移民船『方舟』丸ごと転移。僕はそこでミモザを探す旅に出る。

澤梛セビン

プロローグ 〜いつか見た夢のつづき〜

 これは、夢。なんだと思う。

 ちょっと前にベッドに横になって目を瞑って、それこそいつもどおり眠りに落ちたはずなのに、気がついたらここにいた。いや違うかな、意識はあるけれど自由に体が動かせないから、正確には僕は意識だけで実際にはここにいないかもしれない。


 でも半分くらいは現実じゃないかなって感じている。ちょっと前に目の前を通り過ぎた炎の塊は熱かったし、何なら体の中には不思議な力があって、僕は今もその不思議な力が、腕の中にしっかりと抱きしめている金色の髪の女の子に流れていっている。

 何でかわからないけれど、その不思議な力をはっきりと知覚できる。


 小鳥遊伊吹。歳は二十一で、今は東京の農業大学で薬草の研究をしている。

 それが僕が認識している僕だ。


 今日も山間にある大学の山村キャンパスで、午前中はインターネット経由のオンライン講義を受けて単位を確保。午後からは特殊な気密服を身にまとって、一面が火山灰にまみれた山に入って、その灰の下に埋もれている草をいくつか採集してきた。視界全てが灰色の世界は、もう見慣れた。


 太平洋の巨大海底火山が噴火して半年。

 あの日から世界は噴煙の厚い雲に覆われて、太陽光が遮られた真っ暗闇のままだ。降り積もった火山灰は地面に堆く積もり、日差しを遮られ灰に塗れた大半の木々や植物は枯れ、灰に埋もれた山野は生命の活動が絶えてい久しい。そんな状況にあって、厚い灰に埋もれてもなお、野山にしぶとく残っている野草は、薬効を含めてとてつもない生命力を持っている。

 大学の卒業論文の題材に、その生命力を研究している。

 成果が出せた研究の一部は既に実用化されている。

 特殊ナノマシンのエリクシルは、僕達人間の細胞を蘇生する。液体であるエリクシルに全身を漬ける事によって、細胞が無限再生をおこしてコールドスリープと同じ状態になる。その状態から、後遺症なしで蘇生したことから、地球外に移民を送り出す人類移民計画『方舟』が始動したって聞いたときは、ちょっと誇らしかったかな。

 だけど、まだ足りない。そう感じていた。


 しかしなんていうのかな、世紀末ってやつ? そんな終末世界でも人間は世界各地でしぶとく生き残っていて、今も科学技術の粋を集めて、色々と生き残る術を画策しているんだ。

 地下に都市を作って、地球の自浄作用でいずれ環境が戻るって信じている人達もいる。むしろ、地球外に脱出するほうが少数だって、ニュースでは言っていたっけ。


 で、今日の分の試験データが纏まって、自分の部屋に戻っていつも通り寝たら、この妙にリアルな夢を見ている。

 今も感じているこの、体の中から湧き上がる不思議な力に、正直戸惑っていた。


 これって、魔法。なんだよね、きっと。

 背中から純白の尖った翼を生やした、黒髪の男の人がバチバチと雷光を迸らせながら視界を横切っていった。両手に持った青白い雷の大剣で、無数に飛来していた炎塊を縦横無尽に斬り消していく。明らかに科学で説明できない現象。


 これはあれだ、魔法だ。


 あの人は……何でかな知っている。僕のお父さんだ。名前はレイジだ。実際の父親じゃない。多分この体の持ち主の、お父さん。でも感覚的には、僕のお父さん。

 なんだか不思議な感覚に、混乱して内心で首を傾げる。


『アンジェ! イブキとミモザを頼む!』

『ああ、レイジくん。泥船に乗ったつもりで、私に任せておくがいい』

『いや、泥舟じゃだめだろう……』 

 雷を纏ったレイジの声に、背中に蒼い炎の翼を生やした黒髪の女性が動く。手のひらの先の何もない場所から、まるで槍のような形をした蒼い炎を撃ち出して、レイジの斬撃の間を縫うように僕達に迫っていた炎塊の軌道を逸した。それでも勢いを殺しきれなかった炎塊が、僕達の少し先を通り過ぎていった。

 あれはそう、お母さんであるアンジェリーナだね。先の尖った長い耳は、長耳属系のエルフだ。


 待って、エルフだよ。あのエルフ。濡羽音色の髪からしてきっと、普通のエルフじゃないんだろうけど、みんなが大好きエルフだよ。

 でもそうすると、これってやっぱり普通に夢なんだろう。


『ねえイブキ、ちょっと魔力が足りないよ、もっとたくさん送ってよ……』

『そんなこと言ったってミモザ、簡単な魔法は使っていたけれど、魔力を譲渡するのなんてしたの今日が初めてなんだよ? さっきみたいにミモザが吸い出してくれればいいと思うんだけど』

『私がイブキから吸い出せる量なんて量で言ったら糸みたいなものよ、それじゃ全然足りないの。いいから早くして、魔力が足りなくて落っこちちゃう』

『わわわわ、こうかな? これでいいのかな?』

 僕じゃない僕が喋って、体から流れ出ている魔力っぽい力……いや、魔力なんだっけ。ミモザに流れていく魔力の量が明らかに増えた。


 どうやら僕達は、うまく移動することができないんだろう。今もフラフラと左右に揺れているだけでこの場から動く様子がない。何とか落ちていないだけな感じだし、ふと横を向いたときに見えたミモザの表情から、この空間に浮かんでいるだけでもいっぱいいっぱいなんだと思う。


 背景は漆黒の闇。

 その黒の中にあって、僕達四人と明らかに異様な真紅の巨人だけがくっきりと『色』として存在していた。


 視界ははっきりっしているから真っ暗ではないんだけど、重力は下向きにかかっていて、落ちたら果てしなく落ちるように感じる。

 そもそも落ちて大丈夫なら、四人が纏まって一斉に落ちれば済む話だと思うんだけど、それをせずにさっきからレイジとアンジェリーナが戦っているのは、多分落ちたら駄目だって設定だからなんだろうな。設定ってなんだって感じだけど。

 そもそもが真紅の巨人から逃げられないんだろうけど。

 その真紅の巨人なんだけど、本当に大きい。今いる場所からかなり離れているのに、人の形がはっきりと分かる。相対的に、今も近くを飛んでいるレイジなんて点にしか見えないから、間違いないと思う。


『ほう……ここまできてまだ、魔王たる我に抗うか。無駄だというのに……人とはこれほどまで愚かなものか。クククッ……その庇っている枷さえ手放せば、もしかしたら我から逃げおおせるかもしれぬぞ。

 とまれ所詮は人、命を燃やし尽くすでもせねば到底我の足元にも及ばぬだろうな』

『うるせえ。大人しく俺たちに滅ぼされろっての』

 雷を纏ったまま突撃していったレイジが、巨人がほんの軽く振り払った手の一振りで、あっけなく横に飛ばされていく。

 そして巨人は、自らを魔王と名乗った。


 それにしても、魔王。

 夢だから他人事だけど、圧倒的な存在力に、勝てると思えないんだけど……状況的に見て、僕とミモザが足手まといになっている……ってことなんだよね、きっと。


 レイジを振り払った隙を狙うように、僅差で撃ち出されたアンジェリーナの蒼炎も、余裕で撃ち出された同じ威力の炎で、あっさりと相殺されている始末だ。


 そもそも何でこの事態になっているのか、全然理解できていないんだよな。

 夢も途中からだから……知らないんだけど。


 ……待って、本当に僕は、知らないのかな?

 さっきから細かい部分は少しずつ思い出せているんだけど、肝心な部分は全然知らない感じなんだ。


 もしかして、なにか忘れている……?


 記憶の隅に引っかかっていた何かが、ふと浮き上がるように鮮明に思い浮かんでくる。


 僕は、この状況を知っている。思い出した。

 これは、僕のかつて見ていた夢の中だ。思い出したけど余計に意味がわからないよね。

 どういう感じに説明したらいいのかな。この体の主である僕が昔見た夢の中、その中にいる僕の、さらにその中に今の僕の意識があるって状況。

 うん、複雑怪奇。分かりづらいな。


『どれ、余計な枷を消してやろう。全力で、我を楽しませるがいい』

『うっっ! かはあっ』

 忽然と膨れ上がった圧倒的な気配に、夢の中の僕の意識が飛びそうになる。


 瞬きするほどの一瞬で、いつの間にか魔王が僕達の数メートル前にまで近づいてきていた。

 視界いっぱいに見えているのは一面に揺らめく真紅のみ。ミモザと一緒に見上げた魔王の顔は、数百メートルの彼方だ。何なら山脈のように巨大胸が邪魔して、隙間から顔の一部しか見えないってオチもあるけど。


 しかし、想定を超える巨体に慄く。

 思わずミモザを抱きしめる腕に力が入った。ミモザも同じように、僕の腕を掴む手に力が入る。魔力の制御もうまくいかないのか、視界がゆっくりと下がっていた。


 ふと、その視界の端に何かが光った。ような気がした。


『せめてもの慈悲だ。苦しまぬよう、一瞬で消し炭にしてやろう。』

 魔王の巨大な手のひらが、ゆっくりと落ちている僕達に向けられる。


 指の隙間に見えた魔王の、真っ赤なルージュが引かれた口元が、いやらしく歪んだ。

 辺りにビキビキと何かが軋む音が響き渡る。魔王の周りの空間が揺らめいているように見える。さっきまでとは、明らかに違う規模の力が魔王から生み出されようとしていた。


 それは禍々しいほどのエネルギー。


 魔王が僕達二人の前に突き出した手の先に、赤黒い光が渦巻く。


『させるかっ! あガッッ――』

『イブキっ、ミモザちゃんっ! やグハッ――』 

 僕達を助けようと飛んできていたんだろう。レイジとアンジェリーナが、魔王の無造作に振った手で、別々に吹き飛ばされていくのが見えた。

 二人はそれぞれ飛んでいった先で、その先にあった光に吸い込まれたあと、まるで花火が花開くように大きく弾けた。


 ……えっ? 何で?


『煩い。邪魔するでない』

 魔王の手の平から猛烈な勢いで噴き出した赤黒い炎が、僕達に向かって襲いかかって来る。


『いいいい、イブキッッッ』

『うわああああっ――』

『ぬ? 何だこの光は……』

 襲い来る魔王の赤黒い炎を追い越す速さで、弾けた光が僕達に降り注いできた。炎が光に着弾して、大爆発を起こした。


 視界が真っ白に染まる。

 体は燃えなかった。それどころか光りに包まれて感じる優しい暖かさに、強張っていた体の力が抜けていくようだ。


 そうして視界が戻って見えたのは、体に無数の穴が穿たれて、ゆっくりと堕ちていく魔王の姿だった。その体も、端から砂になって暗闇に溶けるように消えていく。


『い、イブキ。羊……』

『ふむ。始まりは、ここなのだな』

 いつの間にか、ミモザの腕の中に小玉スイカくらいの大きさの『羊』がいて、堕ちる魔王を遠い目で見つめていた。

 それと同時に、今になって意識がゆっくりと遠くなっていく。


『目が、覚めそうであるな。因果は混ざりあった魂とともに引き継がれるということか。人の悪意は、歴史すらも歪めるというのだな。

 イブキ、それにミモザよ。星の芯を目指すがいい、そこで魔王が蘇るであろう。すまぬが、それの対処は主らに任せる。申し訳ないのだが、我らが星の行く末を頼む。

 我は道標であろうか、いずれまた相まみえるときまで、達者でな』


 何で僕達の名前を知っているのか……。


 ……って、この夢。最後まで意味が全くわかんないんだけど。

 最後に出てきたこの羊って一体何なんだろう。そもそも夢だから、僕は関係ないんじゃないの?

 魔王の討伐なんて、興味ないんだけど、対処ってそういうことなんだよね?

 それに人間が、星のコアに到達することは不可能なんだけどな。


 ちょっと、羊。そんな憐れむような目で、僕を見ないでほしいんだけど。


 そこで僕の意識は途絶えた。

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