第2話謝罪と涙


「ごっ……」

「ご?」


 とはいえ、レセリカはこれまで謝罪というものをしたことがない。素直に生きると決めたのはいいものの、なかなか言葉になって出てきてはくれなかった。

 しかし、ここで諦めたら一生後悔する。一度、それを経験しているのだから間違いない。


 レセリカは勇気を振り絞って声を上げた。


「ご、ごめんなさいっ!」


 恐らく初めてだろう。こんなにも大きな声を出したのは。レセリカの声がホールに響き、その場にいた全員が目を丸くしている。


「わ、私が、不注意で割ってしまいました……!」

「ね、姉様……!?」


 言えた。ちゃんと謝れた。レセリカはそれだけで胸がいっぱいになる。

 思い切り吸い込んで、吐ききれていなかった息をはぁっ、と吐くと、心臓が早鐘を打っていることに気付く。


 実際は自分ではなく弟が割ったので、結局のところ嘘を吐いているのだがそれで良かった。

 弟を守りたかったし、なにより謝りたかった。それをどちらも出来たことが嬉しく、レセリカは達成感で満たされていた。


 視界が涙で滲む。これがなんの涙なのか、レセリカにはわからない。

 淑女たるもの、人前で涙など流してはいけないと言われていたけれど、もう我慢するつもりはなかった。


 レセリカは感情が溢れるままに、涙を溢した。


「ごめ、ごめんなさい……。ごめんなさい、お父様……」


 一度溢れ出すと、もう止まらなかった。次から次へと溢れ出てくる涙はレセリカの顔を濡らし、服を濡らしていく。


 つい先ほどまで断頭台にいた記憶もあったことから、恐怖や悲しさや絶望も一緒に押し寄せてきたようだ。身体も小刻みに震えている。

 こんな風に泣けることが、レセリカ自身にとっても驚きだった。


「ち、違うんです! 父様っ、僕です! 僕が割ったんです! 姉様は、僕をかばって……うぅ、ぐすっ、ごめん、なさい……!」


 そんな姉の背後で、耐え切れず弟のロミオが泣き出した。


 ロミオは元々、感情表現の豊かな子であり、こうして泣くのはよくあることだ。

 しかし、せっかく庇ったのに自分で暴露してしまうとは。予想外の展開にレセリカは慌てて自分の涙をハンカチで拭った。


 驚いたのはレセリカだけではない。父であるオージアスを含む、この場にいた全員が驚きで何も言えずにいた。

 滅多に表情を崩さない、冷静沈着なベッドフォード家の長女が人前で泣き出すのを初めて見たからである。

 むしろ、物心ついてから七歳になる今まで見せてこなかった方が不自然なのだが。


「ぐ、ふっ……!」


 オージアスの方から呻き声が聞こえ、レセリカは父に目を向けた。顔を横に背け、拳を口元に当てている。心なしか小さく震えているようにも見えた。


 日々、自分たちに強くあれと説いてきた父のことである。情けない姿を見せたことで失望させたのかもしれない。しかし、それも想定内のこと。

 レセリカはいかなる叱責も受ける覚悟が出来ていたし、処刑の恐怖に比べたらなんだって乗り越えられると思った。


 だが、感受性豊かな弟が父に叱られたらきっとトラウマになってしまうことだろう。自分が叱られる分には構わないと思っているレセリカは、弟を守るため再び口を開く。


「違います、お父様。ロミオは何も……」

「ううん、僕のために嘘なんて吐かなくていいよ! 父様! 姉様を怒らないで!」

「そんな、ロミオ……っ。で、でもお父様! ロミオもわざとではないんです! どうか叱らないで……!」


 オージアスはそんな二人を見て何かに耐えるように顔を赤くしていく。ああ、そんなにまで怒らせてしまったのだな、とレセリカは心を痛めた。


 申し訳ない、と。父の期待には応えたかったけれど、もう二度と後悔したくないと決めたのだ。


 変わりたい。そのためなら、このくらいはなんてことはない。罰は自分が受けるつもりだ。

 レセリカは確固たる決意で弟を前に出そうとはしなかった。


 覚悟を決めて父の言葉を待ってはいたが、いつまで待っても沈黙しか返って来ない。

 言葉も出ないほどに呆れさせてしまったのかと焦ったが、オージアスの反応はレセリカの想像するものとは違った。


「……あー、ごほんっ。お前たち、怪我はなかったか」


 庇い合う姉弟を前に、オージアスはわざとらしく咳ばらいをして訊ねてくる。

 思わぬ質問だったが、レセリカは正直に答えた。ロミオは無傷だが、自分は軽く指を切ってしまった、と。それを聞いたオージアスの表情がスッと抜け落ちた。


 そもそもが無表情を地でいく彼の、色を一切なくしたその顔はかなりの迫力があった。

 この後、きっと恐ろしい処罰を与えるのではと思わせる無の表情。子どもたちはもちろん、近くにいた使用人も揃って肩を震わせる。


「……至急、手当と片付けを」


 しかしオージアスはレセリカの予想に反し、そのまま淡々と指示を飛ばして踵を返す。彼の側近である執事バートンが真っ先に返事をし、慣れた様子で動きだした。

 その様子に、呆気にとられたのはレセリカたちだ。


「あ、あのっ、お父様?」


 そのまま立ち去ろうとする父親に、レセリカは慌てて声をかける。このままお咎めなしとはいかないだろうと思っていたからだ。

 立ち止まった父親の背を見つめながら、レセリカは身を固くして言葉を待った。

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