友達
僕が教室に戻ってから少しして、渡会さんもドアを開け席につく。これほどまでに席が隣同士になったことを憎んだことはない。
雨が降っていた。じめじめとした空気の中行われる午後の授業は、全くもって頭に入らなかった。僕の思考の100%を渡会さんに占拠されていたからだ。冷静になった頭でこれまでのことを俯瞰する。
そもそもの話、今回の件は渡会さんに非はない。全て僕の一刻の怒りで起こったこと。それでも渡会さんは僕に謝罪した。注意する勇気がないと。当たり前だ。仲のいい人を咎めるなんて誰だってできやしない。
それを僕は一方的にあんな罵って……。僕は彼女と比べてまだまだ子供なのだ。
悪意にさらされて、辛かった。そこに渡会さんがいたことに深く絶望した。もしかして渡会さんも同じように思っているのか。僕の陰口を言っているのか、と。いや、それだけじゃない。もうひとつ、僕を怒りにかけたきっかけが、確かにもうひとつある。
恥ずかしかったのだ。渡会さんのいる前で、悪口を言われているのが堪らなく屈辱だった。
◇
放課後、傘をさして校舎を出る。傘を忘れたらしき生徒が鞄を頭の上に掲げて走る姿が目に入った。
『雨だりー』
『天気予報見てくればよかった……』
心の声になんの悪感情も浮かばないのは、僕の心がどん底だからだろうか。
『相合い傘ラッキー!』
『勝手に入ってこないでよ気持ち悪い……』
可哀想な男に笑いが込み上げてくる。僕ってこんなに性格悪かったかな。
「あー、疲れた……」
僕の独り言は誰にも聞こえなかったみたいだ。トボトボと坂道を
やっぱり渡会さんは素敵な女の子だ。
「どうかしたの?」
「えっ、相模くん……?」
僕が近づいて声をかけると、渡会さんは心の声が聞こえなくてもわかるくらいに戸惑いを見せていた。まあ、あんなことがあってすぐだし当たり前の反応ではある。……少し淋しいけど。
「えっと、この子、迷子みたいで」
そう言って渡会さんは視線を子供に向けた。小学校低学年くらいの男の子だった。
「友達の家っ、どこかわかんなくなっちゃった……」
男の子は嗚咽を抑えながら応えた。
それからはその友達の家がどこら辺にあるのかを教えてもらって、僕たちは近くの公園まで案内することにした。男の子は傘を忘れてしまったみたいで、僕のやや広めの傘の中に入っていた。心の声を聞くと不安でいっぱいだということがわかったから、男の子の気を紛らわすために、いろんな話に興じた。
そうしているうちに目当ての公園にたどり着く。男の子は僕の傘から離れ、お辞儀をした。
「ありがとう。お兄さん、お姉さん。ここまできたら道わかる!」
「どういたしまして」
「あっそうだ、君。この傘、持っていきなよ」と、僕。
「え、でも……」
「風邪を引くといけないでしょ? 僕はこのお姉さんの傘に入れてもらうからさ」
「えっ!?」
渡会さんの素っ頓狂な声は無視して言葉を続ける。
「だからさ、ほら」
「えっと、ありがとう」
そう言って受け取り、男の子は手を小さく振って背を向けた。僕たちは男の子が見えなくなるまで見送った。
しばらくの間、沈黙が続いた。どちらかが喋りだすでも動き出すでもなく、ただじっと立ち尽くしていた。渡会さんは気まずいことだろう。本当に、自己嫌悪で我が身を引き裂きたくなる。
それから少しして、僕に打ちつける雨の感覚がなくなっていることに気づいた。けれど雨音はしっかりとする。僕のいるところだけ奇跡的に雨がやんだのか? と、馬鹿げた妄想をしながら上を向いた。すると無色透明のビニール傘が、僕とそのすぐ隣、渡会さんを覆っていた。隣を見ると渡会さんと目が合う。みるみると顔を赤くしていくのがわかった。すっと目を逸らされてしまう。どうやら恥ずかしさに耐えきれなかったみたいだ。
「……入るんでしょ、私の傘に」
「あれは、嘘だよ」
「えっ」
驚いたように僕に振り向く。
「ああでも言わないと、傘をもらってくれそうになかったから」
「じゃあ、相模くんは……?」
「そりゃもちろん、雨に濡れながら帰るよ」
「風邪引いちゃうよ」
声がか細くて、心配してるんだなってわかった。それが堪らなく嬉しかった。
「そうしたい気分なんだ」
渡会さんは目をパチクリとさせていた。理解に苦しむ、といった感じだろうか。僕はそれに微笑んで、
「少し、話をしていかない?」
と、提案した。
渡会さんは承諾してくれて、
「話って?」
渡会さんが恐る恐る切り出した。
「昼間のこと」
「…………」
雨が屋根を打ちつける音が木霊する。この世界には僕と君しかいないんじゃないか、という錯覚さえした。
「まず、始めに、ごめん」
「えっ」
「あのときの僕は冷静にいられなくて、君に対してひどい態度をとった。怒鳴ってしまった。それをずっと、後悔してたんだ」
「でも、私が悪くて……」
「君は何も悪くないよ」
目を見て、そう言った。渡会さんはいたたまれなさそうに目を逸らす。
「それに、君は言ってたじゃないか。僕が、君も本当は僕のことを馬鹿にしてんだろって言ったら、違うって」
「うん……」
「僕はさ、なんとなく人の本音がわかるんだ」
超能力のことは濁して言う。渡会さんを信用していないからではなくて、この力は僕ひとりで抱えて生きていきたいと思ったから。
「でも、なんでかな。君の本音はさっぱりわからない。だから、怖いんだ。僕のことを本当は見下してるんじゃないかって。陰口を言ってるんじゃないかって」
「そんなことない!」
渡会さんはここに来て初めて、断固として否定した。
「うん、ありがとう。でも、あのときは本当に疑心暗鬼でさ。だからって僕が君にしたことは、本当に最低だった。ごめん」
「うん……」
泣きそうな声だった。僕まで泣いてしまいそうになる。
「それでさ、信じることにしたよ。君が違うって否定してくれたこと」
「えっ……?」
渡会さんと僕の視線が交差する。臆病で意気地なしの僕には今すぐ視線を逸らしたかったけれど、ジッと我慢だ。心の底から伝えたいこと。それは目を見て言わないと届かないかもしれないから。
震える口をゆっくりと開く。心臓がドクンドクンと鳴っていて、緊張が渡会さんに気づかれないか不安で仕方なかった。
「だからさ……」
覚悟を決めて、言わなければ。
「僕とまだ、友達でいてくれますか……!」
「……ッ!」
雨音が、うるさい。心臓の音も、うるさい。全身の血液が沸騰しているみたいだった。
数秒しか経過していないけど僕にとっては永遠に感じられた時間。渡会さんの頬から涙が伝って落ちた。その涙は留まることを知らず、とめどなく流れ続けて顔をクシャクシャにしていく。雨音が嗚咽をかき消していた。
「な、泣かないで」
そういう僕も泣いていた。
「無理だよ……嬉しくて、ホッとして、とまらないもん」
「うん……」
お互い、泣き顔のまま向かい合った。それを変に思ったのか、渡会さんがクスッと笑う。
「これからも友達でいようね」
「うん」
僕らに笑顔がこぼれた。この瞬間は、お互いの心がわからなくとも、繋がっていられたような気がした。
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