第84話協力者と変装


 その日のレセリカは午前中ずっと上の空だった。とは言っても授業の課題は完璧にこなすし、姿勢が崩れることはないのだが。

 時折、落ち着きなくキョロキョロ周囲を見回したり、意味もなく立ち歩いたりしていた程度だ。


 理由は二つある。一つは友達との作戦決行の時間が近付いているため。

 もう一つは今日、ヒューイが変装して学園内を普通に歩いていると聞いているだからだ。


(変装と言っていたけれど……人に見られても大丈夫なのかしら)


 今朝、寮室を出る前にヒューイ自身が教えてくれたのだ。レセリカの噂を操作するためには、さすがに隠れたままでは動けないから、と。

 とはいえ、あの緑がかった髪はとても目立つし、見る人がみれば風の一族だとバレてしまう。だからこそ変装するのだろうが……どことなく嫌そうな雰囲気を醸し出していたから、作戦は乗り気ではないのかもしれないと不安なのである。


(……ううん。それも、変装が少し嫌なだけで作戦は任せておけって言っていたもの。信じましょう)


 それにしても、彼がそこまで嫌がる変装とはどういったものなのだろう。

 制服を着たくないのだろうか。それとも、一族の象徴でもある髪色を変えたくないのだろうか。


 ちなみに、変装はロミオが手伝ってくれることになっている。

 それというのも少し前に、最近のレセリカが困り果てているのを見兼ねたロミオが、噂をする人たちに文句を言いに行こうとするのを必死で止めたことがあった。


「姉上を悲しませるなんて。伯爵家のご令嬢だかなんだか知りませんけど、泣かせてやらないと気が済みませんね」


 そんなセリフをにこやかに言ってのけた弟が、レセリカは少し心配である。


 どこまで本気なのかはわからなかったが、レセリカは弟の暴走を止めるのが急務だと理解した。そのためには何か頼みごとをするのが一番だ。

 そんな経緯でヒューイの変装アイデアを、と頼んだのである。その時のヒューイのポカンとした顔は忘れられない。


 さらに、当然ながらセオフィラスにも問い詰められた。

 あれだけの規模で噂になっているのだ。彼が知らないわけがない。

 いよいよ我慢も限界だ、さすがに注意をしてくる、と言われた時にはレセリカも焦った。


「実は、今友達と作戦を練っているのです。どうか、もう少しだけ見守っていていただけませんか?」


 そう告げた時に一瞬だけ見せたセオフィラスのどこか拗ねたような顔も、レセリカはハッキリと覚えている。除け者にしているわけではないのだが、酷く良心が痛んだ。


「セオフィラス様に、見ていてもらいたいのです。私が、ちゃんと頼りになるというところを」


 しかし、素直なレセリカにそう言われてしまってはセオフィラスもこれ以上は言えまい。


「まったく。レセリカに敵う気がしないよ。でも覚えておいて?」


 レセリカに近付き、彼女の美しいホワイトブロンドの髪をサラリと耳に掛けながら、セオフィラスは耳元で囁く。


「私は、この件で君が傷付けられたこと……決して忘れないってこと」


 至近距離で言われたことに赤面したレセリカだったが、その言葉と笑顔の真意は知る由もない。


 そうこうしている間に一日の授業が終わり、放課後となった。

 今日からキャロル、ポーラとともに放課後は一般食堂に向かう約束をしている。普段、レセリカは滅多に近付かない場所である。もちろん、作戦のためだ。


 ダリアを伴って向かっていると、一般食堂の入り口手前にロミオの姿があった。しかし、隣には見慣れない女子生徒が立っている。

 ロミオよりも背が高く、どうやら上級生のようだが知り合いにでも会ったのだろうか。


 しかし、それはどうやら違うようだった。というのも、その女子生徒にはレセリカも見覚えがあったからだ。

 にわかに信じがたい。が、どう見てもそうとしか思えない。


(ヒューイ……!?)


 長い栗毛の髪をしているが、どう見てもヒューイだ。驚きに目を見開いているところへ、こちらに気付いたロミオがニコニコしながら手を振ってくる。


「姉上! ……どうです? 女子生徒にしか見えないでしょう? 少し体格が良いですが」

「え、ええ。それはそうだけれど。でも、なぜ……?」


 嬉しそうに姉を呼んだロミオはレセリカに近付くと声を潜め、イタズラ成功といった様子で囁く。


 これにはさすがのレセリカもかなり驚いた。まじまじとヒューイ扮する女子生徒を観察している。当の本人は居心地悪そうに、そして諦めたように疲れた顔をしているが。


「ウィンドは……いえ、この姿の場合はウィンと呼びましょう。彼は顔も可愛らしい部類ですし、背も高すぎるわけではありません。ギリギリいけると思いまして」

「そ、そうではなく。その、なぜ男子生徒じゃないの?」


 確かに彼の女装に違和感はない。初めて会った人なら女性だと疑わないだろう。

 しかし気になっているのはそこではない。なぜ、わざわざ手間もかかって本人も嫌がる変装をしたのかが気になるのである。


「それは、もしレセリカの側にいたとしても不自然じゃないからよっ」


 ヒューイは、もはやヤケクソであった。女性のような声色と言葉遣いもかなりクオリティが高い。多才である。


「平民だと言えば多少、言葉遣いや所作が雑でも問題ないでしょう? ポーラさんという前例がありますし、平民が近くにいるのは不自然じゃありません」

「それでも、女子生徒にならなくても良かったのでは……?」


 ポーラと仲良くなった当初、噂になったのをレセリカも覚えている。

 貴族社会のほぼ頂点とも言える立場にある令嬢レセリカが一般の生徒と親しくしている姿は、一時期かなり話題になったのだ。


 それでも、ポーラ自身が一般生徒の友達に説明をしたり、いつも一緒にいる場面を見かけることで次第に噂は風化していった。

 レセリカという令嬢が思っていたよりもずっと穏やかな人なのだと周知された出来事でもある。


 だからこそ、親しい一般生徒が一人増えたところで不思議ではない基盤は出来ていた。その辺りをロミオは利用したのだという。

 そして、男子生徒ではなく女子生徒にした理由もちゃんとあった。


「ダメですよ。僕や殿下たち以外の男子生徒が頻繁に姉上の近くにいたら、ますますどんな噂が流されるかわかったものではありません」


 思っていた以上にしっかりと考えられていた作戦に、弟ながら感心してしまう。

 それに、女装であれば万が一ヒューイが風の一族であるとバレた時にも、本人と結びつきにくいかもしれない。


「ま、噂を改竄かいざんするためにも潜入の必要があったし、納得の上だ! それなりに見られる姿ではあんだろ?」

「改竄だなんて聞こえが悪いですよ、ウィン。姉上についての正しい噂に変えてもらうだけですから。良心も全く痛みませんし」

「どっちにしたってオレの良心は痛まねーけどなー」


 ロミオと笑い合うヒューイはいつも通りのヒューイだ。噂に関しては女子生徒の方が話に入りやすいから少し楽しみでもあるという。

 嫌そうにはしていたが、意外と乗り気なのかもしれない。


「ええ。とっても可愛いわ。ヒュー……いえ、ウィン。よろしくね」


 また貴方の名前が増えたわね、と言いながらクスッと笑うレセリカを見て、ヒューイは主の笑みを見られただけで女装した甲斐があったな、と小さな声で呟いた。

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