第3話気付きと希望の光


 きっと罰を与えられるだろう。そう思って緊張していたレセリカだったが、オージアスからはさらなる予想外の言葉が返ってきた。


「以後、気を付けるように。……たいした怪我もないのなら、それでよい」

「え……」


 振り返りもせずに告げられた言葉を聞き、暫し呆然と立ち尽くすレセリカ。

 じっくりと言われたことを脳内で反芻し、そして一つの可能性に思い至る。


 もしかすると、父親も自分と同じで勘違いをされやすいだけなのではないか? と。


 思えば、前の人生の時だって自分が誰かのせいにしてしまったから、だから当主として使用人に罰を与えずにはおけなかったのかもしれない、と。

 あの時のことは、全て自分の対応が悪かっただけなのだとレセリカは気付いたのだ。


「さぁ、レセリカお嬢様。手当をいたしましょう」

「バートン……」


 呆然としながら父親の後ろ姿を見送っていると、使用人たちをまとめていた父の専属執事がニコリと微笑みかけてくれた。それからすぐにオージアスの後ろ姿に顔を向けて、どこか困ったように肩を竦める。


 聡いレセリカはそれだけで、付き合いの長いこの人が父親の本心を見抜いているのだろうと悟った。


 バートンはレセリカ付きの侍女ダリアに姉弟を任せると、すぐにオージアスの後を足早に追っていく。それを見送った後、レセリカはダリアの心配そうな顔を見上げた。


「レセリカ様。とてもご立派でしたよ。ロミオ様も、正直に打ち明けられてダリアは誇らしく思いました」

「そう、かしら。でも、結局なんのお咎めもなかったわ。私、叱らないでってワガママを言ったのに」

「ワガママ? ふふ、それはとても可愛らしいワガママですね」


 手際よくその場でレセリカの指を消毒しながら、ダリアは笑う。


「私は安心いたしました。レセリカ様がちゃんと泣けるのだと知れて」

「え……?」


 それはどういうことだろう、と戸惑うレセリカに、ダリアは手元に視線を落としたまま言葉を続ける。


「ずっと心配だったのです。本当のお心を隠されているのではないかと。それはとても辛かろうと。ですからそれでいいのですよ、レセリカ様。我慢のしすぎは良くありませんので」

「で、でも。私、お父様に迷惑をかけてしまったわ。それに、人前ではしたない姿を……」


 言いたいことを伝えられて良かったと思う反面、レセリカはまだほんの少し後悔する気持ちも抱えていた。

 本当にこれでよかったのだろうか、と。使用人が誰も辞めることにならず、自分やロミオが叱られることもなかったが、淑女としては褒められた言動ではなかったのだから。


 レセリカの言葉を聞いて、ダリアはゆっくりと顔を上げた。不安に揺れるレセリカの紫の瞳を覗き込むように見つめ、迷惑なことなどありませんと微笑む。顔の横に垂れる赤みがかった黒髪が一房揺れた。


「ご主人様は、お二人をとても愛してらっしゃるのです。伝わりにくいのですけれどね。少なくとも、花瓶よりお二人が大事なことはおわかりになりませんか?」


 それを聞いて、レセリカはハッと目を見開く。


(お父様はやはり、ただ心配してくださっていただけ、なのね……?)


 この家に仕えてそれなりに長いダリアも、父の本心に気付いていたようだ。

 何もわかっていなかったのは、自分の方だった。自分はなんと浅慮だったのかと、レセリカは衝撃を受けた。


 自分の目に見えるものだけが真実ではない。二度目の人生において、彼女はようやくそのことを学んだのである。


 手当を受け、レセリカは自室に向かいながら改めてこの奇妙な現象について思考を巡らせた。

 自分は本当に七歳の頃に戻っている。あの恐ろしい記憶を持ったまま。


 自室の前で笑いかけてくれる侍女のダリア。彼女は自分も処刑されるというのに、最期の最期まで味方でいてくれた。ダリアも一緒に処刑されることは身を引き裂かれるような辛さだったが、彼女はまだ目の前で生きている。


「姉様、大丈夫、ですか……?」


 ダリアの隣で目を潤ませて心配してくれる、心優しい弟のロミオ。彼もまた最期の最期まで自分を信じてくれたが、そのせいで奴隷のような生活が待ち受けていた。けれど目の前のロミオはまだ未来に希望ある六歳だ。


 この時点で会ったことはないが、おそらく王太子殿下だってまだ生きていることだろう。

 何者かによって殿下が暗殺されるのは……約十年後。未来の国王を暗殺し、レセリカに濡れ衣を着せた犯人は今の時点ですでに計画を練っているのかもしれない。

 それを思うと身体が震えるが、恐れてばかりもいられないだろう。


 自分も今は七歳で、こうして生きている。そしてたった今あの忌まわしかった花瓶事件の結末を変えた。知らなかった事実に気付けた。過去を、未来を、変えたのだ。


 ────やり直せる。


 もしかしたら、あの恐ろしい未来だって回避することが出来るかもしれない。いや、やらなくては。あの未来を知っているのは恐らく自分だけなのだから。

 レセリカは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 自分がきちんと意見を言うことでうまくいくかはわからないが、伝えなければ良い方にも悪い方にも、何も変えることは出来ない。


(勇気を出さなきゃ)


 素直に謝っても、人前で泣いても、咎められることはなかった。それどころか、身を案じてくれた。そのことがレセリカの自信に繋がる。

 もちろん、今後も全て良い方に転がるとは限らない。だからこそ言動に責任を持つことが重要になるとレセリカは考えた。本質は変わらず、真面目な性格である。


(まだわからないことだらけだけれど……少なくとも、前ほど我慢はしなくていい、のよね?)


 七歳のレセリカの胸に、希望の光が灯った。

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