第85話噂の令嬢と食堂の令嬢
ロミオとヒューイの二人と別れ、レセリカは一般食堂の窓際にある席に座っていた。
(わかってはいたけれど、ここまでの注目を集めるのは居心地が良くないわ)
こちらの食堂は普段、貴族が近寄ることがない。その上、レセリカはその美貌もあって存在感が桁違いなので、その場にいるだけで周囲はどよめき、何ごとかと注目を浴びていた。
つまるところ、かなり目立つのだ。
今は良からぬ噂も広まっているため、ヒソヒソと何かを話す声もあちらこちらから聞こえてくる。
しかし、これからやることのためにはこの一般食堂ほど適した場所はない。レセリカはギュッと拳を握ってこの緊張感に耐えた。
「さ、皆さん! 最近、色んな話を耳にして色々と気になっているんじゃないですか? その噂の真偽、聞きたくないです? もしくは、言いたいことは? 今日はレセリカ様がなんでも質問に答えてくださるそうですよ! こんなチャンス、滅多にないですよーっ!」
「き、緊張してしまうのはわかりますっ! 私も、平民なので最初はすごく怖かった。でも、話してみたら違ったんです。これは、直接話してみた人でないとわからないことですよ!」
そんなレセリカの周囲で、食堂にいる一般生徒たちに向けて声を上げるキャロルとポーラの二人。当然ながらますます注目が集まっていた。
(さ、さすがに恥ずかしいわ……!)
これは、キャロルとポーラの二人が考えた作戦である。
今ある噂は、真実を知らない者がよくわからないまま憶測で広がっている。そこへ、レセリカの高貴で人を寄せ付けにくい雰囲気によって恐怖が大きくなっているのではないか、という考えだ。
ならばどうするか、と考えた時に真っ直ぐなキャロルは迷わずこう告げたのである。わからないなら、聞けばいいのですよ! と。実に彼女らしい単純明快な作戦であった。
レセリカ自身も、質問をされれば正直に答えている。ただ、聞かれないだけなのだ。
かといって、公爵令嬢に気軽に話しかけられる猛者はあまりいない。同じ貴族令嬢でさえ、遠慮してしまうほどなのだから。
それならば、そういう場を用意すればいいのでは、と思いついたのがポーラだ。
時間帯は、ラティーシャがいつも誰かの寮室でお茶会を開く放課後。貴族が寄り付かないこの場所で、さらに予定のあるこの時間なら彼女から邪魔もされないと踏んでのことだった。
作戦はかなり単純で、真正面から向き合うというもの。地道な行動ではあるし、どうなるかは未知数であったが、十歳の少女たちが精一杯考えた作戦だ。
それに考えてみればなかなか効果的なのでは、とも思えるのだ。
(私には絶対に思いつけなかった作戦だわ)
ただ、その分こうして見世物のようになるのはとても恥ずかしいのだが。しかし、他の生徒に向かって声をかけてくれる二人の方がドキドキしているかもしれないと思うと、レセリカも頑張ろうと思えた。
キャロルは楽しそうではあるが、ポーラは顔が真っ赤だ。とても頑張ってくれている姿に胸を打たれる。
「やっぱり、そうは言っても声はかけにくいですよね? 仕方ないので私が質問します! レセリカ様、最近お耳に入る噂について、どう思われますか?」
食堂内が急にしん、と静まった。自ら質問する勇気はないが、答えは気になるらしい。
ちなみに、これも作戦の内だ。最初は誰も名乗りを上げないだろうと読んでいたのである。
早速、キャロルからの質問にレセリカはドキドキしながら正直な気持ちを口にした。
「……とても、悲しいわ」
「っ!」
周囲で息を呑む生徒たち。
レセリカの表情はいつも通りあまり変わっていないように思えたのだが、よく見るとそうではないことがわかる。
今は食堂でそれなりに近い距離にいるからこそ、彼女の悲しそうに伏せられた目や下がった眉がよくわかるのだ。
今にも泣いてしまうのではないか。彼女は本当に悲しんでいる。
レセリカの美しさもあって、そこが食堂内だということを忘れてしまうほど恐ろしく絵になる姿であった。
何も気にしていないように見えていたレセリカが、本当は傷付いていたのだということに、周囲の生徒たちは初めて気付いたのである。
彼らの中で、噂は噂でしかない。そこに「人」という存在が抜け落ちているところがあった。
レセリカという公爵令嬢がラティーシャという自分より身分の低い令嬢を虐めている、と聞いてはいたし、酷い話だと思っていた。ただそれが、今ここで悲しそうな声を発した本人と結びついていなかったのだ。
噂に聞く人物も実際に存在しており、自分たちと同じように感情を持っている。噂が広まるにつれて、彼らはそんな当たり前のことを忘れてしまっていた。
こうして身近な距離で話をすることで、ようやく酷い公爵令嬢ではなく「レセリカの声」を聞いてもらうことが出来たのだ。
その後も、キャロルとポーラの二人が交互に質問し、レセリカは正直に答えていく。それが数回ほど繰り返された後、キャロルが再びその場にいる生徒たちに向かって声をかけた。
「そろそろどうですか? 私たちだけの質問だとヤラセみたいになっちゃいますよ。この通り、レセリカ様は怒ったりしません。聞きたいこと、ありませんか?」
レセリカへ質問することのハードルはだいぶ下げられたはずだ。それから数秒ほどの間をおいて、一人の生徒が恐る恐る手を上げた。
「あ、あの……」
「はいっ! 何かあるんですね? ささ、遠慮なくどうぞ!」
気の弱そうな女子生徒の挙手を見て、キャロルは食い気味に言葉を重ねた。余計に怯えてしまわないか心配である。
だが、最初に手を上げただけあって見た目よりずっと度胸があるようだ。女子生徒は勇気を振り絞って質問を口にした。
「ラティーシャ様の、殿下を思う気持ちについてはどう思っているんですか……?」
おそらく、その場にいる者たち全員が気になっていたことだろう。質問の内容を聞いたことで息を呑む音があちらこちらから聞こえてくる。
レセリカとしても、誰かが聞いてくるかもしれないと思っていたことだ。考えていた答えを冷静に言葉にしていく。
「とても尊いものだと。確かに私は殿下の婚約者という立場ですけれど、人の気持ちにまで口を出せないわ。その思いがゆえに問題になってしまわない限り、何かすることも言うこともありません」
それは用意された答えではあったが、紛れもない本心だった。誰か一人を一途に想うこと。そのことについては誰も責める権利などない、と。
ただ、それによって誰かを傷付けてもいいことにはならないが。その辺り、許せる範囲は人によって違うだろうことも承知の上だ。
「い、いいんですか? レセリカ様は殿下をお好きじゃないんですか?」
ただ、周囲はそうは思わない。寛大すぎるレセリカの答えに、もしかしたら殿下とは不仲なのかもしれないと勘繰る者もいただろう。
「とても尊敬しています。それに、大切な方です。ただ、その……」
しかし、その考えはすぐに消えてなくなる。
レセリカが顔を耳まで赤くしながら小さな声で答えたからだ。
「わ、私には、恋焦がれるという気持ちが、わからないので……」
完璧で冷徹な公爵令嬢レセリカ・ベッドフォードは、どうやら皆が思っている以上に初心な少女であることが周知された瞬間であった。
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