第75話伯爵令嬢の目論見


 ラティーシャは、急にキャロルを誘うことになってしまって申し訳ない、などとはもちろん思っていなかった。なぜなら、タイミングを見計らっていたからだ。


 本当は今日誘う気はなかったのだが、通りがかった教室で面白いやり取りをしていることに気付き、揺さぶりをかけるチャンスだと足を止めた。

 これといって目的はない。大好きなセオフィラスの婚約者という羨ましすぎる立場にあるレセリカが少し、いやかなり気に入らないだけだ。


 要するに、これはラティーシャの単純かつ幼稚な嫌がらせであった。


「ラティーシャ様、あの、誘ってくださったのに申し訳ないのですが、たった今レセリカ様と一緒に食事をしようとお話していたところで……」


 ほんの少しレセリカを困らせてやれればそれで良かった。しかし、ラティーシャの予想は外れてしまう。きっと誰も反論しないだろうと思ったからこそ声をかけたのに、キャロルが断ろうとしているのだ。

 空気を読む他の者たちだったなら、ラティーシャと共にこの場を去っただろうに。馬鹿正直なキャロルには通用しなかったらしい。


 ラティーシャは苛立った。


「あら、それはダメよ? キャロル」


 そのため、ラティーシャはもうひと頑張りする羽目になる。ここで引いてしまえば誘いを断られた令嬢になってしまう。

 実際は、自分より上の立場にいるレセリカが相手なのだからなんの恥にもならないのだが、ラティーシャにとっては屈辱だった。


「レセリカ様はセオフィラス様とのお時間があるのですもの。邪魔をしては野暮というものですわ」

「で、でも、今日はお約束していないと」


 しかし、キャロルが思いの外食い下がってくる。本人には悪気も何もないのが余計にタチが悪かった。


(何よ、もう。ここで時間を使うつもりはなかったのに。キャロルって本当に厄介)


 ラティーシャは心の中で悪態を吐いた。


「もう、キャロルったら。それでも待ってらっしゃるに決まっているではないの。お二人の仲が良いことくらい貴女も知っているでしょう?」

「アリシアの言う通りですねー。だって、いつも一緒に過ごしていらしたのに、急に今日だけ約束をしないだなんて……本当は今頃、殿下も寂しがっているかもしれませんよー?」


 そこへアリシアとケイティがコロコロと笑いながら冗談めかして告げた。おかげで、周囲で見守っていた者たちもそうかもしれない、と囁きあっている。


(ナイスフォローよ、二人とも)


 この二人はいつだってラティーシャのやりたいことを自然と理解してフォローしてくれる。ラティーシャは心の中で二人にハグした。


「ご、ごめんなさい、レセリカ様……! 私、身の程知らずにも一緒に食事をしたいなんて思ってしまって。そうですよね、私なんかが誘ったって迷惑に……」


 その甲斐あってか、キャロルもついに慌てて謝り始めた。こうなればもう、レセリカにはどうにも出来ないだろう。今日はきっと一人で食事をする羽目になるはずだ。


 ラティーシャが一人で優越感に浸りかけた、その時だった。


「納得しないで、キャロル」


 このまま黙っているだろうと思われたレセリカが背筋を伸ばして反論を口にした。驚いたラティーシャはこれまで見ないようにしていたレセリカに目を向けてしまう。


「私はまだ、何も言っていないわ。こちらの話を聞く前に、想像だけで納得してしまわないで? それはとても……悲しいわ」


 目を伏せて静かに告げるその姿はどこか神々しさを感じ、誰もが息を呑んでレセリカに注目していた。ラティーシャでさえ、うっかり美しいと思ってしまったくらいだ。


「殿下と過ごす時間はとても大切なものだけれど、他にも大切にしたいことはあるもの。それを決め付けで否定しないでもらいたいの」


 ラティーシャはグッと奥歯を噛みしめた。レセリカの素直さ、それでいて芯のブレない真っ直ぐな気性。

 彼女が本物の令嬢だと、嫌でも思い知らされる。


(で、でも! 私には愛嬌があるもの。レセリカ様に勝てないってことくらい、昔からわかっていたことだわ。今更ショックなんか……! 私は、ただ殿下に愛されたいだけ)


 ラティーシャは目を伏せて軽く頭を振る。そう、自分の目的はただ一つ。正妻になれなくてもいい、ただセオフィラスに愛されることなのだ。そこに能力の上下は関係ない、と必死で自分に言い聞かせた。


 だというのに、次に聞かされたレセリカの言葉と仕草にラティーシャはさらに打ちのめされる。


「私は……私は、一緒にランチタイムを過ごせるような、と、友達が出来たらなって……ずっとそう思っていたの」


 顔を赤くしつつ目線を逸らして告げるレセリカは、ただの恥じらう少女だった。先ほどまでの凛とした姿からは想像もつかないほどだ。

 お茶会の時もそうだった。完璧な冷徹令嬢かと思いきや、普通の少女の顔をふとした時に見せてくる。


(なんなの……? なんなのよ、レセリカ・ベッドフォード……!)


 気付けば、周囲で様子を見ていた者たち全員がレセリカに釘付けになっている。誰もが彼女に心を奪われ、頬を染めながら見つめていた。


(悔しい。悔しい。悔しい……!)


 それは、いつも自分が向けられている視線なのに。可愛いと注目を集めるのは自分だけで良かったのに。ラティーシャはさらに奥歯を噛みしめた。


「立候補しますっ! レセリカ様、私をそのお友達にしてくださいっ!!」


 キャロルはすでにこちらを見ておらず、思い切り手を上げて友達になりたいとレセリカに請うている。

 いや、キャロルだけではない。言い出せないだけでこの場にいるものは皆、キャロルと同じ気持ちなのだろう。いつの間にか廊下にいる自分たちのことは誰も見ていないのだから。


「……嬉しい」


 あの完璧なお嬢様は、なんて嬉しそうに微笑むのだろう。きっとあの微笑みを見て、さらに周囲の人たちを虜にするのだ。


「……参りましょう」

「ラティーシャ様……ええ、そうね。行きましょうか」


 もう見たくない。その気持ちがアリシアとケイティにも伝わったのだろう。三人はソッと教室の前から離れるのだった。

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