第6話緊張とおねだり


「レセリカ様をお連れしました」


 バートンが執務室のドアをノックして声をかけると、中からはすぐに返事があった。そのままバートンにドアを開けてもらい、入室したレセリカは父の座る執務机の前に立つ。


「お呼びでしょうか、お父様」

「うむ」


 背筋を伸ばし、凛とした立ち姿のレセリカ。とても七歳とは思えない気品が漂っている。特にここ数日でグッと大人っぽくなったように見え、オージアスやバートンも一瞬目を奪われるほどだ。

 実際、中身が急に大人になったようなものではあるのだが、そんなことなど知る由もない。


 隙がない、オージアスは率直にそう思った。あまりにも完璧すぎて、誰も彼女に文句を言うことは出来まい。これならどこへ嫁に出しても問題はないだろう。

 とは言っても、オージアスはまだレセリカを嫁に出す気などサラサラないのだが。


「……」

「……」


 執務机越しに向かい合って、しばらく無言が続く。レセリカとしては呼び出された手前、先に父の要件を聞くべきであるので黙って待っているしかない。

 だが少々、沈黙の時間が長かった。しびれを切らしたのはバートンである。


「オージアス様、要件をお伝えしないと」

「わ、わかっておる」


 優秀な執事である。

 オージアスは軽くゴホンと咳をすると、ようやく話を切り出した。


「……社交界デビューの話だが」

「! はい」


 これは記憶にもない、初めての会話だ。レセリカは瞬時にそう判断した。

 花瓶事件で何かが変わったのか、もしくはそれ以降の自分の何かがキッカケだったのかはわからないが、過去にはなかったやり取りが今なされていることだけはわかる。


 心拍数が上がり、緊張でレセリカの指先が冷たくなっていく。


「お前は七歳。だが、今年の新緑の宴はすでに終わっている。次は来年になるのだが……」


 いよいよだ。もしかしたら、来年デビューをという話かもしれない。レセリカの胸は高鳴った。


「……再来年で、いいな?」

「え……」


 そして一気に地に落とされた。まさか、確認のためだけだったとは。

 もはや決定事項とでもいうような言い方に、レセリカは目の前が真っ暗になりそうだった。


 ちなみに、当然オージアスにそんな意図はない。レセリカに選ばせようと思っているのだが、どうしても隠しきれぬ本音が溢れてしまった結果、このような聞き方になってしまっただけである。


(い、いいえ。ここで引いてはいられません!)


 レセリカはギュッと小さく拳を握りしめた。自分は変わるのだ、と。


「あ、あの」

「なんだ」


 普段なら、父の言うことには二つ返事で了承する。今の質問だって、それでいいな? と聞かれたら「はい」と答えるだけだ。

 しかし、レセリカは勇気を出した。緊張でほんのり頬が上気する。瞳は潤み、まるで小動物のように小刻みに震えてしまうが、そんなことは気にしていられない。


「次の新緑の宴に、出席してはダメ、でしょうか……?」


 レセリカ・ベッドフォード七歳。やり直し前を入れれば苦節二十年ほど。

 生まれて初めて己のためだけに主張した、精一杯の本音ワガママであった。


「ごほんっ、失礼」


 耐え切れず咳き込んだのはバートンだ。後ろ姿しか見えていないバートンでさえ、その震える身体と健気さに動揺した様子である。何せ、レセリカが自分の主張をするなどほとんど見たことがないのだから。

 それを正面からおねだりされたオージアスの心中たるやお察しであった。


 二人からしてみればレセリカの主張はワガママではなく、可愛らしいおねだりのようなものだ。普段はあんなにも冷静で頭の回転も早く、聞き分けの良い完璧な令嬢だというのに。


 だが今目の前にいるレセリカはどうだ。恥ずかしそうに不安で揺れる潤んだ瞳と縮こまった身体。年相応の美少女にしか見えない。先ほど隙のない立ち姿を見せてくれた娘とはとても思えないとオージアスは思っていた。あまりにも愛らしく、弱々しい。


 レセリカ本人はいたって真面目だ。だが、ずっと黙ったままの父親にだんだん不安は大きく膨れ上がっていく。


 ちなみにこの時、平常心を保つためにオージアスは心の中で素数を数えていたのは余談である。


「あの、お父様……? その、無理を言ったようでしたら、申し訳ありま……」

「いや! ……いや、構わない」


 気持ちが落ち着く前に話しかけられたからか、オージアスはやや食い気味に答えてしまう。ドア近くに立つバートンが小さく吹き出した。

 娘に気付かれぬようバートンを睨んだオージアスは、ようやく気を取り直してレセリカに告げる。


「来年の、新緑の宴でデビューしたいと言うのだな? 理由は?」


 その質問は当然、聞かれると思っていたことだ。レセリカはここが頑張りどころだと瞬時に判断した。

 すぐさま、スッと表情を引き締め、背筋を伸ばして淀みなく答えていく。


「はい。一度、王太子殿下に挨拶をと思いましたので。殿下は私の一つ上と年齢も近いですから。この国に住まう公爵家の娘として、いくら殿下が人と会うのをあまり好まないとはいえ、学園に通われる前に一度もご挨拶をしないというのはいかがなものかと。そのためには来年の新緑の宴に参加するのが最も適切であると判断いたしました」


 概ね、本音である。本当の理由を伏せているだけで、次の新緑の宴に参加したいという理由はこれが全てであった。


 レセリカの説明を聞いたオージアスは、再び切り替わった娘の隙のない態度にキュッと眉間にシワを寄せる。そろそろあまりの温度差に風邪をひくかもしれない。


 しかしおかげで乱れていた心が落ち着きを取り戻し、冷静になった頭で考えることが出来たといえよう。オージアスは暫しなにやら黙考した後、口を開いた。


「ふむ、一理ある。それがお前の望みなのだな?」

「望み……はい。そうです、お父様」


 確認する際のオージアスの目がほんの僅かに柔らかいものになっていたので、レセリカは少しだけドキリとした。絵姿に描かれた母を思い出させる優しい眼差しだったのだ。子を思う、親の目。


「では、ロミオもだ。姉弟同時にデビューするというのなら許可する」

「! ありがとうございます、お父様!」


 まだ弟のロミオに確認はしていないが、最も難関であった父への説得は達成することが出来た。ミッションを一つこなし、レセリカはホッと胸を撫で下ろす。


 なお、レセリカの無意識に弾んでしまった歓喜の滲む声が、またしてもオージアスの心臓を鷲掴みにしたのは言うまでもない。

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