第4話オージアス・ベッドフォード


 執務室で仕事をしている時に、オージアスは階下で大きな陶器の割れる音を聞いた。彼は近くで共に仕事をしていたバートンと目を合わせると、すぐに執務室を出て共に階下へ向かう。


 駆け付けた先の玄関ホールで二人が見たのは、飾られていた花瓶が床に落ちて割れ、散らばっている光景。

 そしてその側で、オージアスの娘と息子が呆然と立ち尽くしている姿だった。


 早足で子どもたちに近付いたオージアスは、すぐに事情の説明を求めた。子どもたちを心配するあまりいつも以上に顔は強張り、声は低くなっている。

 それが威圧的に感じたのだろう、子どもたちは二人揃って身体を震わせた。


 オージアスはまたやってしまった、と眉根を寄せる。彼は自分が表情の変化に乏しく、人から怖がられる顔立ちであることを自覚していた。

 だからこそ子どもたちを怖がらせぬよう、接するのも必要最低限にしているのだ。それがまた、父親の気難しさを子どもたちに感じさせているのだが、本人は良かれと思っての行動であるため全く気付いてはいない。


 怖がらせるのは本意ではないが、このまま何も言わないわけにはいかない。危険なことはきちんと叱ってやらねばならないのだ。

 普段なら使用人にその役目を任せているが、現場を見てしまった以上、親である自分の仕事であるとオージアスは考えている。


(だが、やはり子どもたちは私に叱られるのを恐れている。あんなにも青ざめて……)


 オージアスは動揺した。もはや何を言っても子どもたちに恐怖心を植え付けてしまう気がするからだ。

 確かに、割れた花瓶は代々受け継がれてきた貴重なものだが、子どもたちに怪我がないならそれでいいと思っているのに。


 言葉が出て来ずただ黙っていると、オージアスにとって予想外のことが起きた。娘のレセリカが涙を流しながら自分がやったと訴えてきたではないか。


 普段、ここで真っ先に泣くのは弟のロミオだ。彼は母親に似て感情表現が豊かである。一方、レセリカは父親に似て感情を露わにすることが滅多にない。

 そんな娘、レセリカが涙ながらに訴えてきたのだ。これにはオージアスも溜まらず変な声が出た。


(普段は気丈に振る舞っているだけだったのか? ずっと我慢してきたのか? ……そういえば娘はまだ七歳の子どもであった。自分に似て感情を露わにしないということは、本音を胸の内に秘めているということだ)


 もしや娘は、自分と同じような悩みを抱えているのではないか、とオージアスは混乱しながらも瞬時にそのようなことに気付かされたのである。


 さらに、上目遣いで涙目の娘のなんと愛らしいことか。小刻みに震える姿の健気さも予想以上にオージアスの胸に突き刺さった。


(ああ、姉弟愛よ……!)


 加えて、子どもたちの尊さに身を震わせる。互いを守ろうと必死でかばい合うその姿。叱られるのは怖いだろうに、自分が叱られるべきだと譲らないその勇気。

 そんな二人の姿は、オージアスの心を鷲掴みにした。


 オージアスは昔から変わらず、子どもたちのことをひたすら溺愛しているのである。


 自分の思いが子どもたちの成長の妨げになる可能性を考えて距離を置いたこと、足りなすぎる言葉、誤解されやすい態度。それらが全て悪い方へと向かってしまう。


 人から悪印象を持たれてしまうその性質は、残念なことに娘レセリカへ見事に受け継がれているのだ。不憫極まりない。


「そんなにお悩みになるなら、本音をお嬢様方に打ち明けてみてはどうです?」

「……そんなこと出来るわけがないだろう。この話は終いだ。仕事に戻れ」


 執務室に戻ると、バートンが小さく微笑みながら主人に進言してくる。しかしオージアスの返事は相変わらずだった。


 バートンは憂いているのだ。オージアスの妻リリカが亡くなった後、この家族がバラバラになっていくのを彼は目の前で見てきた。

 オージアスが仕事においてはかなり優秀なのに、人付き合いがとことん下手であることも知っている。それは実の子どもが相手であっても。

 実の子どもだからこそ愛が大きすぎるゆえにどう接すればいいのかわからないのかもしれなかった。なかなか解決策が見出せない、バートンの長年の悩みである。


「少しだけ、考えてみてはいただけませんか? おそらく、レセリカ様はお気付きですよ。七歳とは思えぬほど聡明なお嬢様です。せめて、話を聞くくらいはされても大丈夫かと」

「……終いだと言ったはずだが?」

「……出過ぎた真似をいたしました」


 だからこそだろう。バートンは時々、主人に対してこのような助言をしてくる。そしてその度に不機嫌そうに断られ、気にする風でもなくあっさり身を引く。

 その度にオージアスはかなり迫力のある顔をするのだが、彼は動じない。主人が本気で怒っているかどうかなどお見通しなのだろう。他の者だった場合は泣いて震えながら仕事に戻っているかもしれない。


 オージアスは、家族について誰かに相談する気はなかった。気恥ずかしさと、己のプライドが邪魔をするのだ。

 とはいえ、今回は珍しくバートンの意見に一考の余地はあると考えていた。しかし、実際に娘と話せるかと言うと話は別だ。


(何を話せというのだ。いや、話を聞くのだったな)


 仕事の手を緩めることなく、同時に思考を巡らせていく。そういえば、そろそろ社交界デビューの年頃だ。


 この国の貴族は七歳から九歳の間にデビューをするのが通例となっている。子どもが主役のそのパーティーは「新緑の宴」と呼ばれ、年に一度、王城の小さい広間や庭で春先に行われる。

 七歳でデビューしたとしても、その後のパーティーには出席出来る。もちろん、欠席してもいい。とにかく期間内に一度は顔見せをするのが習わしであった。


 オージアスとしては、ギリギリまで社交界デビューをさせたくはなかった。公爵家とのつながりを求める婚約の申し込みが来るようになるのは面倒だからだ。それが王太子からのものであっても。

 むしろそちらの方が娘に苦労をかける。もちろん優秀な娘のことだ。王太子妃として選ばれるのは当然とも思っている。そのための教育も受けさせてきた。


 相反する思いを同時に抱え、矛盾した行動をする面倒な父親である。


 そんな彼が最も優先したい本音は、可愛い娘をあまり見せたくないというもの。変な虫に捕まりでもしたら大変だと懸念しているのだ。

 まだ七歳の娘に対して過保護すぎる考えである。思いは一切伝わっていないのだが。


(今年の新緑の宴はもう終えた。来年なら、ロミオもデビュー出来る。エスコートの相手に悩むことはないが……もう一年待ってもいいかもしれない)


 オージアスは悩んだ。年頃の娘というのはパーティーに憧れがあると聞く。それに次の新緑の宴ではこれまで一切表に出てこなかった王太子殿下もデビューするはずだ。

 殿下目当てに令嬢は大勢くるだろう。きっとこれまでより盛大なパーティーとなる。おそらく、場所も大広間になるだろう。


(人が多ければ、レセリカに集まる視線も分散されるかもしれないな。だが、レセリカの子どもと思えぬ気品や美しさに視線は嫌でも集まるに違いない。やはりもう一年待つべきか……)


 親馬鹿思考でかなり贔屓目に見ていることは間違いないのだが、実際にレセリカは注目を集めるだろう美しい少女だ。あながち間違いでもない。


(し、しかし。もしレセリカが行きたいと思っていたら? 私のように主張しないだけで、本当はパーティーに憧れているのだとしたら?)


 特に大広間でのパーティーは少女の夢だと耳にしたことがある。王太子へ憧れない令嬢はいないということも。

 レセリカに限ってそんなことはないだろうと思うものの、自信はない。つい先程、レセリカも本音を隠しているのではと気付いたのだから余計に。


(レセリカと話す機会にもなる、か)


 こうして、オージアスは娘と話す理由を得た。話題がないと呼べないとは、なんとも不器用である。


 しかもオージアスの予想は見当違いであり、レセリカはパーティーへの憧れも王太子への憧れも一切ないのだが。


 ただこの選択が、レセリカのこれからに大きく影響を与えることになる。

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