第2話 おっぱいの暴力
俺は一度バスに戻ろうと考えていた。マグボトルを入れたショルダーバッグを取りに、それとバスに置き去りにしてきた片岡のことも気になる。
バスタラップを勢いよく駆け上がり自分の座席を見下ろす。——片岡がいない。ていうか、バスの中にはすでに誰もいない。
「そりゃそうだよな。テーマパークを前に猛然とダッシュしない高校生なんて、この世にはいねえよ」
バスから降りて、俺はひとりエントランスへと歩いて行く。周囲を見渡したが、俺のクラスメイトはどこにもいない。
「それにしても片岡のヤツ、いったいどこに消えたんだよ。——まさか、計画の共犯を頼んでおきながら、俺を置いて先にパーク内に入ったんじゃねえだろうな?」
エントランスの開閉バーは、光学センサーで管理されている。手にしたチケットをセンサーにかざせば、金属バーが開いて入場できる仕組みだ。が、ちょっと待てよ。こういうのってパークの従業員が「ようこそいらっしゃいませ」と、満面の笑顔で誘導してくれるものなんじゃねえのか?
まだお昼前だと言うのに、エントランス付近には俺以外誰もいない。客も従業員もだ。不思議なくらい閑散としている。平日だからか?
このとき俺はパーク内の異変に気が付いた。
よく耳をすませば、凱旋門のようなメインゲートの向こう側から人の悲鳴が聞こえる。まあ、ジェットコースターのような重力加速度のバケモノなんかに乗れば、悲鳴くらい誰だって上げる。けど、怒号はどうだ? こんな夢の国で他人を激しく罵るようなカリカリしているヤツなんて普通いるか?
「何に腹を立てているかは知らねえけどここは夢の国なんだ。みんな仲良くしようぜ——」
うんざりした気持ちに心を支配されたそのときだ、俺の背後に人の立つ気配がするのを感じた。
俺が振り返ると同時に、ソイツは俺に覆いかぶさってきた。両手で身体を受け止めたが勢いを殺し切れず、俺は背中から地面に倒れこんだ。
「お、おい! お前いったい何なんだよ!」
俺は怒りに打ち震えた。急に襲い掛かってくるなんて、尋常じゃねえだろ。それに人の恨みを買うような真似は、まだ・・実行していないんだぜ。
ゆっくりと目を開いて、俺に覆いかぶさってきたヤツの顔を見た。
昆虫の脚のようなフレームを持つ眼鏡。その奥に光る眼球はまるで外国人のそれのように青い。いや、真っ青と言った方がいいかもしれない。
「お、女?」
髪の長さが肩くらいまで伸びており、手のひらから伝わる肉付きから鑑みても、俺を襲った人間は女性だ。しかし、自分で言うのもなんだが当方、うす暗い部室の中でのほほんと実験に身を投じる冴えない理系男子高校生。白昼堂々と濡れ場を演じるラブラブな女子生徒の存在など俺にはいない。ていうか、俺を襲った人物はどこかで見覚えのある顔だ。
「——か、片岡かよ?」
髪の長さ。ソフトボール二つ分以上隆起しているバスト。それらを除けば、座席の隣で眠りこけていた片岡にそっくりだ。何よりウチの学園の制服を着ている。オリーブの葉の色をしたモスグリーンのブレザー。それを見て疑惑が確信に変わった。
「分かったぞ。計画をより確実に成功させるためにわざわざ女装したんだな、お前ッ!」
口を大きく開き、涎を垂らしながら俺に顔を近づけてくる。片岡独特の口臭が俺の鼻を突く。
「おい片岡、やめろ。予行練習にしては唐突すぎんだろうが! 計画くらい事前に説明しろよ……」
そう説得しても返事が無い。まるで腹を空かせた獣のように、俺にむしゃぶりつこうとしている。
テーマパーク内でアニメキャラのコスプレをしながら園内を闊歩する客は、そう少なくはない。だから片岡もそれに紛れるかのように女装したのだと思った。
だが、こめかみに青筋を走らせ、形相を強ばらせながら俺を地面へと押さえつけるこの馬鹿力はなんなんだ? 予行練習にしては力が入り過ぎだし、そもそもコイツは俺と同じヒョロガリの理系オタクのはずだ。
「お、おい、片岡! 落ち着けって! いったいどうしたんだよ!」
俺の言うことに少しも耳を貸さず、片岡は出した舌をべろべろとプロペラのように回転させた。開けた口から唾液が垂れ、俺の顔のすぐそばにボトリと落ちた。
「な、なんだよ。俺にそんな趣味は無いぞ! だいたいこんな人前じゃイヤ! ち、違う。人前で無くてもカンベンだ」
「アナタモ……女ニ……ナリマセンカ? 巨乳ノ……」
「な、なに言ってんだよ、お前……」
青い眼をした顔が、俺の顔に近づいてくる。垂らされた唾液が、今度は俺の頬に付着する。唾液の粘糸が、蜘蛛の糸のように透き通って見える。
「くそおおおお!」
片岡の変態的行動を制御できない。まるで狡猾な強姦魔のように、巧みに身体の自由を奪い俺の唇に迫ってくる。
それだけじゃない。数多くの雑踏が俺の周りを取り囲む。周囲を窺えば、同じように青い眼をした胸の大きな女たちが、たき火にでも当たるかのように俺たちを囲んでいたのだ。
「何だよコイツら……全員巨乳の女じゃねえか?」
そうこうしているうちに片岡の顔がさらに目と鼻の先まで迫ってきた。なんて力だ。コイツのどこにそんな力があるっていうんだ。
「もうダメだ。俺のファーストキスは……こんなヤツに奪われてしまうのか。父さん、母さん……先立つ不孝をお赦しください」
俺は目を瞑り全てを観念した。
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