第98話二人の時間と邪魔者
食事も終えるころ、セオフィラスは思い出したように再び口を開く。
「そういえば、最近はまたランチを一緒に過ごしてくれているけれど……友達との時間は大丈夫? また私に気を遣ってはいない?」
ちなみにセオフィラスの本音としては、今後はむしろもっと会う頻度を増やしたいと思っている。
だがそう言わなかったのは恐らく、申し訳なさそうにこう言えばレセリカがどう答えてくれるのか察しているからだろう。相変わらずの策士である。
「大丈夫です。ずっとお時間を譲っていただきましたし……」
当のレセリカは、言わされていることには気付かない。目の前のセオフィラスが内心で喜んでいることにも。
(シィ先生が来た以上、出来る限りセオフィラス様のお近くで安全を確認したいものね)
そして、どこまでもセオフィラスの身を案じていた。純真で心優しい少女である。
「私が、セオフィラス様とご一緒したいのです」
「っ!」
だからこそ、そんなレセリカのこの発言はセオフィラスによく効いた。
彼は赤くなった顔とにやけてしまう口元を隠すために手で覆い、レセリカから少し目を逸らす。
「……私と一緒にいられなくて寂しかった、と受け取ってしまおうかな」
「! そ、それは……」
一方、レセリカは今になって自分がとんでもないことを言ってしまったらしいことに気付いた。
セオフィラスの側にいたい、という意思はその通りで間違いではないのだが、寂しかったからと言われると恥ずかしくなってしまう。
(セオフィラス様も、照れている……?)
それに、彼のこんな顔をみるのは初めてで、心臓が早鐘を打つのだ。
「違うの? 悲しいな。私は寂しいと思っていたから、とても嬉しかったのに」
一足先に平静を取り戻したらしいセオフィラスは、冗談めかしてクスクス笑う。レセリカはその言葉にも顔を赤くしてしまった。
「ち、違うというわけでは……!」
「あはは、冗談だよ。でも、私のは本当の気持ちだ。……嘘は吐かない約束だろう?」
レセリカだって、彼と会えずに寂しかったという気持ちがなかったわけではない。むしろ、確かに寂しさを感じていた。だが、改めてその気持ちを自覚したことがどうしようもなく恥ずかしい。
「レセリカがどんな理由で言ってくれたのだとしても、私は君と共に過ごす時間が何より楽しみだからやっぱり嬉しいよ」
真摯な態度を見せてくれるセオフィラスに対して、レセリカも誠実でありたかった。
自分も正直な気持ちを伝えようと、顔を上げる。
「……そう言ってもらえて嬉しいです。私も、セオフィラス様とのお時間はかけがえのないものですから」
「レセリカ……!」
互いに頬を赤く染めて見つめ合う二人の時間。
その微笑ましくも甘い空間に、護衛たちがなんとも言えない笑みを浮かべた、その時だった。
「おや、お二人ともとても仲が良いのですねぇ」
「!?」
いつの間にか近くに来ていたシィ・アクエルが声をかけてきた。その距離およそ二メートルほど。
(気配を感じなかったわ……!)
慌ててダリアに視線を向けると、彼女も驚愕に目を見開いている。どうやら、ダリアも彼がこれほど近付くまで気付かなかったらしい。おそらく、セオフィラスの護衛二人も。
それだけでシィの底知れぬ実力を感じる。背中に冷たいものが流れた。
「っ、アクエル先生、今はランチ中です。急に近付かれては困りますよー!」
真っ先に反応したのはセオフィラスの護衛の一人、ジェイルだった。焦った様子ながら、場の空気が重くなりすぎないように努めて明るく振舞っているのがわかる。咄嗟にこれだけの対応が出来るだけでもさすがと言えた。
しかし、シィはフッと口元に笑みを浮かべて肩をすくめる。どこか冷たい眼差しに思えた。
「それは申し訳ありませんでした。ですが……ジェイルさん。君は殿下の未来の護衛なのでしょう? 僕が声をかけるまで存在にすら気付かないようでは、まだまだ修行が足りないようですね」
「っ!」
シィの厳しい指摘を受けて、ジェイルの笑みがピシリと固まった。場の空気も一気に凍り付く。指摘が事実であるだけに、ジェイルも何も言い返せずにいた。
誰もが緊張を顔に浮かべている中、一人セオフィラスだけはいつも通りの柔和な笑みを浮かべていた。
「お言葉ですが、アクエル先生。その修行をするために私たちは学園に通っているのですよ。未熟なのは承知の上。私たちはまだ子どもですからね。さて、今のは指導の一環ですか? だとしても、私の婚約者との時間を邪魔するなんて無粋では?」
シィから放たれる妙な圧をものともせず、堂々たる振舞いを崩さないセオフィラスは王族としての威厳を感じさせる。
その声や態度は穏やかでありながら、いくら学園では教師と生徒という立場であっても失礼は許さないという確固たる意志があった。
セオフィラスは、シィが気配を消して近付いたことよりも何よりも、レセリカとの時間を邪魔されたことに対して本気で怒っているようである。
数秒ほど、互いから目を逸らさないセオフィラスとシィの様子に、レセリカは内心で冷や汗を流す。
(シィ先生は一体、どういうつもりで私たちに近付いたの……?)
膝の上でキュッと自分の手を握りしめたレセリカは、ただ黙ってその様子を見守ることしか出来ない。
この一見穏やかな睨み合いがいつまで続くのかと思い始めた頃、シィの方が先に頭を下げた。
「……おっしゃる通りですね。この学園の教師になれたのが嬉しかったあまり、僕は調子に乗り過ぎたようです」
シィはそう言うと頭を上げ、眼鏡のフレームを指で押し上げながらレセリカの方に目を向けた。
優しそうに細められた青い目だったが、その瞳の奥に冷たいものを感じてレセリカは僅かに身を固くする。
「レセリカさんも。不快な思いをさせてしまいましたね。申し訳ありません」
「いえ……」
たった一言、そう返すので精一杯だった。
まるで大きな獣に睨まれているかのような圧がレセリカを襲い、それ以上は指一本動かせないような錯覚に陥ったのだ。
「ふふ、生徒の輪の中に教師が入ってはダメですね。せっかくの楽しい時間を台無しにしてしまうようです。僕はさっさと退散いたしますよ。ただ、あと一つだけ」
そんなレセリカの反応を見たからか、それとも他に楽しい何かがあったのか。シィは口元の笑みを深くして人差し指を立てる。
「僕のことはシィ先生とお呼びください。ファミリーネームはあまり好きではないのです」
ファミリーネームが好きではない。
その言葉の真意はどこにあるのか。色々と考えたいことはたくさんあったが、シィの姿が見えなくなるまでレセリカは一瞬たりとも気が抜けなかった。
(敵なの……? それとも味方? ううん、味方はないわね。誰の敵でも味方でもない、が正解かも)
シィの姿が完全に見えなくなると、セオフィラスが静かに席を立ってレセリカの近くにやってきた。それからそっと肩に手を置く。
「レセリカ、大丈夫だよ」
そこでようやくレセリカはフッと全身の力を抜いた。どうやらだいぶ緊張していたようだ。
「今後、彼に何か言われることがあったらいつでも言って?」
恐らく、彼らの方でもシィのことを調べているのだろう。先ほどの堂々たる対応といい、非常に心強い反面、自分もしっかりしなければという思いが強まる。
(こんなんじゃ、とてもセオフィラス様をお守り出来ないわ……!)
レセリカは彼の目を真っ直ぐ見つめ、しっかりと頷いた。それを受け、セオフィラスは表情を和らげてレセリカの手を取る。
「君を信頼しているよ。それに、心配もしているんだ。お願いだから、無茶だけはしないでほしい」
この人は一体、どこまで自分を見透かしているのだろう。
決して嫌な気はしない。むしろ心が温かくなるのを感じる。
レセリカはわかりました、と言いながら小さく微笑んだ。
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