここに留まってるのかなーって、この数日ずっと考えてたんだ-。お葬式も終わってるのに、今もこの辺うろついて、じょーぶつできないのは何か心残りがあるからなんじゃないのかなーって。永原君、知ってる? 私、お風呂場で滑って、頭打って死んだんだよ。あのさ、そんな死に方ってある? いきなり過ぎない? 心の準備も何もないって」
彼女は呟くように言うと、うつむく。
ナオは彼女の人となりについて、ほとんど知らない。これまでも接点もなく、この先も予定はなかった。今聞いた話も、通りがかりに小耳に挟んだ愚痴のようなものとも言えた。
でも心が少し揺らぐ。しかしそれほどの接点もない相手に、殊更情を向け過ぎるのも違うと思っていた。そう思うことで自らの愚行を引き留めようとしていたが、言葉の方が先に出ていた。
「安藤さんの言う心残りって、何なのか分かってるのか?」
「あ、もしかして興味を持ってくれた?」
「それを聞かなきゃ、先に進めないと思ったから訊いてる」
「もー、なんか言い方がいちいち冷たいなー。もっとこう、柔らかく訊いてよー」
「……」
「あーはいはい、早く言えってことね、今言いますよ、心残りね。あのさ永原君、『
「有名なたい焼き屋だろ?」
「私、そこのたい焼きが食べたいなー」
「食べたいなーって言っても、食べられないだろ?」
「だから永原君が代わりに食べて。私は隣で見てるから」
「傍から見てるだけでいいのか?」
「うん。私、想像力豊かだから、それでへーき」
何が平気なのか分からなかったが、ナオはとりあえず歩き始めた。しかしふと、話のみを聞くつもりが、いつの間にかなし崩し的にたい焼き屋に向かうことになっているのに気づく。けれど無下に対応して、彼女と無意味なやり取りを続けるより、さっさと要望に応える方が合理的かもしれなかった。
彼女が言った『花の屋』は、学校から歩いて二十分ほどの場所にある。家とは反対方向だったが、この際仕方がなかった。
到着すると人気店であるためか店前には数人の客が並んでいる。その最後尾につくと列は運よく順当に進んで、十分ほどで買うことができた。
「わぁ、おいしそー」
再び歩きながらたい焼きを袋から取り出すと、傍に寄り添った彼女が手元を覗き込む。
「俺、甘いものはあまり得意じゃないんだけど」
「甘いのが苦手な人もおいしく食べられるそうだよ。皮が薄くて甘さ控え目で男性にも人気、って前に地元情報誌にそう書いてあった」
ナオはその言葉に勧められるように、温かな湯気を上げるたい焼きを一口食べてみた。
彼女が言ったとおり、甘すぎず食べやすい。甘味を食べる習慣は本当になかったが、評判どおり最後までおいしくいただくことができた。空になった袋を丸めてポケットに押し込むと、早速彼女が訊いてきた。
「ねぇ、どうだった?」
「……とてもおいしかった」
「えー、いいなー」
「今更だけど今みたいに見てるだけなら、余計に食べたくなったんじゃないのか?」
「ううん、満足した。だって永原君、本当においしそうに食べてたし、それで満足」
「まぁ、そっちがそれでいいなら別にいいけど」
「それじゃ一つ目が終わったところで、次行こうか!」
「次?」
「次の目的地は運河公園! 彼氏ができたらあそこでデートしたかったんだー。結局行けなかったけどね。ほらー、急がないと日が暮れちゃう、早く行こうよ、永原君」
いつまで付き合わされるのかとナオは多少微妙な気分になったが、自ら関わったことでもある。途中で拒絶するなら最初から関わりを持たなければよかった。
彼女が言う運河公園は最寄り駅の北側にある。
ここからだと三十分以上歩くことになるが、これも乗りかかった船だと自分自身に言い聞かせるしかなかった。
「あの公園、友達とは行ったことあるんだけどね」
「ふーん」
「もう随分前、中学の時に仲よかった友達と行ったんだー。あの頃はほんとに楽しかったなー。今と違って、いろんなことが呑気でいられた。見た目を気にするとか、誰それと一緒にいるからイケてるとかイケてないとか、そんなのを考える必要もなかった。ただ楽しいって思いだけで、仲のいい友達と一緒にいればよかった」
「……」
「なーんてね、今のは嘘、ただのそーさく話。永原君、イマイチ乗り気じゃないから、ちょっと悲しい幽霊の雰囲気出してみただけー」
彼女はおどけたように笑うと、先を歩いていった。
目的地の運河公園はその名のとおり、運河の旧舟だまりを利用して造られた広大な公園だった。美しい河の流れはそのままに、周囲の景観を上手く取り込んだ公園造りがしてある。傍には桜並木に遊歩道、芝生広場や有名コーヒーショップもある。河の両岸を繋げた大きな展望橋からは遠くの景色まで見渡すことができた。
公園に着いた頃には、辺りはもう暗くなり始めていた。水面で羽を休めていた水鳥達も寝床に戻るのか次々に飛び立っていった。
「あそこのカフェでラテを買って、彼氏といちゃいちゃしながらここを散歩するのが夢だったんだー」
「そうか」
「そうかって、永原君ってなんか一貫してどっか冷めてるよねー。それにちょっと引いてない? 女子の妄想マジくだらねぇーって」
「くだらないとは思ってないよ」
「思ってないとか言って、本当は思ってそう」
「そう思いたいならそれでいいよ。それで公園には着いたけどこれでいいの?」
「んー、そうだなー」
「安藤さん、本当は彼氏云々はどうでもよくて、もっと別のことが気になってるんじゃないのか」
「えっ? どうしてそう思うの……?」
「さっきの話」
「やだなー永原君、あの話まだ引き摺ってたのー? 作り話だって言ったじゃない」
「……そう?」
「そうだよ。妄想ならぬただの馬鹿な女子の妄言だよ」
彼女は答えると、背を向けて歩いていった。
河のすぐ傍に立ち、柵から身を乗り出すようにして水中で揺れる藻を見下ろしている。
ナオは今にも落ちそうなその姿に注意を促そうとして、それに意味がないことに気づいて言葉を呑み込んだ。
「うん、嘘」
「え?」
「さっきの話、嘘だって言ったことが嘘。あのね永原君、私、中学の時にとても仲がよかった子がいたんだ。彼女とはそのまま同じ高校に進学したんだけど私、自分から彼女とは疎遠になるように仕向けた。高校生になったのを機に、もっとイケてる子達と付き合いたかったから。その望みは叶ったよ。望んだとおりの新しい友達はできたし、毎日その新しい友達達と遊び回ってとても楽しかった。だから地味だった中学時代のことは全部忘れることにした。校内で彼女が話しかけてきても、適当にあしらって非情なくらい距離を置いた。それが正しいことだと思ってたから。でも多分、本当は心のどこかで違うと思ってた。だから今もこうしてどこにも行けず、いつまでもここにいる。ねぇ、永原君」
「何?」
「私、彼女に手紙を渡したい。お願い、私は書けないから代わりに書いて、彼女に渡してほしい」
「……それで安藤さんの気が晴れるなら書いても構わない。でも……」
「でも?」
「相手に真意が伝わるかまでは責任取れない。今その手紙を渡しても俺が書くんだから字だって違うし、もしかしたら相手はいたずらと思って読みもしないかもしれない」
「そうだね。だけどそうなっても仕方がないかな。どう取られても私が生きているうちにやらなかったから、結果としてそうなった。永原君に責任取れなんて言わないよ。全部分かってる。だからお願い」
******
手紙を書くための便箋と封筒は、駅の南側にある複合商業施設で調達した。その後は駅構内のベンチに座って、何度も言葉を吟味する彼女の言うとおりに手紙をしたためた。
宛て主の家に到着した頃には、日はとうに暮れていた。
案内された住宅街の一軒家の前に立つと、彼女が隣で呟いた。
「永原君、今日は色々ありがとう」
「俺、礼を言われるほどのことはしてないよ」
「そんなことないよ。私の姿に気づいてくれたし、結局無視もしなかった」
「それ以前に無視させてもくれなかったけど」
「まぁそれは私も少し押しが強かったよね」
彼女は笑うと「手紙はポストに入れて」と続けた。
ナオが門柱に備え付けられたポストに手紙を落とすと、再び言葉が届いた。
「ねぇ永原君、これで少しでもあの子に伝わるかな」
「分からない。俺はこの子でもないし、安藤さんでもないから」
「ふふ、永原君って面白いよね。生きてるうちにもっと喋りたかった」
そう声が届いた方にナオが目を向けると、そこにはもう誰の姿もなかった。
一陣の風が吹き、彼女がいた痕跡すら攫っていった気がしていた。
それには微か寂しい思いもしたが、これが正しいことだった。
彼女の思いが相手に伝わるかは分からない。もしかしたら彼女が悔やんでいたこと自体、相手にとっては既に過去のものとなっていたかもしれない。彼女が渡したあの手紙も、一方的な思いの押しつけに終わるかもしれない。
でもそれも含めて彼女は受け入れていた。
人がいつ死ぬかなど誰にも分からない。
自分も明日、あっさり死ぬかもしれないとナオは思う。
心残りがないように生きていても、彼女のように留まってしまうこともあるかもしれない。
「……とりあえずあのたい焼きはもう一度食べたいかな」
ナオはひとり呟くと、夕暮れの長い散歩を終えて帰路についた。
〈了〉
夕暮れの長い散歩 長谷川昏 @sino4no69
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