第79話2年目の波乱


 噂はいつか風化する。そう考えていたレセリカたちだったが、学年が上がっても噂がなくなることはなかった。

 それどころかレセリカとラティーシャの派閥が次第に貴族たちの間でも広がり始め、いよいよ互いの派閥が顔を合わせれば睨み合うようにまで発展してしまった。


「本当にくだらないですね? 姉上の素晴らしさがわからない人がいるなんて」


 二年生になったレセリカの近くで頬を膨らませているのは、今年入学したばかりの弟、ロミオだ。一年間、休暇中しか大好きな姉に会えなかったのもあって、ロミオは空き時間のほとんどをレセリカと共に過ごしている。


「ロミオ……それに関しては同意するが、たまには席を外そうという配慮はないのか?」

「殿下と姉上が許可してくださったのではないですか。それに、殿下はこの一年姉上を独占していたのでしょう? せめてあとひと月は共に食事をさせてください。僕は姉上不足なのです」


 セオフィラスは苦笑いである。ただ、ロミオも一応の譲歩はするつもりなのだ。だからこそのあとひと月である。

 ただ、本当に我慢出来るのかは謎だが。


(それにしても、ロミオったら本当に頼もしくなったわ。前の人生の時とは大違いね。……ヒヤヒヤしてしまうけれど)


 この一年はオージアスについて社交界に顔を出していたというので、目上の者と接することに慣れてきたのだろう。肝が据わっている。

 だが、ロミオはまだ九歳になったばかり。少々怖いもの知らずなところは気を付けてもらわなければとレセリカは思う。


 だが、元々人から好かれやすい性格のロミオはセオフィラスからも気に入られているようだった。ジェイルやフィンレイも可愛がってくれている。からかわれている、とも言うのだが。


「さて。本当に噂についてはいい加減なんとかしたいものだね。陰でコソコソ悪く言われることには慣れているけれど、規模が大きくなれば問題も起きる。学園生活くらいは平和に過ごしたかったのだけれど」


 セオフィラスは口元にだけ笑みを浮かべてトントンとテーブルを人差し指で叩く。不機嫌な証拠である。護衛の二人はそんな彼の様子を見てやや笑顔を引きつらせていた。


 本来なら彼はたとえ噂話が広がっても、派閥抗争が起きたとしても、関与する気はなかったのだ。

 それがなぜ、今になって動き出そうとしているかといえば、レセリカの悪口が広まっているからである。誤解されやすい彼女の可愛い一面を知る者は自分だけで良いとは思っているが、悪しざまに噂が広がるのは我慢ならないのだろう。


「申し訳ありません、セオフィラス様。私がもっと早くに対処していればよかったのです」


 慌てたのはレセリカだ。問題はレセリカとラティーシャの間で起きている。いや、当事者同士は関与していないのだが、噂を知っていながらいつかはなくなるだろうと放っておいたのは事実だった。

 そんな他愛もない問題にセオフィラスを巻き込むのは戸惑われる。なんとか自分だけで解決したいと思っていた。


「なぜ謝るの。レセリカは何も悪くないのに」


 そうですよ、と言わんばかりにロミオも見つめてくる。それはレセリカ自身ももちろんわかっていることだ。

 それでも、対処出来ただろうことをやらなかった事実はある。


(見通しが甘かったわ。きっとこうなるだろう、なんて甘い考えはもうしないように気を引き締めなくては)


 レセリカはどこまでも自分に厳しかった。


「お願いです。もう少しお時間をいただけませんか? 出来るだけお手を煩わせたくはないのです」


 自分はまだこの件に関して何もしてはいないのだ。それならばまず、レセリカが先に動くのが筋というものではないか。

 真っ直ぐセオフィラスを見つめながら伝えるも、彼は困ったように微笑むだけ。


「セオフィラス様……私は、頼りになりませんか?」


 意地悪な質問だとは自分でも思う。だが、ここは譲れなかった。もはや意地である。

 とはいえ、いくら婚約者だからといって王太子に対して無礼な物言いだったかもしれない。レセリカはドキドキしながら返事を待った。


「っ、レセリカ。君のことはとても頼もしいと思っているよ。でもね」


 ふぅ、と小さくため息を吐いたセオフィラスに、レセリカは僅かに身体を硬直させた。呆れさせてしまったかもしれない。そんな不安がレセリカを襲う。


「私のことも、頼ってもらいたい。婚約者なのだから」


 しかし続けられた言葉とこちらを慈しむ微笑みに緊張が解れるのを感じる。美しい空色の瞳には心配している色が見え、レセリカは不安になってしまった自分を恥じた。


「私たちの間には、秘密はあっても嘘はないと約束したね。だからこれから言うことにも嘘はない」


 最初に二人で会話した時の約束。立場上、どうしても相手に話せないことはある。だからせめて嘘だけは言わないようにと。

 レセリカももちろん覚えていたが、セオフィラスもまたちゃんと覚えていてくれたようだ。


「私は、大丈夫・・・だから。君が助けを求めたなら、必ず力になると約束しよう」


 これをずっと覚えていて、とセオフィラスは微笑む。つまり、この件に関してはひとまずレセリカを信じると言ってくれているのだ。その上で、必要なら手を貸すと。


(本当に、優しい人)


 レセリカは目を伏せ、丁寧にお礼を告げた。

 信じてくれたセオフィラスのためにも、この噂や派閥をどうにかしなくては。レセリカは決意を新たにした。


 そのためには、やはり会話をする必要があるとレセリカは考える。会話の相手はもちろん、ラティーシャだ。

 彼女がこの件についてどう考えているのかはわからない。だが、噂が広まるにつれて元々あまり接点のなかったラティーシャとますます近寄り難くなっている。


 当事者である彼女もまたこの状況を良く思っていないのだとしたら、協力出来るのではないかと考えたのだ。


 そうと決まれば早速、行動である。

 放課後の時間を利用して、レセリカは彼女の教室へ向かおうと決めていた。キャロルやポーラも同行を名乗り出てくれたのがとても心強い。


 だが残念なことにキャロルとポーラとは、進級と共に成績順でクラス分けしたことで別のクラスになってしまった。

 当然、レセリカはトップのクラスで、ラティーシャとその友達二人は二番目のクラス、キャロルとポーラは三番目のクラスだ。


 そのため、待ち合わせにもうしばらくこの教室で待つことになっている。


 しかし、彼女たちが来る前にその人物はやってきた。行動に移ろうと決意したのはどうやらレセリカだけではなかったようだ。


「レセリカ様。この後、少しお時間をいただけませんか?」


 口元に手を当て、潤んだ上目遣いでそう告げたラティーシャに、レセリカはただただ驚いて目を丸くした。

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