あれもこれも全て熱のせい

 翌日、僕は熱を出した。あれから渡会わたらいさんと別れた後、傘を差さずに帰ったせいだ。渡会さんはあのとき最後までそのことを気にしていて、「家まで送るよ」なんてことを言っていたけど、それは普通男のセリフだと思う。まあとにかく、今日も普通に平日で、みんなが勉学に励んでいる間、僕は昼ごはんを食べた後、こうしてベッドの上に横になっている。その間、頭がろくに回りもしないでずっと渡会さんのことを考えていた。

 カーテンの隙間から漏れる日差しは暖かくもあり眩しくもあった。昨日はあんなに雨が降っていたのに天気ってやつは少しの時間でこんなにも変わっちまう。お気楽なものだ。

 僕もすぐに頭を切り替えられたらなと思う。仲直りはできたはずなのに、どうしてか渡会さんのことばかりが頭に浮かんで、胸が苦しくなる。今、渡会さんは何をしているだろう? 何を考えているだろう?


「はあ、頭痛い……」


 寝返りを打つと、ベッドの端に積まれた漫画が目に入った。体調は悪いけど、朝にぐっすり寝たから眠気なんてなく今はただ暇だった。なんべんも読み返した漫画の第1巻を手に取る。ラブコメ漫画だ。ストーリーは突飛な設定なんてなく、高校生の等身大な恋愛が、笑いあり、涙ありと綴られていくもの。主人公はびっくりするほど鈍感で、人の感情にも自分の感情にも気づかないという情けない男。こういう作品を見ると女の子がつくづく可哀想だなと思う。まあ面白いし好きなんだけどね。

 寝転がりながらページを手繰るのは疲れたので座ることにした。授業時間中に漫画を読むという若干の罪悪感を抱えたのは始めだけで、気づけば1巻、また1巻と読み進めていた。ついに作中きっての名シーンに入る。主人公がヒロインに向けている感情に気づくシーンだ。このシーンは主人公のことが好きなサブヒロインが、自分の感情を押し殺しながら問答を繰り広げるシーンで、なかなかに切ない。


〈あんたはさ、あの子のことどう思ってんの?〉

〈どうって……?〉

〈決まってんじゃん。恋してるのかどうか〉

〈そんなんじゃないと思う〉

〈……じゃあさ、あたしのことは好き?〉

〈……え? そりゃあ好きだよ〉

〈なッ……!〉

〈友達として〉

〈……〉


 殴ってやろうかこの主人公。


〈ハァ……まああんたらしいわ。そのさ、あたしに抱いてる好きって感情とあの子に抱いてる好きって感情は違うものだよね?〉

〈わからないよ……〉

〈あたしはわかるよ。あんたがあの子に恋してるって。いい加減気づいてよ〉

〈なんだよ、それ〉

〈あの子と出会ってからあんたはいつも上の空。あの子といるときは顔をキラキラさせてさ、あの子がいないときはどこにいるのかなって探してる〉

〈そんなこと……〉

〈あるよ。あたしはずっと見てきてるもん。思い返してみて〉


 主人公はメインヒロインとの出会いから回想した。そういえば僕もこの主人公と同じで、渡会さんと出会ってから心を動かされ続けていたな。友達になってから喧嘩をする前まで、僕は彼女の前だと素直に笑えていた気がする。

 ……いや、まさかね。


〈じゃあ次。もしもあの子が他の男と仲良くしていたら? 想像してみて〉

〈……それは嫌だな〉


 当たり前だ。人間は好きな人に対して独占欲が働くものなんだから。


〈どう? 胸が痛い?〉

〈……ああ〉


 そうだ。渡会さんとデートをした日。彼女はこんなふうにいろんな人とお出かけしているのかなって想像したら、胸が痛くなった。


〈今、あの子に会いたい?〉

〈会いたい〉


「渡会さんに、会いたい」


 そこで僕は本を閉じた。どうやら僕は渡会さんに恋していたらしい。まさか漫画に気づかされるとはね。これじゃあこの主人公以下の鈍感ぶりじゃないか。

 いつからだろう? 想いが強まったのはきっと昨日。衝突して、お互い泣きながら仲直りしたときだ。多分、あの出来事がなかったら僕はいつまでもこの想いに気づけないでいたと思う。

 でも好きになったのはもっと前。デートする前から。いや、もしかしたら心の声が聞こえないって気づいたときから惹かれていたのかもしれない。


「まあ、好きになったタイミングなんてどうでもいいか」


 暑い。とても暑い。この暑さは熱のせいだろうか? 心臓がバクバクいってる。今の僕はもしかしたら40度もあるかもしれない。僕は倒れるように寝転がった。普段見ている天井が、今日ばかりは見慣れないものに見えた。


「初恋か……」


 恥ずかしながら、僕は片思いの経験すらなかった。


「うあっ……」


 どうしてか、泣きそうになった。痛くて苦しくて、僕は胸を押さえてうずくまる。


「なんだ、これ……」


 ついに涙があふれてきた。とめるようにゴシゴシと袖で拭っても、結果は袖を濡らし続けるだけ。鼻水も出てきて、僕は近くにあるティッシュを抜き取ってから盛大に鼻をかんだ。

 しんどかった。苦しかった。それから、とめどなく好きって感情があふれてきた。

 恋というものを、初めて知った。

 そのとき、ピロンッと通知がなった。僕はスマホを手に取って内容を確認する。

 渡会さんからのメッセージだった。

 僕たちはデートに行く前、連絡先を交換して、たまにメッセージのやり取りをしていたのだ。時間を見ると午後の5時。空も茜色に変わりつつあった。きっと、今家に着いたころなのだろう。渡会さんへの想いを自覚してすぐに連絡が届くというのは、嬉しくもあり恥ずかしくもあった。頭がふわふわする。


〈今日休んでたけど大丈夫?〉


 僕は心配される喜びを噛み締めながら返事を打った。


〈熱が出た〉

〈えっそうなの!? やっぱり私が家まで送っていってあげればよかった……〉

〈そうかも〉

〈ご安静にね〉

〈うん〉


 それからはメッセージがとまった。きっとこれが話の終わりなのだろう。けれど僕はもっと話したかった。もっと渡会さんと時間を共有したかった。気づけば僕はメッセージを打っていた。


〈今、電話してもいい?〉


 すぐに既読がつく。僕の心臓ははち切れんばかりの悲鳴を上げた。後悔した。なんてことを書いてしまったんだ。こんなの渡会さんを困らせるだけじゃないか。

 しばらくの間、返信は来なかった。その事実に吐きそうになる。頭がぐわんぐわんした。全身から冷や汗が出た。死んでしまいたい気分だった。

 少しして返事が来た。僕はガバっと確認する。


〈いいよ〉


 たった3文字。この言葉に僕は救われた。人生の絶頂なんじゃないかって思ったくらいだ。

 僕は恐る恐る電話をかけた。ワンコールが終わらないうちに繋がる。


「あっ、もしもし……」

『もしもし。急だね、電話だなんて。というか凄い鼻声だよ。大丈夫?』


 多分、泣いてたからだろう。今もちょびっと涙が出てる。


「大丈夫」

『えー、そうは思えないけどなあ。まあ相模さがみくんがそう言うならいいや。ところでどうかしたの?』

「渡会さんと話したい気分だったから」

『えっ』


 自分でも頭が回ってないなって思う。なんかもう、思ってること全部が口に出そうな勢いだ。


『へ、へー。それはまたどうして』

「君が好きだって気づいたから」

『……えっ? え!?』


 鼓膜を撃つような悲鳴も、渡会さんのものなら心地よく思えた。


「好きです。僕は渡会さんのことが好きです」

『えっあっ、ちょっと待って!?』

「うん。いくらでも待つよ」


 たとえ何年かかっても待ってやる。


『あ、あのさ。こういうのって返事しなきゃだよね……』

「あー、そっか。そうだね。返事してほしいかな」

『あっ、うん……』


 それからどれだけの時間が流れたか、僕にはわからない。不思議な気分だった。さっきまでは死んでしまいそうなほど苦しかったのに、今は晴れやかだ。静かに落ち着いていて、痛みや苦しみなんてない。天国にいるのかもしれないな、なんて思った。


『えっと……』


 上擦った声だった。


「なに?」

『返事なんだけどねっ。その、ごめんなさい。私、相模くんのこと、友達だと思ってて……』

「うん」

『恋愛感情とかは、私よくわかんなくて……でも昨日のことがあってさ。私も相模くんのことちょっとは意識してるかもしれない、というかなんというか』


 最後らへんはモジモジとしてて電話口からは聞き取れなかった。


『その、もう少しだけ返事を待ってもらっていいですか!』


 声からは、照れと同時に真摯さがうかがえた。


「わかった。急に変なこと言ってごめん」

『い、いやその全然大丈夫、です!』

「それじゃあ電話切るね」

『あ、うん。お元気で……』

「ありがとう」


 電話を切って、ベッドに倒れた。


「フラれたか」


 そう呟いた後、異常なほどの睡魔が襲ってきた。僕はそれに一切の抵抗をすることなく身を委ねる。それからはすぐに深い眠りについた。

 夜中、目が覚めた僕が自身の告白を思い出して身悶えたのは言うまでもない。

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