第39話会話と沈黙


 植物園の中は温室になっており、ポカポカと温かい。天気も良く、陽も射し込むため歩いていれば少々暑く感じるかもしれない。


 花の咲かない植物のゾーンをセオフィラスにエスコートされながらレセリカは歩く。そんな二人の後ろからつかず離れずで護衛が見守っている。

 普通に話していれば会話も聞き取れるような距離だが、それは耳元でひっそりと囁かれた声であれば聞かれないともいえる。


「疲れたら言ってね」

「は、はい」


 別に聞かれても問題のない内容だというのに、セオフィラスはいちいち耳元で囁いてくる。レセリカはずっと頬を赤く染めっぱなしであった。

 そんな彼女を見て心底嬉しそうにクスクス笑うセオフィラス。レセリカは完全に振り回されていた。


「ここに来たことはある?」

「はい。弟と何度か」

「仲がいいんだね。私も妹を連れて来ようかな」


 時折、何とも言えない沈黙を挟みながら二人の会話は続く。たまに立ち止まって植物について話をしたり、再び歩き始めてまた少し話したり。

 その全てがセオフィラスからの質問であり、レセリカはそれに答えていくだけ。立ち止まるのも歩き始めるのも全てセオフィラスに任せきりであった。


「……レセリカ、私と話すのはつまらない?」

「えっ、そのようなことはありませんが……」


 少し開けた円状の広場に出た時、セオフィラスが控えめにレセリカを見た。質問に驚いたレセリカはパッと顔を彼の方に向ける。


(あ……セオフィラス様、不安そう……?)


 この時初めて、レセリカはセオフィラスの顔を見た気がした。ずっと俯いて足下ばかり見ていた気がする。時々顔を上げても、植物ばかりを見ていた。


「ずっと私が質問をしているから。こちらを見ないし……つまらなくはないけれど、面白くもない、かな?」


 苦笑を浮かべながらそう言ったセオフィラスに、レセリカは罪悪感でいっぱいになる。慌ててセオフィラスに身体ごと向き直り、ハッキリと答えた。


「いいえ! いいえ、セオフィラス様。それは違います」


 しかし、その後の言葉が続かない。言おうとすると怖くなって言葉が止まってしまうのだ。これを言ったら嫌われるかもしれない、と。

 前の人生の時のように、自分から人が離れてしまうのではないかと怖くなってしまうのだ。


 けれど、セオフィラスはただ黙ってレセリカの言葉を待ってくれている。穏やかにレセリカを見つめながら、催促するでもなくひたすらに。


 レセリカは勇気を振り絞って、震える声で告げた。


「わ、私が、面白くない女、だから……」


 消え入りそうな声だったが、セオフィラスはしっかりと聞き取った。そして言葉の意味を理解すると、スッと表情を消す。


「誰かがそう言ったの?」

「……い、いいえ。言っていません」

「間があったよ?」

「ほ、本当です。嘘は言わないと、約束しましたから……」


 事実、今生で言われたことはない。言われたのは前の人生でのことなのだから、嘘ではなかった。


 それでも訝し気にレセリカを見ていたセオフィラスだったが、渋々といったように納得すると暫く何かを考えた後に話を切り出した。


「たとえば私が、レセリカにとってつまらない話ばかりしていたとしよう。もしくは、何も話さず過ごしていたとして。とにかく、レセリカにとって退屈な時間だったとする」

「そんなこと……」

「たとえばだってば。もう、真面目だな」


 すぐに慌てたように顔を上げるレセリカに、セオフィラスはクスッと笑う。馬鹿にしたようなものではなく、親しい者に向けるような温かな笑い方だった。


「退屈な時間を、私と過ごすのは嫌かな?」


 いつものような微笑みだった。しかし、いつもとは少し違う気もした。ジッとセオフィラスを見つめている内に、レセリカは理解する。


(セオフィラス様も、不安だったのね。私が気にしていたように。自分と一緒にいるのはつまらないかもしれないって)


 表に出さないだけで不安だったのだ。自分と同じだったと知って、レセリカは肩の力を抜く。それでも、こうして勇気を出して聞いてくれているのだ。


「嫌ではありません。むしろ……」


 それなら自分も本心を言わなければ、とはわかっている。先ほどもそう考えて、思い切って言ったではないか。

 だが、自分の好みを告げたところで気を遣わせてしまうのではないかという遠慮があった。常に相手に合わせて言動していたレセリカにとって、それは失礼にあたるのではないかという考えがなかなか拭えないのだ。


「いいんだよ。聞かせて? レセリカのことが知りたいんだ」


 家族にはようやく言えるようになってきた。それなら次は、友達や婚約者に。いや、友達である風の少年にはなぜか気負いせずに聞けるのだが。

 やはり、セオフィラスはまた違う。婚約者という関係が余計に緊張感を増すのかもしれなかった。


(変わらないと。自分が断罪されるのもそうだけれど……私はこの人のことを、守りたい)


 脳裏に過るのは処刑の光景。でも、それよりも前に目の前で優しく微笑む王太子は何者かに暗殺されてしまうのだ。


 自分が側にいることで何かが変わるのなら、変えたい。嫌われる可能性もあるが、親しくなるためにはやはり正直に話すのが一番だと思うのだから。


「……私は、静かな時間が好きです。だから、その。会話のない時間を過ごしても苦ではない方と共に過ごす時間は、特に好きなのです」


 下手をすると、ずっと話しかけられるのは嫌だとも受け取れてしまう。もちろん、そんなことはない。セオフィラスと話すのは楽しいと感じていたのだから。ただ、静かに過ごすのが好きだというだけの話である。


「それは、私との時間も好きって言ってくれている?」

「もちろん、です」


 ぎこちなくなりながらも、しっかり目を見て返事をする。そこでようやくセオフィラスがほぅっと安心したように息を吐いた。


「聞けて良かった。実は私も、ずっと話し続けるのは苦手なんだ。何も話さず、ゆったりと歩くだけの時間が私も好きなんだよ。レセリカも同じで良かった」


 それは九歳の少年の笑顔だった。本当に嬉しそうに笑うセオフィラスは、王太子ではあるがただの少年でもあるのだ。レセリカは胸がほのかに温かくなるのを感じた。


「今日、また一つ君のことが知れて嬉しい」


 前の人生では知ることのなかったセオフィラスの穏やかさ、優しさに触れて、レセリカは考えを改める。


 形式上の関係だと思っていた。ただ、役目を果たせればそれでいいと。


(私の婚約者様は、こんなにも素敵な方だったのね……。私も、歩み寄る努力をしないといけないわ。殿下に気を遣わせてばかりだもの)


 ちゃんと愛情を育めるのだ。互いがちゃんと歩み寄れば。決められた縁ではあるが、この縁をどう捉えるかが大事だった。

 まだ二度しか会っていないが、少なくともレセリカは王太子としてではなく、セオフィラスという一人の少年のことを好ましいと感じている。それが愛情へと育つにはまだ子どもすぎるし、時間が必要ではあるのだが。


「私は、その。セオフィラス様となら、お話をするのも、黙って歩いているだけの時間も、全て楽しい、です」

「レセリカ……」


 確実に種は芽吹き、成長をしているようだった。

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