第64話令嬢ラティーシャの奮闘1
ラティーシャは終始ご機嫌であった。
(まさか、ここで殿下とお近付きになれるなんて。きっと神様が私とセオフィラス様との仲を応援してくださっているのだわ!)
ついこの間セオフィラスの逆鱗に触れてしまったことなど、すでに頭の中にはない。正確には覚えてはいるのだが、その後のセオフィラスが常に微笑んでくれているので上書きされたともいう。
(やっぱり素敵……いつも穏やかでお優しくて。ああっ、ドキドキしてしまうわ!)
恋する彼女は全てを都合良く受け取れる。ラティーシャの脳内はお花が咲き誇っている状態であった。
「セオフィラス様、この学園でおすすめの場所ってありますか?」
うまくいけば、偶然を装ってセオフィラスと出会えるかもしれない。
ただ、そんな彼女の思惑に気付かないセオフィラスではない。そして、それはジェイルも。
「中央にある棟の中庭は吹き抜けになっていてオススメですよ、フロックハート伯爵令嬢。時間になると音楽に合わせて噴水から水が噴き出すんです。あとは温室なんかも人気があります。年中温かいですし、色んな植物がありますからね」
こういったことを聞いてくる令嬢はラティーシャだけではないのだろう。ジェイルの受け答えは慣れた様子だった。
セオフィラスではなくジェイルが答えてくるこの状況に、ラティーシャは内心ではしたなくも舌打ちをしたくなる気持ちだった。
先ほどからどんな質問をしても答えるのは護衛のジェイルばかり。セオフィラスは言葉を発しても「はい」「そうですね」などの一言くらいなのだ。
「それでは、セオフィラス様がよく行かれる場所はありますか? 人気の場所ではなくて、セオフィラス様のお好きなものが知りたいのです……ダメ、でしょうか?」
なんとかセオフィラス自身に応えてもらいたい一心で、ラティーシャは質問の仕方を一生懸命考えた。
もちろん、自分が可愛く見える仕草や言葉の使い方に気を配るのを忘れない。
まんまと引っかかったのはジェイルである。その愛らしさに少々言葉に詰まってしまったのだ。可愛い女の子好きの性である。
「特によく行く場所はないですね」
そのため、その質問にはセオフィラス自身が答えることとなった。困ったように眉尻を下げた微笑みを浮かべて。
それを人目のある場所では気が休まらないのかもしれない、と都合よく解釈したラティーシャは痛まし気にセオフィラスを見つめる。
実際、それは本当のことではあるが、セオフィラスにだってよく行く場所くらいはある。ただしれっと嘘を吐いただけだ。
「では、このオリエンテーションでお気に入りの場所が見付けられるといいですわね! まだ行っていない場所もおありなのでしょう? そういった場所を中心に見て回りませんか? ふふっ、なかなかいいアイデアだと思うのですけれど!」
しかしラティーシャは諦めない。両手の指先を合わせてコロコロと無邪気に笑って見せた。
大抵の令嬢ならば、そろそろ話しかけてくるのを諦めてくる頃合いだった。
いくらにこやかに微笑んでいても、セオフィラスにあまり話す気がないことくらい察せるからだ。
(きっと迷惑な女だとお思いでしょうね。でもまずは印象に残ることからよ。出来ればいい印象で残りたかったけれど)
もちろん、ラティーシャにだってセオフィラスが自分と仲を深める気はないことくらいわかっていた。
それでも、ここで諦めるわけにはいかない。この目標を失ったら、学園生活の何を楽しめばいいというのだ。
(諦めたら……リファレット様と結婚することになってしまうもの。将来はムキムキの筋肉男になるのが目に見えていますのよ? 私の好みではありませんわっ! 怖いし、絶対に嫌っ)
ラティーシャは結婚相手の見た目や体格を重視するタイプであった。
「我々はそれでも構いませんが……貴女はそれで良いのですか? 人気の場所、よく使うだろう教室の場所などを確認した方が良いのでは」
一度セオフィラスと目を合わせたジェイルが、根負けしたようにラティーシャに訊ねる。
提案が通るかもしれないという手応えを感じたラティーシャは小首を傾げてニコニコ笑った。
「あら。そういった場所はお友達と一緒に今後たくさん行くことになりますもの。それなら普段は行かないであろう場所をこういった機会に巡る方が、学園を知ることが出来ると思いますの。それに何より、探検みたいで楽しそうですわ!」
彼女の言うことには一理あった。
どうせ他の生徒は無難によく使う場所などを案内しているのだろうし、もしラティーシャが場所を把握していなくてもなんとかなる。
そもそも貴族家は教室を移動する際、常に従者が付くのだ。道に迷うことなどほぼないのである。
セオフィラスが諦めたように小さく息を吐きながら頷いたのを確認すると、ジェイルは再びラティーシャに目を向けた。
呆れられてしまったのがわかったラティーシャは、己のフォローも忘れない。
「私ったら。探検だなんてお転婆でしたかしら……?」
恥ずかしそうに俯き、はにかんで笑う。一度伏せた目をパッと開けた時に上目遣いで相手を見るのだ。その時、瞳が少し潤んでいると効果的である。
そして見事、ラティーシャの人の心を掴む視線はジェイルに刺さった。ウッ、と息を詰まらせて少々頬を赤くしている。
本当なら、セオフィラスにしてもらいたかった反応ではあるのだが。
しかし、ジェイルとて馬鹿なだけの男ではない。すぐにニッコリと笑みを浮かべ、冗談めかして言葉を紡ぐ。
「いいえ、そんなことはありませんよ。無邪気で愛らしい一面をお持ちですね? フロックハート伯爵令嬢」
「ふふっ、ラティーシャで良いと言っていますのに。照れ屋なんですのね? それとも、立場がおありだからでしょうか。それも仕方のないことですけれど」
いつまでたっても自分を見ようとしないセオフィラス。ラティーシャは仕掛けることにした。
流し目をセオフィラスに向けると、いつもの無邪気さが消えてどこかミステリアスにも見える。そんな雰囲気を九歳の令嬢が醸し出すとは末恐ろしい。
「きっと、迷惑だと思っていらっしゃいますわよね? 殿下のお立場に擦り寄る愚かな伯爵令嬢だと」
「いえ、そのようなことは……」
「いいのです。そういった方が多いのは事実ですもの。そう思われても仕方ありませんわ……悲しいですけれど」
急に核心をついた話題に移り変わり、ジェイルがやや警戒したのがわかった。
だがそれでいいのだ。いつまでものらりくらりと躱されては話も関係も進まないのだから。
「でも、そういった人たちばかりではありませんのよ? ただ、殿下のお力になりたいだけの私のような者もいるということを、少しでもわかってもらいたいのです」
ラティーシャはいつになく真剣な眼差しをセオフィラスに向ける。
その時初めて、セオフィラスは彼女と目を合わせた。
数秒ほど見つめ合った後、ラティーシャはフッと目を細めて柔らかく微笑む。いつもの愛らしさ全開の彼女の姿だ。
「さ、参りましょう? 普段はあまり向かわない場所、案内していただけませんでしょうか。先輩方?」
「……はい。では、残り時間も考えて俺が案内していきましょう。こちらです」
結局セオフィラスはそのまま何も言わなかったが、ラティーシャは満足だった。
なぜなら、恐らく初めてラティーシャ・フロックハートとして認識してもらえたのだから。
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