第88話伯爵令嬢の叫び
食堂でのひと騒動の後、レセリカは自室で待機していた。しばらくしてヒューイが戻り、状況の説明をしてくれる。
「一人にしてーって、友達を二人とも追い返してたぜ。かといって自室に戻るわけでもなく、食堂がある棟の裏庭でなんか、いじけてた」
自室に戻っていたのならそのままそっとしておいたところだが、まだ戻っていないというのは心配になる。レセリカはキュッと胸の前で手を組んだ。
「じゃあ今、彼女は一人なのね。侍女はいるでしょうけれど……」
もうすぐ日が暮れる。さすがに暗くなる前には戻るだろうが、時間よりもそれほどショックを受けているのか、ということが心配なのだ。
彼女がそうなってしまったのは間違いなく自分が原因なのだから。
「話に行ってくるわ」
「えっ」
そう考えたらいてもたってもいられなくなってしまった。話をしたことで悪化させてしまうかもしれないし、拒絶されてしまう可能性もある。
それでも、ここで放っておくことがレセリカにはどうしても出来なかった。
「お人好しすぎるお姫サンだぜ、ったく」
「まぁ同意ですが……そこがレセリカ様の良いところです。お供しますからね!」
ヒューイとダリアには呆れたようにため息を吐かれてしまったが、なんだかんだと言っても協力的な二人にレセリカは感謝の気持ちでいっぱいだった。
すぐに寮室を出て棟の裏庭に向かうと、木陰にあるベンチでラティーシャが俯いて座る姿をすぐに見付けることが出来た。
オレンジ色に染まる空の下、物憂げにつま先を見つめるラティーシャの儚げな姿は実に絵になる美少女ぶりだ。
声をかけずらい雰囲気ではある。だが、話をするためにここに来たのだ。レセリカは勇気を出して彼女に近付いた。
「れ、レセリカ様っ!?」
真正面から近付いたことで、ラティーシャも人の気配に気付いて顔を上げた。ただ、近付いてきた人物がレセリカだと知ってかなり驚いた様子だ。
一瞬、目を合わせてくれたラティーシャだったが、すぐに不貞腐れたようにプイッとそっぽを向く。ワガママな幼い子どものような仕草だったが、不思議と不快感はない。
「な、何よ。馬鹿にしに来たの? それとも人の婚約者を横取りしようと企む、愚かな伯爵令嬢に苦言を? ……そうしてくれた方がずっとよかったわ」
丁寧な言葉遣いはどこへやら。ラティーシャは目を逸らしたままつっけんどんにそう告げた。どこかヤケになっているようにも感じる。
そんな彼女の様子を初めて見たレセリカは、驚いたように目を丸くした。
「なんで優しくするのよ。私、貴女の評判を落とそうとしたのよ?」
「……やっぱり、わざとだったのね?」
「そうよ! 当たり前でしょ!? なんで本人が疑問に思っているのよ! 貴女、頭がいい癖に馬鹿よっ!」
酷く幼い暴言だった。それを面と向かって浴びせられているのに、レセリカは特に嫌だとは思わない。ここ最近の演技に比べればなんてことはなかった。
むしろ、ちゃんと彼女の気持ちが聞けてありがたいくらいだ。と同時にホッとする。
なぜなら、彼女がそうやって本音をぶつけてくれるのなら、自分も素直に色んなことを言っても大丈夫だろうから。
「そうね。私は人の気持ちについては疎いの。馬鹿だと自分でも思うわ」
「肯定しないでよ……」
ラティーシャは脱力した。思っていたのと違う、と小さく呟いたように思えたが、レセリカは聞き取れなかったようだ。首をわずかに傾げている。
そんな様子を見たラティーシャは、苛立ったようにレセリカを睨みつけた。
「諦めないわよ、私」
それは真正面から叩きつけた宣戦布告だった。お粗末な計画を潰され、無様な姿を見られたからといってラティーシャは諦めるわけにはいかないのだ。自分の将来がかかっているのだから。
今後も隙あればレセリカを陥れるし、蹴落としてやる、とハッキリ口にした。ダリアの眉間のしわがどんどん深くなっていく。
「ええ、わかったわ」
けれど、レセリカの返事はあっさりとしたものだった。
もちろん、馬鹿にしているわけではない。ただラティーシャの言葉をそのまま受け取っただけなのだが、それがラティーシャをさらに苛立たせる。
「だから! なんで納得するの! 貴女の婚約者を奪うって言っているのよ? もっと必死になって止めなさいよ! なんなのその余裕っ、ほんっとに腹立つ!!」
思わず立ち上がって声を荒らげるほどに。もはやそこにはか弱くて可愛いラティーシャは存在しない。
「私の方が可愛いのに! お友達も多いし、社交界でうまくやれる自信だってあるわ! そりゃあ、王妃としての公務は貴女以上に出来る人はいないでしょうけれど……そのくらいは頑張れば出来るもの。貴方なんか、どれだけ努力しても社交界では浮いちゃうじゃない! 私の方が相応しいのに、なんで、なんで……」
叫ぶように苛立ちを露わにしたラティーシャだったが、次第に声が尻すぼみになっていく。ワナワナと拳が震え、そして唇が震えた。
「なんで、なんで、私じゃないのよ……!」
泣いているのかと思ったが、涙は流れていない。けれど、ギュッと引き結んだ口元を見れば彼女が泣きたい気持ちなのだということは一目瞭然だった。
「嬉しいわ」
「はぁっ!?」
しかし、感情の機微を読み取れてもうまい言葉が出てこないレセリカは、この場にそぐわぬことを言う。
この状況でどうして嬉しいなどという言葉が出てきたのか。ラティーシャはもちろん、ダリアにもヒューイにもわからなかっただろう。
当の本人、レセリカだってさすがにおかしかったと反省したようだ。やや慌てたように、さらに言葉を続ける。
「ご、ごめんなさい。でも、そうやって本音で話してくれるのが嬉しいと思ったの」
レセリカのこの気持ちをわかってもらえるとは思っていなかった。
けれど、こんな時にレセリカはひたすら黙るか、馬鹿正直に本音を言うことくらいしか出来ないのだ。その後者をとっただけなのである。
「し、信じらんない……ほんと、大丈夫なの? 貴女、見掛け倒しじゃない? 勉学やマナーが完璧でもその他がダメダメじゃない」
「……残念ながら、言い返せないわ」
完璧令嬢に対してここまで直接的な罵倒をぶつけたのはラティーシャが初めてだろう。
ただ、それでもレセリカは不快にはならない。その通りだな、と思うからだ。
何を言っても響かない、そう感じたのかラティーシャは諦めたようにため息を吐く。それから軽く頭を振ってもう一度レセリカに宣言する。
「……私、諦めないから」
「それは先ほども聞いたわ」
「何度でも言うわ!」
腕を組み、思い切り顔を背けたラティーシャはどことなくその顔に疲労を滲ませている。
「諦めないけど! 貴女がこのまま正妃になる可能性の方が高いことは認めているの。別に、私は側妃でもいいんだしっ。殿下の寵愛が得られるならそれでっ」
次第に早口になっていくラティーシャを、レセリカはひたすら見つめ続けた。
それほどまでに思える相手がいる、恋をしているということが少し羨ましいと思うのだ。
いつか自分にもわかる日がくるのだろうか、と考えると首を傾げてしまう。
「で、でも。未来の正妃がそんなんじゃ、心配すぎるわ。あ、貴女のことじゃなくて、国がよ!? それと殿下が心配なのっ!」
まるで誰かに言い訳するような口ぶりになってきた。そこで言葉を切ったラティーシャは、うー、と唸った後に小さな声で囁く。
「だ、だから。社交界のことなら、私が教えてあげてもいいわ」
「本当?」
「う、嬉しそうにしないで! 私が貴女を嫌いなのは変わらないのだからっ!」
「ええ。それでもいいわ。ありがとう」
調子が狂うわ! と今度は叫び出すラティーシャに、レセリカは困惑気味だ。自分としては、正直に気持ちを伝えているだけなのに、人付き合いとはとても難しい。
けれど、自分の勘違いでなければこの流れは彼女と仲良くなるチャンスのような気がする。嫌いだと言われてはいるものの、社交界のことを教えてくれると言うのだから。
「あの。ラティーシャと、呼んでもいいかしら?」
ほんのりとレセリカの頬が赤く染まった気がしたが、夕日のせいかもしれない。
ラティーシャはついに頭を抱えてあーっ!! と叫ぶ。
そのままビシッとレセリカを指差すというはしたない行動を見せ、顔を真っ赤にしながら告げた。
「貴女の方が爵位も上なのだから、いちいち確認なんてしないで好きに呼べばいいじゃない。もうっ、本当に嫌な人っ!! やっぱり貴女なんて大嫌いよ!!」
レセリカ以上に彼女の顔は真っ赤だったが、それも夕日のせいだったかもしれない。
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