悪役にされた冷徹令嬢は王太子を守りたい~やり直し人生で我慢をやめたら溺愛され始めた様子~
阿井 りいあ
やり直しの始まり
第1話断罪、そして過去へ
冷たい鎖がジャラジャラと音を立てている。白く生地の薄い服は、彼女が罪人であることを示していた。
輝くような美しいホワイトブロンドの髪に紫の瞳。白い肌と赤い唇。誰もが美女だと認める容姿をしていながら、浴びせられるのは酷い罵声ばかり。
鎖で手足首を拘束されながら兵士に引かれ、彼女は断頭台へと向かっている。広場の中央に設置されたそれは、鋭く光る刃が罪人の首を落とそうと待ち受けていた。
だというのに彼女はどこまでも真っ直ぐ前を見据えていた。髪も、肌も、服も、ボロボロに薄汚れているのに彼女の凛とした佇まいは変わらない。
「罪人、レセリカ・ベッドフォード! 罪状を読み上げる!」
無実だった。濡れ衣だった。彼女、レセリカには何一つ身に覚えのない罪の数々。どうしてこんなことに、と何度考えたことだろう。
レセリカは最後まで公爵令嬢として恥じないよう、必死で平静を装っていた。お腹の前で組まれた両手は人知れず小刻みに震えている。
罪状を読み上げられている間、レセリカは人生を振り返る。
幼い頃から「弱音を吐いてはならない」「隙を見せてはならない」「公爵令嬢たるもの完璧であれ」と言われ続けてきた。お前はいずれ王太子妃になるのだから、と。
自分の身分を考えれば、政略結婚も仕方ないと受け入れていた。それが決められた運命なのだと。
ならば恥じぬようにと、あらゆることを頑張ってきた。あらゆることを我慢してきた。
思えば、弟が誤って代々受け継がれてきた家の花瓶を割ってしまったあの時から、レセリカは色んなことをひたすら我慢するようになった。
当時はまだ冷静な判断が出来なかったため、叱られる恐怖に怯える弟をなんとか守りたくて「誰かが落としたのかもしれません」「危うく弟が怪我をするところでした」と周囲に告げた。
つまり、レセリカは嘘を吐いた。
本当は弟が割ったところを見ていたのに。簡単に頭を下げると周囲に舐められると教えられてきたことを、幼い彼女は「謝ってはならない」と解釈していたのだ。
子どもだったレセリカはただ、自分のことも弟のことも守りたかっただけなのである。
彼女の証言により、花瓶事件はまったく関係のない使用人が辞めさせられることで決着がついた。
レセリカはあの時のことをずっと後悔している。
それ以来、困ったことがあった時も、何かを決断する時も、たびたび自分の心に嘘を吐く癖がついてしまった。
本当はあの時ちゃんと謝りたかったし、婚約者だった王太子殿下ともっとちゃんと話をしたかった。
嫌味を言ってくる令嬢たち相手に気丈に振舞うのではなく、悲しいと伝えたかったし、誰かに相談したかった。
悪女と呼ばれることを許したくなかったし、酷く傷付いた。
やることが多すぎて倒れそうな時には弱音を吐きたかったし、人に助けを求めたかった。
でも、レセリカはそうしなかった。そうあれ、と言われ続けてきたからだ。
全てを一人で抱え込み、解決してきた。どんな仕事も顔色を変えることなく、完璧にこなすことが出来たのも要因の一つである。
『見て。相変わらず表情一つ変わらないわよ。やっぱり人の心がないんだわ』
『幼い頃から完璧すぎて逆に怖かったもんな……』
『おお怖い。あの顔で淡々と王太子殿下を暗殺したんだわ!』
『お優しくて素晴らしい殿下……きっと立派な国王様になったでしょうに!』
『人殺し! 王子殺し!』
『許せない!』
周囲の声が嫌でもレセリカの耳に入ってくる。
どうしたらよかったのか。どうしろというのか。
言われるがままちゃんと勉強をした。マナーもしっかり学んだ。誰も文句の言えない淑女としての振る舞いを身に着けた。全部言われた通り、やってきたことなのに。
だが、それこそが人を遠ざけ、レセリカを孤立させる要因となったのだ。
美しいのに父親に似て表情の変化がほとんどなかったのも、それに拍車をかけたかもしれない。子どもの頃から冷徹令嬢と呼ばれ、遠巻きにされてきたのだ。
気付いた時には、根も葉もない噂がどうにもならないところまで広がっており、あれよあれよという間に反逆罪でこの通り。弁明もさせてもらえなかった。
「私の人生……なんだったのかしら」
レセリカは全てを諦めたように、口の中で小さく呟いた。
「姉様! 姉様ーっ!」
「レセリカ様っ!!」
浴びせられる罵声の中、微かに彼女を呼ぶ声が聞こえてくる。弟のロミオと専属侍女のダリアだ。
罪人の弟ということで、ロミオにも罰が与えられる。さすがに処刑まではされないが、爵位をはく奪され、田舎の開拓地で無償労働を強いられるという。実質、奴隷だ。
ダリアにいたっては、自分の次に処刑されることが決まっていた。
ああ、自分のせいで大切な人まで酷い目に遭ってしまう。レセリカは、それだけはどうしても許せず、何より悔しかった。
「レセリカ・ベッドフォード! 最期に言い残すことはあるか」
処刑人が告げる。レセリカは断頭台に頭を置かれ、目を閉じて唇を震わせながら掠れた声を出す。
「……神様。どうか、お慈悲を」
次の瞬間、鋭く光る刃がレセリカの首へと容赦なく落ちていった。
けたたましい音が響き、レセリカはビクッと肩を震わせた。嫌な汗をかき、心臓が破裂しそうなほど脈打っている。
「……え? い、生きて、る……?」
思わず自分の首に触れ、まだ頭がくっ付いていることを確認した。おかしい。自分は間違いなく処刑されたはずなのに。
今度は自身の両手を見る。小刻みに震えているが、鎖で繋がれてなどいない。それよりも何よりも。
「小さい……?」
混乱する頭で自分の姿を確認するべく、手や足、服装を確認していく。罪人の着る白い服ではない、ちゃんとしたドレスだ。しかしこれは彼女が幼い時に着ていたもの。それをなぜ今、大人になった自分が着ているのか。
その答えはすぐにわかった。
「ロミオ……?」
顔を上げたその先で、弟のロミオが割れた花瓶を前に呆然と立ち尽くしている。先ほどのけたたましい音は、花瓶の割れる音だったらしい。
その光景にレセリカは再度、言葉を失う。なぜならこれは、忘れもしないあの事件の光景なのだから。
レセリカは慌ててロミオに駆け寄る。まずは怪我がないかの確認を。以前もこうしてロミオの無事を真っ先に確認した記憶があった。
「ね、姉様、どうしよう、ぼ、僕……!」
ロミオは自分がしでかしてしまったことを理解すると、ガタガタと震え始めた。それも、記憶にある通りだ。
これは、どういうことだろう。レセリカは混乱した。確かめるように床に散らばった花瓶の破片を手に取る。
「痛っ」
その鋭い破片で、レセリカは少し指を切ってしまったようだ。しかし怪我よりも何よりも、痛みを感じたことに驚く。
これは、夢なんかじゃないのだと気付いたからだ。
元来、レセリカは頭の回転が速い。特に今は七歳の頃の自分ではなく、成人した意識と記憶がある状態。荒唐無稽な話かもしれないが、恐らく自分はあの頃に戻ったのだろうと彼女は瞬時に理解した。
あれこれ考えるのは全て後回し。これはきっと、首を落とされる前に願ったことが叶ったのだろう。神様が、慈悲を与えてくださったのだ。レセリカはそう考えることにした。
「何ごとだ!?」
あの時と同じように、父親であるベッドフォード家の当主オージアス・ベッドフォード公爵が駆け付けた。他にも、父親付きの執事や使用人がたくさん集まってくる。
怖かった。だから七歳の自分は咄嗟に嘘を吐いてしまったのだ。ロミオはもっと怖いだろう。
「大丈夫。姉様が守るから」
だが、今の自分はあの時の自分とは違うのだ。レセリカは自分の背にロミオを隠す様にして立ち、父親が目の前にくるのを待つ。
もう二度と、同じ過ちはしない。どうせあんな運命を辿ることになるのなら、もう我慢なんてしない。
言いたいことを言って、したいことをする。周囲の評価なんてどうでもいい。せっかく与えられたチャンスなのだから、もっと自由に生きるのだ。たとえ、今度はワガママ令嬢と罵倒されようと、後悔のないように。
「今度は、自分の心に素直に生きるわ……!」
口の中で小さく呟き、レセリカは事情を問う父に向かって口を開いた。
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