第65話令嬢ラティーシャの奮闘2
「はぁ、この三日間は夢のような日々だったわ」
「それはようございましたねぇ、ラティーシャ様」
オリエンテーション最終日を終えて寮棟へと向かう道すがら、ラティーシャは満足げにため息を吐いていた。彼女の侍女も嬉しそうに微笑んでいる。
(むしろ警戒されてしまったかもしれないけれど、私という存在を印象づけることには成功したと思うわ)
ここから自分は無害であることを、時間をかけて証明していけばいいのだ。
少なくとも、自分が殿下の助けになりたいと心から願っていることや、近付きたいと思っていることは伝わったのだから。
今後、やたら話しかけてくる令嬢と思われたとしても不思議には思われない。
(迷惑に思われるのは覚悟の上よ。でも、絶対に印象を変えてみせるんだから。そしていつか、愛情を向けてもらうのよ……ふふっ)
ラティーシャは第一歩が踏み出せた、その達成感でいっぱいであった。
そんなご機嫌な彼女の前に、一人の男子生徒が声をかける。
人気の少ない廊下は少し遅くなった放課後という時間帯もあって、周囲に人はいないだろうと油断していたラティーシャは驚いたように肩を揺らした。
「あぁ、驚かせてしまい、申し訳ありません。ラティーシャ嬢」
「……リファレット様」
それも、声をかけてきたのは彼女の仮の婚約者、リファレットであったのだから余計に。
ここで知らんふりするのもよくないだろう。彼もまた、周囲に人がいない時と場を選んで話しかけたのだろうから。
その配慮を欠かさなかった点については彼の評価を上方修正すべきであろう。
ラティーシャはどこまでも上から目線で彼を見ていた。
「……やはり、殿下をお慕いしているのですね。貴女は」
「ええ、そう言ったはずですわ。それは、貴方も了承してくださったのでは?」
リファレットは、表情の読めない顔でラティーシャに告げる。それを不服なのだと捉えたラティーシャは、腕を組みながらプイッとそっぽを向いた。やはりまだ子どもっぽさが残る。
その仕草にリファレットはやや表情を和らげたのだが、余所を向いている彼女は気付いていない。
「はい、もちろん。仮とはいえ、貴女の婚約者になれただけで、私はとても幸せなので」
「っ!」
しかし、さすがにそんな口説き文句を言われてはラティーシャも反応せざるを得ない。
熱を帯びた視線を浴びることや褒め言葉には慣れているラティーシャだったが、熱い想いを真正面からぶつけられたのは初めてだった。
(……悪く、ありませんわね)
本当は嬉しいと思ったはずなのだが、彼女はどこまでも高飛車な少女であった。
「変わった方ですわね……思いが一方通行だというのに。いえ、それは私も同じことでしたわ」
途中までは物好きな人だと思っていたが、考えてみれば自分も同じことをセオフィラスに対してしていることに気付く。
だが自分の方が望みはあるはずだと疑ってもいないラティーシャは、どこまでも強気だ。
「我々は、ある意味互いに気持ちが分かり合える仲だと思いますよ」
「そうかもしれませんわね。それでも、私は諦めませんわ」
「それは、私もです」
しかし、リファレットもまた負けていなかった。真っ直ぐラティーシャを見つめる青い瞳は真剣そのものだ。
暫し互いに見つめ合う。
先に目を逸らしたのはラティーシャだった。追われる女になれと母に言われ、実際なかなかにいい気分ではあった。だが、あまりにも実直な彼の気持ちが少々重い気もしてくる。
簡単に言うと、ラティーシャは戸惑っているのである。
「……くれぐれも、私との婚約については内密に。正式なものでもありませんし」
「はい。卒業までは、ですね。卒業後には、正式に私から申し込ませていただきます」
「永遠に、ですわ。そんな事実などなかったと言う日が、きっと来ますもの」
互いに一歩も譲る気のない思いがぶつかり合い、ここで小さな火花が散る。
少しの沈黙を挟み、リファレットが小さく息を吐く。そして、最後に一つ聞きたいことがあるのですが、と前置きをして口を開いた。
「レセリカ様をどうされるおつもりなのですか」
リファレットから思いがけない名前を聞いて、ラティーシャの眉がピクリと動く。
「どうもしませんわ。私が勝手にアピールするだけですもの」
無意識に、声が冷たいものとなる。
普段の明るく可愛らしいものとは違った声色に、リファレットの目には聞くべきではなかったという反省の色が見えた。
「もうよろしいかしら? 私、そろそろ休みたいのですけれど」
「あ、ああ。私もこれで、失礼いたします」
リファレットの返事を最後まで聞かない内に、ラティーシャは踵を返して寮棟へと歩を進める。背後では恐らく彼が切なげに自分を見ているのだろう。
だが知ったことではない。ラティーシャは、その気持ちに応えるつもりはないのだ。迷惑だから、あまり学園では話しかけないでほしいとさえ思っている。
追われる女というのも楽ではない。自分のことで精一杯だというのに、余計な爆弾まで落としていくとは。
背後で立ち去っていくリファレットの足音を聞きながら、ラティーシャは苛立つ。
(何よ。リファレット様までレセリカ様のことを気になさっているのね。私を好きなくせに!)
余計な爆弾とは、レセリカのことだ。
正直に言えば、彼女はラティーシャにとって邪魔な存在である。出来ることなら婚約者の立場から引きずり落してやりたいと思うほどに、嫉妬心でいっぱいだった。
幼い頃から同じ年の公爵令嬢に興味があり、ずっと噂を集めては聞いてきた。調べれば調べるほど自分より家柄も能力も高く、何でも持っているように見えたのだ。
頑張っても乗り越えられない壁はあると、幼い頃からずっと思い知らされてきた。
今も変わらず悔しいと思い続けてはいる。だが、ある程度のことは仕方ないと諦めてもいるのだ。ワガママなお嬢様とはいえ、愚かではないのである。
ただ、ラティーシャにはどうしても許せないことが一つだけあった。
「レセリカ様は、殿下に心を寄せているわけではないのよ……? 私の方がずっと、ずっと殿下をお慕いしていますのに。それなのに、殿下に特別に扱ってもらえるなんて……」
「ラティーシャ様……」
侍女の痛ましげな声や態度も、今のラティーシャには苛立ちの材料でしかない。
憐れまないでほしい。自分は、決して負けているわけではないのだから。自分には魅力がある。その強みをラティーシャは誰よりも自分で信じているのだ。
「羨ましいのですわ。悔しいのですわ。私だって殿下の婚約者候補として名が上がっていましたのよ? それなのに、家柄だけで決まってしまうなんて……」
それでも、たまには愚痴だって言いたくなる。
「ですから、諦めません。側妃でもいいのですわ。いつか必ず殿下の寵愛をいただいてみせますもの」
それから、自分を鼓舞する。
彼女はそうやって時々、侍女や友人の前で目標を口にすることでいつだって自信満々でいられるのだ。
ラティーシャは再び前を向いた。鋼の精神力である。
「ふぅん、なるほどね」
ふと、どこからともなく声が聞こえたような気がして、ラティーシャは立ち止まり、振り返る。しかし、そこには誰もいない。
「……?」
「どうされました? ラティーシャ様」
「……なんでもないわ」
おそらく気のせいだと思い直したラティーシャは軽く首を振り、侍女を連れて再び歩き始める。
誰もいなくなった廊下で、微かに風が吹いたことに気付いたものはいない。
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