二話 伊吹が来ないって、そりゃここにいるし。

 窓の外に流れる景色をそれとなく眺めている。

 宵闇の林間道。まるで濃い霧の中を走っているような、視界が悪い道を結構な速さで走っている。薄っすらと見える木立が次々と、猛烈な勢いで後ろに流れていく。車輪が巻き上げる火山灰が後方の視界を真っ暗に染めていた。


「しかし、最後まで小鳥遊さんは戻ってこなかったな」

 運転席でハンドルから手を離して、腕組みをした田中さんが眉間に皺を寄せて首を傾げている。そりゃあね、僕がその小鳥遊伊吹だし、助手席に乗っているんだからいつまで待っていても来るはずなどないんだけどな。

 言っても無駄だってわかったから、あれからその話題には適当に相槌を打つだけにしている。


 ハンドルが、道のカーブに合わせて勝手に角度を変える。高度な自動運転は減速や加速なんかも勝手にしてくれて、ちらっと見えた速度メーターは百キロの速度を指していた。僕の記憶が確かなら、ここは一般道だったはず。

 もっとも、既に地上は半分死の世界だ。国道とはいえ、いまさら一般車両が走行しているはずもなく、山間道から国道に出て幾度かすれ違った車両は、全部が自衛隊車両だけだった。


 あれから正午にエリクシルポッドを回収した田中さんは、玄関ロビーの受付、それから玄関ドアに張り紙をしていた。念のため明日もう一度、山村キャンパスにに足を運んでみて音沙汰がなければ、行方不明者として内部処理をするようだ。

 誰もいないのにね、お疲れさまです。


「もう一度確認するが、俺が送ってやれるのは群馬の自衛隊駐屯地までだ。そこから先は、公共の交通機関……今動いているのは、完全無人の高速バスだけだが。それで東京湾まで行ってもらうこと形にになる」

「ええ。それで問題ないです。三時のバスに乗るように、昨日のうちに予約してあるので」

「それならいい。二時には現地につく。余裕で間に合うだろう」

 警告音が鳴って、田中さんが組んでいた手を解いてハンドルに手を置いた。徐々に速度を落とした車が、正面から来た自衛隊車両とすれ違った後、再び速度を上げていく。それを確認して、再びハンドルから手を離した。


「完全な自動運転じゃないんですね」

「他の車とのすれ違いの直前で一旦、半自動運転に切り替わる。俺がやっているのは目視によるハンドルの補助だけだ。先週まではすれ違いの際に減速した後、完全に自動運転が切れていたから、それこそ高速道路上でしか使えなかったんだ」

 最寄りのインターチェンジから高速道路に乗ってからは、更に移動速度が上がる。

 時折、降る灰が薄くなって見えた世界は全てが灰色の世界で、家もビルも人間の作り上げた文明は全てが灰に埋もれその動きを止めていた。海底火山が噴煙を上げ続ける限り、地上の再生はほぼ絶望的。植物は枯れ、多くの動物が為すすべもなく息絶えてもなお、人間生きている。人が生きている限り、また文明は蘇る。


 ……なんて、感傷的になってしまった。

 一年以上、山村キャンパスに籠もっていて街に出ていなかったから、いつかの記憶にある街と変わりすぎていて、ちょっと衝撃的だったかな。ほんと、世紀末って言葉が頭をよぎったよ。

 それにしても、いつまであの火山噴火し続けるんだろう?


「さあ、そろそろ着くぞ。防護服の確認を忘れるなよ、気密性を保てていないと吸い込んだ火山灰であっという間に肺が逝く」

「大丈夫ですよ。ここ半年は、ほぼ毎日のように防護服を着ていましたからね、慣れています」

「そうか、それなら……いや待て、半年? 二日おきに巡回していたんだが、あんたとは一度も出会わなかった。あの施設の人員は全員把握していたはずだから、ありえんのだが」

「あ……いや、半月、かな?」

 いや、咄嗟とはいえ言い訳としちゃ厳しかったか?

 顔を横に向けると田中さんと目が合う。すっとその目が細くなった。剣呑な空気が車内に漂い始める。


「そう……だな。そもそも俺が見落とすはずがない。なあ、あんた、いったい誰なんだ?」

 防護服を着ていて暖かいはずなのに、刺すような視線に一気に背筋が凍る。


 たぶんこれが、殺気……。


 冷や汗が吹き出してくる。唾を飲み込んだ音が、やけに大きく感じた。

 逃げ出したい。でも、体が一切動かない。

 しばらくの間、防護服のマスク越しに厳しい顔で僕を見ていた田中さんの表情が、ふっと緩んだ。


「まあ、こんな時勢だ。小鳥遊さんは既にあそこには居なかった、恐らくそういう報告結果が上がるだろう。とりあえず明日も山村キャンパスは確認してくる。予定に変更はなしだ」

「……え、と」

「方舟のチケットは、住民票に簡易的に紐付けてあるだけだから、特に顔との照合はないと聞いている。まあ、大丈夫だろう」

 それだけいうと、田中さんは先に車から降りていった。


 あれだ。結局の所、僕は小鳥遊伊吹のなりすましって認識のままみたいで、車を離れた田中さんは駐屯地の建物に消えていった。

 大きく深呼吸をする。


 いや、何でここまで連れて来て違和感に気づくかな。ちょっと、いや、かなり生きた心地がしなかったよ。あそこまで警戒するなら、そもそも車に乗せるなっての。


 後部座席からスーツケースを下ろすと、トボトボと駐屯地前のバス停に向かう。

 積もった灰で足が沈んで何とも歩き辛い。これでも毎日積もる灰を掻いているらしく、敷地の隅に灰山ができていた。


 バス停の椅子に座った。

 そしてこのタイミングで、携帯電話が鳴り始めた。


 ……いや待って、今電話には出られないから。


 立ち上がって周りを見回す。道路を挟んで反対側にバス会社の営業所があって、明かりがついていた。遠目に見て人が居る気配はしないけれど、一応使えるってことでいいのかな。


 僕は、携帯電話の着信音に急かされるように道を渡った。

 開くと思って駆け寄った両開きの自動ドアは、予想に反して一切動かなくて、気づいたら思いっきり扉に衝突していた。慌てるとろくなことが起きない。


『ガシャーン――』

「えっ……ちょっ、はっ?」 

 甲高い破砕音とともに、砕け散るガラスの扉。

 想定外の事態に、その場で固まる僕。気づけば携帯電話からは着信音が聞こえなくなっていた。


 普通さ、自動ドアって自動で開くものだよよね?

 なんで自動で開かないのさ。幸いなことに防護服を着ていたからガラスの破片で怪我とかしていないけれど、普段だったら大怪我していると思う。


 そこで、奥にもう一つある自動ドアに、張り紙が貼られていることに気がついた。フラフラと歩み寄って、一通り読んで思わずその場で膝をついた。


「いや……奥の自動扉に貼ってあっても、意味ないと思うんだけど……」

 どうやらセンサーが故障しているため手動で開ける必要があったらしい。

 管理者が向かい側の自衛隊駐屯地になっていた。僕は重い足取りで、再び火山灰が積もる道を渡った。




 駐屯地の窓口でガラスを壊した旨を伝えると、どうやら数日前にも違う人が壊したらしくて、今朝方ガラスを交換したばかりだったらしい。使う人もほぼいないため閉鎖も検討していたようで、壊れたついでにこのまま閉鎖するそうだ。なんか、すみません。

 ちなみに、駐屯地の自動扉は普通に開閉したよ。


 そのまま駐屯地の待合室でバスが来るまで待っていても大丈夫らしく、ありがたく使わせてもらうことにした。

 防護服を脱いで、防護服専用のハンガーに掛ける。近くのソファーに腰を下ろして、携帯電話を胸ポケットから取り出すと、着信履歴から電話をかけた。


「もしもし、ミモザ?」

『あ、伊吹? もしかして、さっき電話したの迷惑だったかしら?』

「いや……とりあえずは大丈夫かな。ちょうど防護服を着ていて出られなかっただけだよ」

 耳元に聞こえてくる、小さい頃から聞き慣れた幼馴染の声に、ちょっと焦っていた気持ちが落ち着く。そういえば今日ミモザは、半休を取るって言っていたっけ。


『ほんとうに? 何だか伊吹、いつもと調子が違う気がするわ。もしかしてまだ出発できなくて山村キャンパスにいたりする?』

「それは大丈夫かな、今は高崎にいて三時のバス待ちだから」

 話をしながら窓の外に目を向けると、濃い緑色の特殊車両が走り去っていく。

 ミモザはどこかの繁華街にでも居るのかな、電話口の向こうから賑やかな音楽が聞こえてくる。


 対してここは、人がほとんどいない静かな街。


 かつては車がたくさん走っていた国道は、今は車が走っていない。主要な道路は定期的に火山灰が取り除かれているけれど、それ以外の道路は積もりに積もった火山灰が大きな段差を作っていた。世界中、地上の殆どが同じ状態だから、もう地上の文明は終わりな気がする。

 急ぎ造られている地下都市は、居住可能人数を確保するために更に地下深く掘り進められていて、これが後の地底人となりました――なんて、未来が垣間見える気がして笑えない。


『そうなのね、それならいいわ。方舟の乗船登録は今日なのよね? 今日は噴煙がいつもより濃いみたいだけど、バスは走ってるかしら。方舟の出航予定は来月末だから、慌てなくてもいいのだけれど』

「バスの運行に支障はないって、駐屯地で確認済みだよ。時間にも余裕をもたせてあるし、夕方には連絡船に乗れる予定だから、遅くとも夜までには方舟の乗船手続きが終わると思う」

『連絡船、混んでいなければいいけど』

「それも事前に予約してあるから、乗りそびれる心配はないかな」

『それなら安心ね。夜に着くなら、仕事上がりに西ゲートで待っているわ。もし予定が変わったら、早めに連絡くれると嬉しいわ』

 その後はいつもの流れで今日あったこととか、とりとめのない世間話に変わる。僕はほとんど相槌を打つだけで、ミモザが楽しそうに話すのを聞いていた。髪の毛が針みたいになったとか、何の冗談だって突っ込んだら、ほんとなのよって拗ねた。可愛い。

 そうしていると時間が経つのは早いもので、待合室の時計はもう三時近くになっていた。


「ところでミモザはこれから仕事?」

『ええ。私もこの後、三時のバスで現場に向かうのよ。今日は明日からの打ち合わせだけだから、ちょっと退屈なのだけれど』

 話を終えて電話を切ったあとで、今更ながら今朝見た夢のことを思い出した。話題に出せばよかったのかな。でもさすがに、ミモザを夢の中で見たなんて言えないよなぁ。


 防護服を着てバス停に向かうと、ちょうどバスが来るところだった。


 自動運転の無人のバス。

 特に今日は窓越しに見ても乗客は誰も乗っていなくて、完全に無人のバスはちょうど後ろの扉が僕の前に来るようにゆっくりと停車した。

 時間通りのバス。ゆっくりと扉が開く。


 音がゆっくりと遠くなっていって、やがて消えた。


 内心で首を傾げつつ、片足をバスの床に乗せたタイミングで、唐突に強烈な目眩に襲われた。同時に、誰かに背中全体を押されて転がるようにバスに乗った。

 心臓の鼓動が高鳴って、胸が苦しくなる。

 起き上がろうとして、体の力がうまく入らなくて、バスの床を転がった。


「な……何これ、体に力が入らない……って、あれ? 何で?」

 重い体に難儀しながら、上体を起こして振り返るとバスの扉は閉まっていて、誰かに押されたはずなのに、そこには誰もいなかった。それどころか、車窓の向こうに見える景色がものすごい速度で後ろに流れている。


「は? いったい、何が、起きてるんだ?」

 想定していない事態に、頭が追いつかない。

 防護服のガス越しに見える景色に、ぼくは自分の目を疑った。防護服を着ていて、お約束の頬はつねれない。


 つい今しがた、火山灰に塗れた景色を見ていたはずなのに、流れる窓越しに見えた景色は、緑にあふれていた。

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