一話 目が醒めたら、僕は僕だけど僕じゃなくなっていた。
目を開けると薄暗い、僕がいつも寝ている部屋だった。
大きく深呼吸をすると、仰向けのまま腕を天井に向かって伸ばす。そうすることで部屋のセンサーが反応して、薄暗かった部屋が明るくなった。
妙にリアルな夢だったな。
珍しく全てが、いつもなら目が覚めると忘れちゃう夢だけど、今でもはっきりと思い出せる。真っ黒な背景の世界で、魔王と対峙したあの夢。怖かったし、感じた熱はすごく現実的だったけれど。とはいえ所詮は夢、目が醒めたらやっぱり夢だった。
ただ、体が思った以上に怠い。
ベッドから降りて、洗面所に向かった。
顔を洗ってタオルで顔を拭く。寝ぼけ眼のまま寝癖を直していたら、何故か耳のあたりで手が引っかかった。
「えっ、何で……?」
不思議に思って、目を擦ってから鏡の中に映る自分を見て、動きが止まった。
耳が、耳輪の上側、その先端が長く尖っていた。まるで妖精とか悪魔とか、よく物語に書かれているような尖った耳。
鏡に顔を近づけて、恐る恐る耳の先を触ってみる。そして固まる僕。
「……は? 何これ、触った感触が普通にある。一体、どうなっているの?」
待って。待って待って、一旦落ち着くんだ僕。とりあえず僕が誰だか確認だ。
小鳥遊伊吹。日本人だ。生まれも育ちも日本で、今は大学生で研究のために一年前からここ、長野県の山奥にある大学の山村キャンパスで研究をしている。
うん、大丈夫だ、ここは山村キャンパスだ。
父親は日本人で、母親は日系アメリカ人だけど両親とも黒髪黒目だから、僕も容姿は黒髪黒目の日本人。当然、人間だ。いや、地球には人間しかいないから、人間っていう確認はおかしいかな。なのに、不自然に耳の先が尖っている。
生まれてこの方、整形なんてしたことないし、そもそもする気もない。何なら妖精に対する憧れなんてものはないし、だいたい寝る前に鏡で見た自分の耳は普通に丸かった。丸かったよな。多分丸かった。え、自信なくなってきたよ。
後ろを振り返る。誰もいない。いや、振り返ること自体に意味はないんだけど、何となく。
そもそもこの山村キャンパスには、今は僕しかいないから、振り返っても誰かがいるわけじゃない。何ならここは本来なら宿直の人が寝泊まりしていた部屋で、半月くらい前から僕しかいないから、寮じゃなくて本館のこの部屋を使っている。だから、振り返っても見えるのはさっきまで僕が寝ていたベッドだけた。
半月前くらいまでは別の大学の生徒もいたんだけど、地下都市の拡張が進んで新規住民の移住が可能になったらしくて、僕以外が全員ここから去っていった。あれからずっと、山村キャンパスには僕しかいないし、ここの村にも既に僕以外の住民はいない。
僕は、地下都市じゃなくて移民艦『方舟』に船員として乗船する予定だったから、そのまま一人で残って研究していたんだけど、それも今日まで。方舟の受け入れが始まったから、午後のバスで東京湾に建造が進んでいる方舟に向かう予定なんだ。
しばらく鏡の前で、尖った耳先を触ってみたり、付け耳を疑って耳を引っ張ったりしてみたんだけど、わかったのは間違いなく自分の耳だってことだった。耳の先が尖ったこと以外に、他には特に問題らしい問題はない感じだったから考えることを諦めた。諦めが肝心だと思う。
着替えをしてから、宿直室を出る。照明に照らされた廊下の床には薄っすらと火山灰が積もっていた。
朝になったのに相変わらず窓の外は暗くて、廊下から漏れた明かりに照らされて、火山灰混じりの空気が黄色っぽく見えているだけだ。昨日のテレビで見たニュースでも、未だに太平洋の巨大火山が噴煙を上げ続けているから、当分の間は昼間であっても夜みたいに暗い日々が続くみたい。
噴火の終息は、その予測自体がつかないんだとか。
そもそもが噴火の予兆すらもなくて、どこの国の専門機関も予測はおろか想定すらしていなかったらしいから、あの噴火直後の世間の混乱は今思い出しても酷いものだった。
飛んでいた飛行機は大半が操縦不能で墜落したって、連日ニュースで報道されていた。こういう災害のときは、テレビやラジオは強いと思った。多少の電波障害はあったれど情報は発信されていた。
ただそれもすぐに途絶えた。電気がは止まり、家電製品は沈黙する。同じ時期に、鉄道系の公共の交通機関は完全に麻痺した。
もちろん携帯電話は早いうちから不通。あっという間に情報が断絶した。
「エリクシルポッド……これがすぐに流通したから、世界の混乱が割合早くに収まったんだっけ」
食堂に向かう廊下の途中で足を止める。分電盤の真下には、二リットルのペットボトル程の大きさの円筒容器に、電気配線が接続されていた。円筒容器の中には、蒼い液体が淡い光を放っていた。
無限発電器『エリクシルポッド』。
今、この山村キャンパスの本館は、このエリクシルポッドと呼ばれている器械から全ての電気を賄っている。これ単体で最大で千アンペアの電力が発電できて、容器が密閉されている限り無限に発電が続くから、外部電源として永遠に電力が得られる。まさに世紀の大発明だった。
折しも、太平洋の巨大火山噴火の影響で全世界のほぼ全ての発電施設が一斉に沈黙して、その直後に図ったように世界に流布した。実は物が物だけに、それまで電力会社の圧力で裏で流通が妨害されていたことは、後になって知ったんだけど。
ちなみにそれを発明したのが、実の父親である礼二だって知ったのは、つい最近だったりする。
『小鳥遊さーん、いますかー?』
エリクシルポッドを見ながら物思いにふけっていたら、玄関ロビーの方から誰かの声が聞こえてきた。
確か、来るのはお昼頃だって言っていたはずなんだけど、なにか予定が早まったのかな。そんな事を考えながら、急ぎ足で玄関ロビーに向かう。
廊下の角を曲がった先、ちょうど玄関ロビーで壮年の男の人が気密服を脱いでいるところだった。
田中克樹さん。確か自衛隊の曹長だったかな。
ここ山村キャンパスを含めて、この地域一帯の国有施設の巡回管理をしている。昨日、退去の連絡を入れたら、施設の閉鎖をしてから近くのバス停まで送ってくれることになっていた。
「田中さん、わざわざありがとうございます。予定より早いですね」
「支給されている乗り物が新しくなってな、移動速度が上がったんだよ。小鳥遊さんさえ良ければ早めに出て……って、あんた、誰だ?」
「……えっ? 誰って……」
喋りながら、顔を上げた田中さんの動きが止まった。僕の顔をじっと見た後、眉間に皺を寄せて首を傾げる。
その顔は、本当に僕のことを知らない顔で、冗談で言っているような感じじゃない。
「新しい助手の人か? 人員の追加は、聞いていないんだが」
「えっと、僕が小鳥遊です……けど……」
そう、自分で言ってみたものの、何だか自身がなくなってきた。
案の定、僕の言葉に一瞬、目を瞬かせた田中さんは、少し肩を震わせた後、大きな声で笑い始めた。お腹を抱えて、目には涙まで浮かべている始末に、たぶん僕は苦虫を噛み潰したような表情になっていたと思う。
ひとしきり笑った後、僕の表情に気づいた田中さんは真顔になって僕に向き直った。
「いやな、さすがにそれは何かの冗談だよな。だいたい小鳥遊さんは、そんな華奢な体格じゃなかっただろうよ。むしろ体格だけなら、普段から鍛えている俺とそう変わらないぞ?
それにだ、小鳥遊さんは自分を呼ぶときは、『俺』って言っていた。付き合いは半月程度だが、さすがに間違いようがないだろう。彼が『僕』なんて、言うようなイメージが浮かばん」
絶句した。言葉が出ないって、こういう時なんだって理解できた。
「えっと……」
「急な話で申し訳ないんだが、この施設は本日正午をもって閉鎖することが決定している。どうせ小鳥遊さんのことだ、朝っぱらから近くの山に調査にでも出ているんだろう。いずれにしても正午には、君も含めてここから一旦、自衛隊の駐屯地に向かってもらう」
頷くしかなかった。
荷物は一緒に運んでくれる。他にも、必要な機材なんかも特例で、国から譲渡という形で持ち出しが可能とか、昨日も電話口で説明を受けたことを、僕に丁寧に説明してくれた。
その様子は本当に初見の相手にするような、ほんとうに僕のことを知らない感じで、焦燥感だけが募る。
自分じゃ全く違和感がなかったけれど、僕は僕だけど僕じゃなくなっていたみたいだ。
その後、田中さんは施設全体の最終確認をするために、奥に歩いていった。
意味がわからない。
そもそも、意味がわかるはずがないよな。だって僕は、僕なんだから。
もう一度、無駄だって分かりつつ鏡を確認しようと、片足を伸ばしたタイミングで僕のお腹が大きく鳴った。そういえば、朝食を食べる前だったことを思い出して、ため息を付きつつ食堂に向かうことにした。
とりあえず、腹ごしらえか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます