第12話 GLORIA

「こうたろうくん……幸太郎君!」


 聞いたことのある声がする。 

 

 目が覚めると、いつもと違う天井がそこにあった。状況がつかめなくて起き上がると腹部に激痛が走った。手で押さえながら服をめくって見ると、厳重に包帯が巻かれている。


「あんた、大丈夫?」


 声の方を見ると、自分の右にミナミが座っていた。


「もう、起きないかと……」


 ミナミの声は安堵で揺れた。


「俺は……どれぐらい寝てたんだ?」


「2日。腹部とこめかみに弾丸を受けて、応急処置はされたけど、まだまともに動いちゃダメって先生が」


「そうか……オリヴァは? オリヴァはどうした?」


「あの人も大丈夫。まだ目は覚めていないみたいだけど、命に別状はないって。今もお隣の病室で娘さんがずっと付きっきりで見てる」


「そうか……俺も行ってくる」


 幸太郎がこめかみと腹部に激痛を覚えながらも体を無理やり起こして、立ち上がろうとするのをミナミが止めた。


「ちょっと! あんたはまだ動いちゃダメだって」


「戦場で、そんなこと言ってられないだろ!」


「ここは病院なんだって! あんたはもう休んでいいの!」


 だが、幸太郎はミナミの手を取ると、そのまま立ち上がり、彼女の手を離してから壁伝いに病室を出て行った。幸太郎の手の感触がその手に残る中、ミナミは彼の姿をただ見ていることしかできなかった。


 幸太郎は壁伝いに右の病室をノックして入った。中にいた少女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静を装って、何も言わずにそのまま座っていた。


「まさか、あんたの父親がオリヴァだったとはな」


「意外でしょう。これでもちゃんと血はつながっているんですよ」


 オリヴァの顔を見ながら、筒治は乾いた笑いを見せた。


「貴方の方は大丈夫なんですか?」


「ああ、なんとかな。親父さんのおかげだ」


「まさか父があなたのために身を挺するとは思いませんでした」


「……すまない」


「なぜ、謝るんですか? あの状況を作ったのは、他ならぬ市民であり、元I・Cのメンバーを招き入れた本部長であり、I・Cを創った公国ですよ? あなたは寧ろ全てに巻き込まれた被害者です」


「だが、親父さんは……」


「今は眠っているだけです。直に目も覚めます。

 正直言って、私は父のことを憎んでいました。昔は戦闘員として活躍し、国内でも有名な戦士で、私もそんな父が大好きだったんですが、ある時ふと「戦争は無意味だ」と言って、ぱったりと軍をやめたんです。そればかりかいつも部屋に籠っては何かを書いては送る、の繰り返しで、私のことも構ってくれさえしなくなりました。

 それに耐えられなくなって、ある時私は、眠っている父の部屋に潜り込んで、何を書いているのか見たんです。それは現本部長への嘆願書でした。彼もその時はまだ本部長ではなく、それでも平和や自由を訴える有名な政治家でした。

 その手紙がある日、ベルトリエさんに認められると、父はほとんど家に帰らずに彼の傍らで仕事をし続けました。街を歩けば、彼の演説中に傍らで護衛をする父を見かけました。そうして段々とかつて名のある軍人だった父が、「最強の軍事力を誇る国で自由を謳う変わり者の側近」と認知され始めたんです。

 家をずっと空けたことで、母は負担が増えました。そればかりか、2つ上の兄はベルトリエさんの政策のモデルとして、国際交流という名目で通わされていた緑崎高校でいじめにあい、毎日つらそうにしていました。私は何かしてあげたかったもののどうしていいのかわからず、ただ彼の苦しむ姿を見て自分も泣いていました。

 そんな中、私が高校に入って初めての夏に、兄は屋上から飛び降りました。結局兄は、私に何も言ってくれませんでした。

 さらにひどいことに、職員たちは学校の評判を気にしてその事実を隠ぺいしました。時間も夜だったので、生徒もその事実を知りません。

 だから私は、生徒会長になっていじめをした生徒を退学にしたり、隠ぺいに関わった教員を委員会に飛ばしたりと、権限を使ってあらゆることを行いました。

 そうやって、私たち家族が苦しんでいるときに、父は平和だなんだと言って、家にほとんど帰らずに仕事をしていました。兄の葬式の時は、責任を感じてなのか本部長も謝りに来ましたが、告別式を出た後は彼も父もまたすぐに仕事に戻りました。

 だから、私は父も、そしてそれを扇動した本部長のことも憎くて憎くてたまりません。もし父がそのまま軍に居たら、もっと家族と居るように本部長が乳を家に帰してくれていたら、兄は助かったかもしれないのに」


 幸太郎は壁にもたれかかったまま、黙って筒治の話を聞いていた。筒治はオリヴァの顔を見たまま続ける。


「でもそんな父が、身を挺して私の同級生をかばったんです。

 それを知ったとき、私は「なんで?」と思いました。「どうして兄は助けてくれなかったのに、その人は助けるの?」って。私はその答えをここで待ちます。母も最近疲れていて、私が家事を代わりながら、父の見舞いもやっているんです」




 幸太郎は、筒治に頭を下げると、黙って病室を出た。


 筒治の話を聞いて、何も感じなかったわけじゃない。ただ、彼女のためを思ったとき、その場を離れるのが一番のような気がした。




 幸太郎はそのまま壁伝いに歩き、唯花のいた病室を訪れた。だが、そこにはもう別の患者が入っていた。近くにいた看護師に尋ねると、彼女は唯花が昨日退院したと教えてくれた。


 幸太郎は礼を言うと、また壁伝いに通路を歩き、今度はエレベーターに乗って本部長室を目指した。


 エレベーターはすぐに扉を開けた。本部長室の扉をノックをすると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。


 幸太郎が扉を開けて入ると、中にいたベルトリエは驚いて駆け寄ってきた。


「まだ、君は出てきてはいけないはずだが」


「いや、俺には時間がない。今すぐに唯花に会わないといけない。だけどその前に、あんたに聞かなきゃいけないことがある」


 幸太郎は傷を抑えながら、吐く息の混じる声で言葉を繋いだ。


「唯花が使った薬は何だ」


 ベルトリエは、またも驚いた表情を見せたが、息を吐くと背筋を伸ばして話し始めた。


「彼女が使ったのはGLORIAというものだ。GLORIAはスリジェの中でも数人しか知らない、極秘中の極秘の薬だ。君が先日持っていったSAKURAよりも強力で、簡単に言えば、今後あったはずの全ての可能性を捨てて、限られた期間だけ最高のコンディションを手にすることが出来るというものだよ」


「期間は……どのくらいなんだ?」


 幸太郎が間髪入れずに質問する。


「およそ、1か月くらいだね。よくて2カ月だ」


「じゃあ、唯花は……」


「うん。残念だが君の言う通り、彼女の時間はもう長くはない。そしてここに来て不調が見えている。恐らく、もってあと2、3日だろう」


「たったそれだけ……」


「ああ、今、彼女は家にいるはずだ。行くならば、君も急いだほうがいい」


「だけど、待ってくれ。なんで唯花はその……GLORIAを使えたんだ?」


「あの子から聞いていないのかい?」


「ああ、何も。聞く前に、この前の戦闘が始まったから」


 ベルトリエは、目を見開いて幸太郎を見つめると、そのまま考え込んでからおもむろに口を開いた。


「彼女は……幸坂唯花はUDUKIの最初の被験者だ」


「……」


 幸太郎は驚きのあまり言葉を失っていた。


 まず、唯花がUDUKIを飲んでいたこと。そして、彼女の名字が三谷ではないこと。


 いまだ言葉が出ない幸太郎に、ベルトリエは言う。


「僕らが彼女を見つけた時、彼女はとても衰弱した状態だった。すぐに食料の提供などを行い、大事には至らなかったが、足の機能までは回復しなかった。

 彼女のことは、君たちI・Cのメンバーよりも何年か早くに保護している。これはスリジェの秘密部隊を送ったことによるものだ。

 UDUKIの最初の被験者、そして君たちI・Cが薬を飲むきっかけになった存在。それが幸坂唯花だ」


 幸太郎は尚も声が出せずにいた。ベルトリエはさらに続けた。


「そして、彼女は既に身寄りがなかった。悪いことに、UDUKIの副作用で、その記憶すらも薄れてしまっていた。今いる寮母さんは、彼女の本当の母親じゃない。幸坂唯花を救出した際、何かと不便だからと里親を募った際、彼女が引き受けてくれたんだ。

 話を戻そう。なぜ彼女がGLORIAを使えたのか、だが、これは彼女がUDUKIを既に100粒飲んでいるからだ。仕組みはSAKURAと同じだ。UDUKIを100粒飲んでも自我を保つことが出来ていれば、GLORIAも服用できる。さっき言った通り、効果はその後の可能性を捨てて、ほんのわずかな時間だけ最高のコンディションを保つことが出来る」


 「幸太郎君」とベルトリエは幸太郎に質問を投げかけた。


「なぜ、彼女はせっかく助かったのに、敢えてそれを投げ捨ててまでGLORIAを服用したかわかるかい?」


 幸太郎は、ただじっとベルトリエの目を見つめていた。


「それは……いや。これは僕が言っていいことじゃない。彼女に直接聞きなさい」


 幸太郎は頷いた。


 部屋を出ようとしたとき、ベルトリエは突然、幸太郎を呼び止めた。


「幸太郎君。今言うことじゃないかもしれないが、念のために教えておく。君たちがいたI・Cだが、本来の名前はIndependent Childrenではない。〝Immature Children〟だ……早く助け出してやれず、本当にすまなかった」


 幸太郎は本部長室を出ると、エレベーターで1階に降り、本部を出た。腹を抑えながら階段をゆっくりと降りていると、後ろからミナミが何も言わずに肩を貸してきた。


 幸太郎は彼女に体重を預けると、涙がこみ上げてくるのを我慢しながら、ゆっくりと寮までの道を歩いた。

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