第140話徒歩登校と騒めき


 女子寮内をダリアとともに歩いていると、レセリカは久し振りに聞く声に呼び止められた。


「お久しぶりですわね、レセリカ様。新年度、ずいぶんと見せつけてくれるじゃありませんの」

「ラティーシャ。み、見せつけてなんていないわ」


 かけられた言葉に、レセリカは挨拶も忘れて顔を赤くしてしまう。その様子を見たラティーシャは呆れたようにわざとらしく長いため息を吐いた。


「ときめいたのでしょう? 何も隠さなくてもよろしいのに。いいではないですか、婚約者なのですからっ」


 ときめいた、という表現は確かにその通りだった。

 レセリカには今の自分の感情を表現することが出来ていなかったため、しっくりくる言い方には大真面目に納得してしまう。


「ときめいた……そう、かもしれないわ」

「えぇ……? レセリカ様ったらどこまで鈍いんですの?」


 ラティーシャは助けを求めるように背後に控えるダリアに目を向けたが、ダリアはにこやかに微笑むだけである。


 これ以上は無意味だと悟ったのか、ラティーシャは諦めたようにこほんと一つ咳をすると、腕を組んで話題を変えた。

 恐らくここからが本題なのだろうが、視線をレセリカには向けずツンとそっぽを向いている。だが、その耳は赤くなっていた。


「と、ところで。今年度は貴女の護衛に、り、リファレットが就くそうじゃありませんの」

「ええ、そうなの。彼には感謝しているけれど、無理をさせて嫌な思いをさせていないか心配なのよ」


 ラティーシャの口からその名が出て来たことに、レセリカは僅かながらに驚く。渋々と了承した婚約だと聞いていたけれど、意外にも彼のことを気にかけているようだ。


 二人のその後のことを心配をしていたので、少し安心するレセリカである。


「嫌な思いなんてしていませんわよ! 最高の誉れだと自慢げに話していましたもの。むしろ、何か粗相をしたら私におっしゃってください。しっかりと説教して差し上げますので!」

「ありがとう。仲が良いのね」

「はっ、はぁぁ!? 今の話でどうしてそうなりますのっ!? 勘違いなさらないでっ! い、一応、私の婚約者を名乗るのですから、不名誉なことでもされたら迷惑だと思っているだけですわ!」


 ラティーシャは必死になってそう言い張るが、悪く思ってなどいないことくらいはすぐにわかる。

 ただ、これ以上その話をしてもますます意地になるだけだということを、レセリカはすでに理解していた。


「本当に、彼にそう思ってもらえるのはありがたいと思っているの。本人にも直接伝えるけれど、ラティーシャからも私が感謝していたことを伝えてもらえないかしら?」

「なっ、なんで私がっ! も、もう、仕方ありませんわねっ!!」


 なんだかんだと言って、ちゃんと伝えてくれそうである。レセリカは嬉しそうに目を細めた。


 ※


 レセリカの使っている貴族寮は、学園の本館まで行くのにとても便利な位置にある。建物同士をつなぐ渡り廊下があるため、雨が降っても濡れずに移動出来るほどだ。


 しかし、四学年からはそうもいかない。なぜならレセリカは一般科に進むのだから。


 一般科に進む生徒はほぼ全員が一般人だ。貴族も稀にいるがその全てが男爵家であり、街の人たちとの交流も多い者たちである。


 そのため、一般科の校舎は当然ながら一般寮の近くにある。それはつまり、レセリカの寮からはかなり遠い位置にあるということでもあった。


「レセリカ様、とても嬉しそうですね?」

「わ、わかってしまう? その通りよ。こうして朝、歩いて学校へ向かうというのが新鮮で……やってみたいと思っていたから」


 登校初日の朝。

 これまでより準備も朝早くからこなさなければならなかったのだが、レセリカはまったく苦にも思っていない様子である。

 それどころか頬が紅潮しており、いつも通りの無表情ながらとてもウキウキしているのが見ていてすぐにわかるのだ。


 そんな主人の姿をダリアは微笑ましいと思いつつも、愛らしさ全開なレセリカがとても無防備で心配だ。いつも以上に護衛として周囲に気を配ってもいた。


 校舎が近付いて来るにつれ、人も増えていく。本館に向かって登校してくる生徒が大勢いるため、レセリカはその流れに逆らって歩いている形となり、より目立っていた。


 そもそも、公爵家令嬢がこの通学路を歩いているという光景がとにかく珍しいのだ。嫌でも注目を浴びる。


(一人だけ逆方向なのは恥ずかしいけれど、歩いて通うのってワクワクするわ)


 しかもプラチナブロンドの美少女お嬢様である。歩く姿も隙がない完璧令嬢だというのに、ご機嫌な様子を隠せていないレセリカはとても愛らしく、初日から一般科生徒の注目の的だ。


(フレデリック殿下も、一般科に進むのだったわよね。いないのかしら……?)


 新鮮な体験に心躍っていたレセリカではあったが、懸念事項も忘れてはいない。


 レセリカが逆方向に向かって登校しているのなら、フレデリックもまた同じように登校しているはず。だというのにその姿を見かけないことが疑問だった。


 朝から遭遇したくはないので、見かけないだけなら問題はないのだが……フレデリックが歩いて登校しているのならレセリカを見かける以上に周囲は驚くはず。それなのに噂話さえ耳に入って来ないのは不思議なのだ。


(もう少し遅くに登校するのかしら。でも、あまり遅いと授業に間に合わないわ)


 彼は元々、授業も受けていなかった人物である。遅刻くらいは今更だとでもいうのだろうか。その立場がなければただの不良生徒だ。


 だが一般科に通うということは、彼のその立場は一切考慮されないということでもある。

 すなわち、遅刻をすればフレデリックであろうと他の生徒と同じように粛々と罰を与えられてしまうのだが……彼はそれをわかっているのだろうか。


 心配しているわけではないが、静かすぎるのも不安なものだ。とはいえ、気にしてばかりもいられない。


 レセリカが思考を切り替えようとしたちょうどその時。


 背後から、一際大きな騒めきが聞こえてくる。

 まず間違いなくフレデリックの登場だろう。気になっていたことが早速解決してくれたのはありがたいが、当然それを喜べるわけもない。


 結局、騒めきが近付いているというのに、レセリカはなかなか振り返る気にはなれなかった。

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