第141話嘘つきと強気


「良い朝だな、レセリカ」


 決して振り返ることをしなかったというのに、その声は遠慮なくかけられた。

 名指しで挨拶をされては無視することも出来ない。呼び捨てにされたのが不快ではあったが、それを一切表に出すことなくレセリカは振り返る。


「おはようございます、フレデリック殿下」

「ああ。おいおい、睨むなよ、侍女。挨拶をしているだけなのに随分な態度じゃないか」

「申し訳ありません。元々こういう顔なのです」


 ダリアはあからさまに冷めた目で見ていたが、それで通すつもりらしい。レセリカは内心でヒヤヒヤしていたが、こういった対応も初めてではないので何も言わずに様子を見た。


 案の定フレデリックは愉快そうに笑っており、ダリアの態度について特に思うことはないようだ。すぐに興味を失くしたように視線をレセリカに戻し、再び口を開く。


「まさか君も一般科へ進むなんてね。僕だけだと思っていたよ。すごい偶然だ」

「……」


 なんとも白々しいことである。フレデリックが後になって進路を変えたのは少し調べればわかることだ。しかも、かなり無理を言ったとヒューイから報告を受けている。


 特に反応を示さず真っ直ぐ校舎に向かって歩き始めたレセリカを見て、フレデリックは余裕の笑みを崩さずに隣を歩きながら言葉を続けた。


「なんてな。それが嘘だってわかっているんだろう? しかし反応が薄いな。もう少し会話を広げようとしてくれよ」

「……なぜ、一般科に?」


 会話を広げる気などなかったが、この際だ。レセリカは腹を括った。


 理由については本人に聞かなければわからないことであるし、一度聞いてみたいと思っていたのだ。それに今はダリアも共にいる。聞くなら今しかない。


 まぁ、ある程度の予想はついているのだが。


「そりゃあ王族として、国民の生活を間近で見てみたいと思ったからさ」


 またしても白々しい答えである。恐らく、そんなこと微塵も思っていないだろうに。

 フレデリックが一般科の生徒や従者を見下していることは知っているのだ。さすがにわかりやすく罵ることはなくなったが、言動の端々から感じる相手を侮る雰囲気は消せていない。


 今もまた、こちらに注目してくる一般科生徒たちの視線を感じながら微かに鼻で笑っているのだから。


「そうですか」


 レセリカは、これ以上を聞くのを止めた。諦めたというよりは呆れたのである。どうせ真実を話すつもりはないのだということがよくわかったのだ。


 それに、もし特別な事情や理由があったとしても聞く必要性を感じられなくなってしまった。

 今後、たとえ本音を告げられたとしても、息をするように嘘を吐く彼の言葉を信じられるとも思えない。


「つれないな。同じ貴族で一般科に進む者同士、仲良くしてやろうというのに」

「ご無理なさらず。私は自分でなんとか出来ますのでお気遣いは無用です」


 未来の王太子妃に対しても上からの態度を崩さないフレデリックに、レセリカはバッサリと言い切った。この一年で、彼女も成長しているのである。


 レセリカの無表情で告げられる冷ややかな言葉はかなりの迫力だ。遠目で見ていた生徒たちの方が、ビクッと肩を揺らすほど。

 ダリアはそんな主人の成長した姿を頼もしく思いながら眺めている。


「はは、美人は怒ると怖いな。しかし随分と嫌われているようだ、僕は」


 冷たい態度を向けられたフレデリック本人は、そこまでダメージを受けた様子はなかったものの肩をすくめて小さくため息を吐いた。


 その様子を見て、レセリカはふと王妃ドロシアが言っていた言葉を思い出す。


『フレデリックは……少し、かわいそうな子だと思っているわ』


 幼い頃からの周囲の環境や関わった大人の影響で、今のフレデリックがいる。

 前の人生において、まさしくお人形さんと化していたレセリカにとって他人事ではなかった。


 そうは言っても、フレデリックの態度は許容出来るものではない。セオフィラスに不快な思いをさせるのは我慢ならないのだ。


 レセリカはこれでも、怒っているのだから。


「なぜ冷たい態度を取られるのか、その理由に心当たりがあるのでは?」

「へぇ、なぜそう思うんだ?」


 本当は、とてもドキドキしていた。あまりハッキリ言っては不敬なのではないかと。


 だがここは学園で、今は生徒同士。そもそもレセリカはいつか王太子妃になる身。怖がっていてはいけないのだ。


(負けてなるものですか)


 レセリカは一度立ち止まると、しっかりと身体ごとフレデリックに向き直ってしっかり相手の目を見た。


「私に興味などないでしょうに、なぜ嫌な思いまでして関わろうとなさるのです? セオ様への嫌がらせにしては幼稚ですし……まさか、それだけが理由ではありませんよね? 私たちはもう十二歳で、四年生に進級したのですから」


 レセリカの美しい紫の瞳に真っ直ぐ見つめられ、ハッキリと言われたその言葉にフレデリックはたじろいだ。


 図星だったかどうかはともかく、これまであまり意思を感じられなかったレセリカから、初めて拒絶の意思を感じ取ったからかもしれない。


「もし、本当にその程度の理由しかないのだとしたら……これ以上殿下とお話をする価値を見出せません。あまりにも内容が薄いのですもの」


 呆気にとられて目を丸くしているフレデリックをそのままに、レセリカはサッと前を向いて再び歩き始めた。


(心臓が破裂しそうだわ……!)


 おそらく、こんなにも相手に喧嘩を売るような言葉を投げかけたのは人生で初めてだ。


 心なしか先ほどまでよりも早歩きで進んだレセリカは、一刻も早く教室に辿り着きたい気持ちでいっぱいであった。

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