第38話馬車にて二人きり


 ベッドフォード家の前に豪華な馬車が一台停車していた。

 乗っていたのは華美すぎないシンプルな、それでいて仕立ての良い服に身を包んだこの聖エデルバラージ王国の王太子、セオフィラスだ。

 穏やかに微笑みながら立つその姿は、まだ九歳だというのにしっかりと王家の血筋を感じさせる風格を漂わせている。


「お待たせして申し訳ありません。セオフィラス様」

「待ってなどいないよ、レセリカ。うん、そのドレスも素敵だね」

「お褒めにあずかり光栄です」


 そして、ベッドフォード家から出てきたのは当然レセリカだ。侍女のダリアは、今日は護衛として付いて行くためパンツスタイルで後ろに控えている。


 そう、今日はセオフィラスと出かける日。王城近くの植物園へ向かうのだ。

 そのため、レセリカもいつもより動きやすくてシンプルなデザインのワンピースドレスを着ている。ホワイトブロンドの髪は簡単にハーフアップにまとめており、葉っぱモチーフのバレッタで飾られているのみ。植物園に合わせてダリアが選んだものであった。


「では、レセリカ嬢をお預かりしますね。ベッドフォード公爵」

「……はい。どうぞお気を付けて」


 レセリカの手をそっと取ってエスコートしながら、オージアスに声をかけるセオフィラスは余裕のある笑みを浮かべている。ギュッと眉間にシワを寄せたオージアスの強面にも一切怯むことがないのはさすがであった。


 さらに言えば、オージアスの後ろで射抜かんばかりに睨みつけてくるレセリカの弟、ロミオの視線にも気付いていながらどこ吹く風である。それどころか、少々楽しそうにも見えた。


「……行ってまいります」


 それぞれの反応に最も困惑していたのはレセリカである。ただ、父と弟がなぜあんなにも不機嫌なのかは理解が出来ないでいた。


(植物園に、行きたかったのかしら……?)


 帰ったら、必ずお土産話をしようと心に決め、レセリカはセオフィラスの手を取って馬車に乗り込む。

 二人が乗ったところで扉が閉められ、馬車はゆっくりと動き始めた。


「あの、父と弟が不躾な態度で……申し訳ありません」


 この車内にはセオフィラスとレセリカの二人きり。護衛はその周囲に馬でついてきているためだ。もちろんダリアもその一人。

 チラッと窓の外を見た後、セオフィラスと向き合ったレセリカは申し訳なさそうに頭を下げた。


「気にしなくていいよ。面白かったから」


 不快にさせていたらどうしよう、というレセリカの心配をよそに、セオフィラスは楽しそうにクスクス笑う。それが意外で目を丸くしていると、苦笑しながらセオフィラスが告げた。


「レセリカが大事で仕方ないんだよ。大切にされているんだなってわかって、私は嬉しく思ったから」

「あの態度で、おわかりになったんですか?」


 父であるオージアスはお世辞にも人当たりがいいとはいい難い。自分と同じで表情が外に出にくいというのに、不機嫌な様子は隠す気があまりないのだから厄介なのである。

 弟のロミオは逆に感情表現が豊かなために、元々わかりやすいのだが。それをセオフィラスが気付いていたことに驚いた。


「もちろん。ベッドフォード公爵はわかりやすいと思うよ。私は人を観察する癖がついているからね」


 セオフィラスの返答にはさらに驚かされる。そこまで接する機会もなかっただろうに、理解出来るなんて、と。

 自分など、人生をやり直してようやく気付けたというのに。改めて只者ではないなとレセリカは感じた。


「嫉妬でしょう? 大切な娘を別の男に任せるのが嫌なんだよ。弟も同じだろう」

「そ、そういうものなのでしょうか」


 嫉妬、という答えにはやや首を傾げるレセリカ。ただ心配しているだけだと思っていたのと、自分には経験のないその気持ちに関してはあまり理解出来ないのかもしれない。


 わからなければわからないままでいいと思うよ、と笑うセオフィラスにはさらに首を傾げることになってしまった。


「そんな公爵と弟には悪いが、私はレセリカを独占出来るのが嬉しいと思っているよ。束の間だけれどね」

「えっ、それはどういう……」


 きょとん、として真っ直ぐセオフィラスを見たレセリカの視線を受けて、セオフィラスは優しく目を細める。無表情な父の感情も読めなかったが、いつも穏やかに微笑んでいるのも読めないものだな、とレセリカはぼんやりと考えた。


 セオフィラスは窓枠に肘をかけ、頬杖をつきながらレセリカに優しく告げる。


「ねぇ、レセリカ。もう少し、楽に話してもらえないかな?」

「楽に、ですか?」


 それは予想外の提案だった。そしてそこで初めて気付く。最初はとても丁寧な話口調だったはずなのに、今日は最初から砕けた口調であることに。


 初対面の新緑の宴ですでにその口調になっていたのだが、レセリカは今初めて気付いたのであった。今更な話である。


「せめて、二人でいる時くらいは。私は、信頼の出来る者とは自然体で接したいと思っているんだ」

「私を、信頼してくださるんですか……?」

「信頼したいと思っているよ。だって約束しただろう? 互いに歩み寄ると」


 なぜか、レセリカは顔に熱が集まるのを感じた。嬉しいのかもしれない。過去の事件から人をなかなか信じられない彼が、自分を信頼しようとしてくれているということが光栄で、とても喜ばしいのだ。


 ただ、わずかに疑問も残る。セオフィラスの人間不信は根深いものだと思うからだ。

 それなのに、まだ会うのも二回目の自分を信じようと思ってくれるのはなぜなのか。こうまで簡単に信じようと思えるものだろうか、と。そこまで思わせるような言動をした覚えがレセリカにはない。だからこそ、疑問は拭えなかった。


 しかし。嬉しく思う感情は本物なのだから、まずはそれを伝えるべきだろう。レセリカは俯きながら口を開く。


「は、はい。その、嬉しい、です」

「あはは、硬いな。うん、でもいいや。少しずつね。そんなレセリカも可愛いし」

「かっ……!? セオフィラス様、あまりからかわないでください」


 さらりと褒め言葉を投げてくるセオフィラスに、レセリカの顔はますます赤くなっていく。慌てて顔を上げてそう伝えると、目の前には真剣な表情のセオフィラスの顔があって息を呑んだ。


「本心だ」

「っ!」


 空色の美しい瞳からは真摯さが感じられる。レセリカは言葉を失い、暫しその瞳に視線が釘付けになった。


「嘘はつかないよ。だからレセリカも嘘はつかないで。隠しごともなし、とまでは言わないよ。お互いに言いたくないことや言えないことくらいあるだろうから。でも、嘘だけはつかないで。これだけは約束してほしい」


 君ならその約束を守ってくれる気がしたんだ、と微笑んだセオフィラスの表情は、いつも浮かべる笑みとは違ってとても優しく、温かい。


「……はい。嘘は吐きません。誓います」


 だからレセリカも、真っ直ぐ瞳を見返しながら真剣にそう返事をしたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る