第5話記憶の整理


 花瓶事件の後、レセリカは自分の置かれた状況を整理することにした。紙とペンを持ち、思い出せる限りのことを書きだしていく。

 もちろん、全てではない。印象に残った事件であったり後悔したことなどを中心に、である。


「一番の心残りは、ほとんど殿下にお会いしなかったことかしら」


 前の人生で、レセリカは自分の婚約者とあまり関わることがなかった。

 そもそも王太子である婚約者があまり表に出てこないからでもある。幼い頃に暗殺されかけたことで人間不信になり、それ以降、人前に出るのを極端に嫌がっていると聞く。


 そのため殿下をあまり刺激しないよう、レセリカは殿下とは違う学校に通うことを決めたのだ。婚約しているのだから、どうしても会う機会はある。それ以外で会って、殿下の気を煩わせたくないと考えたのだ。……遠慮のしすぎである。


 ただ、それはつまりレセリカにとって王太子への気持ちはそんなものであったということでもある。

 時期がきたら結婚して子を産む。そのお役目さえ果たせばあまり会わなくても問題はないと思っていたのだ。その後は側室を迎えてもらっても構わない、自分は王妃としての仕事を恙なくこなすのみだ、と。

 その考えは今もほとんど変わっていないのだが、断罪されるキッカケとなった王太子暗殺の報せを聞いた時のショックは大きい。今も身震いするほどには痛ましいと感じていた。


 このまま何も手を打たなくてもいいわけはないだろう。レセリカは動かしていたペンの動きを止め、考えに耽る。


 ……止められないかもしれない。暗い考えが脳裏に過る。その暗殺事件がキッカケとなり、自分は処刑されることにもなったのだ。事件のことなど、殿下の死以外は何一つ知らなかったというのに。


(処刑されたくないっていうのが本音だけれど、殿下を死なせてしまうのは絶対に良くないわ。なんとしても阻止しないと)


 そのためには、以前と同じような距離感ではダメだとレセリカは考える。人間不信である殿下の負担にならない程度に歩み寄る必要がある……のだが、人と接するのが苦手なレセリカにとっては難題だ。


(勉強してわかることだったらどれほど楽か……)


 しかし、弱音を吐いてはいられない。動かなければ未来は何も変わらないのだから。


 前の人生において、婚約の申し出は王太子側からであった。レセリカは公爵令嬢であるから身分も申し分ない。幼い頃からそれを想定した教育も施されてきたし、社交界では幼い頃からレセリカの能力が高く、もっとも有望だと噂されていた。それは今も同じ。

 ベッドフォード家としても申し出が来た時はなんら不思議に思うことなく、むしろ当然とばかりにすんなりと受け入れていたはず。婚約する年齢としても社交界デビュー時期と、妥当だった。


 レセリカはペンを走らせながら記憶にある十七歳の王太子の姿を思い出す。インクの匂いが気持ちを落ち着かせた。


 アッシュゴールドの髪に空色の瞳をした王太子、セオフィラス・ロア・バラージュ。

 整った容姿に穏やかな性格、それでいて真面目で聡い王太子は令嬢たちを魅了していた。辛い過去を表に出すことなく、誰にでも向けてくれる優しい微笑みは乙女のハートを撃ち抜くのに十分だった。


 加えてあまり表舞台に立たないことから、わずかに見た時の印象が尾ひれをつけた噂として広まっている。謎の多いミステリアスさも令嬢たちの恋心を燃え上がらせていた。


 本来ならば、学園生活中に婚約者を見付けてもらいたいと国王は思っていたそうなのだが、王太子本人の希望でその前に決めたということだった。人間不信であった彼は、学園生活中に複数の令嬢から声をかけられる方が苦痛だったのだ。

 候補者の絵姿を並べられ、それぞれの簡単な紹介を従者から聞かされたセオフィラスは、深く悩むこともなくあっさりとレセリカを選んだという。


 選んだ基準は家柄だろうとレセリカは思っている。大きな問題がないのならば家柄順に選ぶのが妥当だと、自分でも考えるからだ。


「確か婚約の話が出てきたのは、殿下が新緑の宴に出る半年ほど前。もう一年もないわね……」


 セオフィラスは九歳の時にようやく社交界に姿を現し、デビューと共にその場で婚約の発表をした、らしい。

 らしい、というのもその新緑の宴にレセリカは出席していないからだ。婚約者として本来ならば出席すべきだったはずなのに。今考えると不思議である。


「なんとなく作為的なものを感じるわ。お父様か国王様か、他の誰かか……。もしかすると殿下ご本人が嫌がったのかも。急な話で準備が出来なかったことも考えられるわね。でも、今回は絶対に次の新緑の宴で私もデビューしないと」


 もしかするとその時からレセリカの悲運は始まっていたのかもしれないのだから。

 ならばレセリカの次なる目標は王太子に会うこと。彼のことを知り、周囲のことも調べ、出来る範囲で危険を遠ざけるためには少しでも仲を深める必要がある。


「来年のデビューなら……まだ準備も間に合う、わよね?」


 以前は、言われるがままだった。デビューがいつだとか、そんな話もギリギリになるまで聞くことはなかったし、レセリカも無理に聞いたりはしなかった。実に聞き分けのいい娘だったのだ。


 だが、それはただ人任せにしていただけの無責任だったとレセリカは反省した。これからは自分の頭で考え、選んでいかなければならない。

 もしそれで悲運を辿ったとしても、それは全て自分の責任として納得出来るからである。逃れられぬ運命だというのなら、せめて後悔はしたくなかった。


 だから、今回は流されるわけにはいかない。


「今度はお父様に次の新緑の宴に出たいと、そうワガママを言わなきゃいけないのね……!」


 レセリカにとってはかなりハードルの高いミッションである。これまで誰かに自分のためだけのお願いなどしたことはないのだから。

 とても辛い時、熱を出した時でさえ人に助けてと伝えられないほどの拗らせぶりである。父親になんの前触れもなく何かをしたいと言うなど、以前では考えられないことだ。


「私に出来るかしら……」


 弱気になりかけたレセリカの脳内に、忌々しい記憶が蘇る。


 カビ臭く薄暗い地下牢、冷たい鎖の感触、人々の罵声に……鋭く光る断頭台の刃。

 それらを思い出してレセリカはブルリと身を震わせた。


 レセリカはペンを置き、軽く自分の頬を両手で叩く。そして、今後も弱気になりそうな時はこれを思い出そうと決めた。


 本当はすぐにでも忘れたい記憶だったが、覚えていることが自分を奮い立たせる。

 身も心も人形のような自分からは卒業だ。レセリカは再びペンを取り、やるべきことをメモしていった。




「レセリカ様、オージアス様がお呼びです」

「お父様が?」


 それから数週間が過ぎた。あれだけ決意をしたというのに、レセリカはまだ話しに行く勇気を出せないでいた。

 まだ思い出して書き残さないといけないことがあるだとか、勉強もしなければ、などと自分に言い訳をしては寝る前に落ち込む日々。


 そんな時に舞い込んだ、思いもよらない父からの呼び出し。これは話をするチャンスかもしれない、と一気に緊張がレセリカに押し寄せる。と同時に冷静な頭は別のことを考えていた。


 この時期に父親に呼び出されることなどあっただろうか、ということだ。レセリカは記憶を辿った。だが、思い当たることはない。


 とはいえ、いくら記憶力のいいレセリカといえど全てを思い出せるわけではないのだ。覚えていないだけで、そういうことがあったのかもしれない。


(記憶に捕らわれすぎてもダメね)


 なにはともあれ、せっかく訪れたチャンスである。心の準備が出来ているとはいいがたいが、レセリカはサッと支度を整えるとバートンの案内で父親の執務室へと向かった。

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