第7話― 山 ―
秋は山が鮮やかに花やぐ季節だ。
見上げれば紅葉、横を見れば秋桐や犬山椒、足元には
「へぇ、これって春には食えるのに秋には食えないのか?」
「そうですよ、春に咲くセリは食べられますが、この時期にみかけるのはドクゼリが多いので食べてはだめです」
だが先程から姉と祖父の間で交される会話とくれば、食べられるか、食べられないか、そればかりの問答が続いている。主にナエが気になる植物を見つけては、
「これは食べられるか」
「どの部分が食べられないのか」
「毒があってもどれくらい我慢すれば食べられるのか」
と、のべつまくなしに問いかけに祖父は当意即妙で全て答えている。
長生きだけあって、祖父はやはり物知りだ。
まるで知らないことなど何もないのではと思うくらい、どんな質問にも祖父は答えてくれる。
「つきました、ここです」
平屋敷から出て、坂を登り、山道に入り、時折休息を挟みながら、食べられるかどうかの問答を繰り返しての二時間と少しで見えてきた目的地は、意外な場所だった。
「おじいちゃん……これ、これって」
山中に乱雑に自然に生える木々の中、並列に直列に不自然に現れた。
「あぁこの村を守る柵壁、村で言うところの
知っている。
だが知っていることを知られてはならないものだ。
生まれた時から幾度となく近づくなと教えられ、姉が母に隠れて山へ散策し、村を囲う山のあちらこちらで見つかる巨大な木杭で作られた大壁。
見ただけで禁忌に触れるとまで言われている、村の大掟の一つ、
それを村長であるはずの、掟を守らなかった者を罰する立場の、祖父が――、
「村の掟のことは今は忘れてかまいません、それよりここまでの道順を覚えましたか?」
ナゼとドウシテが反響する頭の中、祖父に言われた通りにここまでの道中をミノリは反芻する。
「う、うん、覚えたよ」
「もちろん覚えてねぇ」
腕組みで何故か自慢げなナエに対して、ミノリはもしもの事があったら、もし山中で祖父が体調を崩したさいに一人でも降りて助けを呼びに行けるように、それがなくとも山に入る際は常々慎重に考えて、道も目印も頭に入れながらここまで来ていた。
「ナエさん、私が食べられると教えたものの場所は覚えていますか?」
「覚えてる、野草が三つにキノコが二つ」
「野草を左に、キノコが右です」
「あー、じゃぁもうその目印はダメだ」
そう言って右袖左袖懐から取り出したのは、全て食べられると教えられた野草とキノコだった。
「ナエ姉、いつのまに……」
「ぁー、いや、ほら、お昼ごはんにと思って? そう、うん、それそれ」
嘘だ。
ミノリの咎めるような視線にバツが悪そうにナエはそっぽを向いて採取した宝の山を守るようにかばう。その様子は明らかに後で一人でこっそりと食べようと考えている姉そのものだった。
「それで、なんでおじいちゃんが、その、大壁様のところに?」
もう十分過ぎるほど頭の中でナゼの答えを探し回ったおかげで、次は自然に尋ねることができた。至極当たり前の問いだろうと、祖父は二人を手招いた。そして、
「二人には、これを見せておきたかったからです」
大壁様、大の大人より太い木の杭、その腹、生え登ってきた苔や蔦や枯れ葉を手で千切り払うと、まるで植物達によって意図的に隠されていたように見えるそれが現れた。
「なんだこれ、人形か?」
ヒトガタ、細かく彫り物をされた立ち姿にミノリは思わず目を奪われた。
なだらかな頬の輪郭、閉じていても優しさの伝わってきそうな両目、何かを救おうと差し出された手は、指の先に至るまで細かく彫られている。
「これは
「……これが、あまみず、さま?」
「ええ、この村が崇める神、私達がお仕えしている方ですよ……とはいっても、この姿は私が勝手に想像して彫ったものなのですが」
少し照れくさそうに言って手を合わせてから、祖父はその体にまとわり付いた苔や汚れを着物の袖で拭き取り清め始めた。こびりついた汚れがゆっくりと払われると、天水様は輝きを取り戻すように木々の間から僅かに差し込む太陽の光をふくみ始める。
「この歳になると、なかなかここにも来れなくなれました」
磨く祖父の肩が息に揺れているのを見て、見惚れていたミノリも慌てて横に並び、見よう見まねで手を合わせてから着物の袖で天水様の体を磨くのに加わった。
そのまま数分、磨き終えると布越しでもわかる滑らかな手触りに、ミノリは言いしれぬ安堵を覚えた。
「ありがとう、ミノリさん、天水様もきっと喜んでくれています、そして――」
額に小さな汗の粒を落としながら微笑む祖父の顔に、ミノリもつられて頬が緩んでしまう。
「ミノリさん、貴女の窮地を必ず救ってくださいます」
忘れないでと、頭を撫でてくれた祖父の笑顔が嬉しくて。
心地の良い風を頭の中へと呼び込むような、温かい時間だった。
「で、これからはジジイの代わりに磨きに来てほしいってことか?」
道中の戦利品を再び懐に収納し終えたナエがまじまじと、しかし訝しげに眺めながら尋ねると、祖父は少し考えるように間をおいてから、
「いいえ、二人にはコレからの話を、――私が死んだ後の事を話しておきたくて」
祖父が
「私が死んだら、何も聞かずに逃げてください、この村から」
前触れも、冗談でもなく、これから確実に起こることを聞き終えた時――。
∞ ∞ ∞
秋が実り、冬に向かい枯れ、また種となり苗となる
廻り廻り、命は尊く
その生命の巡りにまた還ることができますようにと
これまでの、これからの、巡りが滞りなく、天水に導かれて逝かれますように
廻り廻れと、巫女は祈る。
そんないつも通りで、昨日と変わらない朝の祈祷の最中に祖父の訃報は届いた。
誰かが泣き叫ぶ声の中でもなく、世界が燃え上がり崩れ落ちるわけでもなく、ただ静静と男が一人きて、祖父が亡くなられたと母に告げた。
母はただ一言「そうですか」とだけ答え、男を返した。
膝を折って泣き崩れるわけでもなく、嗚咽を漏らして喚くでもなく、ゆっくりと両手で自分の顔を覆って、何度か深い呼吸をしていた。
そして何事もなかったように、
「お父様が亡くられました、お勤めがあります、支度なさい」
一度だけ告げて、いつものように自分の部屋へと籠もった。
「せめて何時から始めるかくらい言えっての、たく……おいミノリ、泣いてないで清めにいくぞ」
「別に……泣いてないよ」
涙はでなかった。
不思議と、ではない……。
泣くべき時は、既に過ぎていたからだ。
今日になるまでに、枯れ果てるほどに泣いたからだ。
「本当にいいんだな、今日で」
「今日しかないよ、絶対に」
「私は今からでもいいぞ」
「それはダメ、おじいちゃんをちゃんと見送ってから……もう決めたことだから」
せめてそれだけはと、何度も二人で話し合って決めたことだ。
これが最後の、巫女としての勤めなのだから。
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