第3話― 渋柿 ―



「ちぇー、絶対いけると思ったのに、さっ!」


 唇を尖らせたナエはありったけの不満を小石に込めて小川へと投げた。

 ぽちゃりと秋の清流に生まれた波紋は枯葉と共に流されて消えていく。


「いいから早く足の泥も洗って、お昼までに乾かさないとまたお母さんに怒られるよ、いやだよ最近すごくイライラしてるんだから」


 石を投げるナエの背中を押して、触れただけで声が出そうな冷たい秋の小川の中で急ぎ足を洗う。


 白い肌襦袢はだじゅばんすそを手繰って腰紐に挟み、素足へとこびり付いた泥を丁寧に両手で洗うミノリに対してナエは、まだまだ不満そうに襦袢の裾を持ち上げて、片足でもう片足の泥をバシャバシャと蹴落とすように洗いだした。


 水飛沫が散ってそれじゃ余計に濡れてしまうと口にしかけた言葉を飲み込んで、ミノリはとにかく自分の汚れを落としにかかった。


 泥汚れを洗い流してから二人は日差しの当たる大きな岩を選んで登った。

 着物や下駄は先に洗って他の大岩で乾かしてある、幸運にも天候には恵まれ晴天。


 あとは自分たちだけだと二人は肌襦袢の紐を解いて裸になって暖まった岩に押しつけるようにして水気を吸わせた。


 手のひらに伝わる熱に期待しながら、次は広げた襦袢の上で膝を畳んで早く乾けと念を込めながらミノリは小さく丸まる。


 高くなりだした陽光が首筋から背に宿ると、次第に寒気が熱によって払われていく。


 秋になったとはいえ、まだこの土地の太陽は熱い。夏のままだ。

 閉じた視界の中、焼ける肌の音が聞こえてくる。

 ジリジリと細砂を擦るような音と共に広がる温もり。


 心地良いと大きく一息ついたミノリの背にドンと、何かがのし掛かってきた。


 冷たい肌と柔らかな感触に思わず肌が泡だった。



「冷たっ! ナエ姉! 抱きつくならそこらへんの岩にしてよ!」

「やーだーこっちの方が温いんじゃよ」

「私が寒いっ」

「おいおい冷たいこと言うなよ、姉妹だろー」

「今冷たいのはナエ姉なんだって、ただですら体温低いんだからひっ」

 

 首筋に一際冷たいものが押し当てられる、耳たぶだ。


「そんな事ないぜー、愛してる、超愛してるミノリ」


 そういう意味ではない。

 さらに強く背中から抱きしめられて余計に寒さが募るばかりだ。

 振り払うか、そのまま後ろに倒れて姉を岩に押しつけるか、悩んでいたら体温は馴染んで温もりと冷たさの境界線が、拒絶の言葉と共に曖昧と消えてしまった。



「にしてもお腹減ったなぁ、やっぱ食べとけばよかった……不味いけど」



 まただ。

 この台詞は本日4度目になる。

 食い意地の汚さは村一番と自負するだけのことはある。



「もういい加減諦めなよ、不味いのにもきっと何か理由があるんだよ」

「不味い理由って、そんなの誰も喜ばないじゃん?」

「喜ばれたくないからあえて不味くなる果物もあるんだよ」

「なんだその意地悪な奴は、実にけしからん」

「意地悪じゃなくて生き残る知恵だよ……、たとえば虫には食べられたくないけど、鳥には食べて欲しいとかさ」

「なにぃ我が鳥以下だと申すのかぁー! この私に選ばれるのが不満と申すのかーっ!」


 うおんおんと背中に抱きついたたまま、わざとらしく憤慨ふんがいする姉にミノリはくすりと笑いながら付け加える。


「不満なんだろうね、それに選ぶ権利はあるってことだよ」

「ん? 食べられる方に選ぶ権利? なんで? 選ぶのはこっちじゃん?」

「たとえばナエ姉じゃなくて鳥にだけ食べてほしいって思った時とか……その他には嫌われたって、不味いって思われたっていいから、ただ鳥の好きな味になるんだよ」

 

 私は貴方に食べてほしい。

 だから貴方のための味となり、

 匂いとなり、色となり、形成す。

 自然は、それだけ一途な心をもっている。



「そうかぁ? 私はすっごく美味しくなって全員に好かれたいよ」



 不可思議な事をいうものだと言わんがばかりに姉の両手に力が籠もる。



「その子は、どうしても鳥に食べてほしいんだよ、より遠くにいくために、ここじゃないどこかで芽吹くためにさ」


「んー、なるほど? まぁ確かに私達は遠くにいけないから、ねっと」



 そう言ってミノリの背から充分に温もりを分け合ったナエは後ろに転がった。


 そのまま手を伸ばして予め持ってきていた小石を握ると、飛べない自分にできるのはこれぐらいだと悔し紛れにまた石を川へと投げた。



があるんだから、仕方ないよ」


「だねぇ、あぁめんどくさっ」



 またナエが石を投げた。

 また川にぽちゃりと波紋が一つ。

 不満に足をばたつかせる姉に対して、ミノリは膝を畳んだままさらに小さくなって乾きを待った。昼前にもなると石の上はほどよく暖まっていて、日差しと温もりにゆっくりと包まれて心地よさが広がっていく感覚を味わった。



「てかミノリさ、なんでそんな事しってるん?」


 ナエの問いに何のことかと僅かに逡巡して、


「鳥のこと」


 と付け加えられて、あぁと思いついてやや逡巡してミノリは応えた。


「……おじいちゃんから、聞いたんだよ」


 その返答にやはりナエはあからさまに眉を潜めた。


「あのじじい、またミノリばっか」


 悔しいと言わんがばかりにナエは石を投げた。そして言うのだ、



「じゃぁ、美味しいのに毒があったあの苺は、どうしたかったんだろうね」



 不味い果物を食べた時より派手な飛沫を散らして、波紋は秋の小川を流れていく。




 § § §

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