第11話 SAKURA(1)

 唯花を抱えて戻った幸太郎は、三谷に事情を話し、病院への受診を考えた。だが唯花が頑なに拒んだので、その日は自室で休ませることにした。


 翌日、唯花は体調不良ということにして欠席し、幸太郎は一人で登校した。


 しかし、2時間目の講義が終わった後の昼休みに、急遽担任から呼ばれた。


 教室を出てすぐのところで、担任は唯花が再び意識を失って入院したと、三谷から連絡があったことを告げた。幸太郎はすぐさま自分の荷物を持つと、担任が止めるのを振り払って学校を飛び出した。


 坂を下り、門を出るところで一台の車が横を並走した。窓が開き、中から屈強な男が幸太郎に声をかける。


「上坂さん、乗ってください!」

 幸太郎は足を止めると、後部座席に乗り込んだ。すぐに車は発車し、スリジェ本部までの道を全速力で突っ切った。


 幸太郎は心臓の鼓動が大きくなっているのがわかった。到着するまで、オリヴァは一言も喋ることなく運転した。静かな車内で自分の鼓動と息の音が響き、幸太郎の不安は膨れ上がるばかりだった。


 5分程で、車が本部前に入った。ドリフトしながら車は止まり、オリヴァに礼を言った幸太郎はそのまま本部の入り口を通った。入ってすぐのところで、別の屈強な男が「上坂さん、こちらです!」と声をかける。二人は階段を駆け上がり、唯花のいる病室の前に着いた。


 幸太郎は、一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから引き戸を開いた。


 唯花は背もたれが起き上がったベッドに背中を預けて座り、三谷と話をしていた。だが、幸太郎に気づくなり、三谷は気を遣って、病室を出ていった。


 幸太郎は、三谷の足音が離れるのを待ってからベッドの隣にあったパイプ椅子に座った。


「来てくれたんですね」


「当たり前だろ」


「嬉しいです」


 見たところ顔は元気だが、足には力が入らないようだった。布団はかけているものの、先程からピクリとも動かない。


 幸太郎は唯花の顔を見るなり、すっかり安心してしまって、何を話せばいいのかわからなくなっていた。一方の唯花は、驚くほど落ち着いていて、幸太郎の顔をじっと見つめている。


 しばらく沈黙が流れた後、唯花が口を開いた。


「前も言いましたけれど、私、幸太郎君のおかげで、すごく幸せでした。特にこの1カ月は今までの人生の中でもトップに入るくらい。もう思い残すことはありません」


「おい、変なこと言わないでくれ」


 幸太郎の声が揺れた。


「誰だって終わりは来るんですよ。私はちょっと早かっただけです。でもそうだなあ、もう少し幸太郎君と一緒に居たかったな。一緒に暮らして、学校も卒業して、できれば大学も一緒になって。きっと喧嘩もするかもしれませんね。でもその中でお互いを見つめあって、支えあって……いつかは結婚なんかもして。もっと一緒に居たかったです」


 唯花は、窓の先にある裸の気を見つめながら言った。


「冗談はやめてくれ、唯花のそれは、ちゃんと治るだろ」


「幸太郎君、私はもう随分前からボロボロなんです。訓練ばかりやらされて、それ以外はいつも一人で。心も体もズタズタです。もしかしたら、この世界にもいなかったかもしれないんですよ。でも、今こうして貴方とお話しできているのは本当に奇跡なんです」


「頼む、そうやって悲観的になるのはやめてくれ。ちょっと調子が悪い日が続いただけだ。また普通に歩けるようになるから」


 幸太郎は、なぜ唯花がそんなにも悲観的になるのかがわからなかった。唯花の症状は確かに深刻なものだけど、時間が経てば治るものだと勝手に思っていた。


 だけど、その感覚は甘すぎたのだと、唯花の言葉で思い知らされた。


「SAKURAって知ってますか?」


 幸太郎は、ドキッとした。全神経がコートのポケットに注がれる。だが唯花は、自分が持っていることは知らないかもしれないので、幸太郎はただ黙って頷いた。


「SAKURAはUDUKIを100粒飲んだ人にだけ飲める薬です。ご存じかとは思いますが、効果もUDUKIより長く表れます。でも実は、SAKURAよりも効果が強い薬があるんです。知ってました?」


「……何だ、それは」


「それは……」


 プルルルル…………プルルルル……


 唯花が話している途中で、彼女の携帯が鳴った。「すみません、マナーモードにしていなくて」と言いながら、唯花はベッドに付属している机の上から携帯を持ち上げた。誰からかと画面を見ると、三谷からだった。


「出ていいぞ」


 と幸太郎が言うと、出るべきか出ないべきか迷っていた唯花は「ありがとうございます」と言って小声で話し始めた。だがすぐに、彼女は携帯を耳から離して、机の上でスピーカーモードにした。


「母が、幸太郎君と話したいと言っています。出てあげてください」


 幸太郎は、マイクに顔を近づけて「どうした?」と聞くと「急いでテレビをつけて!」と彼女は答えた。


 幸太郎は自分の後ろにあったテレビに電源を付けた。


 しばらくして映像が鮮明になり、ニュースキャスターの声が聞こえてきた。


「速報です。ただいま入った情報によりますと、先程午前11時ごろ、武装した市民で結成されたグループから各テレビ局に犯行声明が出されました。

 内容は、─現在、元I・Cメンバーの生き残りを拘束している。だが、まだ一名捕らえきれていないメンバーがいる。仲間を殺されたくなければ、今すぐにスリジェ本部北口前広場に来い─とされています。

 あ、ただいま中継がつながりそうです。〇〇リポーター……」


「はい、こちらスリジェ本部北口前広場です。今、武装した市民が元I・Cメンバーと思われる数名を拘束しているのが見て取れます。

 先程から「さっさと出てこい」としきりに中央にいる男が声を上げています。この男性、AIの顔識別データから、先日喫茶店を襲撃したうちの一人と見られています。周囲には監視用ロボットもいるようですが、「異常」判断はなく攻撃する様子もありません。元I・Cメンバーも抵抗している様子は見受けられません。

 続報が入り次第、お伝えします」


「ミナミだ……」


 幸太郎は、立ち上がって外を見た。確かに、100メートル先に人だかりができていた。中央とその周囲を囲むようにしてできたロボットの壁の外で、何十人もの野次馬やスリジェの兵もいるのがわかる。


 窓や暖房の音で声は聞こえないが、ニュースキャスターの言う通りのようだった。そして中央にいる男のやや後ろで膝をついて座る女性の姿が見えた。間違いなくミナミだと確信した。


「幸太郎君、行ってもいいですよ」


 唯花が幸太郎の背中に向かって声をかける。


「……でも」


「私はまだ大丈夫です。ここで待ってますから、今は行ってあげてください」


 幸太郎は迷っていた。ミナミを、仲間を助けたい思いは強くある。だが、なぜ皆は抵抗しない? その気になれば、あそこにいる兵や暴徒を蹴散らすことなど容易いはずだ。何か意図があるのか? それとも本当にどうしようもないのか? 第一今行って、唯花に何かあったらどうする? 自分がいない間に唯花が意識を失ってしまったらどうすればいい?


 だが、迷っている幸太郎の手を取って、諭すように唯花は言った。


「あなたが今、助けたい人は誰ですか? 今にも危険が迫っている元I・Cの方たちか、それとも厳重な本部の守りの中で治療を受けている女か」


「そんなの……唯花に決まってるだろ……」


 唯花は驚いて目を見開いた。自然に口角が上がりかける。だが、今はダメだと自分に言い聞かせ、真剣な面持ちで幸太郎に言った。


「でも、その私は元I・Cの方たちを助けてほしいと今まさに願っています。そのお願い、聞いてくれますか」


 幸太郎は尚も迷っているようだったが、もう一度唯花を見ると、頷いて一言「行ってくる」と言い、部屋を出た。


「行ってらっしゃい」


 唯花はその様子を扉が閉まるまでずっと見つめていた。




 幸太郎は、急いで階段を下り入り口を出た。そして、ポケットに手を入れると、中からSAKURAの入ったシートを取り出し、一錠出して飲み込んだ。


 ふと、様々な記憶が目の前をよぎり、耳元で先日聞いた幼女の声が幸太郎を呼ぶ。


「幸太郎君……」


 寂しくて切ない、けれどなんだか懐かしくて、いつも隣で聞いていたようなその声が、幸太郎の全神経を呼び起こした。突如、猛烈な吐き気が襲ってきたが、幸太郎は走るのを止めない。


 すると後ろから猛烈な勢いで追ってくる男がいた。オリヴァはあっという間に幸太郎に追いつくと、幸太郎を宥めた。


「上坂さん、行ってはいけません! 我々が混乱を治めます」


「いや、俺一人でやる。あんたはロボットの方を頼む」


「しかし……」


「皆が何も抵抗していない。おかしな話だが、そうなった以上今動けるのは俺しかいない」


「……わかりました。これを使ってください。役に立つはずです」


 オリヴァは、諸刃の戦闘用ナイフを幸太郎に投げて渡した。このナイフは以前も戦闘で使ったことがある。幸太郎は礼を言うと、目の前に近づく人だかりに向かって突っ込んだ。


 自身の目で最短経路を見出して、集まっている人のすれすれを通り抜ける。最前列にいたスリジェ軍の兵士の腰からレーザー銃を抜き取ると、オリヴァから渡されたナイフの鞘を外し、中央の男めがけて走った。


 周囲のロボットが突如起動し、一斉に「異常」と判断して銃口を向ける。だが幸太郎は放たれる弾丸をかわそうとする様子もなく、さらに速度を上げて、ミナミを捕らえていた男を勢いそのまま蹴り飛ばした。ミナミと男の距離が開くと、幸太郎はすぐさまナイフを構え、他のメンバーを捕らえていた暴徒の背後に回り、腕や足裏を切りつける。


 敵がひるんだその隙に、捕まっていたメンバーを四方に走らせ、幸太郎は尚もミナミを狙おうとする男の前に再び回り込むと、足を払ってナイフで腕裏を切りつけ、背後に回って腿の裏を切った。


 ほんの数秒の出来事だったが、幸太郎に成す術もなく、暴徒は皆その場に崩れ落ちた。それを確認するでもなく、幸太郎はミナミとロボットの間に入ると、レーザー銃の安全装置を外し、周囲を囲むロボットの片足を狙って撃ち続けた。片足が崩れたロボットはそのままバランスを崩し、隣同士で自らが停止するまで打ち続けた。


 弾丸が円周上の外に逸れ、周囲を囲んでいた市民やマスコミは次々に逃げ出した。


 周囲に互いを撃ち続けるロボットと出血し気を失っている暴徒がいる中で、幸太郎はSAKURAをズボンのポケットに入れると、自らのコートを脱いでミナミにかけた。ミナミは、いたって落ち着いて一部始終を見ていた。が、幸太郎と目が合うと申し訳なさそうに俯いた。


「どうして、抵抗しなかったんだ?」


 擦り傷をいくつかもらった幸太郎がミナミに問う。ミナミは目を伏せたまま、とぎれとぎれに答えた。


「I・Cが悪いイメージを持たれているのは知ってたから……初めは助けるためにここに来たけど……少しでも……抵抗しない方が後々の皆のために……なるかなって思って」


「そうか。でも、もう二度とこんな危ないことはしないでくれ。ここまでくると、こいつらはもう市民じゃない。ただの暴徒だ。これ以上、俺は仲間を失いたくない」


「……うん。わかった」


 幸太郎はミナミに手を貸して、立ち上がらせた─その時だった。一台のロボットが、形状を変化させ、再び幸太郎に銃口を向けた。気を抜いていた幸太郎めがけて弾丸が空を切る。とっさに幸太郎はミナミをかばった。


 だが、それは幸太郎に届くことなく、突如彼らとロボットの間に入ったオリヴァの腹部をかすった。


 うめき声をあげながらもオリヴァは尚も立ち続ける。


「おい!」


 幸太郎は呆気に取られていた。だがオリヴァは、振り向くと今まで表情一つ変えなかったその頬を緩めて幸太郎に言った。


「あなたの自由を守るのが、私の仕事ですから……」


 ─タンッ─


 しかし、もう一発、今度は幸太郎のこめかみをかすり、後方から弾丸が放たれ、今度はオリヴァの肋骨に当たった。返り血が幸太郎の顔にかかる。振り向くと、後ろにいたロボットが形状を変えて弾丸を放った後だった。オリヴァはそのまま前方に崩れ、幸太郎にもたれかかった。


「おい……おい、しっかりしろ!」


 幸太郎の呼びかけに、オリヴァは応じなかった。幸太郎の息がだんだんと荒くなる。


「ミナミ、逃げろ!」


 気づけば四方にいたロボットが互いを撃つのをやめて、すべてこちらに銃口を向けていた。ロボットは次の弾丸を既に装填し終えていた。


 四基のロボットの銃口が幸太郎を一直線に捉える。幸太郎に動く隙すら与えず、前方のロボットが少し早めに弾丸を放った。


 オリヴァに当たらないよう、無理に身体をよけた幸太郎の腹部を弾丸はかすった。服が滲んだ幸太郎は、オリヴァの上で地面に手をつき、必死に起き上がろうとする。だがすでに、残り三基のロボットが捉えていた。


 弾丸が放たれ─


「緊急停止!」


 鉛玉が空を切ったと、そう思った矢先、聞き覚えのある声によって、それら全てのロボットは銃撃を止めて停止した。


 幸太郎は、力が抜けてしまい、オリヴァの上にもたれかかった。


 痛覚や何もかもが麻痺している中、残った力で何とか声の方を見ると、15メートルほど離れたところで、ベルトリエが隣に立つ少女の手にあったタブレットに手をかざして立っていた。少女はポールタワーの受付にいた監察官だった。


 全てが停止するのを確認すると、彼はがこちらに走って来た。


 後ろから、自分の名前を呼ぶミナミの声も微かに聞こえたが、すぐに幸太郎の意識は薄れていった。


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